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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
争覇の終極
124/179

<3>

「何故じゃ? 何が起きておるのじゃ?」

 王宮から慌てて駆けつけてきたイーディスは、シアーズを一望できる天光の間から街を見下ろして愕然と呟いた。

 闇を焦がすように赤々と炎を上げて、王城正面に見える西門が燃えている。だがそれ以上に恐ろしいのは、貴族たちが恐れ、戦慄きながら口にする言葉の方だった。

 大門が破られた。反乱者たちが攻めてくる。

 王城内に逃げ込んできた貴族たちは皆、酷い傷を負っていたり血と泥にまみれていて汚らしい。その上口々にのの知り合う姿は見るに堪えない。

 その上、彼らの口のすることは、あってはならぬ事ばかりだ。

 彼らは叫び、呻き、喚いた。

 あの憎きバルディア夫人の息子、下賤な農民の子エドワードがシアーズ中央大門を陥落させたと。

 それはこの街が、反乱者たちに奪われたことを示している。

 あり得ない。決して許されてはならぬ事だ。

 その上、下の息子、リチャードが死んだという。

 誰に似たのか美しさを欠片も持たぬ者であったが、イーディスに従わぬ者を罰することと戦いにおいては天下一の腕を持っていた。

 その息子が死んだ。

 そして長男スチュワートは大軍を率いて戦いに出向き、正面からあの憎きバルディア夫人の子エドワードに負けたという。

 無残な敗北を喫したというのに、いまだスチュワートはここへ詫びを入れに来ていない。

 母であるイーディスには、真っ先に詫びを入れてくるべきであろう。あれほど可愛がったというのに、そんなことも分からぬのか。

 苛立ちつつ、イーディスは爪を噛む。

 ざわつく王城の中で、この城一の権力者がいるというのに、ここは異常な静けさを保っていた。

 苛立ちを聞く者もないこの空間で、イーディスは一人怒りに震えていた。

「何故じゃ!」

 口をついて怒りが零れる。

 全て後手に回った。こうなる前にいくらでもエドワードを殺す機会があった。なのに一度も成功しなかった。

 何故彼らがバルディア夫人の屍体に目通りに来た時に、殺さなかったのか。エドワードを名乗る者だけでなく、共に来たリッツを名乗る者も殺してしまえばよかったものを。

 何故、暗殺に失敗したのだ。リチャードとの戦いに紛れて、彼らとあのモーガンを殺す手はずであったというのに、何故彼らは死ななかった?

 何故だ、アノニマス。

 今まで全てイーディスの願いを叶えてくれたではないか。こんな重要なときに限って、何故失敗をしたのだ。

 混乱と憎しみ、怒り、悲しみ、その全てが燃えさかる炎のようにイーディスの心を燃え上がらせる。

 アノニマス、アノニマス。

 何をしておるのだ。今までみな殺してくれたではないか。

 バルディア夫人だけは忌々しい査察官が動いていたから殺せなかったが、それ以外は皆殺してくれただろう?

 お前は妾の奴隷、妾だけの奴隷だ。

 陛下に色目を使ったあの女を殺せ。

 陛下に取り入ろうとするあの軍人を殺せ。

 可愛いスチュワートを影で悪し様にののしったあの女官を殺せ。

 リチャードが誤って攫ってきた中級貴族を一族郎党皆殺しにせよ。

 憎い者、目につく者、自分を邪険にする者。

 殺せ、殺せ、殺せ。

 妾を認めない者など、妾を愛さず、かしずかぬ者など、皆殺せ!

 妾を愛さぬ陛下も、妾を哀れんだバルディア夫人も! 

