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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
争覇の終極
129/179

<8>

何者かによるシュヴァリエ公爵の暗殺と、海軍の完全降伏は、革命軍のシアーズ完全掌握を意味した。

 抵抗していた少数の勢力もコネルの前に降伏し、シアーズの街は完全に自由を取り戻したのだ。

 その発表がエドワードの名をもって戒厳令の解除と共に申し渡されると、シアーズの街は、まるで新祭月の祭のような、華やかな賑わいに満たされた。

 貴族たちは今王城内に閉じこもり、出てくることも補給を求めることもできない。籠城した貴族たちを苦しめることは、エドワードの戦略の一つだから、これからしばらくの休養が取れることになる。

 それはエドワードの相棒であるリッツも同様だった。色々忙しいエドワードに比べて、事後処理を苦手とするリッツは、その日のうちに変装して宿を抜け出していた。

 変装と言っても耳まで隠れる毛糸の帽子を目深にかぶり、港湾作業員の服を身につけただけだ。

 向かったのは娼館近くにある安宿だ。

 シアーズでも娼館が管理していない辻立ちの娼婦はいる。そんな彼女たち御用達の宿だ。

 市街戦が終わり、農家から革命軍に駆けつけた兵士たちが徐々に故郷へ帰り始め、軍に残る兵士たちの宿舎も街の中に確保できてきた。

 主に使われたのはシュヴァリエ邸であったことは、皮肉だろうか。

 そうなれば繁盛するのが飲食店と花街だ。浮かれた街の中でも、そこはひときわ賑やかで、作業服姿で出入りすれば、革命軍の兵士たち混じっても全く目立たなくなる。

 今、この街で一番目立たない密会場所は、外部の兵士たちが出入りするそんな宿なのだ。皆勝利の喜びに酔っていて、周りを気にするそぶりなどない。

 人混みに紛れて安宿に泊まる。それはリッツが望んだことではない。グレタによって内密にと呼び出されたのだ。

 グレイグと話したことをエドワードに告げる気は無かったから、エドワードには娼館に遊びに行くとだけいって部屋を出てきた。革命軍幹部のいる宿では何かと不便だから、誰にも知られぬように外で会うことにしたのだ。

