<15>
迎えに来てくれたのはリッツだった。
エドワードの勝利宣言にいつまでも歓声を上げる民衆の間を抜け、パトリシアの手首を掴んで引くその手は、とても冷たかった。
固く握りしめていたため血の気が引いているのだと、手を繋いで初めて気がつく。そしてリッツのその顔色の悪さにも。
王城内に入ってから、目の合う人々誰もが無言だったため、パトリシアはその沈黙が何を意味するのかが理解できていなかった。
いや理解したくなかっただけかもしれない。
戦いがあったなんて思えないぐらいに綺麗なままの王城を、リッツに手を引かれて歩く。背が高く足も速いリッツが、何故かいつもよりもゆっくり歩いているのが不思議だった。
パトリシアに合わせているのではなく、ただ足取りが重い。どこかに連れて行こうとしているくせに、リッツ自身がそこに行きたくないようだ。
いつもはおしゃべりなリッツが、一言も口を開かないのは異様で、しかも見上げた顔は強ばったように硬い。目に至っては赤くはれぼったい。
何かしゃべってよ、何か言って。
怖いよリッツ、何が起きてるの?
そう聞きたいが、張り詰めたリッツを見ていると口を開くことすらできない。人が少ない王宮の廊下に響くのは、二人分の足音と、パトリシアが身につけた防具の金属同士が触れあう音だけだ。
人が沢山いるはずの王宮でに、耳が痛くなるほどの沈黙が降りているなんてそんな不思議なことは無い。
やがてたどり着いたのは、開け放たれた巨大な扉だった。リッツ二人分ほどありそうな扉の下には、赤黒い血の跡がべっとりと残っている。何らかの戦闘が扉の前で行われたのだろう。
リッツは中に入ると数歩で足を止めた。
「ここは玉座の間だ」
「玉座の間? 初めて来たわ」
「……そうだよね」
そう言ったきり、リッツは黙った。いくら待っても続きが出てこない。
「リッツ?」
「……ごめん、パティ」
「? 何が?」
リッツの顔がくしゃりと歪んだ。
「ごめん、パティ。俺、守れなくて……」
「リッツ?」
何のことだろう。リッツが守るのはエドワードのはずだ。でもエドワードは先ほど元気に民衆に手を振っていたはずだ。
視線を玉座の間の中に彷徨わせると見慣れた制服の一団がいた。現騎兵隊、元騎士団だ。見慣れた後ろ姿に声をかける。
「エリクソン、マルヴィル!」
振り返った二人の騎士団隊長の顔は、今までに見たことが無いほど青ざめている。共に振り返った騎士団の全員も、悲壮な表情を浮かべていた。
「……何があったの?」
動けないリッツから離れ、パトリシアは二人の方へ歩み寄る。騎士団の二人の前に来た瞬間、二人がパトリシアの間に跪いた。
同時に騎士団全員が同じように一斉に跪く。
「! どうしたの?」
「申し訳ありません、パトリシア様」
悲痛な二人の隊長の声が、玉座の間に響く。
「何? どうしたのよ、二人とも?」
「私は騎士団長でありながら、モーガン侯をお守りすること敵わず……」
嫌な予感はしていた。でもそれだけは無いと思っていた。
「……うそよね?」
「申し訳ありません。我々はみな、敵の策略にはまり、みすみすモーガン侯の命を奪われてしまいました。全てこのエリクソンの不徳の致すところです」
普段冷静沈着なエリクソンの髪が乱れていた。端正ともいえる顔がやつれ、瞳は絶望に覆われている。となりのマルヴィルの同様の表情だ。
子供の頃からずっと騎士団を見て育ってきた。マルヴィルはティルスにいたからたまにしか合わなかったが、エリクソンは子供の頃から常に父の後ろにいた。
だからこそ分かるのだ。エリクソンは決してパトリシアに嘘はつかないと。
「……どうして……」
「敵は城を空にし、入口から玉座の間まで闇の紋章で導きました。我々はそれに気がつかず、敵の策略通りに玉座の間に導かれました」
パトリシアはエリクソンとマルヴィルの語る死人使いと死人との壮絶な戦いの話を聞く。
闇に縛され動くこと敵わなかった騎士団は、それでも目の前で起こった戦いを全て見ていた。
ハロルド王とルイーズの幻覚に苦しめられたジェラルドとエドワード。
それを助けようとして逆に闇に落ちたリッツ。
絶対の危機に駆けつけてきたグレイグ。
動くことも、助けることも敵わず、騎士団は見ていることしかできなかった。
目の前で仕えてきた領主が、敵の暗殺者となりつつも騎士団に復帰した槍使いが戦い、傷つき、やがて倒れていくのを。
最期まで騎士団を守り、玉座の間を包む闇の封印が解かれたのを確認するまで。
床に両手を付いて涙をこぼすエリクソンに変わり、マルヴィルが言葉を続ける。
「モーガン侯が倒れ、最期までグレイグが槍を振るっておりました。グレイグも深手を負っておりました。ですが守りたいという気力だけで戦っていたのでしょう。我々はなすすべも無く、ただ夢うつつのまま闇に囚われてそれを眺めていただけでした」
……お父様が死んだ? これはそういうことをいっているのよね? そういうことよね?