 あの女が来て以来、陛下は妾を見なかった。陛下は妾を愛さなくなった。

 陛下、陛下は妾を美しいと褒めてくださったではないか。妾を激しく望んでくださったではないか。

「あああああああああっ!」

 叫びながらイーディスは目の前のテーブルに盛られた焼き菓子を皿ごと床にたたきつけた。美しい工芸品である皿と共に、菓子は床で粉々に砕け散る。

 今まで全て聞き入れてきたというのに、エドワードとリッツを殺しに行ったきり、アノニマスは帰らなかった。

 返り討ちに遭ったのか? それともあの奴隷すらも裏切ったというのか。

 妾の奴隷、妾だけの奴隷なのに。

 最初にアノニマスを見たのは、バルディア夫人が現れて国王の寵愛が遠のき、屈辱の中で頻繁に里帰りをするようになった頃のことだった。

 帰宅の挨拶に寄った父シュヴァリエ公爵の寝室であの男を見た。

 壁に貼り付けられうつろな目をした男は、鞭の傷を受けて体中から血を流していたのに、恐怖も何も感じていない顔をしていた。

 ガラス玉のように空虚な目だった。鍛えられていたのだろう身体は異様に白く、肌に滲む残虐な赤い傷跡は、まるで茨が巻き付き美しい花を咲かせたようだった。

 その男を前に、父は側室とベッドで戯れていた。性戯の前のちょっとした余興に、側室と共に男を苛んだのだろう。

 こんな使い方では、美しい男なのに勿体ない。

 またある時は、アノニマスは次兄のベッドにいた。男にしか興味を示さぬことで父親から蔑まれていた兄にとって、物言わぬ奴隷のアノニマスは、丁度いい性欲のはけ口だっただろう。

 だが次兄に傷つけられ犯されつつも、アノニマスはずっと表情を変えることも声を上げることもなかった。

 あの目はいつも空虚なガラス玉。何も映してなどいない。

 薬を盛られているのだとすぐに分かった。次兄は気が弱く、剣を握ったことがない。もし反撃でもされたら死ぬのは次兄だろう。

 実家に帰ってくる度、イーディスはあちこちでアノニマスを見た。

 父の部屋で、長兄の部屋で、次兄の部屋で、母の部屋で、談話室の片隅で。

 美しい水色の瞳、金色の髪。傷だらけの身体。

 だがその瞳は何も映していなかった。

 スチュワートとリチャードがものを言うようになり、王の心が自分に向くことなどもう未来永劫ないのだと気がついた頃、イーディスは部屋の隅に繋がれたままのアノニマスと一人向かい合った。

