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巨大なたいまつの明かりで照らされた大門が開き、中に吸い込まれるように兵士たちが入っていくのを眺めていたエドワードは、大きく息をついた。
ようやく長い一日が終わる。まだ完全に終戦とはならないことなど分かっているが、それでも一区切りつくことには安堵する。
元々無茶な作戦であることは承知していた。コネルなどは正面から『無茶な作戦だ』と苦言を呈していたほどだった。
それがすべて上手く片付いたのは、行幸としか言いようが無い。
作戦にミスがあれば、長期化する可能性だってあった。もし貴族の騎兵隊を率いていたのが有能な指揮官だったなら、敵先陣を長く引き延ばすことなどできなかった。
そうなればあれだけの見晴らしを誇る草原で数の不利益を被り、戦線を下げざるを得なかったかもしれない。
もし敵軍の指揮官がスチュワートではなくリチャード率いる二軍だったなら、ジョゼフ・ウォルターに作戦を見抜かれ、本隊を包囲殲滅されていた。
そうなれば、正規の軍隊に寄せ集めの革命軍が敵うわけもない。
個々で武勇を誇るギルバート、リッツを中心においたとしても、圧倒的に数の不利を被り、後退を余儀なくされただろう。
いくら遊撃隊を用いても、アンティルに協力を要請しても、この二つの事項だけで戦いは長期化し、敗走の憂き目を見ていたに違いない。
作戦は司令部全ての合意で立案された。責任を負うエドワードは自信を持って戦局に望まねば戦う兵士たちの士気に関わる。だがその実、重苦しい戦いの先行きを思い、常に緊張感に支配されていたのだ。
先陣に立って戦場を駆けるエドワードに対し、後方で見ていればいいといった者もいたが、先陣に立って戦わねば、いても立ってもいられないような心境だったのである。
「エド」
兵士たちの掲げるたいまつにぼんやりと照らされているリッツがこちらを見た。
「何だ?」
「第一段階終了って感じ?」
戦場は静けさを取り戻している。兵士たちの間にも静寂が幕を下ろしつつあった。
「門内の工作が上手くいっていれば無血開門だ。そろそろ終わる」
「そうなんだ。街には何の問題もないんだね」
「おそらくな」
「ふーん」
関心がないような口ぶりをしつつも、リッツは気になって仕方ないようだった。シアーズにはリッツも半年滞在している。知り合いも多いだろう。
「シアーズの街を人質に取られて籠城戦だとこちらの分が悪すぎる。チノたちは上手くやってくれたようだな」
「そっか。だから嬉しそうなんだな」
「え?」
「だってあからさまにホッとしてるじゃん」
顔に出ているのかリッツに断じられた。
「エドってたまに分かりやすいよ」
「……そうかな」
「うん」
まだ戦いが終わったわけではないというのに、こんなところで惚けていては民衆に示しがつかない。
「丸わかりか?」
「大丈夫だって。俺しか気がついてないよ」
リッツの視線が真っ直ぐに大門へと向く。それに釣られるようにエドワードも再び大門を見つめた。
現在、一番門に近い所にいるのは王国軍の双翼コネルとウォルターを従えたジェラルドだ。
その後ろに、エドワード、リッツ、騎兵隊、その後ろにギルバートと遊撃隊と、ジェイムズ率いるアンティル自治領主軍がいる。
そしてその更に後ろには、かなりの数の革命軍がずらりと整列していた。
戦闘で戦死者を出したが、革命軍は投降した兵士たちでかなりの数を増強されていた。いまや滅びつつある王国軍の規模を遙かに超え、革命軍こそがユリスラ王国軍となりつつあった。
戦いの当初は数の上で圧倒的に不利であったはずなのに、戦いが終わると数の上で圧倒的に有利になっている。
貴族たちが総崩れで逃げた後、残されたのはみな平民出身の者たちや下級貴族のみで、革命軍はそんな彼らの受け皿となったのだ。
民衆と時代を味方に付けた者だけが、勝者となる。まさにその通りだ。エドワードにとってはこの勝者の道のりは、仲間たちと自分、みなによって設計された道筋だ。