 リッツの意をくんでグレタが指定してきたのが、この安宿だったのである。

 街の中は活気で満ちていた。街に立つ色とりどりの艶やかな花のような女達、兵士たちの明るいからかい声、露天の食べ物の香り、酒臭い人々の群れ。

 何故だが落ち着く。

 周りを見ながら歩いていると、不意に腕を後ろから掴まれた。視線を向けるでもなくその気配は誰かすぐ分かった。

「ねぇお兄さん、一晩どう?」

 甘えるような久しぶりの声に、リッツは振り返って笑いかける。

「いいね。ずいぶん女はご無沙汰なんだ」

「嬉しい。可愛がってね?」

 もたれかかってきたその女と共に、指定された安宿に入り込む。

 通された部屋はいかにも安っぽかったが、不思議と周りからの物音が聞こえないぐらいに作りがしっかりしていた。

「んで、本当にやらせてくれんの?」

 防寒具を脱いで掛けながらリッツはその女を振り返る。女も防寒着を脱いで娼婦と同じような派手なワンピース姿で肩をすくめた。

「いいわよ。でも話が先」

「いいんだ? 俺、最近節制してたから溜まってるよ?」

「王太子の片腕の言うことかしら」

「いいだろたまにはこんな感じでも」

 溜息交じりに大きなベッドに飛び乗り寝転がる。転がり落ちた帽子から隠していた耳が出て、ようやくくつろいだ気になる。

「それにさ、前に俺に抱かれたとき、俺こんな感じだっただろ? グレタ」

 今夜の密会相手を見上げて笑いかけると、グレタは肩をすくめた。

「そうね。私も娼婦の振りしていたしね」

 目の前に何かが飛んできた。反射的に受け取ると、それは最近手に入れる機会がなかった煙草だった。

「お駄賃」

「サンキュー」

 寝転がったままリッツはずりずりと這って移動してマッチを擦った。煙草に火を付けるとマッチの燃えさしを灰皿に投げ込んで、肺いっぱいに久しぶりの煙を満たす。

「あ~、生き返る~」

 仰向けに寝転がったまま煙草を吹かしていると、グレタが声を潜めた。

「火事は出さないでよ」

「そんなヘマしねえし」

「そう。ならいいけど」

 娼婦の振りをしているというのに、妙に真面目なグレタに笑みが漏れる。もしかしたら王国軍査察部のグレタ・ジレット中佐という本当の顔は、こちらなのかもしれない。

 リッツがそんな想像をしているのを知ってか知らずか、グレタが口を開いた。

「グレイグに会ったんですってね」

「会ったよ。何で知ってるの?」

「グレイグに聞いたわ。リッツに会ったよってだけね」

「ふうん」

 どうやらリッツがシュヴァリエ暗殺をそそのかしたことまでは話していないらしい。

 エドワードですら首を捻ったシュヴァリエ公爵殺害の真実を知るのは、このシアーズでリッツとグレイグのたった二人だけだ。

 暗殺を嫌うエドワードにはいえない。でももしリッツがグレイグであったら、自分の始末は自分で付けたいと思う。

 見られたくない過去は、そのまま闇に葬りたいというのが本当のところかもしれない。

 現に過去をエドワードに知られたくない。 

「あなたは殿下に話したの?」

「何を?」

「グレイグに会ったってことよ」

「話してないよ」

「何故?」

「ん~何でだろうなぁ……」

 何でだろう。海軍攻略の時グレイグに会ったよ。それだけのことだったら話していいはずなのに、何故かエドワードにそれをいえないでいる。

 当然リッツがやったことをエドワードに知られたくないという思いもある。グレイグに会ったなんて話したら、暗殺を見逃したのを知られてしまう。

 だが今回はそれを隠し通す自信もある。

 なのにやはりグレイグと会ったこと、二人で話したことはいえなかった。いや、正確には言いたくなかった。

 妙なこだわりが胸にわだかまっている。

「もったいぶるのね」

「そんなんじゃねえよ。でもなエドはたぶんグレイグを認めたいけどまだ無理だし、グレイグはエドに認められようという気も無さそうだしさ」

 伸びた灰を片手で灰皿に落として、リッツは再び煙草をくわえる。

「そんな二人の間に俺が入ってどうするんだよ。俺が二人の架け橋になれると思うか? 無理だろ」

 エドワードにグレイグの苦しさを諭してどうする。エドワードはグレイグの苦悩を知っている。

 そしてグレイグはそれをエドワードに許されようと思っていない。グレイグが求めているのはきっと、死に場所なのだから。

「だからさ、あんたの目的も無駄だよ。俺にエドとグレイグの仲介をして欲しかったんだろ?」

「ええ」

「時間しか解決できる手段はねえさ。外から他人がぐだぐだ言ったって解決しないもんは、ただ待つしかねえだろ」

 咥えたまま短くなった煙草を灰皿でもみ消すと、リッツは再び仰向けに寝転がった。何故だろう、この安宿が妙に居心地がいい。エドワードの隣ならどこにいても心地よかったはずなのに。

 そんなだらけたリッツに呆れたように、グレタが溜息をつく。 

「殿下の前とはずいぶん違うじゃない」

「……そうか?」

「二十歳そこそこの外見のくせに大人の顔をしているわよ。それも疲れた大人ね」

 グレタがベッドにうつぶせになり、肘を立てて寝転がったリッツの顔を覗き込む。その目が楽しげに揺れているのを感じた。

「だって俺、本当は百歳超えてるし」

「そうなの? じゃあ殿下の前でネコかぶってるってこと?」

「それも違う。こっちもあっちの俺も、俺なんだ。どこでどう切り替わるのか分かんねえけどな」

 いつからだろう。エドワードの前の自分と、傭兵の中にいた時の自分に知らず知らずのうちに分かれてしまったのは。

 エドワードの前にいる時の自分は、無知で空っぽな中身を新しくティルスの人々や、革命軍の面々に詰め込まれた自分だ。ほんの数年で作られた新しい自分なのだ。

 そして傭兵の中にいた自分は、シーデナの森で膝を抱えていた自分が、そのまま荒んだ状態で大人になった姿に近い。エドワードと出会わなければ、こんな自分になっていたのかもしれない。

 別に無理をしてエドワードの前で作っているわけでも、こちらを作っているわけでもない。なのにいつの間にか自分が二つに分かれてしまった。

 本当の自分はどっちだと聞かれたら、どっちもと答えるしかないような状況だ。

「エドの前だと素直に俺でいられる。だけどエドが光である限り俺の心の中にある闇の部分は、あまりに暗すぎて見えなくなるんだ。エドの隣にいる時は、自分の闇が自分でも見えない」

