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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
燎原の烈風
117/179

<11>

 その銅鑼の音は、戦場に鳴り響いた。

 王国軍は歓喜をもってそれを迎え、革命軍には不吉に鳴り響く。

 灼熱球で混乱する敵本隊に対し、一気に猛攻に及んでいた革命軍は、事態が一気に変わることを理解した。

 ここが正念場であると言うことも。

 その戦場でこれからやってくる脅威に対して正面に立ったのは、コネルだった。

 先ほどまで隣にいたジェラルドは灼熱球の爆発と共に、一部隊を率いてギルバートとの合流地点にむかってしまっており、もうこの場にいない。

 奇襲部隊から目をそらすためにも、ここで本隊が負けるわけにはいかないのだ。

「閣下、前方よりリチャードの部隊来ます!」

「分かっている。精霊使い部隊はどうした?」

「先ほど準備完了の合図がありました」

「分かった。では作戦を決行する」

 一気に熱を帯びてきた戦場で、コネルは大きく息を吐いた。馬上から見えるのは、敵陣に翻る王国旗だ。あの下にリチャードとウォルターがいる。

 前方で今までとは比べものにならない激しい鬨の声が上がった。あの気迫、最も精鋭揃いと言われるジョゼフ・ウォルターの部隊が迫っている。

「ジョゼフ……」

 つい呟いていた。

 愚かな男だ。あのような凶悪な男の何に心酔をしているのだ。あの男はただの野獣に過ぎない。

 それなのに王族だと言うだけのそんな男のために、結婚もせず、地位を望まず、金すらも女性たちの救済に使い、彼に何が残るというのだろう。

 才能すらも消費し、いったいどうしようというのか、コネルには分からない。理解ができない。

 リッツならウォルターの執着が分かるかもしれないなとふと思った。考えてみれば、あいつも狂っている。従う対象は天と地ほど違うが、相手への妄信的な心酔は同じだろう。

 まあ、エドワードは残虐な暴君になりようのない男だが。

「閣下! 伝令より連絡です。アンティル軍総勢八千が我々の右翼に付いた模様」

 ヘザーの声が耳に飛び込んできた。ルーイビルとの戦闘の結論が付いたようだ。それならばエドワードとリッツはもう次の行動に移っているだろう。

「了解。部隊を指揮しているのは自治領主殿か?」

「いえ。ジェイムズ・ガヴァン卿です」

「……ジェイムズ・ガヴァン?」

 聞き慣れぬ名だ。

「アンティルの貴族か?」

「革命軍ではベネットと名乗っておられました」

「ほう……」

 そういえばパトリシアと一緒にベネットがアンティルに出向いたのだった。ギルバートがなにやら曰くありげなことを口にしていたが、こういうことだったらしい。

「ベネットは軍の指揮が執れるのか……」

 呟きは戦場の音に紛れて消えてしまう。

 アンティルが新たな指揮官を受け入れているのならば、コネルの口出しするところではない。

 最も本隊のみで手一杯のコネルがそこまで手を伸ばせるはずもない。

 小さく息をつくと、髪をかき混ぜた。粘ついた感触が指に絡む。先ほどから剣を振り通しだ。浴びた返り血が固まりかけているのだろう。

「アンティルは放って置いてよさそうだな」

「はっ!」

 槍を振るい続けるドノヴァンに声をかける。

「では次の作戦はどうだ?」

「間もなく発動します」

「分かった」

 答えた途端、目の前で戦列が一気に崩れた。

「リチャードが来た! リチャードがいるぞ!」

 口々に叫びながら、兵士がこちらに逃げてくる。崩れて行く兵士たちの中に平然と立ち止まりつつ、コネルは愚痴った。

「……逃げ足ばかり早くなるな、我が軍は」

 何だか戦闘開始からこんな事ばかりしている気がする。作戦を立てた張本人のエドワードに嫌みを言いたいが、この場にいないから仕方ない。

「戦力がない分足で稼がないといけませんからなぁ」

 当然のようにドノヴァンが頷き、チャックが苦笑する。

「本当に貧乏性ですな、我々の殿下は」

「元々農民だ。仕方ない」

 ばっさりと切り捨てると、三人の部下に睨まれた。

「閣下!」

「分かってる。殿下もこれぐらいの嫌みでお怒りに成られる方じゃないだろうが」

 ちょっと文句を言ってみただけだ。もしエドワードがいたら当たり前のことだという顔で、平然と笑うだろう。

「まったく、殿下たちのことを考えると胃が痛む」

 つい愚痴ってしまった。

 エドワードとリッツ、及び騎兵隊の一部は、アンティルへ行った後、戦場を大きく迂回して王国軍の前に出る。つまりリチャードたちの部隊の後ろに回るつもりなのだ。

 だがそれはリチャード軍を後方から叩くという意味ではない。彼らが狙うのは、スチュワートの天幕である。

 目立つ天幕の中で苛々しながら戦争見物をしているであろうスチュワートに奇襲をかけようというのだ。

 当然彼らだけでは数がとても足りない。その戦力をどう増やすのかというと、ランディア側にいるギルバートの傭兵部隊と、ジェラルドと共にいる元グレイン騎士団の面々で一つの部隊が構成されることになっている。

 総勢たった二百の軍勢だ。

 これが有利なわけがない。この軍勢にはエドワード自身も入っているのだ。

 切り札を奇襲に使うような作戦立案をする馬鹿がどこにいるんだ、と呆れずにいられない。怖いことに、それを成功させてしまうだけの戦力が彼らにはあるのだ。

 確かに兵士数十人よりも、ギルバート一人の方が格段に強いし、リッツもギルバートには劣るがその戦力は桁違いだ。ジェラルドとエドワードも腕の立つ剣士である。おまけにソフィアが共にいる。