時代は変革を求めている。自分はそれに乗ったに過ぎない。そんなことを言ったらリッツに怒られるだろうか。
『お前が努力したからだろうが!』と。
隣に馬首を並べてたリッツに向かって、微笑みかける。
「リッツ」
普通に声をかけただけのつもりが、予想外にリッツが軽くかしいだ。
「んあ?」
間の抜けた返事をしたリッツは、目を細めてぼんやりとエドワードを見返してきた。
「大丈夫か?」
「もっちろん!」
極端な空元気で応えたリッツに、溜息をつく。
「……正直に言え」
「ん……眠い……だるい……」
エドワードは苦笑した。
そういえばリッツは闇の精霊に精神を荒らされ、その後でリチャードと対峙した。疲れていないわけがない。
そもそも闇の精霊に飲まれれば、昏倒する者もいるぐらいなのだ。
「そうだな。体力のあるお前だって、戦い通しの上闇の精霊に心まで喰われていてはもたないな」
「うん」
頷いたものの、まだ休んではいけないことをリッツはちゃんと分かっているようで、いつもならぐったりと馬のたてがみに顔を埋めてしまいそうな所をグッと堪えている。
「もう少し我慢しろ。門を通ったらそこで休息だ」
「……うん」
幼い子供のように無防備に応えたリッツの頭が左右にかしいでいる。
たまに垣間見えるその幼さに、リッツの闇の中で見た子供の頃の彼を思い出す。
『俺、ここからどこにも行けない。どこに行ってもみんなを不幸にしちゃう』
自らの存在を厭うように、か細く、消え入りそうに小さな、淡々とした高い声。
肩につきそうな程の長さの乱れた黒髪は、水に濡れて重たげだった。同じように濡れた服を着た、まるで肉のついていない薄い身体は、男女の区物もつかず、妖精のように愛らしい。
それなのにその華奢な身体は、至る所が傷だらけで痛々しいかった。
子供の頃のリッツ。
出会うことすら敵わないはずだった、何十年も前のリッツがそこにいた。
長めの前髪の隙間から、相手の敵意をじっと窺うその瞳だけは、今と変わらず重荷を背負った闇を抱えていた。
あの瞳……出会った時と同じだ。
街道で倒れ、自分の命に価値など無いと言い切った時のあの目と。
戦いが一区切りついてホッとしたら、あのリッツの姿がありありと浮かび上がってきた。
あれはリッツを取り巻く闇が見せたリッツの過去。リッツが囚われている悲しみと憎しみだ。
『嫌だっ……まだ死にたくないっ! 俺はまだお前と一緒に生きたいっ……!』
甲高くリッツは叫び、エドワードの腕を掴んだ。思わず抱きしめたその幼い身体は、思った以上に細く骨張っていて一瞬身が竦んだのを覚えている。
こんなに幼いのに、こんなに小さいのに、お前はどうしてこんな暴力を受けているんだ?
差別されたといっていたな。
それだけなのか?
それだけでこんな暴力を受けていたのか?
おい、リッツ。と心で問いかけていた。
お前は何を抱えているんだ?
いったいいつ俺にそれを打ち明けてくれるんだ?
幼いお前は、あの木の上で何を堪え、どんな苦痛を抱え、あの暗い瞳で何を見ていたんだ?
それを問いたかったが、エドワードは知っている。問いかけて応えてくれるリッツではないことを。
見つめた視線の先で、今はもう大きく成長したリッツが、ボスッと音を立てて馬のたてがみに突っ伏した。
ついに限界らしい。
「おい、まだ寝るなリッツ」
「ん、エドぉ~」
「何だ?」
「街に入ったらマリーの館に行きたいなぁ……」
女にだらしないその言葉に溜息が出る。リッツの女好きが孤独に由来することを知っているからだ。
リッツもあの闇の中で精神的な打撃を受けているのだろう。
膝を抱えてうずくまっていた幼いリッツを思うと、エドワードはそのだらしなさを叱ることができない。
「……娼館に行く前にまず一眠りしろ」
気付かぬふりで溜息をつくと、リッツも気の抜けた声で返事を返してきた。
「うぃ~っす」
突っ伏したものの眠ってはいないらしい。
小さく溜息をついたその時、明るくたいまつの燃え上がる城門の上に水色の布が翻った。
「旗が……立った」
ぽつりとリッツが呟いた。
「ああ」
それは大門が革命軍によって陥落したことをしめしているのだ。
