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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
不軌の権謀
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呑気な冒険者たちシリーズ読者さんのための不軌の権謀プロローグ

 フランツは頬杖を付きながら分厚い歴史書を捲っていた。

「革命戦争か……」

 当代随一といわれた歴史家が書いたそれは、歴史書として発行されている中で、最も詳細に内戦が記載されている事で知られる。

 兵士の数、補給物資の量、戦闘開始時から、時刻によって変化していく陣形、奇襲作戦部隊の戦力、それに加えて敵戦力の分析も細かい。

 内戦を詳しく知るのだったらこの資料が最も適していると勧めてくれたのは、実は現国王ジェラルドだった。

 ジェラルドも両親が事細かに話してくれない歴史をこの歴史書で学んだそうだ。

 ジェラルドが親であるエドワードから話を聞けないというにフランツが聞いているというのは、何とも奇妙な話しではあるが、そんなジェラルドの勧めるものだけあって非常に役立つ。

 当然歴史書である以上、内乱のきっかけとなった反乱からエドワードが王になるまでの全ての戦い、各自治領区の内政状態に於いて詳細な記録が載せられている。

 だがフランツが今までリッツとエドワード本人に聞いてきたような彼らの生活や葛藤に関わる記述は一切存在しない。

 伝承、噂たぐいのものは少々記述されているが、歴史家本人が資料もしくは取材で確認できなかったものは掲載されていない。

 そこに歴史家の意図が見え隠れしているのだが、その作者の意図と当事者であるエドワードとリッツの話す内容はどことなくずれている。

 歴史書を記した歴史家が世に向けて示したいのは、いかなる戦略・戦術でエドワードが勝ち仰せたのか、エドワードたちがどれほどの実力者であったかの事実なのだ。

 だがエドワードとリッツが話してくれたのは、事実では無く、本人達の中にある真実だった。

 事実は真実と近いようで、遙かに遠い。

 歴史書では戦いの天才として描かれるエドワード王太子だが、話を聞く限りエドワードは、歴史書にあるような戦術の天才では決してない。

 エドワードの語るエドワードの戦略は、本には決して載らない、細々とした作戦を積み重ねた結果作り上げられたものだった。

 如何にして最小限の被害で戦場を収めて勝つか。

 そのためならエドワードは諜報活動や、流言も厭わない。

 彼にとって最高の勝利は戦わずして勝つことだ。

 楽して勝つという意味では無い。

 エドワードは常に、裏からも表からもありとあらゆる手を回して勝とうとする。

 人を損なう事を避けるため、必死で知恵を絞る。

 支配者は人に命じて戦わせる野だと思っていたフランツの思い込みは、書類に囲まれて立案するエドワードを見てすでに崩れ去っている。

 話を聞いていると、結果として仲間達が危険にさらされることもあるのだが、それでも無為に兵を損ねるよりはましだろう。

 それにエドワードの仲間達はみな、それを理解し、エドワードという人物のために死することすら恐れない。

 その筆頭がフランツの現在の仲間であるリッツだ。まあ話しを聞く中に出てくるリッツの場合、どちらかというと死にたがりではあるが。

 もしフランツがエドワードという人物を国王としてしか知らねばそれを知ることも無かっただろう。でも一緒に旅して死地を乗り越えてきたからリッツもエドワードもよく分かっている。

 このエドワードの考え方は、共に旅をしていたときと変わらないからだ。

 エドワードは常に、危険を避けるために何らかの手段を講じようとする。当然、年若いフランツやアンナでは無く、リッツを利用してだ。

 この昔語りを聞いていると、エドワードにとってのリッツがどれほど大切なのかはよく分かった。

 なのに現在のエドワードはリッツを平気で谷底に突き落とすようなことをする。

 それも信頼なのだろか。それとも三十五年も放って置かれた腹いせだろうか。

 フランツには分からない。

 シアーズのウォルター侯事件、リュシアナの麻薬組織との攻防戦、レッドヴァレーの精霊族の真似、ロシューズへ潜入する際の捜査、タシュクルの殺人事件、タルニエンの暴動……。

「ん?」

 フランツは小さくうなって考え込む。

 全部リッツの背中を押したくせに、エドワードは自分が前に出ていないか?

 つまりエドワードは、リッツを突き落とすふりをしながら結局はリッツを守って矢面に立ってきたのだろうか。

 あの二年の旅の間もずっと?