「そう……」

「でも光がないと闇が広がる。今の俺はそれかな」

 苦笑しながら目の前のグレタの髪に触れる。柔らかくて癖のある髪は、一筋手に取るとランプの明かりに透けて綺麗だ。

「あんた、口は堅いか?」

「当たり前でしょう? 私は査察官よ」

「じゃあこれから話す俺の愚痴は黙っててくれ」

「命令?」

「何で?」

「あなたは王太子殿下の片腕。殿下が王に即位されたらあなたも要職に就くでしょう? そうなれば中佐の私にとって上司になるわ」

「あんたが部下? 想像できねえや」

 再び煙草に火を付ける。窓を開けると外の喧騒が部屋の中にまで入り込んできた。ベッドに座り煙を吹き出しながら、リッツはじっと窓の外を見る。

「んじゃ、命令。絶対外に漏らすな」

「かしこまりました」

 本当に部下として膝を付いたグレタに、リッツは苦笑する。もはやそれぐらいで動揺するほど純粋ではない。

 あの頃からどれだけの年月が流れただろう。エドワードに拾われてからたったの数年しか経っていないのに、何だか遠くに来た気がする。

 ふと手を見る。剣だこだらけの手だ。今は綺麗に見えるが、大量の血に塗れている。

 精霊族から見たら、この手は相当に穢れているのだろうなと思った。

 穢らわしき者、祝福なき者、名の無き咎人。

 精霊族でのリッツの呼び名だ。このまま行けば更に穢れた名を増やしてしまいそうな気がする。

 溜息交じりにグレタを見ると、グレタは壁に掛けられた古ぼけた絵を魅入られたように見ていた。よく見るとそれは前国王ハロルドの絵だった。

 グレタにとってのハロルド王は、リッツにとってのエドワードと同じだろうか。そう思うと聞かずにはいられなかった。

「なぁ、あんたはハロルドをどう思ってたんだ?」

「唐突ね」

「聞きたいんだ」

 強く求めると、グレタは小さく呟いた。

「……陛下は、そうね……寂しい方」

「寂しい……?」

「ええ。孤独な方。ルイーズ様がおられたから生きてこられた方よ。政治は確かな方だったけれど、それ故に人の間違いを正すことも、許すこともできなかった方」

「意味が……」

「正しさは諸刃の剣でもあるわ。愛情を求めて女性を狩りに行く自分は正しいのだと認めるのに、人を許せなかった陛下は敵が多かった。なまじ頭がよかったから、自分の思考を理解できない人間を理解しようとしなかったの。だからこそシュヴァリエ公爵に身動きを取れなくなるまで絡め取られても気がつかなかった」

「嫌な奴だな」

「そうね。でもルイーズ様と出会い、愛が何たるかを知った。人と自分の違いを受け入れることを知って、初めて自らが孤独であったことを知ったの。それがひとえに自分の狭量さのせいであったことも」

 棺の中で眠っていたルイーズを思い出す。美しい人だった。エドワードによく似ていたというあの人はきっと、強い心で国王を愛し、恐れずに王の間違いを諭したのだろう。優しさと愛情を持って。

 エドワードを見ていれば分かる。あんな風に真摯に人と接する人であったなら、人は変わらざるを得ないだろう。

「でも気がついた時にはもう権力を奪われていたわ。唯一残ったのが査察官である我々と、頑固故に決してシュヴァリエ侯爵に屈しなかったサウスフォード宰相だけだったけれど」

「そっか」

 そういえばグラントは一度もハロルド王を悪く言ったことが無かった。

 国王の女狩りには辟易していたようだが、まさかルイーズのように無理矢理犯されて作れ来られる娘がいるとは思わなかったのだろう。

 そもそも国王の女狩りは、その自治領区の権力者が娘を国王の傍仕えにするために国王に捧げる意味合いが強かったのだそうだ。

 あの堅苦しいグラントの顔を思い出し、ついつい笑みを浮かべる。

「笑うなら話をやめるわよ?」

 本気で腹立たしそうにグレタが睨んでくる。軽く笑いながらリッツはグレタの髪に指を絡めた。優しく髪を引くと、低く囁く。

「ごめん。話して」

「……とんでもない遊び人ね、あなたは」

「半年間、毎晩娼婦の姐さんと寝てると、どんな男もこうなるよ」 

「なるほどね」

「で、続きは?」

「私は陛下が孤独を知り、権力に手が届かないもどかしさを知った以後に部下として陛下に仕えたの。だから私にとって陛下は優しく、悲しく、強い方だった。だから陛下が私に最後の命をくれた時、嬉しかった」