貴族がユリスラ王国王城へと逃げ去った今、シアーズの大半も開放されたと見ていいだろう。
「終わった?」
「ここまではな」
「まだあるんだよな?」
「ああ。でも今日はもう俺たちの出る幕じゃない」
もう一つ考えられる危険な攻撃の先手は取ってあると聞いた。そのためにヴェラとファンがこの街にいるのだ。
「じゃあもうシアーズは解放?」
「いや、貴族の屋敷には未だに抵抗貴族がいるだろうし、王城門内は手つかずだ」
「そっか……でも……」
「ああ。シアーズの民衆は、あと少しで解放できる」
一斉に歓声が沸き上がり、兵士たちの歓声がやがて一つの言葉にまとまっていく。
「エドワード王太子殿下万歳!」
「王太子殿下の勝利だ!」
「我々民衆の勝利だ!」
歓声の中で中央大門からエドワードとリッツの前まで、ざっと兵士たちが道を空けた。開けられた道筋にそって、一斉にたいまつが灯される。
誰の指示かなんて訪ねるまでもない。こんなことが出来るのは正規の軍隊を指示できるコネル以外にはいないのだから。
「わぁ……」
リッツが小さく呟いた。
「すっげぇ……」
「馬鹿面を晒してるんじゃない。行くぞ」
「お、おう」
相棒の先に立ち、真っ直ぐに顔を上げて門に向かって進んでいく。兵士たちの血と泥に彩られた顔全てに歓喜の笑顔が浮かんでいる。
口々に自分を湛える言葉が紡ぎ出され、それは大きなうねりとなって闇に沈むシアーズに響き渡った。
二人の後ろにはギルバートたちが続いている。
全員がジェラルドたちの元に揃い、兵士たちへと向き直ると、エドワードは改めて暗闇の中に浮かび上がる無数のたいまつと、希望に満ちた表情の彼らを眺めた。
これが全て背負うべき民だ。共に命を賭けて戦った民衆たちだ。
大きく息を吸い、エドワードは口を開いた。
「ランディアとルーイビルは潰走し、シアーズは落ちた! 我ら革命軍の勝利である!」
歓声が更に高まる。
「未だ戦いが完全に勝利して終わったわけではない。だが王城内に立てこもった貴族の残存勢力は僅かであり、もはやその権力を振りかざすことはままならぬだろう。よって我らは自らの手に命の権限を取り戻したのだ」
ジェラルドを振り返り、ギルバートを振り返る。彼らは静かな微笑みを浮かべている。
その後ろのコネルに目をやると軽く肩をすくめられてしまった。
とんでもない戦略だったが、コネルのおかげで実行して勝利を呼び込むことができた。感謝してもしきれない。
一人でも、リッツと二人でもこの戦いを勝ち抜くことなどできなかった。彼らがいたからこそ成し遂げられたのだ。
再び顔を上げ、エドワードは兵士たちを見渡した。
「抑圧され、虐げられてもなお諦めず、未来を信じて共に戦ってくれた諸君を誇りに思う。ありがとう。感謝する」
再び歓声が上がった。人々が口々に叫ぶのは、エドワードの名と、その地位。
王太子エドワード。
そしてスチュワートを倒せば、それはじきにエドワード王へとかわるだろう。
じわりじわりとエドワードはこの手にとんでもなく大きな権力を手にしつつあるのだと実感した。
王になれば、王になったならば……。
この国を救う。
それは理想であり、現実へと続くものではあったが、権力という実感を感じたことはなかった。
革命軍の兵士が増えてきて、その責任が重くなってきたことは分かっていたし、感じていた。
でもそれは権力を得たこととは違う感慨だった。彼らを正しく、望む希望の未来へと導けるのかという、指揮官としての悩みであったように思う。
だが国王という強大すぎる権力に手が掛かった瞬間微かに恐れを抱く。
国王の権力は、ユリスラでは絶対である。国民全ての生殺与奪権を握ることが出来、膨大な予算を思いのまま操ることができる。
この権力を手にして、狂わずにいられるのか?
権力を利用し、幼い少女を犯し自らの愛妾にした父の血を引くエドワードなのに。
シアーズの民衆を虐殺したスチュワートと、奴隷を犯して殺し続けたリチャードと同じ血を引く自分であるのに。
民衆に笑みを浮かべて手を振っている自分が、狂わない保証なんてあるのか?