「熱心だな、フランツ」

 唐突に掛けられた低く穏やかな声に、フランツは驚き身をすくめた。

 見上げると、穏やかに細められた水色の瞳が目の前にある。その視線はフランツの手元の歴史書に落とされていた。

「……陛下……」

「資料としての歴史書は興味深いな。私が忘れたことまで全て事細かに書かれている」

 フランツの歴史書を、エドワードの年相応に少し骨張った白い指が捲る。

 その手が不意に止まった。

「陛下?」

「……王城内の攻防戦において、正確に知ることが出来ないのは、玉座の間の戦いである。闇の一族による死者繰術によりジェラルド・モーガンが王太子の叔父にあたるグレイグ・バルディアと共に戦死したことは知られている。だがこの時王宮にいた誰もが起こった出来事を書き残してはいない」

 つい先週聞いた淡々としたリッツの声が脳裏に甦った。

『玉座の間に入った途端、扉が兵士たちに閉じられた。何が起こったのか分かったのは、その直後だったんだけどな。でもエドは俺が見た現実が見えてなかったんだ』

『そうだな。術中に嵌まった私には、あれほど会いたかった母が微笑んで見えていた。そしてわかり合うことが出来ずに死んだ、恨みを募らせていた父の姿にな』

 暗く沈んだ横顔に微かに影が落ちた気がした。そんなエドワードのグラスにワインを注ぎながら、リッツが穏やかに言葉を続けたのだ。

『どこからともなく聞こえてくる頭に響くようなジェイドの声が、エドとおっさんには二人の声に聞こえてたんだよな? 俺には目の前の死人が意味の分からぬ言葉を呻いているようにしか見えなかったんだ。だからエドが心底嬉しそうに俺に笑いかけたとき、正直いうと全身から血の気が引いたよ。俺はさ、狂って壊れて死ぬのは俺なんだと思ってたから、エドがまともじゃ無くてすげぇ怖かったよ』

『その後実際に壊れたろうが』

『そうだけどさ。……実は今もたまにあの幻覚を見たりするんだよな』

『……私が砂になって崩れ去る幻覚を?』

『ああ。時間がものすごく早く流れて、お前が年老いて骨だけになって崩れる幻覚だ』

『安心しろ。私は死んだら防腐処理されて王家の墓所に入るから崩れ落ちない』

『はぁ!? そういう話してないだろうが!』

 苦痛に満ちた時間のことを、時折こうしてエドワードかリッツが混ぜっ返して歴史は語られていく。

 抱えた苦痛を話すのに、二人とも時折冗談を交えなければやっていられないのだろう。

「戦死者の数から、死者による待ち伏せ奇襲攻撃にあったと推測される……か」

 フランツが考え事をしている間に静かに文章を朗読したエドワードは、微かに悲しげな目をして微笑む。

「知っているのは、現在もその場にいた我々だけということになるな」

 闇の紋章で死人を生きている人と誤認したエドワードとジェラルド。

 そして年を経て粉々に砕け散るエドワードをかき集める幻覚を見続けたリッツ。

 確かに記録に残せることでは無い。

 しかもその後この歴史書ではエドワードが悲しみを乗り越えてすぐにスチュワートを追ったような供述になっているのだ。

 苦しみ、もがき、復讐に走り、事もあろうに親友であるリッツと戦場で戦ったエドワードはそこにはいないし、自己嫌悪を抱えるリッツも居ない。

「僕らも知りました」

 無意識にそう告げていた。

「……あの内戦を率いたのが精霊王でもなんでもなく、人間だったことを」

 エドワードを見ると、その水色の瞳がじっとフランツを見つめているのが分かった。

 その叡智に満ちた水色の瞳は自分を映す鏡のように眩い。

「陛下は内戦で悔いたことは無いのですが?」

 その瞳につい問いかけていた。

 口に出した途端それが酷く稚拙な愚問に感じたが、すでに引っ込めようが無い。

「……悔いても悔いても苦しいだけだからな。だが私は忘れないことにしたのだ」

「後悔を、ですか?」

「いや。死んでいった人々をだ。悔いても彼らは戻ってこない。だから覚えている。彼らの上に平和が成り立っているのだとな」

 重い言葉だった。

 きっとエドワードは忘れないのだ。

 普段暮らしている時は忘れていたとしても、常にエドワードは死していった彼らのことを思い出し、その上の平和を想う。

 なんて大変な選択だ。

「フランツ」

「はい」

「いつか戦争が再び起きたとき、君はグレイグを支える立場になっているだろう。もしそうなったとき、君にもこの気持ちを持って欲しいと思っているよ」

「覚悟……ですが?」

「近いが少々違うな。一人一人の顔は覚えておらずとも、戦いには死にゆく者が必ずいることを、そして彼らにも愛し愛される家族が居ることを忘れずにいて欲しい」

 平和は尊い。それは犠牲の上に成り立っているからだ。それを忘れてはいけないとエドワードはいいたいのだろう。

 不意に馴れ馴れしくエドワードの肩に腕が回った。

 当然エドワードにそんなことが出来る人物はひとりしかいない。

「何だよエド。フランツに説教か?」

「……リッツか」

 フランツは目を見開いた。一瞬エドワードの瞳がリッツに向かって切なげに細められたのだ。

 それは本当に一瞬で、瞬きの後にはいつも通りの呆れきったエドワードの表情があった。

 気のせいだろうか?