 その手を奴隷に差し伸べてみた。

 部屋に閉じ込められ、白磁のように白くなった滑らかな頬。母や兄の夜の相手を務められるようにと整えられた髪。

 清潔な服。だが首に付けられた鉄の首輪と壁に繋がれた鎖。

 ガラス玉のような空虚な瞳がこちらを見上げる。

 この瞳に何が映っているのだろう。この瞳が意思を持って見つめてきたら、どう感じるだろう。

 綺麗な男だ。勿体ない。

 ……欲しい。

『その男が欲しいのか、可愛いイーディス』

 父に問われた時、イーディスは迷わず答えていた。

『くださるの? お父様』

『ああ、そなたにやろう。暇つぶしに王宮に連れて行くがいい。だがいくつか条件を付けよう。いいかね?』

 シュヴァリエが提案したのは、男に投与している薬を弱め、五年の間、情報収集の為に平民として軍に入り込ませること。

 そして名誉あるシュヴァリエ家の女性が奴隷の子を身ごもったりせぬよう、男と交わらないことであった。

 薬を弱められた男は、ようやく言葉を口にするようになった。瞳にも感情が戻った。イーディスは初めて空虚なガラス玉ではない彼の目を見た。

 綺麗な男。

 だが幾年にもわたる薬物の過剰摂取のせいか、彼は過去を全て失っていた。

 過去もない、名もない、何も無い男アノニマス。

 情報収集は五年を超え、十年になったが、それからアノニマスは晴れてイーディスのものになった。

 手飼いの暗殺者として。

 あのままシュヴァリエ家にいれば、年を食って美しさと強靱さを失えば性奴隷としての寿命を迎え、処分されただろう。

 自分がいたから、イーディスがいたから生きられたのだ。生き延びたのだ。

 裏切るなど……イーディスの望みを叶えないなど許されない。

「アノニマス、どこじゃ! あの女の子供を殺せ!アノニマス!」

 返事などない。誰も何も答えない。

 玉座の間にいるのは、イーディスただ一人だ。

「何故じゃ、何故じゃ!」

 悲痛な悲鳴を上げると、微かに空気が動いた。その気配に振り向くと、そこにジェイド・グリーンが立っている。

「ジェイド! ああ、ジェイド!」

「イーディス様」

 歩み寄ってきたジェイドに、イーディスは縋り付いた。

「敵が街まで来ておるというのに、妾の暗殺者がおらぬ。あやつがおればあの売女の息子などすぐに殺せる! ジェイド、妾の奴隷を知らぬか?」

 見上げたジェイドの表情があまりに冷たく、イーディスは凍り付いた。微笑んでいる。それなのにジェイドの笑みは氷の如く冷たい。

「ジェイド?」

「イーディス様、お別れに参上いたしました」

 言った言葉の意味が分からない。それはイーディスにとって理解できぬ言葉だった。

「なんと申したのか?」

「お別れでございます」

「……分からぬ。そなたは妾のものであろう?」

 あなたは美しい。

 あなたのような方をお見捨てになるとは、ハロルド陛下も見る目がございませぬな。

 バルディア夫人との情欲に溺れ、陛下は耄碌なさった。

 あなたがこの国を手中に収めるべきです。

 ベッドの中で延々と繰り返された言葉たち。ハロルドに与えられたことなどなかった甘美な快楽と、甘い言葉の数々。

 それに縋るように、イーディスはジェイドの全てを信じた。

「ジェイド」

「はい」

「妾は……美しいかえ?」

 声が震えた。いつもの如く、いつもの言葉が返ってくるとイーディスは信じた。

 だがその空しき希望は、先ほど床で砕け散った器と同じく脆くも砕け散る。

「あなたは醜い」

 静かにイーディスを見つめ、常に微笑んでいた男の表情はいつもと変わらず優しい。

 だがそこに心などなかった。

「醜い……」

「使命ゆえ、憎しみと妬みで穢れ尽くしたその身体を美しいと褒めそやした」

「ジェイド、何をゆうておるのじゃ?」

 今まで愛人であったはずの男の言葉が分からない。同じ言葉を使っているはずなのに、意味だけが分からない。

「老いてなお快楽を知らぬあなたの身体に教え込んだ肉欲に、淫らに溺れていくのを見るのは愉快でした」

 今まで愛と信じていたものが崩れてゆく。

 全てをさらけ出して求め合ったと信じた。初めて愛されたと信じていた。それなのに閨で甘く睦み合った時間そのものが偽り……?

「一国を動かそうと言う女が、これほどまでに甘い言葉に縋り付き、欲望に沈んでゆく。あなたはまるで、無知な愛玩動物のようでしたよ」

 理解できない。誰か教えて欲しい。この男の言葉の意味を。

「すべて偽りだったのかえ?」

「そう申し上げたでしょう?」

「妾をあんなにも慈しんでくれたではないか。美しいといってくれたではないか」

「あなたは美しくなどない。むしろあなたは醜い。あなたの心が醜いゆえ、醜く朽ちている」

「……やめよ……」

 信じられない。誰か、信じられる言葉をかけてほしい。

「確かに若かりし日は美しかったろう。だがあなたの憎しみは、あなたの身体を歪ませる。あなたの妬みはあなたの顔も歪ませる。イーディス、今やあなたは醜く、肉欲を貪る肉塊に過ぎない」

「やめよ……!」

 聞きたくなどない。ずっとずっと、あの頃のまま、あの美しく人々にもてはやされたままの自分であるはずだ。

 いや、そうあらねばならない。

 妾は……王妃だ。

 ジェイドの顔が更に優しく微笑みを浮かべる。

「あなたは美しくなどない」

 美しくなどない……。

 王宮の薔薇と呼ばれた自分が、シュヴァリエ家の姫と崇められた自分が……醜い?