 ルイーズが憎しみの果てに王を愛した。だから愛することを知り、自らの過ちを知った。

 でもあまりにも遅すぎる気づきに、もうどうすることもできなくなっていた。

 先に見えていたのは死だけ。でもそれでもグレタは絶望せず、ハロルドに忠実だった。

「それでハロルドは死んだ」

「簡単に言うのね、酷いわ」

「悪い。でも俺は不思議なんだ。失ってもあんたはちゃんと生きてる。あんたはどう乗り越えた?」

「役目があったから。陛下を失っても陛下の命に縋って生きてこられたの」

「託された想いだけで?」

「そうね、警護としてついたグレイグに抱かれて、陛下とルイーズ様の命を体中で感じていたのかもしれない。グレイグは生きている。私は二人の命を守っていると……」

 静かに笑うグレタをリッツは綺麗だと思った。こんな風に強く生きられる彼女は、どんな状況に合っても立ち上がれる気がする。

「あんたは強いな。俺は弱い……」

「強くはないわ。強くありたくて縋ってるのよ、過去に」

 強く唇を噛んで俯くグレタを、リッツは優しく押し倒した。安いベッドがきしむ。

 押しつけたグレタの身体は温かい。

「綺麗だな」

「お世辞?」

「違うよ。縋ってるっていいながら、あんたは前を向いてる。ハロルド王の命は完遂したのに、それでもグレイグを守ろうとしてるんだろ?」

「違うわよ。自己満足ね」

「グレイグとエドを繋ぐことが?」

「ええ。私はルイーズ様も大好きだもの。あの方はね、任務しか口にしない私に花を贈ってくださった。誕生日をわざわざ調べてね」

 組み敷かれたままなのに、グレタは穏やかに微笑んだ。幸福そうな笑みだった。

「……だからその兄と息子を取り持とうと?」

「私にできることはそれだけ」

 やはりグレタは強い。大切な人のために人に与えようとする。リッツのように大切な人を想う度に自分が追い詰められるような弱さはない。

 押し倒したままのグレタの髪に顔を埋める。

「グレイグは浮気を気にするタイプ?」

「私はあの人の恋人じゃないわ。ただ身体の空虚さを埋めあっているだけ。あの人の恋人はローレンさんただ一人よ」

「じゃあ抱いてもいい? あんたを抱きたいんだグレタ」

 その強さをわけて欲しい。

「だから、いいって初めから言っているでしょう。あなたこそ、殿下は浮気を気にしないタイプ?」

 思いがけない言葉に愕然と顔を上げる。

「……何でエド?」

「あら、違う?」

「違うに決まってるだろ!」

 大声で否定しておいて、そのくせ自分の中の複雑な想いに気がついた。

「でも……たまに思うよ。もしエドと恋人同士だったら楽だろうなあって」

 ぼそりと言った本音に、今度はグレタの身体が一瞬硬直した。冗談を言ったつもりが真に受けられたとでも思ったのか、グレタの顔に複雑な表情が浮かんでいる。

「殿下に抱かれたいってこと? それとも抱きたいってこと?」

 思わず想像して鳥肌が立った。どちらも嫌だ。

「エド相手に欲情できねえし! 想像するだけで鳥肌もんだ。ほら!」

 全身にできた鳥肌を見せると、グレタは半笑いで頷く。

「でしょうね。じゃあなんで恋人なの?」

「ん~」

 本音を言ってもいいのだろうか。相手はグレタなのに。でもグレタはグラントが信用するぐらいの人物だ。大丈夫だろうか。

 でも他に言う人がいない。エドワードになんてとてもいえない。

 グレタがもしグレイグにリッツの話をするならそれでもいいかと思った。絶対にエドワードにまで流れないのだから。

「俺があいつと対等な存在ではなく、所有物であったなら、俺のこの暗いとことか、抱えてるドロドロした過去とか……殺して欲しいって思ってることとか……さらけ出せるかなって」

 今死ねれば……最高に幸せなのに。

 そう思った瞬間が幾度かあった。エドワードには知られたくない、一番深い心の闇。

「友では駄目なの?」

「怖いんだよ。いつまで友でいられるのかがさ。本当はずっと対等でいたい。恋人? 所有物? 絶対にごめんだ。俺はあいつの相棒でいたい、親友でいたい。隣であいつを守れる存在でいたい。でもさ精霊族と人間の間で確かな関係って何だろうって考えたら、この関係は常に変化していくんだって気がついたんだ」

 出会ったときはエドワードが二十四歳、リッツの見た目は二十歳。完全に友だった。

 共に時間を重ね、セクアナの反乱の時は、年の離れた兄弟だと勘違いされた。

 では十年後は?