 戦力だけで言えばこの四人とソフィアで、戦闘経験に乏しい平民の歩兵数百名をも上回る。

 だが何しろこの革命の核となる四人だ。何かあったら大打撃だと分かっているのだろうか。

「まったく。無茶をする」

 呟くと、コネルは前方を見据えた。逃げる演技で後方に下がった中に、指揮官たちを見いだした。

 約五千人ずつ十隊に分かれたそれぞれの部隊に指揮官が一人ずつ。その指揮官のほとんどが、コネルと共に戦場を戦ってきた者たちだ。

 ギルバートやリッツのような化け物じみた戦力を期待することはできずとも、それぞれ皆実力を備えた軍人だ。

 彼らがいるのに、負けるわけがない。

「親王護衛の騎兵隊、来ます!」

 緊迫したチャックの声に、コネルは間髪入れず手を振り上げた。

「放て!」

 決まれ、これでようやく同等に戦える。

 戦場の中心から悲鳴が上がった。

 人の叫び、馬のいななきが激しく響き渡る。

 途端に地割れが革命軍側から王国軍へと縦に地を走ったのだ。

 兵士たちの重みで次々に地面はひび割れ、騎兵は次々に体勢を崩して行く。響き渡った悲鳴は、彼らの口から発せられる断末魔だった。

 親王の部隊のほとんどが騎兵である。それはアーケルの戦いで確認済みだ。それならば足場を崩してしまえば、簡単に兵力を削ぐことができる。

 これを見越して、ソフィアに派手に暴れて貰う間、精霊部隊をこっそりこちらの前戦に戻していたのだ。

「怯むな! 前へ!」

 敵指揮官の声が響く。ジョゼフ指揮下の平民、及び改革派の下級貴族たちだ。中には見知った顔もある。

「……同士討ちの気分だな」

 ついそうこぼすと、チャックが悲壮な顔で小さく頷いた。コネルは奥歯を噛みしめる。

 今それを口にしてどうする。部下を不安にしてどうするか。

「それでも俺たちは勝つ。勝たねばならん」

「はっ!」

 短く答えたチャックから戦場へと目を向ける。馬が倒れたものは、馬を下りて歩き、立てぬ者は無情にも後方からの味方に潰されていく。

 かつての仲間を助けるためには、倒すしかない。矛盾しているようだが、そうするしか戦いを終わらせる手がない。

 再び戦場を見据えてコネルは手を振り上げた。

「……第二波、放て!」

 戦場の中心が大きくくぼんでいく。蟻地獄と呼ばれる土の精霊魔法だ。

 一斉に逃げ出す演技で後退する前、革命軍がいた場所に敵から見えないよう細工をしておき、発動させたのである。

 見る見る間に騎兵は意味を成さなくなっていく。一度そこに落ちた者は、馬を下りて自力で歩かぬ限り這い上がれない。

 折り重なる兵士の山に向かい、コネルは左手を挙げた。

「反撃!」

 コネルの一声で逃げていた兵士たちが一斉に転身して反撃に転じた。温存していた弓兵が、蟻地獄の中で体勢を立て直そうと必死な騎兵を打ち抜く。

 悲鳴と共に、馬上から次々に人が落下した。

 見る見る間に、戦場は血に染まり、屍の山がうずたかく重なっていく。

「手を休めるな! この機会を逃せないぞ!」

