<13>
「リッツ」
ああ、エド。お前、正気に戻ったの?
すっげぇ怖かったんだぞ。死体が起きて動いてたんだぞ?
あれがどうしたらお前の母親に見えるんだよ?
「リッツ」
うん、いいんだ、正気に戻ったなら。
差し伸べられた手を取ろうとして、リッツはぎょっとした。若々しく綺麗な指、滑らかな手の甲。
それはいつも見慣れたエドワードの手だった。そのはずだった。
だがその手の甲に、徐々にシミがわき出してきていた。同時に肌が張りを失い、皺が増えていく。
「え?」
エドワードが、目の前でどんどん年を取っていく。
「リッツ」
しわがれた声がリッツを呼ぶ。
「リッ……ツ……」
「うそだろ、エド……」
見上げたその顔が皺に埋もれ、歯がボロボロと抜け落ちた。徐々に抜け落ちた金の髪が地面に落ちて弾けるように粉になる。
「リ……ッ……ツ……」
「エド!」
慌てて抱きしめると、エドワードは粉々に砕けた。
「あ、ああ……」
砂になったエドワードがサラサラと地面にこぼれ落ちていく。手の平に掬った砂はただ綺麗な金色をしていて、風に運ばれて何も無くなる。
「やだよ……こんなのは嫌だ……やだよ、エド……」
自分が泣いているのが分かった。
これは何だろう。
夢なのか? でも夢にしてもきつすぎる。
床に零れた砂を掬い、抱きしめて見るもそれは跡形も残らず消える。まるでエドワードなんてこの世にいなかったみたいに。
全ては幻なのか。
やっぱり全てが夢だったのだろうか。
今こうしている自分は、シーデナの森の木の上で膝を抱えて震えている、あの頃の自分の想像の産物ではないのか。
精霊族ではないと、精霊族は言う。
でもどんなになりたくても、人間にもなれない。
大切な人はみんな、こうして幻のように指の隙間からこぼれ落ちてしまう。
一緒の砂になりたい。この身もこの砂のように砕けて消えてしまえばいいのに。
ふわりと、暖かな何かが身体を包んだ。目の前には何も見えない暗闇があるだけなのに、暗闇と元はエドワードだった金色の砂があるだけなのに。
なんだろう。暖かい。
身体を包み込む暖かな何かは、やがて少しずつ形を取り始めた。サラサラと頬を撫でるのは金の髪だと気がついた。
しっかりと苦しいぐらいに巻き付いているのは、力強い腕だった。
幻だろうか。
リッツはそっと手を伸ばして髪に触れてみた。それから手をゆっくりと滑らせ、滑らかなその頬を撫でてみる。
「……触れる……」
ぽつりと呟く。自分の声で徐々に意識が覚醒してきた。
どうやら誰かが抱きしめてくれているらしい。
「触れた……崩れない……」
暖かい。生きている。それだけで安堵する。
まだぼんやりとだが、視界の中に黒と金以外の色が戻りつつあった。
「ここ、どこだろ?」
呟くと今まで抱きしめてくれていた人物が顔を上げた。久々に真正面から見たその顔は、結構迫力がある。
鋭い水色の瞳、乾いて固まったのかあちこちが血で汚れた髪、そして眉間に刻まれた難しげな縦線。
「玉座の間の外だ」
「エド……」
何だか不思議な気がしてその頬を両手で挟んでじっと見つめてみる。その頬からは暖かな体温が伝わってきた。
エドワードは何も言わずにリッツを見つめたままじっとしていた。
身体の輪郭をなぞるように、エドワードの全身に触れてみる。軍服のざらついた手触り、防具の冷たい感触。その全てに現実感があった。
幾度か友の全身を撫で回して、ようやく落ち着いた。
砂にならない、砕けたりしない。
本物のエドワードだ。現実に帰ってきた。
「よかった……砂にならない……」
大きく安堵の息を吐き出して、再び友を抱きしめる。
怖かった。リッツの恐怖が、現実化して目の前にあるようだった。
「砂になんてなるわけがないだろ」
不機嫌そうにエドワードはそう言うと、何故か珍しくリッツの両腕を掴み、そのまま肩に顔を乗せた。
「……エド?」
名前を呼ぶと、リッツを掴む両腕に力がこもった。
「エド、痛い……」
顔をしかめて訴えるリッツの耳に、低くくもったエドワードの声が聞こえた。
「……ジェラルドが死んだ」
「え……なにいって……」