「嘘をつくでない」

 認めない。絶対に認めたりはしない。だが現実はイーディスの思い通りになどならない。

「では見せて差し上げよう」

 冷たく言い放たれた言葉と同時に、纏っていた夜着が引き裂かれた。同時に力強い腕で首を絞められる。身につけていた全てが乱暴に取り去られ、羞恥に晒される間もなく息が詰まる。

「くっ、苦しいっ……!」

「さあ、ご覧なさい。これがあなただ」

 目の前の闇に向かって閉じたままのガラスが、二人の姿を映し出す。

 冷たく冴えた夜の闇のような目をした男の腕の中で、醜い肉塊のような哀れな女が震えている。

「あ……ああ……」

 張りを失った肌、色つやのない髪、垂れ下がった乳房、無数に刻まれた顔の皺。

「いやじゃ……」

「認められませぬか? そうでしょうな。あなたの価値は所詮若かりし日の美しさだけだ」

 ジェイドの空いている片手が、鏡の中の醜い女の肌の上を這う。その感触は確かに自分自身が感じているものだ。

 この肉体は……やはり妾なのか……?

「いやじゃ、いやじゃ!」

「バルディア夫人は美しかった。身体は歳を重ねて衰えようとも、美しかった」

「何故あの女は美しくて妾は醜いのじゃ! 歳を重ねたは同じであろう!」

「愚かで哀れなイーディス。教えてやろう。バルディア夫人は決して憎まなかったのだよ。あなたのことも、ハロルド王のことも。ただ哀れと思っていた」

 哀れまれていた……妾が?

 あの女に? 陛下を奪ったあの女に?

 許さぬ。あの女。

「妾を馬鹿にするでない! あの女の哀れみなど受けとうないわ!」

 燃え上がるような憎しみに、体中が震えた。宵闇を映す窓の前で、醜い女が全裸の身体を震わせている。

 美しくない。醜い。

 ここに居る醜い女は誰ぞ?

 目を逸らそうとしても、自分の空想に逃げ込もうとしても、決して緩めないジェイドの腕がそれを拒む。

 これが妾か?

 頬を涙が伝った。

 何故、気付かせた?

 何故もう美しくないことを気がつかせたのだ。

 憎い。あの女も、そしてこの男も。

「アノニマス! どこにおるのだ! この男を殺せ! 妾を謀ったこの男を殺せ!」

 お前だけが、妾のものだ。

 歪んだ欲望に震える。

 そうだ。最初から自分に与えられた唯一無二の奴隷。アノニマスだけが自分のものだ。誰が何と言おうと、それだけは変わらない。

 微かな揺れがイーディスに伝わってきた。首に腕をかけているジェイドが肩をふるわせているのだ。

 ジェイドは笑っていた。

「ジェイド……?」

「全く愚かな女です、あなたは。アノニマスが何故帰らぬのか、分からないのですね」

「……なにを……」

「あの哀れなシュヴァリエ家の奴隷の名を知っていますか?」

「名、だと?」

 過去を失い、名はないと聞いていた。今の今までイーディスはそれを信じていた。

「あの男の名は、グレイグ・バルディア。バルディア夫人の兄です」

 ジェイドの柔らかな囁きに、膝が震えた。

 アノニマスがバルディア夫人の兄……それでは……。

「あなたは記憶がないあの男に、エドワードを殺させようとした。そう、シュヴァリエ公爵の思うように」

「あ……あ……」

「公爵は同士討ちを見たかったのでしょうね。叔父と甥の。だが精霊王が微笑んだのはエドワードでした。アノニマスは記憶を取り戻し、今は革命軍に所属している。知らなかったでしょう?」

