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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
燎原の烈風
119/179

<13>

 遠くで上がったあの煙は、すでに消えている。スチュワートの天幕はもう焼け落ちたのだろう。スチュワートを捕らえることはできたのだろうか。

 リチャード軍の後方が一気に崩れ、浮き足立つ中でコネルは一気に攻勢をかけていた。先ほどからの王国軍の動揺に、革命軍が食らいついていく。

 徐々にではあるが、革命軍に勝利が近づいてきていた。王国軍は数を減らしつつある。その中の数千人は革命軍への投降者だ。彼らは率先して今までの味方と戦っている平民出身者だ。

 ここまで来たら革命軍が勝つ。

 ならばもう人質のようにシアーズに残っている家族を気遣い、貴族の言いなりになる必要がないのだと気がついたのだ。

 今や王国軍の戦線は崩れつつあった。

 作戦通りだ。

 まったくエドワードには恐れ入る。戦術なんかではなく、人間の心を読む方がよっぽど不確定であるというのに、エドワードはよく人の心を読む。

 その上で立てる作戦の正確さは、誰も及ばない。

「閣下!」

「どうした!」

「リチャード親王、来ます!」

「くっ! もうか!」

 十分に距離を取りながら時間を稼いでいたつもりだったのに、やはり気がつかれた。

 押していたはずの友軍の一部が後退し始めた。回りは確かに前進しているのに、この中央部だけが押されたように後退を余儀なくされている。

「うろたえるな! こっちは押してる! 無理に親王を相手にするな! 親王を避けて普通の兵士と戦え!」

 無茶を言っている。これでは意表を突いた作戦を展開するエドワードと変わりない。正式な軍人だというのにこれはない。

 心の中で自分に対して毒づくが、今はとにかく生き残ることが最優先だ。いくら手強いリチャード親王とて、味方が壊滅してしまえば戦場でその力を振るえはしない。

 親王自身とウォルターを避けて、分断されたように見せ掛け、両側から回り込んで後方の遊撃隊と合流するべきだ。それが基本の方針だが、コネルは正直難しいと踏んでいた。

 指揮を執っているのは……ジョゼフだ。

 きっと今までのように行かない。それが分かっているから緊迫感は増す。

「親王を中心とした少数の部隊が、真っ直ぐこちらに向かっています!」

「こちら?」

「目標は我々です、閣下!」

「くそっ……」

 やはりそうきたか。

 コネルは奥歯を噛む。指揮官たちは十人いる。だがそれぞれの指揮官が如何に優秀でも、この大軍を運用できる総指揮官はたったひとりだ。

 その指揮官を倒せば、この軍の大きな運用ができなくなる。

 その、たったひとりの総指揮官はジェラルド不在の今、コネルだけなのだ。

 エドワード、ギルバート、ジェラルド、リッツが戦場に見当たらないとしたら、彼らがコネルに目を付けるのは必然だ。

 コネルを殺せば……いや、チャックやドノヴァン、ヘザーの、指揮官と参謀を殺せばこの大軍の運用ができなくなる。

「閣下、来ます!」

 悲鳴のような兵士たちの叫びの直後、伝令の男は血と共に地に落ちた。

 その彼らの血に塗れた男が目の前に立った。返り血を浴びて真っ赤に染まるその男は、コネルの友だった。

 生真面目な表情は、どこか酷薄で残忍な雰囲気を漂わせている。戦場にある時、彼は勇猛な戦士だ。リチャードに毒されているのか、それとも元々持っている性格なのか、今となっては分からない。

 たった一つ分かることは、コネルとジョゼフの戦力は同等で、どちらが勝ったにせよお互い無事では済まされないことだけだ。

「ずいぶんと色男になったじゃないかジョゼフ」

 コネルは長剣を握り直した。似たような長剣を手にしたジョゼフも、穏やかに笑う。

「そうだな。君も同じだろう、コネル」

 穏やかだが、どこかいつもと違うすごみがあった。これは何かを行うことに腹を決めてしまった者の目だ。

 良くも悪くも、この静かな決意を持った人を倒すのは難しい。

「悪いがコネル、君を倒すしか目標を達成できる術がないらしい」

 いつもの笑顔だ。だがその奥底に、冷たい刃が隠れている。いつものジョゼフ・ウォルターではなかった。

「目的ね。スチュワートは死んだかもしれないぞ?」

 もしエドワードの計画が上手くいっていれば、スチュワートを崇拝するリチャードは、耐えられないだろう。当然、それを知るウォルターもスチュワートを失うわけにはいかないはずだ。

 だがウォルターは静かに微笑んだ。

「それならばそれでいい」

「……何?」

「一つ手間が省けた」

 ぞくりと、背筋が冷えた。今までの彼とは明らかに違う。

「ジョゼフ?」

 問いかけるのと同時に、ジョゼフが突進してきた。

 すんでの所で躱して、剣を受け止める。

「くっ……」

 馬上での押し合いとなった。

「気を抜くなよ、コネル。お互いに主君にと定めた御方の為に戦うのだろう?」

「主君に……だと?」

「そうだ」

 一瞬の隙を見て、コネルの剣がウォルターを襲う。だがそれは僅かに当たらず躱されてしまった。

 ただ剣のぶつかり合う思い金属音が響く。

「お前はまさか……」

「そうだ。お前がエドワード殿下を王にしたいと望むように、私はリチャード様を王にする」

「なっ……!」

 打ち込まれた剣から火花が散る。激しい猛攻なのに、表情は楽しげだった。

「もう決めた」

「正気か!?」

「無論」

「馬鹿な! あの残忍な男をどうして王にできるんだ!」

 更なる斬撃を堪えつつ、コネルは怒鳴る。

 あり得ない。リチャードの遺児を育てているこの男が、暴力で正気を失った女性を介護しているこの男が……。

 あの残虐な狂気の男を、王にするだと? 