本当に意味が分からなかった。
困惑しながら視線を巡らせる。すると目の前に立っていた人物に気がついた。
その表情はいつもと同じように笑みを浮かべていたが、うっすらとした悲しみは隠しきれない。
「ギル、嘘だろ?」
「嘘だと言ってやりたいが、この状況では確認のしようが無い」
「この状況?」
ずっと顔を伏せたままのエドワードを抱きしめて周りを見渡す。
あまりの惨状に息を呑んだ。
今いるのは確かに玉座の間の前だった。だが玉座の間に入った時とは様子が大きく変わっている。
扉には折り重なるように本隊兵士たちの死体が積み上がっていた。
その前に疲れ切ったようにうなだれ、座り込んでいるのも本隊兵士たちだった。彼らの周りに散らばっている色は、赤一色だった。
気がついた瞬間に鼻孔をついたのは、強く匂う鉄の臭いだ。
「うっ……」
「お前達が玉座の間に入った瞬間、おかしくなった。扉を閉ざしてから襲いかかってきたんだ」
「……っ! ジェイド!」
玉座の間の中で聞いた話を思い出し、歯ぎしりする。あの紋章の罠だ。
「あいつが……あいつが死人を使って……っ!」
「エドワードに全て聞いた」
「……全て?」
「そうだ。ジェリーはまだこの中にいる。だが助かる可能性は低い」
「! ゼロじゃないなら、助けに行こうよ!」
「駄目だ。扉は封じられてる」
「じゃあどうして俺、ここに居るの!? どこかに抜け道があるってことだろ!」
「確認したが、中から閉じられている」
「……そんな……」
愕然とするリッツから、エドワードがゆっくりと離れた。泣いているかと思っていたのに、その瞳は乾いていた。
怖いぐらいに。
泣いていてくれた方が、まだましだと、リッツは思う。
これではどうしたらいいかわからない。
「ギル」
「なんだ」
「敵は三階の応接の間だ。時間が無い。行こう」
ゆるりと立ち上がったエドワードは、まるで感情を無くしたかのようだった。感じられるのは全身から溢れる怒りだ。
「でもエド……」
「ジェイドを倒さない限り魔方陣は破れず扉が開かない。それならば倒せばいい。そうだな、ギル」
圧倒的な怒りをその水色の瞳に込めて、エドワードはギルバートを見つめた。
「そうだ」
「中にはまだ騎士団がいる。ジェラルドとグレイグは彼らを生かそうとしていた。ならば急ぐ必要があるだろう」
「だがエドワード」
「ギルバート」
エドワードの口調に、ギルバートが息を呑んだのが分かった。そこにあるのは逆らうことのできない圧倒的な王者としての威圧感だった。
「はっ」
無意識だろう。ギルバートが静かに目を伏せてエドワードに礼を取る。
「相手はおそらく死人だ。貴族たちは皆殺されて死人として利用されている。対応策はあるか?」
「経験上縛り上げれば奴らは動けません。死人は死人使いに生かされているに過ぎず、自分で考えて動くことはできない」
「つまり腕を切り、武器を封じて縛り上げればいいわけだな」
あっさりと冷酷に判断したエドワードに、ギルバートは小さく頷いた。
「……御意に」
「では一階の倉庫でロープを用意し、すぐに三階に攻め込む。動けるものはいるか?」
立ち上がったのは王城内に入った勢力のおよそ半分だった。エドワードは彼らを見わたし、ギルバートを見た。
「ギル、全員で協力し、死人を止めてくれ」
「了解しました。殿下は?」
ギルバートの問いかけにエドワードは断言した。
「……ジェイドとスチュワートを……この手で討つ」
厳しいまでの冷徹な物言いに、リッツは言葉を失う。エドワードの瞳は怖いぐらいに澄んでいて、それ故に彼を止めることも落ち着かせることもできないと分かった。
リッツ以外の全員がエドワードに最敬礼し、再び部隊が動き出した。
毅然と立つエドワードにはかなりの威圧感と緊迫感があって、誰も近くに寄れずにいる。
このままじゃ駄目だ。
「リッツ」
小さく名前を呼ばれて見ると、ギルバートだった。どこか前を見たままのエドワードから離れて近くに寄る。
「何?」
「エドワードはあまりに危うい。目を離すなよ」
「……うん」