混乱した頭の中で、パトリシアは自問自答した。
パトリシアには信じられなかったのだ。
ジェラルド・モーガンという人は、パトリシアが物心ついたときから無敵だった。誰よりも強い男だった。
アルバートやエリクソン、オドネルたちに連れられ、幼い頃に見た王国軍総司令官としての堂々たる閲兵式の様子は忘れたことがない。
騎士団相手に剣を振るい、負けたところを見た事がない。常に汗一つかかず、涼しげな表情で騎士団員を鍛えていた。
革命軍の指揮官として戦う姿は、ギルバートと違って静かでありつつも誰より勇猛で、華やかさは無いが優雅ですらあった。
そのジェラルドが死ぬ。
そのこと自体が信じられない。でもエリクソンが嘘をつかないことは分かりきっている。
それでも……。
涙をこぼし続けるエリクソンの隣で悲痛な表情を浮かべつつ、マルヴィルが言った。
「我々騎士団は無力です。最後の最後までジェラルド様に助けていただくことすらできず……」
もういいよ。やめてよ。
「ご令嬢のパトリシア様になんとお詫びを申し上げればいいのか……」
「やめてっ!」
気がつくと叫んでいた。認めたくない感情が迸ってしまったのだ。
「お願いよ、もうやめて……」
弱々しい声が漏れた。
「お父様は無敵でいらっしゃるの。死ぬなんて、あり得ないわ」
「パトリシア様……」
「お父様が……死ぬなんて……」
不意に後ろから抱きしめられた。力強い腕だった。
「ごめん、パティ。俺がついていながら……俺が、俺が……」
その聞き慣れた声が、涙に詰まる。
「リッツ……」
「俺が光と闇の合いの子だから……闇に落ちるような奴だから……」
本当に苦しい声だった。泣くまいと堪えているのも分かった。
リッツは本当に苦しんでいる。
分かってる。
でも騎士団として今後パトリシアと共にグレインを守っていくエリクソンにもマルヴィルにもいえない言葉は鋭い声となり、リッツに向かってしまった。
「……なんでよ……」
感情が溢れる。
「ギルバートの次の剣の使い手なんでしょ! 何でお父様を守れなかったのよ!」
駄目。リッツにこんなことを言っても。
でも悲しみと苦しみは止められない。
「お父様はこんなところで死んじゃ駄目なの! 分かってるの!?」
「……うん……」
「お父様はまだ、グレインに必要なのよ?」
「うん」
「戦いだって終わって、これからだってやることはいっぱいあったわ!」
「ごめん……」
「守ってよ! 強くなったんでしょ! エディだけじゃ無くて、お父様も守ってくれたらよかったのに!」
「ごめん……俺が弱いから……」
「馬鹿! リッツの馬鹿! 役立たず!」
「ごめんなさい……」
叱られた子供が怯えたような声で、リッツがそう謝ってきた。リッツを深く傷つけたことに気がついて息を呑む。
パトリシアを抱きしめている腕が、小刻みに震えている。
「泣いたって駄目なんだから……」
ごめんね。リッツのせいじゃないよね。
そう思うのに心とは裏腹な言葉が零れてしまう。
「泣いたって許さないんだから……」
ごめんなさい、リッツ。
だけど駄目。苦しくて、苦しくて辛くて、あなたを責めることしかできない。
これが戦いで、誰かが命を落とすこともあるなんて分かってる。現に自分だって沢山の命を奪ってきた。そのみなに家族があって、こうして悲しんでいるはずだ。
だけど……。
「お父様だけは死なないと思ってた……」
物心ついたときには、母がいなかった。沢山の人が暮らす屋敷だけれど、家族はたったひとり、父だけだった。
幼い頃、母が死んだことを聞かされ、つたない声で訊ねた記憶が甦る。
『お父様は死んだりしない?』
『死なないさ』
『本当に? いなくなったりしない?』
『当たり前だろう。君が幸せになるまでそばにいるとも、パトリシア』
「お父様は……死なないって……言ったのに……」
怒りが急速に喪失感へと変わっていく。どうしていいか分からずに身体の力が抜けそうだ。
なのに……何故、涙が出ないのだろう。