 味方の叫びが谺する。

 だが王国軍の軍勢は、足を止めることはなかった。倒れた者を乗り越え、死した兵士を踏みつぶし、血塗られた草原を進み来る。

「親王殿下の御前だ! 怯むな!」

 前戦に立つ指揮官たちが、兵士を鼓舞する。見る見る間に軍勢が新たな形にくみ上げられていく。

「さすがに崩れないか……」

 軽く舌打ちしてからコネルは剣を構えた。

 ここからは何の策もいらない。

 正面切っての殺し合いだ。

 敵の数は策略で減らした。正面から戦えるように兵士たちの訓練をした。そして革命軍本隊の数は、ウォルター率いる部隊三万より、数の上では勝っている。

「さてさて、戦いが終わった時、地に立ってるのは俺かな、ジョゼフかな」

 コネルは剣を抜き構えた。

「突撃!」

 コネルの左手が閃くと同時に、王国軍本隊が一斉に向きを変え、敵陣へと攻撃を開始した。

 コネルも率先してその戦いに身を投じる。

 馬を失った兵士たちは歩兵に任せ、コネルは無事な騎馬兵へと挑みかかった。

 馬上で使うのに有利な長剣は、罠を乗り越えた兵士たちを容赦なく切り伏せる。

「怯むな! 我らには王太子殿下がおられる! 恐れることはない!」

 兵士を鼓舞するように怒鳴ると、歓声が上がった。やはりエドワードの人気はありがたい。大いに利用させて貰うこととしよう。

 指揮官たちもそれぞれの部隊を鼓舞し、革命軍は更なる士気を手に入れた。

 これが最後の戦いだ。これに勝てば、この国が変わる。

 そうなれば、友は救えるか?

 野獣の檻の中から。

「閣下!」

 目の前に迫っていた敵が、一瞬にして命を失った。その腹には深々とドノヴァンの槍が突き立っていた。

「何をぼんやりしておいでか。死ぬつもりですか、閣下」

 冷淡なドノヴァンに、コネルは肩をすくめる。

「先のことまで読み過ぎた」

「は?」

「今は目先のことを考えることにしよう」

 とにかく勝たねば、考えても無駄なことだ。それにここでリチャードを引きつけておかねば、エドワードたちの作戦が無駄になる。

「ヘザー、王国旗はどこにある?」

 まずリチャードの場所をみつけねばならない。

「ここから正面、まだまだ先です」

「とにかく敵を蹴散らせと言うことだな?」

「その通りです、閣下」

 まだ敵は遠い。とにかくこの三万を蹴散らさねばならない。

「本隊第一隊から三隊は、正面三万に当たれ! その他本隊も気を抜くな!」

 指示を出しながらも、コネルは剣を振るった。

 突出しすぎぬように計算しつつも、前戦で剣を振るうことで、本隊兵士たちの士気が上がっていく。 これもコネルの役割だ。

 目の前にコネルが身につけているのと同じ軍服を着た屍体が積み上がっていく。

 チャックの剣と、ヘザー、ドノヴァンの槍も、コネルの周囲で敵を蹴散らしていく。

 馬鹿げている。

 王国軍同士で戦うなんて、馬鹿げている。

 こんな戦い、今すぐにでも終わらせてやる。

 正面から、勝敗を決する戦いが始まった。



 