 知らなかった。もうあの男が自分の物ではないことを。あの憎き女の兄だったことも。

 そして思い出す、父の言葉。

 血が穢れるから、決してあの男と交わってはいけない。

 そうだったのだ。もしイーディスがアノニマスとの間に子をもうければ、それはバルディア夫人の甥か姪になってしまう。

 もし万が一にもエドワードが反乱に敗れて処刑されれば、グレイグの子であるその子も処刑される。そしてエドワードの叔父と交わった自分も……。 

 それは決して許されることではない。

「妾は……」

「あなたは哀れな深窓の令嬢。シュヴァリエ家の鳥かごの中で何も知らずにさえずる小鳥。所詮シュヴァリエ公爵の駒にすぎない」

 ぞくりと震えた。

 それではまるで、アノニマスと同じではないか。

「愚かな人だ。あなたにはこの憎しみから抜け出る機会がいくらでもあった」

「何を……?」

「あなたはアノニマスを愛していたのだろう?」

 その言葉はイーディスの何かを粉々に砕いた。それは誇りだったのかもしれないし、見栄だったのかもしれない。

「ああ……」

 涙が更に溢れる。

 そうだ。奴隷として受け取ったから奴隷として遇していた。

 だがイーディスは一目見た時から、あの男を美しいと思った。欲しいと思った。

 それが愛だったのか、今となっては分からない。

 だがアノニマスが敵に回ったと聞いた瞬間の心の痛みは何だ。この痛みは奴隷を奪われた苛立ちではない。

 喪失感だ。

 全身の力が抜けるほど、もう何の気力も湧いてこない。

「ジェイド」

「はい」

「妾を殺すのかえ?」

「ええ。これ以上あなたに生きて貰う必要はない」

「そうか……」

 恐怖も、怒りも憎しみも、どこかに消えてしまった。

 そうか、愛してもよかったのか。あの奴隷を。

 妾も、シュヴァリエ家の手駒に過ぎなかった。同じく生殺与奪を全てシュヴァリエ公爵に握られた奴隷でしかなかった。

 あの日、繋がれたあの男と目が合った時、本当はとても抱きしめたかった。

 そなたはどんな顔をして笑うのかえ?

 そなたはどのように女を抱くのかえ?

 そなたを愛したら、妾を愛してくれたのかえ?

 そなたは美しかった、アノニマス。

 耳元から吹き出す水音を聞いた。

 それが自分の首から吹き出していることが不思議だった。

 視界が狭まり、赤く染まってゆく。

 妾はただ……愛されたかった。

 誰よりも強く、誰かに愛されたかった。

 アノニマス……もう妾はお前の……。

 私は、あなたの名を知った。

 グレイグ・バルディア。

 名を呼ばせて、せめて最期に私がただ一人本当に愛したかもしれないその名を。

 もしそれに気がついていたならば、ジェイドではなくあなたに問えていただろうか。

 グレイグ教えて。

 私は……綺麗でしたか?


「すんだか、ジェイド」

 死に絶えたイーディスを見下ろして、影に隠れていたスチュワートが吐き捨てた。自ら手を汚すことなく、人に命じれば全てが敵うと信じている傲慢な思い上がった男だ。

 それ故に利用価値があるというものだが。

「汚い身体だ。吐き気がする」

 この男も哀れな男だ。ジェイドはそう思う。

 全てが手駒。全てが闇の精霊王の導きのままに動かされている手駒に過ぎぬのに。

「我が母ながら性欲に囚われた哀れな女だった。お前のような若き愛人に、本当に愛されているとでも思っていたのか」

 憎々しげな口調に、ジェイドは微笑む。

 その母に縋って生きていたのは、お前だろうに。

 それなのにジェイドが闇の一族であり、王となるために後ろ盾になってやろうと持ちかけた瞬間、今までの後ろ盾だった母を殺したいと申し出たのだ。

 自分が王だ。

 命じる者はいらない。誰もが自分に従うべきだ。

 それがスチュワートの考えだった。

 イーディスが死んだ後、この国の最高権力者は間違いなくスチュワートだった。

 勿論それは長い時間ではないが。

 ジェイドは口元を緩めた。

 深き闇の淵で、精々踊るがいい。

 近く訪れる己の破滅の日までは。

「ジェイド」

「はい、陛下」

「リチャードはどうした?」

「戦死なさいました」

「ふん、人殺ししか能のない馬鹿な弟なのに、役に立たぬ」

 吐き捨てたスチュワートは、テラスから外を眺めた。

「反乱軍は門の中に入ったのか?」

「はい。街の者たちに歓待を受けているようです」

「……許さぬ。王の庇護を受けてきた民衆が反乱軍をもてなすなど……っ!」

 石の手すりを握りしめ、スチュワートは呻く。

「ジェイド!」

「はい」

「海軍の大砲でシアーズの街を焼き尽くせ! 裏切り者の街などいらぬ!」

 愚か者め。よく動いてくれる。

 ジェイドは恭しくスチュワートの前に膝を付いた。

「御意にございます、我が王」

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