その時、聞き慣れた声がパトリシアを呼んだ。
「パティ」
「……エディ……」
声の方を見ると、騎士団がさっとどいた。そこには床に座り込むエドワードの姿があった。優しく緩んだリッツの腕の中から、エドワードの方へと歩き出す。
そこにあるものが何か知っている。見てしまえば現実を認めなければならないことも分かっている。
それでもパトリシアは歩みを止められなかった。
周りに人が沢山いるはずなのに、エドワードとその前に横たわる人の姿しか見えない。
一歩一歩進んでいるはずなのに、本当に自分は進んでいるんだろうか。一向にエドワードが近くならないような、横たわる人が近くならないような、そんな気がしてしまう。
でもパトリシアの足は一歩一歩確実に現実へと歩み寄る。
やがてエドワードの元にたどり着いたパトリシアは、エドワードの憔悴しきった顔を見て、実感する。
本当に父は……ジェラルド・モーガンは死んだのだと。
エドワードはジェラルドの死体の横に、座り込んでいた。床に直接座り、がっくりとうなだれる姿は、妙に小さく見える。
いつもはとても大きく見えるのに。
「エディ……」
「リッツを責めないでくれ。責められるのは俺なんだ」
俯いていた顔がゆっくりと持ち上がり、先ほど勝利宣言をしたのと同じ人物とは思えないような目をしたエドワードがこちらを見つめる。
「あの紋章の正体に早く気がついていれば……」
床に触れていたエドワードの拳がグッと握りしめられた。きつく握られた拳にエドワードの悔しさ、悲しさが溢れていく。
「何が王太子だ、何がユリスラを救うだ。俺のこの手は、大切な人すら守れない。ローレンも、ジェラルドも!」
絞り出すような声は、エドワードの心が上げる悲鳴のようだった。
「ごめん、パトリシア」
苦しげなエドワードから、そっと目の前の父へと視線を向けた。
着ている服はまるで水でも浴びたみたいに全て血で濡れている。乾いているところなど無いだろう。
切り傷の数も、裂けた服も、今まででは考えられないほど多い。でも激しい損傷が無いのは救いかもしれない。
血の気が全て引いてしまったのだろう。健康的な色だった肌は、真っ白になっていた。
だけど……。
「笑ってるの、お父様……?」
その顔は満足げに微笑んでいた。
それは隣に全く同じような状態で死んでいるグレイグも同様だった。
こんなにも傷だらけになって、こんなにも悲惨な最期を遂げたというのに、何故笑っていられるのだろう。
何故、こんなに幸せそうな顔をして死んでいるのだろう。
「エディ」
「ん?」
「お父様、笑っているのね」
「……ああ」
「何故こんなに幸せそうなの?」
死んでしまったら何もできないのに。もう愛おしい人を抱きしめることも、理想の未来を見ることも何もできないというのに。
ゆっくりと見つめたエドワードは、小さく言葉を発した。
「騎士団を守るためにグレイグと戦えたことが嬉しかったそうだ」
「……」
「自分のせいで不幸にしてしまったと思っていた一番の部下と、もう一度一緒に戦えたことを喜んでいたそうだ。エリクソンが……そういってた」
エドワードは目を上げて、じっとジェラルドを見つめた。パトリシアもジェラルドを見つめる。
「養子になったばかりのジェラルドにとって、騎士団に入りたてのグレイグとアルバートは特別な存在だったそうだ。上司と部下と言うよりも、ジェラルドにとっては弟のような者だったのかもしれないな」
グレイグの存在を知ってから、ずっと心を痛めていたのをパトリシアは知っていた。だからこそ痛いくらいにジェラルドの気持ちは分かる。
だけど……。
「エディ、お父様はアリシアと一緒に暮らしたことが無かったわ。いつもすれ違いばっかり」
「……ああ」
「もっと早くアリシアを妻として迎えればよかったのに。そうしたらちゃんとウイリアムに会えていたのに」
ウイリアム。生まれたばかりのパトリシアの弟。