「作戦開始」

 親王の部隊が真っ直ぐ革命軍本隊へ向かったのを確認してから、エドワードは先陣を切るソフィアとマルヴィルに命じた。

「はっ!」

「はいよ」

「頼んだ」

 二人が恭しく頭を下げてから一気に天幕前に展開する王国軍に向けてかけだした。

 それに続くのはたった二百の軍勢だ。

 だがこれが革命軍最強の力を持つ、ダグラス隊と元グレイン騎士団だ。

「燃えさかれ炎! 火球!」

 ソフィアの言葉と同時に、火球が打ち込まれた。灼熱球には到底及ばないが、後方からの突然の攻撃が敵に与えた効果は絶大だった。

「敵襲! 敵襲だ!」

 兵士たちの絶叫が響き渡る。

「退路を断たれるぞ!」

 恐怖に満ちた叫びが戦場を駆け巡る。後方へと攻撃を切り替えようとするも、大軍の中にいては混乱状態で、益々戦場は乱れる。 

「遅いよ! 炎の矢!」

 ソフィアの手のひらから次々と繰り出す技が、兵士たちの混乱に拍車をかける。

「助けてくれ!」

「やめろっ! こちらに来るな!」

「落ち着け! 陣形を整えるんだ!」

 逃げ惑う人々は、だが次の瞬間には地に倒れ伏していた。ダグラス隊が戦場に突入したのだ。

 その力は圧倒的だった。

 まるでそこに赤い壁ができたのかのように、ダグラス隊の立つ前戦は一瞬にして炎と血飛沫に支配されていく。

 前方の混戦を眺めていたスチュワート直属の部隊は、今までの静けさが嘘のように阿鼻叫喚の嵐に包まれた。

「何故だ! どこから……」

 そんな叫びがあちらこちらから上がり、すぐに悲鳴に紛れて聞こえなくなる。

 歩兵であるダグラス隊の後方から、マルヴィル指揮下の騎兵が襲いかかった。

 逃げ惑う人々とは対照的に、縦横無尽に戦場を駆けるその姿は華麗ですあった。乗り手たちは流れるように人を斬り、槍を振るう。

 軍のセオリーとして前方に騎兵が置かれているから、この軍の後方に騎兵はいない。後方からの攻撃に、歩兵ではひとたまりも無い。

 無言で戦場を見つめていると、天幕内が慌ただしくなった。国王を守る近衛兵たちが、天幕の前方に集められているのだ。

「頃合いだな」

 呟くと、隣にいたリッツも頷いた。

「そろそろ行く?」

「ああ。ギル」

 名を呼ぶと、すでにギルバートは大剣を構えていた。片方だけの琥珀色の瞳が、物騒な色を湛えて輝いている。

「行くか?」

 短い問いかけに頷く。

「頼む」

「よし、行くぜ」

 百五十センチはあるという、ギルバートの大剣が重さなど感じさせないほど優雅に目の前で翻り、風音を立てる。

 瞬く間に天幕が切り裂かれ、そこに入口ができあがった。天幕内から恐怖の悲鳴が上がり、人々の恐怖の視線が一斉にこちらに向けられる。

「何事だ!」

 叫んだ声は老年だったから、大臣のファーガスかもしれない。だがもう天幕内は混乱に陥っており、誰が誰なのか区別は付かない。

 天幕を切り裂いた張本人のギルバートに続いてジェラルド、リッツが天幕に足を踏み入れた。悲鳴は更に大きくなる。

 ここに集う人々にとって、ギルバートとジェラルドはエドワード以上の恐怖の対象だ。

 エドワードは一番最後に続く。

 そこには酒宴の席と、取り残されたのか半裸で怯える踊子たちの姿があった。ずかずかと奥まで入り込むギルバートとジェラルドの後に付いていたリッツが、踊子たちに笑顔を向けた。

「ここ危ないよ。後ろから逃げた方がいい」

「……逃げてもいいの?」

「当たり前じゃん。エドを暗殺しようとか思ってるなら別だけど?」

 からかうようなリッツの口調に、女たちは慌てて首を振ると、我先にと天幕から飛び出していった。

「これでよしっと」

 女たちが天幕から逃げていくのを確認したリッツは満足げに頷く。何だかんだと言っても、リッツは女性に弱い。敵陣にいたからといって無為に手をかけたりは絶対にしない男だ。

「優しいんだな」

 からかうとリッツはむくれた。

「うっせー。将来俺と遊んでくれるかもしれない女には親切にしておくに限るんだよ」

「また悪ぶって」

「悪ぶってねえし!」

 小声でもめていると、ギルバートの声が耳に飛び込んできた。 

「豪勢な宴会だな。祝勝会か? 勝者の俺も招いて欲しいね」

 ギルバートが悠々と大剣を肩に乗せながら、その場で凍り付く人々に笑いかける。

「ギルバート・ダグラス……」

 呆然と呟いたのは、スチュワートだった。幾度か見た事のある端正なその顔は、いつものように自信に満ちておらず、恐怖で醜く引きつっている。

「おお、スチュワート王太子殿下。久しぶりですな。この片眼を潰してくださった時以来ではありませんか?」

 一歩、また一歩と、ギルバートがスチュワートとの距離を縮めていく。怯えたスチュワートはこのままでは殺されることに気がついたのか、思いも寄らない速度で近くにいた部下たちの後ろに回った。