「君は知らずともいい」 

 僅かなコネルの動揺を契機とし、ウォルターは斬り込んできた。以前に戦った時とは段違いの力強さだった。

 ウォルターは、ほんの僅かも迷っていない。

 その本気にうすら寒くなる。

「殿下は王になる」

 断言と共に打ち込まれた剣に、手綱を片手で引いてとっさに避けつつ、片手で剣を振るった。

 幾度かの打ち合いが繰り返される。言葉を挟む暇も無い猛攻に、コネルは防戦一方になった。

 このままではやられる。

 常に何かに迷っていた彼を、何がこう変えたのか分からないが、迷いのなくなったウォルターは桁外れに強かった。

 無傷で友をこちらの陣営に、などと考えていたら、コネルの方が死ぬことになる。

「馬鹿野郎っ!」

 怒鳴るのと同時に、剣を両手で振るった。足で馬を操り、本気で剣を打ち込む。

「馬鹿野郎、馬鹿野郎!」

 何故分からない。

 お前の願いはこの国を救わない。

 お前の大切な人々も決して幸福にならない。

 迷いさえしなければ、本気でかかればウォルターにやられたりしない。

 繰り出す剣は、やがてウォルターを追い詰めていく。形勢が変わり、コネルの猛攻をウォルターが防ぐ形になった。

 徐々にウォルターは剣を受けるのとで精一杯になってきた。

「くうっ……」

「ジョゼフ! 降伏しろ!」

「……っ!」

「エドワード王太子殿下につけ! 俺と一緒に、ユリスラを立て直そう」

 コネルの剣が弾かれた。燃えるような目でウォルターがコネルを見据えた。

「私はまだ、負けたわけではないっ! リチャード様を王にしてみせる」

「ジョゼフ!」

「もう決めた!」

 再び正面で剣と剣が火花を散らす。

 狂気のような激しさを帯びた瞳が、決意の固さを物語っていた。

 これはやはり、リチャードを殺すしかないのか?

 だがどうやって? 

 回りに素早く目を配ると、チャックもドノヴァンもヘザーも、それぞれリチャード軍の戦士たちと交戦中だった。

 さすが王国軍最高部隊だ。一般兵士とは実力が違う。だがこれではリチャードと戦える戦力がいない。

 今リチャードが来たら、下手すれば全滅だ。

 エドワードの作戦は終わっているのか?

 スチュワートはどうした?

 リチャードと戦える実力を持ったギルバートの援軍はまだなのか?

「よそ見をしている場合か」

 静かな声と同時に、剣が振り下ろされた。とっさに避けたものの、よけ損なって腹に剣がかすめる。

「くっ……!」

 焼けるような鋭い痛みが走った。

 斬られた。傷はどれほどだ?

 だが正面から目を離せば死ぬ。確認もできぬまま、コネルは剣を振るう。

「動きが鈍いぞ、コネル」

 気遣うようなことを言いつつも、ウォルターの剣は全くぶれなかった。それ以上の激しさで打ち込んでくる。

 死ねない。

 今まで戦場で死にかけたことはある。だが本当に死を意識したことはなかった。だが今は死が身近に迫りつつあることに気がついた。

 無意識に腹を庇うため、剣の動きが鈍る。必死に応戦するも、その力が及ばない。

 突き出された剣を、紙一重で何とか避ける。

 剣が風を切る音を、耳元で聞くなんて初めてだ。

「ここまでか?」

「……ジョゼフ……」

「私の決意がお前に勝った。そういうことだ」

 再び繰り出された剣を避けきれなかった。鋭い痛みに苦痛の声を上げた。

 先ほど斬られた腹とは反対の腕だった。

 そう、水色の布が巻かれた場所だ。

「王になるのは……リチャード親王殿下だ」

 見据えられたその瞳は、恐ろしいぐらいに澄んでいた。狂ってなんていない。ウォルターは、いつものウォルターだ。

 今までもきっと彼はこの願いを口に出さずに抱えていたのだろう。だから彼は正気だ。

 本気でリチャードを王にし、この国を動かそうとしているのだ。

 剣を持つ手がぶれた。呼吸が乱れてくる。 

 どうする?

 どうしたらいい?