 二十年後は?

 六十年後は?

 エドワードはセクアナでどれだけ歳を重ねても友であることに変わりは無いと言った。でもリッツは変わっていく関係性の中で変化していく互いの関係に恐怖を抱いている。

 親子に見える年になったら?

 祖父と孫に見える年になったら?

 そうなったとき、今と同じように喧嘩して一緒に笑って、馬鹿な話をして……。

 そんな関係が続けられるのか?

 あり得ない。あり得ないだろう、それは。

 ではどうなっていくのだろう。変化していく中で自分は、友の信頼をずっと得続けていけるのだろうか。

 エドワードの事は信じている。きっと変わらずにいようとしてくれるだろう。

 でも自分は? 自分はそれを信じていけるのか? 年が開いていく友の言葉の端々を曲解して歪んでいかない自信があるのか?

 だから、迷う。確かな関係が欲しい。

 闇の精霊に囚われた時、子供の姿のリッツは大人のエドワードと出会った。

 戦いが終わって改めてそれを思い出して戦慄したなんて、エドワードにはいえない。

 こうやって年の差が開いていくのだと実感してしまったなんて、とてもいえなかったのだ。

「対等ではなくて生殺与奪すべてを握られた所有物としてあいつに全てを委ねられたら楽だなって」

 隠していた言葉が迸る。誰にもいえないと思っていた。誰にも言ってはいけないと思っていた。なのに何故かグレタには話したいと思った。

 グレタは何も言わず黙っている。だからリッツもグレタを見つめることなく、窓の外を見て話す。気がつくと身を起こし、煙草に火を付けていた。

「無理だって分かってる。分かってるからあいつに支配されたいなんて考えるのかもしれない」

 全部話したい。エドワードにさらけ出せれば楽だろうなと思う。精霊族での迫害も、年を取って死んでいくだろう仲間達への恐怖も、死への希求も。

 なあエド。お前俺の子供時代を見ただろ? あの時俺、殺されかけてたんだ。

 あのな俺、名無しなんだ。

 リッツは親がくれた名前だけど、精霊族から見ると俺は名のなき(アノニマス)なんだ。名を持たない穢れた者、それが俺なんだ。

 存在してはいけなかった。生まれてはいけなかった。この世に生きていてはいけなかった。

 存在していると憎まれる。存在していたら両親が苦しめられる。

 生まれなければきっと、精霊族だって憎しみをあれほどに募らせはしなかっただろうに。

 だけどお前が生きていいって言ってくれた。

 だから一緒に生きていきたいのに、何故お前は年を取るんだ?

 何で俺は年を取らないんだ?

 精霊族じゃないんだろう? 名すら与えられない存在なのだろう?

 なのに何故こんなに長い寿命だけ持っているんだ?

 まるで精霊族に掛けられた呪いみたいだ。

 年老いていくお前の隣で、俺はどれだけの恐怖に耐えればいい?

 この恐怖を理解してくれたなら俺を殺してくれ。

 お前の相棒で、友でいられるうちに。一緒に馬鹿みたいなことで笑ったりふざけたりできる間に。

 でもそれを言ってどうする?

 エドワードが何とかしてくれる?

 そんなことは絶対にあり得ない。友は人間で自分は精霊族の異端児で、人間と同じ時間を生きることなどできない。

 今ならあの時の妙な心のざわめきが分かる。

「リチャードを殺した時さぁ、満足そうな顔で死にやがったんだ。ウォルターの名前を呼んでさ。あいつはきっと、ウォルターの心に永遠に刻まれることに満足したんだと思う。老いもせず、劣化もせず、永遠に今のままの姿でさ。ウォルターのあの叫びは、本当に心からの絶望だった」

「そう……」

「エドにはいえないけど、その時俺、羨ましいと思っちまった。今の関係で、相棒でいるときに死ねたら、最高だなって」

「だから所有されたい?」

「う~ん、よくわかんねぇや」

「……所有物だって悩みはあるわよ。私は確かに陛下の所有物だったけれど、失う苦しさは変わらない」

「だけどグレタ、あんたは百年足らずで死ねる。俺だけ年を取らない。あいつがどんどん歳を重ねていく、あいつが……死に近づいていく。俺は永遠に近い時間を生きるのに」

 その苦痛をどうやって抱えていったらいい? どうすればそれを抱えても隣で笑っていられる?