血塗られたこの手を、敵ではなく王国民に、愛する者に向けてしまうようなことはないだろうか。
リッツを、パトリシアを、仲間たちを、この狂った血脈に踊らされ、惨殺してしまうことはないだろうか。
「エド」
小声で鋭く名前を呼ばれて我に返る。
ジェラルドがそこにいた。リッツも心配そうにこちらを見ていた。
「あ……すまない、ジェラルド」
「疲れたろう? 少し休むんだ」
「……ああ」
小さく頷くとエドワードに変わりジェラルドが兵士たちの前に立った。
「王太子殿下の計らいにより、後方支援部隊とサラディオの商人たちが補給物資を大量に運んで来てくれたようだ。三交代制で見張りを続けつつも、皆ゆっくり休むといい」
笑顔のジェラルドの宣言に、兵士たちの笑い声と歓声が起こる。それをからかうようにギルバードが大声を張り上げた。
「女はいないが酒もある。奇襲を受けても剣を握れないなんてことにならんように、ほどほどに楽しめよ」
歓声の後、兵士たちは後方の草原で待つ後方部隊の方へと去って行く。
この門の外に天幕を張り、物資を受け取る。
今日はもう戦わなくていい。
一日中戦った兵士たちには、身体をゆっくり休める時間が必要だ。
兵士たちを各部隊長に託し、革命軍幹部は中央大門をくぐった。彼らに囲まれてエドワードも中央大門からシアーズに足を踏み入れた。
ジェラルドと共に幾度もくぐったこの門が、今日は関所のように圧倒的な重さで迫ってくる。この門のために命を落とした者も多いだろう。
大門のあちらこちらに血の跡と屍体が転がっているが、未だ怪我をして呻いている者はいないようだった。
そういえばリッツはここで、英雄として世間にでた。それを久しぶりに思い出す。
「久しぶりだろ?」
権力への重苦しさを振り払うように、からかいの笑顔でリッツに問うと、リッツは微かに俯き苦笑した。
ああこいつ、こんな顔もするんだ。
ふとそう思った。
今までのリッツなら『からかうなよ。俺だって好きでやったんじゃないぞ』とむくれたところだろうに。
時間は流れているのだ。二人の上にもずっと。
俺とお前も変わっていくんだろうか。
答えの出ない疑問が頭をよぎる。
「俺が英雄になったとこだもんな、ここ」
「そうだ。そして今度も俺と共に解放者としてこの門をくぐっている」
「本当は柄じゃないんだけどなぁ……」
言いながら後頭部を掻くリッツに、何故だか微かな不安を感じた。この戦いでやはり何かが変わったのかもしれない。
いやこの戦いからじゃない。
あの日からだ。あの、雪の夜からだ。
大人になった……といったら怒られるだろうが、そうとしか言いようが無い。あの無邪気さに微かな影が差しているようだ。
しばらく大門を進んだところで、こちらに向かって跪く一団がいた。馬を止めると、彼らの最も手前にいた小柄な兵士が顔を上げた。
「お待ちしておりました、王太子殿下」
それは女性だった。記憶の中の顔が目の前の軍人と重なる。
それは後悔しかない記憶。
たったひとりの血縁者に向けてしまった、残酷な死の宣告。
「……グレタ・ジレット中佐……」
「ご無沙汰致しております、殿下」
「貴官がいると言うことは……」
「申し訳ございませぬ。叔父上様は次の戦いに向かいました」
「そうか……」
複雑な心境だった。
ここにグレタが居る。そして今までグレイグがいたということならば、この大門を開くための作戦指揮を執っていたのは、グレイグということになりそうだ。
本来ならこの場で再会をするだろうに、グレイグはもういない。そのことに安堵している自分にエドワードは気がついた。
そんなエドワードの気持ちを知っているから、グレイグは立ち去ったのかもしれない。
エドワードの複雑な心境を知っているはずの、グレタは静かに頭を垂れ、王族への最高の礼を示した。
「我々は革命軍シアーズ派。王太子殿下のご到着を、ここシアーズでずっとお待ちしておりました。こちらに控える百人を含め我ら二千人、みな王太子殿下に忠誠を誓います」
跪いたままの彼らに、エドワードは小さく息を吸った。彼らがいたからシアーズの民が守られてきた。彼らのトップにグレイグがいたから、その名において統率が取れてきた。
それならばこの複雑な気持ちなど取るにも足りない。エドワードが言うべきことは一つだ。
「貴官らの働き、誠に見事だった。今後も私とシアーズの民のために力を尽くして欲しい」
「はっ!」
未だに平伏を続けるシアーズ派に、エドワードは顔を上げるように命じると、柔らかく訪ねた。
「怪我人はどうした?」
「急ごしらえではありますが、大規模な宿泊施設をシアーズ派として差し押さえ、救護所としております」
ジレット中佐は有能は査察官だというグラントの話は本当のようだ。グレタだったからグレイグを補助して、上手くシアーズ派を動かしていたのだろう。
「まだ兵士の中に救護の必要な者がいるが、受け入れは可能か?」
「はい。ただここシアーズでは物資が少々不足しております。革命軍本隊の軍医と物資も、負傷者と共に救護所に来ていただければありがたいのですが」
「承知した。コネル、マディラにその旨を伝えてくれ」
「かしこまりました、殿下」
コネルの指示で副官が姿を消した。これ負傷兵の問題は解決だろう。
「ふぁ……」
隣でリッツが大あくびをする。
「……リッツ」
「あ、わりいエド」
目をこすったリッツに、グレタが柔らかく楽しげな笑みを浮かべた。それは一瞬だったからエドワードしか気がついていないだろう。
グレタは過去、リッツと肉体関係を結んだことがあるといっていた。今は査察官として堅苦しくしているが、リッツのことは思いの外気に入っているのかもしれない。
「殿下、本日の宿にご案内致します」
笑いを隠して恭しく頭を下げるグレタにエドワードは頷いた。