「普段から自分を律している冷静な男が冷静さを欠くとろくでもないことになりかねん。お前の役割はエドワードを守ることだ。分かるな?」
「分かった」
リッツは頷いてエドワードの隣に行った。途中何かに足を取られてよろけそうになり、ついその肩を掴む。
「……大丈夫か、リッツ」
「あ、うん。ごめん、エド」
何を話したらいいか分からず、リッツも黙り込む。
あの後、何が起こったというのだろう。
リッツが闇の精霊に飲み込まれた後だ。
一つ分かることがあるとすれば、リッツはあの状況から脱出してここに居る。そしてリッツを連れて逃げたのは間違いなくエドワードだ。
つまりジェラルド達がこの状況なのは、リッツのせいではないのだろうか。
「あの、エド」
「ごめんリッツ。俺のせいだ」
「え……?」
「全部、俺のせいなんだ」
「……エド?」
「だから俺が……奴らを殺す……」
ぞくりと背筋を寒気が走った。
今までエドワードは王太子として戦ってきた。一度としてこんな風に殺意をあらわに憎しみで戦おうとしたことなど無かったのだ。
でも今のエドワードは憎しみで動いている。
リッツは扉を見つめる。
この扉の中で、ジェラルドは、グレイグはまだ生きているのだろうか。それとももう死んでしまったのか。
それすらも分からない。
扉を叩いて見るも、全くびくともしない。何らかの力が働き、封じられているのはリッツにでも分かった。
やがて準備が整い、一行はまるで葬列のように黙って玉座の間を離れた。
エドワードの放つ怒りの波動が激しすぎて、リッツでさえも言葉を掛けることができない。
沈黙のまま階段を上り、全員が応接の間の前に集まった。ラヴィとジェイの立つそこには先ほどは無かった扉が二つ、ちゃんとあった。
先ほどは幻術で隠されていたのかもしれない。
「紋章は無かったな」
冷たく響く声でエドワードが訊ねる。本隊の一人が前に出た。
「はい。数人で先頭を歩き探しましたが、紋章はありませんでした」
「そうか。ギル」
「縄の準備はできた。だが多少の戦闘は覚悟してくれ。死人達は痛みがないだけ捕らえるのが難しい」
「了解だ。では行こう。遊撃隊、前へ」
淡々としたエドワードに、ギルバートが答える。両開きの扉は鍵もかかっておらず、簡単に開いた。
開いた扉の中から強い風が吹き付ける。窓が開いているらしい。
だがその風に乗って流れ出してきたのは独特な臭気だった。
リッツはこみ上げそうな吐き気を堪えた。
これは死臭だ。
「遊撃隊、行くぞ! まずは囲える空間の確保だ!」
ギルバートの指示で、遊撃隊がまず突入する。次に本隊の残りがギルバートの指示で飛び込んだ。
その後ろからゆっくりとエドワードが続き、その後ろにリッツが続く。
一歩足を踏み入れた時から、そこは阿鼻叫喚の壮絶な戦場だった。
部屋中に死人が溢れていた。戦場でもこれほど人が密集していることはないだろう程にだ。
剣を振るっても振るっても死なない兵士たちは、みな高い階級を示す勲章を身につけている。
この城内に逃げ込んだ貴族たちだ。奇妙なことに平民上がりの兵士がいない。
「なんでだ?」
ぼそりと呟いてみる。隣のエドワードを見たが、答えは返ってきそうに無い。冷静に見えて実は冷静さを欠いている。見ているようでその目はジェイドとスチュワートしか見えないだろう。
こういう時に冷静な判断を下して答えをくれるのがエドワードのはずなのにと、リッツは内心溜息をつく。
隣のエドワードを見ると、目を血走らせて周囲を見渡していた。彼の目に死人はもう見えていない。
あまりに危ういエドワードに、影の如く黙って寄り添う。ギルバートに言われるまでも無い。
エドワードを守るのは自分だ。
不意に視界が暗くなる。目を上げると、間近に死人が迫っていた。
「! あんた、ローウェルって奴だよな?」
剣を上段に振りかぶり、妙な角度で後ろに反れた首をぶら下げて立っていたのは、王国軍総司令官のローウェルだった。
力任せに振り下ろされた剣を受け止め、リッツはローウェルだったものを見据える。
王国軍総司令官が死人になっている?