 部下たちは皆交戦中だ。

 援軍はまだ来ない。

「くそっ……」

 ぬるりと馬の鞍と触れている部分が滑った。

 血だ。流れ出した血が、そこに溜まっていたのだ。

 気がついた時にはもう遅かった。体勢を崩した一瞬を見逃すほど、友は愚鈍ではない。

「すまない、コネル」

 いつも通りの柔らかなウォルターの声に、目を閉じる。

 イライザ……子供たちを頼む。

 両手で構えた友の剣が、目の前に振り下ろされた。

 死んだと思ったのに、次の瞬間剣と剣がぶつかり合う音が響いた。同時にコネルは馬の下から何者かに引きずり落とされた。

「なっ……!」

 目を開けると、そこには血に塗れた見慣れた男がいた。馬の下でコネルの足を引っ張って引きずり落としたらしい。

「何死にそうになってんのさ、コネル」

 子供じみた表情で、黒髪の男が笑う。

「リッツ……」

「イライザが泣いちゃうじゃん。俺やだよ、イライザにコネルが死んだって報告すんの」

 ということは……。

 顔を上げると、ウォルターの剣を防いでいるのは、エドワードだった。

「殿下!」

 見上げると、馬上のエドワードが屈託のない表情で笑った。

「大丈夫そうだな」

 コネルを確認した瞬間から、エドワードの猛攻が始まった。

「殿下!」

「交替だ、コネル!」

 思いも寄らない二人の登場で呆気にとられていたウォルターにエドワードは一気に攻め込んだ。息もつけないぐらいの激しさだ。

 戦場を駆け巡り、無謀ともいえる作戦の一番無謀な部分を担っていた王太子が、疲れも見せずにその圧倒的な力を見せつける。

 優勢に戦っていたはずのウォルターが、徐々に下がりつつあった。

「……スチュワートは……?」

 エドワードとウォルターから目を離さずに尋ねると、リッツはうなだれた。

「ごめん。逃がした。闇の精霊使いに邪魔された」

「闇の精霊使い……か」

 まだ何かコネルの知らない事情があるのかもしれない。

「リチャードは?」

「死にかけたのに質問多いよ、コネル」

 立ち上がりながらリッツは笑った。

「おっさんとマルヴィルたちが包囲してる。俺たちもすぐに合流する」

「そうか……」

「うん。コネルは本隊を率いて、掃討戦に出てくれって。スチュワートはシアーズに逃げ込んだし、リチャードはもう討ち取る」

「……つまり降伏勧告をせよってことか」

「そ。手が空いたらエドもそうするけど、今はこの部隊を倒すのが先決だしね」

 そう言い切ると、リッツは剣を手に悠々とエドワードとは逆の方に歩き出した。その先にはチャックや参謀たちがいる。

 軽く腰を落としたと思った次の瞬間には、リッツは戦場に躍り出ている。息をつく間もなく、チャックと戦っていた兵士を、後方から切り伏せた。

「一人っと」

 なんでも無いように言いながらも、リッツは振り返りざまに次の兵士に斬りかかっていた。

「二人っと」

 ようやく自由になったチャックは、間髪入れずにドノヴァンに迫っていた敵を切り捨てた。その間もリッツは休む間もなく敵を狩り続けている。

 槍を収めたドノヴァンが肩で息をして、コネルの元にやってきた。満身創痍だ。

「ヘザーはどうした?」

 傷を押さえながらドノヴァンに怒鳴ると、ドノヴァンは首を振った。その視線の先には、無残なヘザーの死体がある。

「……そうか……」

 ユリスラを出てからずっと従ってくれた部下の死に唇を噛む。だが戦いは終わったわけではない。死を嘆くのは後だ。

「本隊を再構成し、掃討戦にうつる。スチュワートはシアーズに逃げた」

「……了解」

 うなだれたままのドノヴァンとチャックの肩を軽く叩く。ここでじっとしている時間が惜しい。

「悪いが、止血をしてくれ」

「怪我をされたのですか?」

「ああ。とりあえず動ければいい」 

 コネルは振り返った。

 今もエドワードとウォルターが戦っている。その周辺では、リッツが華麗な剣技で押し寄せる敵を舞うようにして血だまりに沈めていく。   

 二人の英雄が揃い、共に剣を振るう姿は、血と死に彩られた戦場に、金の光が一筋差し込んだように印象的だった。

 騎乗して金の髪をなびかせて戦うエドワードと、その影のように付き従い、地を駆けるリッツ。

 その華麗ともいえる戦いと剣戟は、まさにこの地の覇者としてふさわしい。

 国王になる者は光の精霊王の加護を受けているというが、この姿をみるとそれを思い知らされる。

 ウォルターを守ろうと必死で挑みかかる兵士たちを、二人の英雄は難なく切り伏せる。

 信頼し合った二人の動きはまるで、二人で一人の戦士のようだった。

 見る見る間に味方にまで食い込んでいた敵軍が地に伏せていく。敵わないと踏んだのか、それとももう革命軍と戦う理由がないのか、剣を投げ出して降伏する者、逃げ出す者も後を絶たない。

 気がつけばもう戦場に立つほとんどが革命軍だった。

「国祖と精霊の戦士か……」

 呟いたコネルの視界の先で、ウォルターはエドワードから必死で逃れ、馬主を返した。

 その向かう先にいるのは、リチャード親王だ。ウォルターはリチャードがジェラルドたちに取り囲まれていることに気がついたのだ。

 ウォルターを追おうとするエドワードにコネルは呼びかけた。

「殿下! ジョゼフを……」

 殺さないでくれといいたいのか? 