 フランツの戸惑いなどどこ吹く風と、エドワードとリッツが言葉を交わす。

「誰が説教をしていると?」

「違うのかよ?」

「歴史書の解釈について話していただけだ」

「ふーん」

 興味を失ったのか、リッツはエドワードの肩からあっさりと手を離して、いつもの席に座って目の前のボトルを傾けている。

 琥珀色の蒸留酒を注いだグラスにレモンを放り込み、温かなお湯を注いだリッツは、満足げにそれに口を付けた。

 冬の寒さに湯気を上げるそれは美味しそうだったが、フランツはこの話を聞くとき酒を口にしないようにしている。

 話す当事者達は酒がないと到底やっていられないらしいが。

 フランツから離れたエドワードも、リッツの正面に座り、赤ワインをグラスに注ぐ。

「寒いしホットワインにするか?」

「アルコールが欲しいのにアルコールを抜いてどうする」

「あ~、確かにな」

 いつもの部屋の、いつもの席の、いつもの二人。

「今日も昔語りかぁ~」

「ああ。楽しみにしているぞ、リッツ」

「……先週の遠乗りで散々俺に色々白状させまくったのに、この期に及んで何を聞きたいんだよ」

「当然、今晩の話を聞きたいのさ。あの作戦のことはほとんど知らないし、どうやってお前がギルバート仕込みのはったりを身につけたのかも興味深い」

 リッツはむくれたようにふいっとエドワードから目をそらした。

「うっせぇ。俺は触れたくないんだよ」

 そんなリッツを微かに微笑みながら見ているエドワードの表情がやはりどことなく切なげで、そしてどこまでも柔らかい。

 フランツが知る中で一番近いのは、優しさとか愛おしさとかそういう感情のようだ。

 そうかと思った。この表情はきっと、昔のエドワードそのままの表情なのだ。

 友が大切で、死にたがりの友が心配で、でもその感情を素直に向けると逃げられてしまうから、そっと相手の見ていない時に、その顔を見つめてしまう。

 リッツはそんなエドワードの表情にまるで気がついていない。顔を逸らしているから当然だが、何故だがそれが不思議な気がした。

「俺はあんまり話したくないなぁ……。あの作戦上、俺はお前の愛人だったり、不平不満ばかりの馬鹿だったり、ろくな事ねえし」

「まあな。でも俺は……」

 不意にエドワードの口調が砕けたものになった。

「あの時のことが知りたいよ、リッツ」

「な、何だよ突然。戻るなよ、びびるよ!」

 穏やかで柔らかなエドワードの視線に囚われたようにリッツは全身を硬直させる。

 でもいつもは言葉を引っ込めてからかうエドワードの目が真っ直ぐにリッツを見つめたままだった。

「あの頃、お前と俺の間に決定的な断絶が生じた気がしているんだ」

 今度はリッツが押し黙った。

 決定的な断絶。

 それが何を意味するのか全く分からない。

 でも二人の間には、これから話される出来事が暗く影を落としているようだった。

「お待たせしましたぁ~!」

 微妙な重い空気を、間延びしたアンナの声が吹き飛ばした。リッツとエドワードの間に生じていた何かが綺麗に霧消したのだ。

「……遅いぞアンナ」

「え~? 遅くないよぉ?」

「いいんだよ。俺が遅いっていったら遅いんだよ」

 乱暴にそう言い放ったリッツが身軽に立ち上がり、アンナを抱きしめた。

「え? どうかしたの?」

「べっつに~。ああ、癒される」

「?」

 きょとんと目を丸くしたままのアンナに、エドワードが笑いかけた。

「今日の話があまりに重いから、重圧を感じているのだろう」

「……そうなんだ」

「さあ、アンナ、ジョー。いつもの場所に座りなさい。お話を始めよう」

 エドワードの声がそう響いた。

 フランツは改めて目の前に置かれた歴史書を見つめた。今日話されると思われる部分に指をそっと這わせる。

『王国歴一五三六年九月、王太子主催の第一回王国政策討論会議開催される。この会議以前は王太子暗殺事件が数多く引き起こされていたが、会議以降、エドワード王太子が国王となるまでの期間は表だった事件はほぼ起きていない。

 討論会直後に、王宮にて大規模な王太子暗殺を企む組織が摘発された事が大きな要因になっていると思われる。この組織の摘発の立役者は就任したばかりの大臣で、直接指揮を執ったのは総司令官サウスフォード卿であったと伝わるが、詳細は不明である。この時逮捕されたのは、以下の数十名である……』 歴史書は事実を語る。

 二人には秘密だが、フランツは二人の語る物語を書類に記録している。いつになるか分からないが、いつかそれを世に出せたらと考えているのだ。

 でもまずはこの物語をジェラルドに、そしてグレイグに見せたいと考えている。

 フランツは顔を上げた。

 今日語られる、本には無い真実を聞くために。  

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