いったいどういう状況だ?
いったい今、誰が王国軍を動かしているんだ?
ふとひらめきが頭をよぎり、ぞわっと肌が粟立った。自分の思いついた考えが信じられず、同時にそれしか無い結論がわき上がる。
「……まさかもう王国軍は、全滅してんのか?」
「あああああああ……」
ローウェルだった死人をリッツは一息に薙ぎ払った。腕を落とせと言われていたのに、反射的に切り下げてしまう。
「ちっ!」
舌打ちして再び剣を構える前に死人の剣が迫る。斬られても何も感じない死人の反応は、生者より格段に早い。
「あああああああ……」
死人は意味の無い音を立てた。声と言うにはあまりにおぞましい。
肩から腹までぱっくりと裂けつつも、内臓を零しながら反撃してくる死人は異常だ。
「くそっ!」
これならば醜悪な貴族の方が断然よかった。彼らはまだ言葉が通じた。
でも死人は言葉など通じない。
体中に穴が開こうが、頭が半分無くなろうが、死人は構わずに剣を振るう。
「これじゃあ勧告降伏もできないな、エド」
死人の足を切り落として相棒を振り返ると、同じく死人をその場になぎ倒したエドワードが頷く。
「これが本当の聞く耳を持たないというやつだな」
「本当だな。なあエドこいつ……」
足下で上半身だけで芋虫のようにもがく死人を指さす。
「どう思う?」
「ローウェル元帥か」
「うん。最高指揮官だよな?」
「そうだな」
「そうだなって……」
エドワードは素っ気ない。それは同時に全く何も考えていないことを意味した。あくまでも標的はジェイドとスチュワートというところだろう。
最初は死なぬ兵に動揺していた兵士たちも何体もの死人と戦ううちに、次第に冷静さを取り戻してくる。
リッツは気がついた。皆も気がついたのだろう。
この死人、生前と剣の腕が変わらないのだ。
それならば戦いようはいくらでもあった。
貴族たちの剣技は、所詮教養や身だしなみとして身につけただけのものであり、実戦には向かない。
対するこちらは、内戦をくぐり抜けてきた強者と、最強の傭兵集団だ。
例え多勢に無勢であったとしても、実力差が大きければ動くことはできる。
「一気に隅に囲い込め!」
ギルバートの指示で、事態が整然と動き始めた。腕を切り落とされた多数の死人を一気にロープでまとめ上げたのだ。
「ああああああああ……」
呻きというか空気が漏れているだけなのか、奇妙な音で死人はまとめられていく。だが抵抗は思った以上に激しかった。
床中に散らばる死人の腕に足を取られながら、遊撃隊と本隊兵士は必死に剣を振るい、彼らを隅へと追いやる。
「もう少しだ! 怯むな!」
ギルバートの叱責に、貼られたロープが数十人の手によって徐々に部屋の隅へと押しやられていく。
死人はロープなど気にせず前に出ようとするから幾度もそれに引っかかった。
重たくなるロープを十数人がかりで押しとどめ、ようやく一部を囲い込んだ。それからぐるぐるとロープを巻き付けてゆく。
ただ前に進もうとする死人は、それだけで動けなくなる。
「その調子だ! どんどん締め上げろ!」
次々に死人が締め上げられていく。
そちらに手を貸したいが、リッツは動けないでいた。エドワードの目が徐々にすごみを増してくるから、隣を離れられないのだ。
「……どこにいる……ジェイド、スチュワート……」
冷たい声、憎しみに満ちた絞り出すような声だ。
頼むよ、と心の中でエドワードに告げる。
王太子だろう?