 そんなことをいえる立場じゃないのに。

 続かない言葉に、エドワードが頷いた。

「できる限りのことはするつもりだ。コネルも頼む」

「御意」

 できる限りのこと。それはこの掃討戦を指揮することだ。

 腕の傷は、エドワードを表す水色の布で縛られ、腹は強く押しつけられた布と、布の切れ端で縛られている。

 大丈夫だ。まだ戦える。 

「行くぞ、チャック、ドノヴァン」

 コネルは戦場を見据えて立ち上がった。



 ウォルターとそれを追うエドワードを、リッツはひたすら走って追いかけた。馬に追いつくはずはないが、それでも普通の兵士たちより早い自信はある。

 目に映る戦場はほぼ終焉に向かいつつあった。本隊はコネルの指揮の下で秩序を取り戻し、王都の大門に向かいつつある。

 主戦場はもはやここではない。

 敵の後退に従って、前線はシアーズの大門に近づきつつある。そちらでは今もスチュワートの持っていた部隊が戦闘を続けている。

 スチュワートの部隊も、リチャードの部隊も、戦死者数は似たような者だろう。だがリチャード軍の方が圧倒的に投降者は少ない。

 そのためか、未だにあちらこちらに小競り合いの声が聞こえ続けている。

 先ほどまでの前戦にあり、現在は戦場の片隅に置き捨てられたのかのようなのに、未だ全く緊張感と恐怖感を失わない場所があった。

 そこに強大な敵、リチャード親王がいる。

 立てられた旗は、すでにボロボロになり、近衛兵の大半が満身創痍の状態だ。地面は沼のようにぬかるむほどの激しい血に満ちていた。

 いまだリチャード軍中枢は、戦うことをやめずにいた。リチャードの軍は、王国軍のどの部隊よりも統率の取れた精鋭だった。

 血の泥沼には、本隊の歩兵たちの夥しい屍体と、革命軍本隊の歩兵たちの屍体と、幾人かの騎兵隊の屍体が無残な姿をさらしている。

「殿下ーっ!」

 叫び声と同時に攻め込んだウォルターだったが、一瞬にして待ち構えていた騎兵の攻撃によって馬を射貫かれて地に転がる。

「おのれぇっ!」

 悔しさに血を吐くような声で叫んだウォルターの肩にも矢が突き立っていた。これでは剣を振るうことすらできないだろう。

 この場の指揮を執ったジェラルドは、全てを見抜いて動いている。いざとなればこの場にウォルターが戻ることも想定内だったのだろう。

 血だまりに倒れ、それでもリチャードの元に行こうとするウォルターだったが、数人の騎馬隊に取り押さえられている。

「殿下っ!」

 ほとんど全てが敵という状況で、ウォルターの悲壮な叫びが空しく響く。

 リッツは息を切らせて戦場に飛び込み、リチャードの姿を見た。

 リチャードはすでに馬の上にいなかった。射落とされたのだろう。後方から来た騎兵隊が打ち込んだ矢は、幾本もリチャードに突き立ったままだ。

 だが普通ならば死ぬであろうその状況でも、リチャードは倒れていなかった。

 それどころか手負いの獣めいたその圧倒的な凶暴性には何の衰えもない。

 そのリチャードに向かい合っているのは、同じく馬から下りたジェラルドだった。リチャードとは反対に、ジェラルドは手傷を負い、肩で息をしているのが分かった。

 近くにはジェラルドがずっと乗ってきたグレイン馬の死骸がある。一太刀で首を落とされたことが分かるほど、見事に首だけが存在しない。

「……おっさん……」

 どうすればいいんだ?