 不意にぬくもりに包まれた。グレタが抱きしめてくれたのだ。

「なるほどね。殿下の恋人だったら自分にいいわけができるわね。年を取らない方が恋人なんだからいいだろうってね」

「……あ、そうか」

 知らず知らずのうちに、年を取っても傍らにいられる言い分けを探していたらしい。だから恋人だったらなどという考えが浮かんだようだ。

「生存権を握られた所有物だったら秘めていることを全部話せと命じられたら話さざるをえない。だって命令ですものね」

「あ……」

「それを全て知られて失望されたり同情されても、支配されていれば所詮持ち物。だから大丈夫ってこと?」

「それは……」

 リッツの逃げ道があっけなく塞がれていく。一人で生きるのが苦しいから、辛いから命を全てエドワードに託そうとする。

 それは甘えだ。

 分かってはいたが、目の前に晒された自分の逃げはとてつもなく痛い。

「対等が聞いて呆れるわ。永遠に変わらぬ関係のために、自ら進んで対等な関係を放棄して、相手に束縛されたいなんて」

「……痛いところ突くなぁ」

「無理があるわよ、精霊族の英雄さん。殿下がそんなこと許すわけないでしょうに。それを真に受けてあなたを奴隷として犯したりしたら、リチャードと同じじゃない」

「う……そんなエド、嫌だなぁ……」

「殿下の方が嫌でしょうね。リチャードと同じことを親友に要求されるなんて」

「うっ……」

 ぐうの音も出ない。

「本気で殿下の恋人になりたいと思った時だけそういうことを口にしなさい。それからパトリシア様と張り合えばいいわ」

 そういえばまだティルスに住んでた頃、パトリシアとエドワードを取り合ったことがあったっけ。

 まだ数年しか経っていないのに、あの頃から比べてずいぶんと荒んだものだ。

「俺、そのパティが好きなんだけど?」

「ふふ。知ってる。前に私を抱いた時、理想の女性として語ったのはパトリシア様でしょう?」

「あ、覚えてるんだ?」

「勿論。査察官だもの。一度見た顔と聞いたことは情報として忘れないわ」

 力を込めてグレタを抱きしめ返した。

 身につけていたグレタのワンピースがめくれ上がり、形のいい足が剥き出しになっている。

 滑らかな太ももに指先を這わせながら、前を止めているボタンを外していくと、見事な裸体が現れる。

 安宿の薄明るい光に照らされて、グレタの艶めかしい肉体が柔らかくうねる。 

 脱がせた服が床に落ち、滑らかな肌に唇を這わせる。甘く湿り気を帯びた吐息を漏らしながらグレタが囁いた。

「グレイグの女と寝たと知ったら、殿下はいい気はしないと思うわよ」

「かもな。しかも俺はエドに隠し事をしてる。今日のことも絶対に話せない」

「二重の裏切りね」

「だよな。でも悪役も悪くない」

 囁きながらグレタを身体の下に組み敷いた。

「グレイグとエドワードの仲を取り持たせたかったら抱かせろよ」

「……いうわね」

「まあね。俺の本質って、元々闇だからさ」

 だから眩しいんだ、エドワードが。

 愛しいんだ。その光に焦がれるんだ。だからこそ甘えることができない。

 グレイグがエドワードと顔を合わせられないと思っているのと同じように。 

 どうすればいい?

 どうすれば隣で笑っていられる?

 エドワードが死ぬまでのほんの数十年を。

「私はそう思わないわよ?」

「優しいな、グレタは」

「優しくなんてないわよ。女の勘ってやつね」

「そっか」

「殿下には隠し通すの?」

「バレないように上手くやるさ」

「あら、あなたが殿下に隠しおおせるの?」

「たぶんな。俺はたぶんもう子供に戻れないんだ」

 そしてきっと、大人にもなれない。

 中途半端にずっと迷い、彷徨うしか無いのかもしれない。 

「グレタ」

「なぁに?」

「俺の馬鹿な愚痴、忘れてくれる?」

 低く甘く耳元で囁くと、グレタは艶っぽく微笑む。

「いいわ。じゃあ何もかも忘れさせて」

「何もかも?」

「そう。あなたが精霊族で英雄であることも、陛下とルイーズ様に、もう二度と会えないことも全部……」

 吐息に紛れて零れ出たグレタの苦痛を、リッツは唇で深く塞いだ。

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