私怨で戦うなよ。
「これは見事なお手並みですね。さすがはダグラス隊、死人使いに関する知識がありましたか」
死者の呻き声が響く中で、妙に冷静な声が聞こえた。顔を上げると、この惨状など見えないような顔で涼やかに微笑むジェイドがいた。
「ジェイド……貴様……」
エドワードの雰囲気が突然変わった。
止める間もなく剣を抜いたエドワードがジェイドに襲いかかる。
「エド!」
「貴様! よくもジェラルドを!」
聞いたことのないエドワードの絶叫に、リッツは反射的に剣を抜いて駆けだしていた。
「エド!」
目の前でエドワードの剣が閃いた。
優雅でありつつも隙の無い剣技が持ち味のはずなのに、酷く稚拙で直線的な攻撃だ。
対するジェイドは冷静沈着に笑みを浮かべながら攻撃をひらりと躱す。
「ちっ!」
舌打ちをしてエドワードは剣を振るう。
開け放たれた窓から吹き付ける風が、エドワードの金の髪を激しく巻き上げる。
「貴様っ!」
憎しみの感情と共に繰り出した剣を、ジェイドは身につけていた剣で受け止める。そこにあるのは王国の紋章だった。
王族が持つ剣だ。
誰から奪ったかなんてすぐ分かる。
おそらくハロルドを死人にするときに奪ったのだろう。
力任せのエドワードの剣が、ジェイドに防がれる度に火花を散らす。
幾度も幾度も打ち合い、ジェイドは徐々に後退をし始めていた。
かといって、エドワードが押しているわけではない。
「くそっ!」
リッツは呻いた。今の状態で二人の間に入ったら危険だ。
いつものエドワードならば共に戦えるが、これではこっちが斬られかねない。
ガキンッと、ひときわ大きな音が響いた。
ジェイドがひらりと避けたエドワードの剣が、バルコニーの大理石を砕いたのだ。
「くっ!」
呻くエドワードをせせら笑いながら、ジェイドは身軽にバルコニーの手すりに立った。
「他愛ない。王太子と持ち上げられても、その程度ですか」
「なんだと……」
「こんなに情けない王太子のために命を落とすとは、モーガン侯も死に時を誤りましたな」
エドワードの目に再び憎しみの炎が燃え上がった。
「貴様、ジェラルドを貶めるか!」
「ふふ。本当のことでしょう?」
「殺してやる……っ!」
欠けた剣で、エドワードは再びジェイドに襲いかかる。冷静さを欠くその剣技を、見ているのが辛い。
「エド!」
思わずその名を叫ぶ。
「馬鹿エド! 挑発に乗ってるんじゃねえよ!」
「黙ってろリッツ!」
「黙るか馬鹿野郎! ジェイドの言い分も一理あるからな!」
ついとんでもないことを言ってしまった。一瞬目を丸くしたのはジェイドの方だった。
「褒めてくれるのか?」
ジェイドの口が、三日月のように笑いの形を取った。
「褒めるか!」
思い切り怒鳴り返して、リッツは剣を握る。苛立ったようにジェイドに斬りかかろうとするエドワードに先んじて、ジェイドに斬りかかった。
「二人がかりですか?」
「連携取れない二人がかりなんて、邪魔なだけだろうが!」
苛立ちながらジェイドに怒鳴る。エドワードはリッツにまで怒りに満ちた目を向けてきている。
どうすれば元に戻る?
冷静なエドワードを取り戻せる?