 尋ねることもできず、リッツは唇を噛む。

 リチャードの持つ大ぶりの剣が唸りを上げた。よろめきつつもジェラルドが受け止める。

「どうした総司令官! 王国三元帥がその程度か!」

 地面すら轟かせるような怒鳴り声を上げたリチャードに、ジェラルドは苦笑する。

「小官も若くはありませぬゆえ」

「ぬかせ」

 再び剣が風を切った。しっかりと受け止めたと見えたのに、ジェラルドは小さく呻きよろめいた。

 防戦一方だ。 

 あれだけ矢を浴びながら、ジェラルドをしのぐ攻撃力はどれほどだろう。

 すさまじい殺気で、誰もがこの二人の戦いに割って入ることを躊躇っている。

 力と技の剣がぶつかり合い、火花が散る。

 弓兵たちもリチャードを狙うも、繰り返される二人の打ち合いに、打ち込むことすらできない。

 戦いに割っては入れぬ中で、回りの小競り合いは続いている。戦いの声は未だ止まない。

 エドワードすらも拳を握りしめながら入れずにいる。時折襲ってくる兵士を切り捨てながらも、何もできない。

 だがリッツはしばしリチャードとジェラルドの戦いを眺めてから行動に移った。

「エド」

 小声でエドワードを呼ぶと、静かに馬から引きずり下ろした。リッツはエドワードよりかなり力がある。

 片足を掴まれて引き肩に手をかけて、攫うように下ろされたエドワードは明らかに腹を立てた。

「お前っ……」

 こちらを睨みながら小声で抗議するエドワードの耳に口を寄せる。

「堂々と、割って入って」

「……あの間にか?」

 エドワードが眉を寄せてそちらを見た。

「うん」

 全員がそちらを息を呑んで見守っているから、エドワードとリッツの子供じみた行動に目を留める人はいない。

「何故?」

「たぶんおっさん、限界だ」

 ずっとギルバートと共に厳しい戦闘訓練をしてきたリッツだから気がつけた。ジェラルドは見かけ以上に傷を負い、体力を著しく消耗している。

 エドワードの立てた作戦に乗り、戦場を激しく転戦したジェラルドは、もう戦う力が残っていない。

 もしこのまま見守っていたら、ジェラルドが死ぬことを黙って見ている事になる。

 そんなのはパトリシアに申し訳が立たない。

「どうする気だ?」

「エド、リチャードと一瞬だけ戦える?」

「一瞬?」

「おっさんを救出するチャンスを作るから、気を逸らして。その後はおっさんと下がってよ」

「……お前、もしかして……?」

「うん。リチャードは俺が倒す」

「……無茶だ」

「無茶なもんか。もう見切ったよ。結構単純な攻撃パターンだ」

 嘘ではない。傭兵たちの多種多彩な攻撃を見切ってきたリッツだから、攻撃パターンを読むのは、地図を読むより得意だ。

「でも、お前一人でか?」

「うん。エドに兄弟殺しはさせたくない」

 エドワードが目を見開いた。

「俺は構わない」

「エドはよくても俺はいやだ。だってお前がきついのはやだし」

 リッツはずっと思ってきたのだ。リチャードとスチュワートを殺すのは、エドワードではなく自分でなくてはならないと。

 エドワードがこれからの歴史上、どんな国王になるのかまだ分からない。だが兄弟を二人とも殺して王位に就いたことだけは歴史に絶対に残る。

 リッツが演じてきた英雄像が、徐々に国家に広まっていったように、皆がエドワードの戦いを知ることになる。

 エドワードが初めて自分の出自をリッツに語ってくれた時、エドワードは自分が王家の血を引いていることを卑下していた。

 自分の復讐に、兄弟を殺して王位を奪えと願った父王を憎んでいた。

 それでもエドワードは戦場に立ち、王となるべく戦いで手を血に染めてきた。

 だからせめてその手を、血の繋がった兄弟の血で直接汚させたくない。これ以上の苦しみは負わせたりしない。

 背負うならリッツだ。

 リッツの全てを受け入れて友と呼んでくれた人のためならば、何でもできる。

「リッツ……」

 苦しげに顔を歪めたエドワードの肩を軽く叩き、拳を差し出す。

「正々堂々と正面から行ってくれよな。俺は、超こっそり行くから」

 敢えて明るく片眼を瞑ってみせると、エドワードは微かに微笑みリッツの拳に拳を合わせた。

「了解だ。ヘマするなよ」

「エドもな」

 微笑み合うと、リッツはそっと緩やかな人垣の外に出た。そこから素早くリチャードの背後に回れる場所に行き、気配を消しながら人の間を素早くすり抜けていく。

 人垣のほとんどが革命軍と投降者で、ほとんど敵はいない状況だ。それがまたリッツの行動を助けた。

 瞬く間にリッツはリチャードの背後に行き着いた。

 彼らを挟んで正面には、悠々とリチャードとジェラルドに歩み寄るエドワードの姿があった。先ほどまでの緊迫感や動揺などは微塵も感じられない。

 相変わらずの役者っぷりだなと、何故かほほえましくなった。

「ジェラルド、下がれ!」

 凜としたエドワードの声が響いた。打たれたように打ち合う二人が動きを止める。

「……殿下……」

「っ……エドワードか!」

 ジェラルドの表情は苦しげで、リチャードは腹立たしげだった。だがその二人の視線にも、エドワードは全く動じない。

「下がれと言っているんだ。それは我が父王を殺した憎むべき逆賊だ。私の手で厳罰を下す」

 高圧的なエドワードの態度に何かを感じたのか、ジェラルドが視線を巡らせ、リッツをみつける。

 目が合った瞬間に、ジェラルドの口元が微かに緩んだ。気がついてくれたようだ。

 だがその態度に、リチャードが明らかな苛立ちを見せた。

「逆賊だと……?」

「そうだ。アーケルでも告げたな。お前は王家に仇をなす毒殺犯の子であると」

「貴様……」

 リチャードが吼えた。まさに獣の叫びだった。

「エドワードっ!」

 瞬く間にエドワードにリチャードが迫る。リッツはその隙にジェラルドに駆け寄った。

「おっさん、大丈夫か?」

「……当然だ」

「強がっちゃって」

 ぶつぶつと文句を言いつつリッツは周りを見渡した。そしてそこにマルヴィルをみつける。

 目が合った瞬間に黙って大きく手を振ると、マルヴィルが同じく黙って走り寄ってきた。

 マルヴィルとその部下たちによってジェラルドが運ばれていく。怒りに支配されたリチャードは、全くこちらの動きに気がついていない。 

 正面のエドワードは押され気味だ。それでもじりじりと押されつつジェラルド同様に、いやそれ以上に善戦している。

 時折反撃に転じているのは、さすがだといえる。でもその力量の差ではエドワードはリチャードに勝てない。おそらくリチャードを倒せる実力の持ち主は革命軍には二人しかいない。