『パティ、みてごらん。アリシアが男の子を産んだんだ。ウイリアムと名付けることにした。どうかな?』
グレインからの鳩による便りに笑顔を見せ、賛同の言葉を口にしたパトリシアの目の前で返事の伝書鳩を放ったジェラルド。
会いたかっただろうに。初めて持つ跡取り息子に。
「ウイリアム……?」
「ええ。モーガン家の跡取り息子よ。三日前に生まれたんですって」
「……そんな……」
絶句したエドワードは、ジェラルドの死体に手をかけた。
「なおさら駄目だろうジェラルド。死んでいる場合じゃ無いだろう?」
声に苦渋の色が滲む。
「その子のために、生きるべきだったろう……?」
エドワードの声が徐々に小さくなった。その子のためにジェラルドが生きる。その選択が不可能だと思ったのかもしれない。
おそらくジェラルドは、我が子とエドワードの命を天秤にかけた場合、エドワードの命を選ぶだろう。
それは愛情の重さを示す物ではない。エドワードを失えばこの国が滅びることが分かっているからだ。
「俺はその子の父親も奪ったのか……。俺を生かすためにジェラルドは……」
エドワードの苦しげな声にパトリシアは顔を上げた。
ようやく気がついた。
これを言っては駄目だった。エドワードやリッツを責めてはいけないのだ。
父の死は悲しい。
とても受け入れたくないぐらいに悲しくて、一人になってしまったことが寂しくて、後でたっぷり泣くだろう。
泣いて泣いて、涙が止まらなくて、不細工になるぐらいに顔が腫れるぐらい泣くに違いない。
でもそれは今じゃいけない。
涙の海に沈むぐらい泣くのは……グレインに戻って直接アリシアとウイリアムに報告してからでなくてはいけない。
今の戦いは終わったかもしれない。
でもエドワードはまだ王位に就いていないし、今後全てをエドワードの望む政治体制にするにはまだ時間がかかる。
ここでエドワードから誇りを奪ってはいけない。リッツを絶望させてはいけない。
もし二人が悔恨の思いに囚われ、先に進めなくなってしまえば、命をかけて父が守ったことが無駄になる。
ジェラルドの生きた時間を無駄にしてしまう。
駄目だなぁ、私。最悪なことをしてる。
リッツを責めてしまった。エドワードを苦しめてしまった。
これでは全然駄目だ。
目を閉じて自分に問う。
私は誰だ?
私は、パトリシア・モーガン。
エドワード王太子を旗頭に押し上げ、この革命戦を戦ってきたジェラルド・モーガンが娘。
やるべき事は、王太子に先へ進む力を与えること。
それを間違えてしまえば、私は父の肩書き故に、戦列に加わっただけのただの感情的な女になってしまう。
顔を上げろ。私が父の娘であるために。
「王太子殿下」
パトリシアはエドワードに向かって跪いた。
「……パティ?」
「謝罪していただく必要はありません。我が父、ジェラルド・モーガンは不帰の人となりましたが、殿下のために命を散らしたことを決して後悔はしておりますまい」
顔を上げてエドワードを見つめる。呆然とした表情のエドワードが痛ましいと思う。辛いだろうことだって分かっている。
でもここで一緒に泣いてどうなる?
ジェラルドが死んだのは自分のせいだと思っているエドワードの謝罪を受け入れ、向かい合って慰めあったところで、エドワードの罪の意識と胸の痛みは減りはしない。
それどころか彼の中でパトリシアへの責任が生まれてしまい、心が後悔に取り込まれてしまうかもしれない。
だからこうする。
今は傷つけてしまうだろうか。でもパトリシアにはこれしか思いつかない。
そう、ジェラルドの言葉を、想いを代弁することだ。
「パティ……何を……」
「まだ終わっていませんよ、殿下。これからもまだ殿下の戦いは続きます」
エドワードのジェラルドに触れていた指先がきつく握りしめられた。
「後ろを振り返れば、後悔する事は沢山おありでしょう。ですが我が父のことを後悔されますな。我が父は誇りを持ち、殿下のために戦ったのです」
お父様、お父様ならこういうかしら?
私の選択は間違っていないかしら?