リッツは剣を構えたジェイドに向き直る。それからエドワードの剣先が届かないうちに猛攻を仕掛けた。
舞うようだと評される剣技を駆使して、素早さを前面にジェイドを攻撃する。
「くっ!」
ジェイドの顔に初めて焦りが浮かんだ。もしかしたらと思い当たる。
こいつ、剣技が苦手なのか。
それならば……。
思い切り剣で翻弄して、ジェイドの首を取りに行く振りをして一気に攻め込んだ。
すんでの所で届いた剣は、首では無く肩を貫く。
「ちっ……」
案の定ジェイドは小さく舌打ちし、ひらりと宙に舞う。
その動きを知っている。たまにリッツの父が使う動きだ。
「……風の精霊か」
距離を取ってバルコニーの先へと逃げたジェイドに、今度はリッツが背を向けた。そして目の前に迫るエドワードに攻撃を仕掛ける。
「リッツ、邪魔だ! どけっ!」
怒りに声を震わせて怒鳴るエドワードの剣を受けながら、リッツも怒鳴り返す。
「どくか! 今のエドは弱すぎて話にならねぇんだよ!」
「何!?」
ぎりっとエドワードが唇を噛みしめた。
「気の毒だよな、おっさんは! 命がけで助けたのにこんなエドじゃ使えねぇよな!」
目を見つめて言い切ると、エドワードの髪が逆立った。
「リッツっ!」
「今のお前が俺に勝てるかよ! 俺の親友はな……」
合わせていた剣を振り払うと、エドワードが後方に微かによろめく。
その瞬間にリッツは懐に飛び込んだ。
「しまったっ……」
小さく声を上げたエドワードを無視して、剣を力任せにたたき落とす。
「くっ!」
エドワードは呻いて床に膝を付く。その首元にリッツは剣を突きつけた。
「リッツっ……」
見上げてきた瞳をじっと見つめ返し、リッツは力を込めて断言した。
「俺が命を預けたエドワードって男は、私怨で状況を見失うような馬鹿な男じゃねえんだよ!」
衝撃を受けたようにエドワードは動きを止めた。その目に微かに感情がよぎる。
「俺には怒る権利が無いのか!」
「無いわけないだろ」
「お前はいつもいつも俺を止める! 母さんが死んだと聞いた夜も、グレイグの時も、今も!」
エドワードの腕が震えている。
「俺がいないと生きていけないとか言うくせに、どうしてお前はいつも俺より強くいられるんだよ!」
「エド……」
「どうしてどうして……」
エドワードの目がようやくリッツを見た。
「どうしてお前はいつも、冷静なんだよ……」
力が抜けたようにエドワードは呻いた。言いたかったことを言い切ったエドワードが少しずつ冷静さを取り戻してきているのを感じる。
「冷静なわけ無いじゃん。俺いつもいっぱいいっぱいだよ」
「……」
「だけど俺にはエドが冷静じゃ無いときは冷静になれる、何かそういう感じなのがあるんだよ。きっとそれがあるから俺はお前の相棒でいられるんだよ」
大きく息をつくと、リッツは立ち上がった。
「怒る権利を行使するために、今は冷静になってよ」
ふっとエドワードが口元を緩めた。
「そうか。怒るのは今じゃないか」
「ああ。今はあっちだろ。おっさんたちを早くあそこから出すんだろ」
視線を向けた先にいるのはジェイドだった。リッツが貫いた肩から血を流しながら、荒い息をつき、バルコニーの隅に立っている。
「そうだ、そうだな」
エドワードが落ちた剣を拾い、ゆっくりと立ち上がった。
「すまなかった、リッツ」
リッツの目を見ずに、エドワードがジェイドに向き直る。それでもリッツにはエドワードが正気を取り戻したのだと分かった。
気がつくと縛り上げられた死人達の監視をしながら、遊撃隊員と本隊兵士たちが緊張感に満ちた顔でこちらを見ている。
リッツとエドワードの突然の仲違いの意味が分からず戸惑っているのだろう。
何と言ったらいいのか分からないから、とりあえずリッツは笑顔で告げた。
「あ、喧嘩してないから」
思いの外軽い口調に、隣のエドワードが吹き出した。こちらを見た目が、いつも通りに笑っている。
「軽いな。子供か」
「うるせぇや」
普段のやりとりに、遊撃隊の面々は笑顔を浮かべ、本隊兵士たちも安堵したように微笑む。
「余裕ですね」