 一人は後方からたった百人の傭兵隊と共にリチャード軍を混乱の渦に巻き込んだ指揮官、ギルバート・ダグラスで、もう一人は……。

「俺……のはず」

 性格はガキで根暗。知力、無し。この二つには全く自信も何も無い。

 でも剣だけは誰にも負けないという自信がある。

 何故かエドワードに練習で勝てないが、一応革命軍で二番目の剣の使い手だと自負している。

 だとしたら、やるしかない。

 そもそも王太子のエドワードが勝つ必要なんて全くない。王太子が絶対の戦力を持つよりも、知力を持っている方がいいに決まっている。

 その知力を生かすために、リッツがいるのだから。

 リッツは敢えて堂々と立ち上がった。

「まったく鈍いな、偽王の弟は」

 わざとらしく大声でいうと、軽く溜息をつく。

 リチャードがようやくリッツの存在に気がついた。

「まさか……」

 エドワードがジェラルドを救助するための囮であったと分かっただろう。

「ジェラルドは貰ったぜ」

 宣言すると、振り返ったリチャードに舌を出した。

「へっへーんだ。俺のがちょっと利口だろ、エロ親王さんよ」

「なに……?」

「猪突猛進の変態野郎じゃ、俺でさえ出し抜けるってもんさ」

 みるみるうちに、リチャードの顔が怒りで赤らんでいく。

「てめえはエドの足下にもおよばねえんだから、戦いに勝ったってしょうが無いじゃん。そんな奴を殺すのに、エドが手を汚す必要なんてないよ。俺がさ」

 リッツは微かにエドワードに視線を送る。下がってくれという合図だ。エドワードも微かに頷く。

「俺が瞬殺で片付けてやるよ、変態野郎」

「貴様ぁぁぁぁぁぁっ!」

 怒りからリチャードは目を血走らせて一直線にこちらに迫り来る。

 リチャードの武器は力。ならばリッツが利用するのはその力の反動だ。

「死ねぇぇぇぇぇっ!」

 力任せに振られた剣が、リッツの前髪をかする。

 リッツは微かに上体を逸らしただけで、軽くそれを避ける。

 ヒュッと風が鳴り、数本の黒髪が飛んだ。

 大きく動かない、リチャードの間合いの中で躱し続ける。これが重要なのだ。

 剣が流れ、リッツから最も遠い位置に来た瞬間にリチャードの元に飛び込んだ。

「なっ……」

 剣を戻してくるまでのその一瞬の間に、リッツは状態をかがめて一息に剣を抜きざま斬りつけた。

 防具の隙間から、血が噴き出す。

 結構入ったか? 

「何だと!?」

 リチャードが驚愕の呻き声を上げる。

 剣を即座に戻し、痛みで微かにずれたリチャードの重心位置を推測し、後ろから上段に回し蹴りを蹴り入れた。

 明らかにリチャードが揺らぐ。

 硬い身体だ、これでは一撃で倒せない。

 だがこれはあくまでもリチャードのバランスを崩させるためだけの行為だ。

 案の定、剣の重みでリチャードの重心が狂う。

「貴様っ!」

 怒りに支配されたように、轟くような声でリチャードが怒鳴る。

 地面すれすれから、リチャードの剣が上へと斬り上げられた。ほんの少し位置を間違えれば、一瞬にして死ぬ。

 でもリッツは死に対して全く恐怖を覚えていなかった。だからこそ取れる戦法だ。

 リッツは空を切るリチャードの剣を大きくのけぞってよけ、後方へ宙返りし地面に膝を突く。

 微かに晴れてきた薄日に、鈍く金属が輝く。

 リチャードの剣は思い切り上段。

 その瞬間を狙っていた。

「許さんぞ、犬がぁぁぁぁっ!」

 振り下ろされる腕に、下から剣を突き上げた。リチャードの腕の付け根に、リッツの剣が深々と突き刺さる。健が切れたのか、リチャードの腕の力がなくなり、人形のように垂れ下がる。