不安でも、もう問いかける父はいない。
生まれたばかりのウイリアムも幼い今、パトリシアがグレイン自治領主代行で、グレイン騎士団総帥だ。
そして父と同じように自治領主代理としてエドワードの第一の後ろ盾でいなくてはならない。
エディ、大好きよ。
だから、これは私からあなたへの精一杯の言葉。
「嘆くよりも、散った父の指揮官としての矜持を認めて前に進んでいただきたいのです。父亡き後のグレイン自治領主代行の私と、この騎士団員は変わらず殿下に忠誠を誓い、共に覇道を歩ませていただきます」
俯いたままじっとジェラルドの遺体に手を置いていたエドワードは小さく呟いた。
「謝罪すら許されないのか?」
違う。そんなものが欲しくてジェラルドはエドワードを助けたのでは無い。
「謝罪は必要ありません。それよりもあなたの望む国家を父に、そして私に見せてください、殿下」
しばらく押し黙ったエドワードが、やがてゆっくりとジェラルドの遺体から手を離し、パトリシアを見た。瞳が曇っているのは、パトリシアの変化を受け入れがたいのだろうなと思う。
パトリシアは振り返って、自分の後ろに居並ぶ元騎士団の面々を眺めた。嘆きの中にいた騎士団が、信頼の目でパトリシアを見ている。
そうだ。もう自分は第一隊の風使いでは無い。騎士団総帥だ。
「殿下」
「何だい?」
「お父様とグレイグをグレインに移送したいのですが、許可をいただけませんでしょうか」
本当に時が止まっていたのだろう。言われて初めてエドワードはそれに思い至ったようで小さく息をつく。
「許可する。元騎士団第一、第二隊を再構成し、グレインにジェラルドとグレイグを移送してくれ」
「ありがとうございます」
ゆっくりと立ち上がり、パトリシアは騎士団の前に立った。
「エリクソン」
「はっ!」
「一週間後にグレインへ向けて発ちます。手配を」
「かしこまりました、パトリシア様」
今まで生きた人形のように身動き一つできなかった騎士団が動き出した。涙に暮れていたエリクソンもいつもの団長の姿を取り戻しつつあるようだ。
出て行く彼らを見送り、パトリシアは残ったエドワードとリッツを交互に見た。
「……二人とも、出て行って貰えるかしら」
静かに問いかけると、リッツはまたその目に涙を浮かべ、エドワードは悄然と頷いた。
誰もいなくなった玉座の間には、ジェラルドとグレイグの遺体のみが残されている。パトリシアは改めてジェラルドの傍らに座り込んだ。
「お父様、これでよかったの? 私の行動は合っていたの?」
もちろん返事は帰ってこない。
「お父様、何か言ってくださらないこと? ねえ、お父様、お父様っ……」
満足げなその父に死に顔に、悲しみと腹立たしさがない交ぜになった感情があふれ出す。
「お父様の馬鹿……。死なないって言ったじゃない」
血に塗れたその胸に顔を付ける。
冷たかった。子供の頃に抱きしめてくれたその胸から聞こえていた力強い鼓動は、もう聞こえない。
「お父様の馬鹿……。馬鹿馬鹿馬鹿……」
『そんなに馬鹿と言うんじゃない。淑女として恥ずかしいぞ?』
在りし日の父の笑顔を思い出す。
春の日の草原で、馬に乗せて貰って見た一面の花畑をパトリシアは忘れない。
母の墓参りに行くときには、必ずパトリシアにとっておきの服を着させて『ほら君の可愛いレディはこんなに大きくなったよ』と語りかけたことも忘れない。
騎士団に入りたいと言ったときの、猛烈に反対したあの姿も、女性だからと買ってきた可愛いドレスを着なかったパトリシアを寂しげにいじけてみていたことも。
エドワードも知らない、甘い父親としてのジェラルドの一面を、パトリシアは誰よりも愛していた。
「お父様、大好きよ。誰よりも愛しているわ。天国に行ったらお母様と幸せにね。アリシアが行くまでまだ間があるから」
涙が一筋流れ、ジェラルドの胸元に吸い込まれて消えていく。
物語のお姫様みたいに魔法で人を生き返らせたりできたらいいのに。
しばらくジェラルドにじっと寄り添っていたパトリシアは、涙を拭いて立ち上がった。
グレインに帰ってから泣こう。アリシアとウイリアムに沢山沢山話をしてあげなくては。そして一緒に泣こう。
愛おしい人を、共に思い出しながら。