「ぐあぁぁぁぁぁっ!」

 絶叫と共に、腕に突き立った剣を抜こうとリチャードは反対の腕でリッツの剣の柄に手をかける。

 両手が塞がった。

 胸元からリッツは飛刀を取り出し、目を狙って投げつける。痛みと混乱で防ぐことすらしなかったリチャードの両の目に飛刀が突き立った。

「おのれぇぇぇぇっ! 犬めっ! エドワードの犬の分際でぇぇぇぇ!」

 絶叫をするリチャードを前に、リッツは冷静に短剣を抜いた。

「あんたは俺にとって許せないことしようとしたんだ。だから許さないよ」

 もはやリチャードが聞いているかは分からない。だがリッツはその哀れな血塗れの姿を見据えた。

 リッツが許せないこと。

 一つはパトリシアを妻という名目で召し上げ、性の奴隷にしようとしたこと。ずいぶん前のことだ。でもリッツはそれを忘れていなかった。

 二つ目はエドワードにもそれを強要しようとしたこと。

 リッツの大切な二人を、二人とも穢そうとした。そんなこと許されない。

 実際にこの男は幾人も、いや何十人、何百人と、拷問の末殺してきた。鎖に繋いで性の奴隷としたあげくに殺すことを楽しむなど正気ではない。

 でもリッツはそれ以上に、パトリシアとエドワードがこの男の妄想の中で犯されたことが許せない。

 たとえそれが実行されていなくても。

 狂っているのかなと思う。

 正義のために怒るのではなく、自分の大切な人のためにだけ怒るなんて。

 でもそれでも、リッツに取ってはそれが真実だ。

 もがき苦しむリチャードに向かって、リッツは気配を消して歩み寄った。目も見えず、痛みに混乱するリチャードは気がつかない。

 手の中の短剣を回転させ、リチャードの首元に持ってくる。

「まて、待ってくれ!」

 絶叫が響いた。視線を向けると、そこには血に塗れたジョゼフ・ウォルターの顔がある。必死に懇願し、リッツを見つめるその瞳は、恐ろしく真剣で、悲しげだった。

 リッツはウォルターを見つめた。

 コネルとエドワードがいう、もう一人のリッツ。

 リッツとエドワードと同じように、堅い絆で結びついている主従。

 ――そんなに大事だったなら、最初から人間にしてやれよ。

 野獣のまま放置したあんたが悪いんだ。

 ウォルターと目が合った。だがリッツは静かに逸らすと、リチャードに向かう。

 短剣がリッツの手の中で回転し、次の瞬間にリチャードの頸動脈を切断していた。

 噴き出すリチャードの血飛沫の向こう側で、ウォルターの獣じみた悲壮な叫びが響いた。腹の底からわき上がる悲しみと怒りに、大気が揺れるようだ。

 そのウォルターの叫びの中で、リッツだけがリチャードの最後の声を聞いた。

「……ジョゼフ……」

 甘く切ない、幸福にも似た満足げなその声に何故かリッツは、総毛立つほど慄然とした。

 何故かなど、自分でも分からなかった。



 リチャードを失った王国軍リチャード直属部隊の生き残りのうち一万は、その場で降伏した。

 二千人は、スチュワート軍に向かい、そのまま抵抗することを選んだようだが、そのほとんどが貴族と、彼らに取り入って利益を得ていた者たちであったらしい。

 三万人であった部隊は戦いの中で半数以下に減っていたのだ。

 エドワードの前に引き立てられてきたウォルターは、先ほどまでの茫然自失から表面上は立ち直って見えた。だがその目はどこまでも暗い。

 後ろにいるジェラルドと隣のリッツを微かに見ると、二人ともエドワードのすることに口を挟まぬつもりなのか黙っていた。

 正面に向かい、エドワードは静かに語りかけた。

「約束は覚えているか?」

 ゆっくりと顔を上げたウォルターはエドワードを見つめて頷いた。

「はい、殿下。もしこの戦いで負けたなら、私は私の幸福のために選択すると」

「そうだ。貴官の選択を聞きたい」

 性急だろうなとエドワードは思う。

 隣に立つリッツと目の前で跪くウォルターは似ている。つまりエドワードを失ったリッツに、殺した側に付けと言うようなものだろう。

 でもどうしても今聞かねばならない。

 そうしなければきっと、この男は自ら命を絶ってしまうだろう。

 コネルは今後の王国軍を立て直すためには、絶対にウォルターが必要だという。エドワードも軍を掌握するのに、どうしても元王国軍の士官が必要なのは分かっている。

 だからどうしても王国軍の軍人に慕われているウォルターは必要なのだ。

 ただ彼のリチャードへの心酔具合もよく知っていた。このまま味方になってくれる可能性は五分五分だろう。

 だが可能性があるならば賭けてみてもいい。

「もし我が方に付いてくれるのならば、貴官の軍における階級はそのまま残し、サウスフォードと共にユリスラ軍の再建を任せたいと思っている」

 宣言すると、降伏した兵士たちがざわめいた。敗軍の将には過ぎた条件だと驚いたのだろうか。

 だが次の瞬間に、そうではないと分かる。

 投降した中から、数人の男たちがウォルターの元に歩み寄った。

「閣下」

 男たちを代表して、一人が座り込んだままのウォルターの元に跪く。

「我々は閣下にこの命を預けました。どうか最後まで我々の命は閣下に預かっていただきたい」

「……君たちは……」

「確かに我々はリチャード親王殿下の兵です。ですが閣下、我々がこうして働けたのは、閣下のおかげでした。閣下がいらしたから、閣下が殿下に意見し、我々を守ってくださったから戦えた」

「我らはみな、親王殿下が恐ろしかった。恐怖で従っておりました。家族を殺されそうになり、危険な目に遭おうとも、我らをお守りくださったのは、閣下です」

 数人の男たちは皆、リチャード軍の指揮官たちだった。

「我々も平民です。エドワード王太子殿下の名を聞き、馳せ参じたいとの思いもありました。このユリスラを平穏へと導きたいと望みました。ですがここまで共に戦ってきたのは、閣下がこの部隊の指揮を執られたからです」

「閣下がおられたから、我々は軍の中でも精神を保っていられた。家族も無事にいる者がほとんどだ」

 彼らは一様にウォルターの元に膝を付く。

「どうか閣下、我々の指揮を!」

「閣下!」

 ウォルターは俯いて唇を噛みしめた。

「だが……私は……」

「閣下っ!」

 遠くでまだ戦闘の音が聞こえている。戦いは完全な掃討作戦にうつっている。同時に大門を取り合う戦いも始まりつつある。

 まだまだ終わったわけではない。戦力は必要だ。

 ウォルターが顔を上げた。先ほどまでのうつろな瞳に、微かに宿っているのは責任だった。

 なるほどと思う。コネルと双翼と呼ばれたのは、指揮能力だけではない。

 この軍を預かる責任が、彼を慕う部下たちに伝わったがゆえの事でもあったのだ。

「……エドワード王太子殿下」

「何だ?」

「私の幸福は、我が孤児院の子供たちの幸福と、我が困窮院の女たちの幸福、そして私の部下たちの幸福です。リチャード様を失った今、私の望みはそれが全てです」

「死ぬよりも、幸福を叶える方をとるか?」

 ウォルターは目をそらさなかった。

「はい。ただ一つ、忘れないでいただきたいことがございます」

 真摯な瞳を黙って見つめ返すと、その瞳には燃えるような誇りが満ちていた。

「私は殿下に忠誠を誓わない」

 ざわりと兵士たちがざわめいた。

「リチャード様に誓った忠誠を殿下に差し上げるわけにはいきませぬ」

 部下たちが不安そうにウォルターを見ている。困惑し、不安に思っているのだろう。

 リッツが微かに身じろいだ。剣に手をかけようとしたのが分かったから、目を向けず片手で制する。

 まだだ。まだ話を聞かねばならない。

「では永遠にリチャード親王へ忠誠を誓うと?」

「リチャード様への忠誠は、リチャード様が死の国へ持って行かれました。再び死の国で再会したならば、その忠誠を手にすることができるでしょう」

「では……」

「私の忠誠はユリスラ王国の民にある。殿下が国民のために公平な政治を行うのであれば、このジョゼフ・ウォルターは国民への忠誠を尽くしましょう」

 その瞳に全くの偽りはなかった。

 彼はリチャードを殺したエドワードを、リッツを憎んでいるだろう。でもそれを一時的にでも遠ざけ、国民の平穏を望んだ。

 コネルが命がけで、殺さないでくれと望んだ理由がよく分かる。この男はやはり王国の再建に必要だ。

「ジョゼフ・ウォルター」

「はっ!」

「貴官に私への忠誠は求めない。だが決して国民への忠誠を裏切るな。ユリスラという国家に住む、全ての国民への忠誠を尽くせ」

「御意に」

「もし国民への忠誠を裏切ったならば、国民を代表する者として貴官を処分せざる得なくなる」

「もとより覚悟の上です」

 ただ少々の不安は残る。

 もしこのユリスラが完全に平穏になった時、ジョゼフ・ウォルターというこの男は、いったいどこに向かうのだろう。

 それはもっと先に考えればいいことなのかもしれない。今は乱れた国を取り戻すことが最優先だ。

「ジョゼフ、貴官はスチュワートと戦えるか?」

 エドワードの代わりに、穏やかにジェラルドが尋ねた。ジェラルドは元々ウォルターの上官だった。

「はい。勿論です」

「スチュワートに忠誠心はないのかね?」

「スチュワートは、リチャード様を利用し続けていた。親王殿下の臣である私が忠誠を誓う必要はありません」

 もしかするとウォルターは、王位を望んだのかもしれない。リチャードの王位を。

 それならばスチュワートは倒すべき敵であるだろう。利害が一致すれば大きな戦力になる。

「王太子殿下、私にジョゼフの部隊を預からせて貰いたい」

 沈黙の中で申し出たのはジェラルドだった。ウォルターは言葉もなく眉を寄せる。そこにあるのはただジェラルドへの申し訳なさだった。王国軍最高司令官ジェラルドの元、ウォルターは欠くことのできない人間であったという。

「任せよう。モーガン侯」

「は」

「サウスフォード、ウォルター両指揮官と共に、シアーズ攻略を命ずる」

「御意にございます」

 深々と頭を下げたジェラルドは、ウォルターに微笑みかけた。

「両翼とも私が指揮を執る。いいかね、ジョゼフ?」

「……ありがとうございます、元帥閣下」

 ウォルターは深々と頭を垂れた。その頬を止めどなく涙が流れ落ちる。

 リチャードの死を思い、涙していることぐらいエドワードにも分かった。

 そしてその涙を流させたのがエドワードであることも。

 エドワードはウォルターから目をそらし、シアーズの大門へと目を向けた。

 まだ戦いは終わらない。

「行くぞ、リッツ」

 声をかけてきびすを返し、再びエドワードは戦場へ向かった。 

お読みいただきありがとうございました。これで燎原の烈風はおしまいです。といっても戦いの途中で終わってしまい、申し訳ありません。一応一つの戦いを、草原での全軍決戦と、市街戦に分けてみました(^_^;)

続きは来週からの連載になります。いよいよ戦いは王城へ!

お楽しみに!

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