 押し出されてきたのは大臣ファーガスだった。真っ白な髪と同じように、血の気の引いた顔でこちらを見ている。唇が震えているのが分かった。

「ダグラス中将、へ、陛下の御前であるぞ」

 なけなしの気力を振り絞った言葉だったが、ギルバートはあっさりとその言葉を否定する。

「王を僭称しているのだろう?」

 挑発するギルバートに、スチュワートの動きが止まった。

「……僭称だと?」

 ファーガスの背に隠れていたスチュワートの口調が震えている。

「僭称と言わなければなんと? 先王はエドワード王太子を唯一の後継者に指名しているだろうが」

 せせら笑うギルバートに、怒りか恐怖なのかうわずった震え声が感情的に叩き付けられる。

「余はずっと王太子であった! 王太子を僭称しておるのは、お前だろう、エドワード!」

 憎しみに満ちた瞳がこちらを見据えた。その目をじっと見返す。

 半分同じ血が流れる兄を、正面から初めて見た。

 確かに造形は美しい。真っ直ぐに流れ落ちる金の髪は、薄暗い天幕内にあっても微かに光を放つように輝いている。

 見た目なら国王としてふさわしいと言われるその姿は、若かりし日のイーディスによく似ていると言われる。

 イーディスを一度しか間近で見た事のないエドワードには分からないが。

 だが怯えに支配された目をし、エドワードへの憎しみを募らせるこの男は、自分の意に従わぬ者を簡単に処刑し、全てを恐怖によって従わせようとする者だ。

 これが血を分けた兄なのだ。

 横でリッツが無言のまま剣を構えた。ジェラルドも数歩先で剣を抜いた。

 エドワードも迷い無く剣を構えた。

「初めまして、兄上」

 剣を構えたまま微笑むと、スチュワートは怒りのあまりか小刻みに身体を震わせた。

「兄上だと……?」

「残念ながら、あなたとは血が繋がっている。兄上と呼ぶほかないだろう?」

 静かに笑みを浮かべて言葉を返すと、スチュワートはその美麗ともいえる顔を、醜悪に歪めた。

「下賤な平民の血を引く者に、兄と呼ばれる筋合いはない! 余は国王だ。シュヴァリエ公爵家の血を引く、生粋の貴族であり、なるべくして選ばれた国王だ!」

 この期に及んで身分を誇るスチュワートに苦笑する。天幕に侵入を許した態で、いったい何を誇っているというのだ。

「違いますな、兄上。あなたは先王を毒殺した反逆者だ。王位を僭称しているに過ぎない」

「何だと?」

「私は父上に唯一の王太子として認められ、精霊族に誠の王として認められた。あなたとは違いますよ、兄上」

 相手を挑発しつつも、エドワードは視線を配った。天幕に侵入しようとしている兵士が増えている。貴族たちも剣を抜いている。

 あまり時間をかけるべきではない。天幕を包囲されたら面倒だ。

「あなたが父上から奪った王位を返していただこう。その身をもってだ」

 いいながらエドワードは一気にスチュワートとの間合いを詰めた。剣を振るった瞬間に、スチュワートの身体はそこにはない。

 代わりに立ちはだかった貴族の剣が、突き出された。軽くそれを避けると、その貴族を切り伏せた。

 美しく飾られた天幕の、豪華な食卓が、一瞬にして赤く染まる。

「ファーガスっ! この無礼者を討ち取れ!」

「御意に」

 大臣ファーガスの指揮の下、数人の兵士が立ちはだかった。近衛の制服を身に纏った彼らは、皆屈強な身体を持っている。

 彼らを壁に、スチュワートは更に逃げ、更に後方にいた王国軍総司令官に叩き付けるように命じた。

「ローウェルっ! こやつらを生きて天幕から逃がすな」

「はっ!」

 だが彼らが身構えるよりも先に、ギルバートの大剣がうなった。

 重さと恐ろしい切れ味を持つ大剣は、撫でるように空を舞うだけで、人々の首を胴体から簡単に切り離す。

 今まで表情を持っていた生首が床に転がり、無表情に天幕の天井を見つめる光景に、貴族たちの呻き声と、情けない悲鳴が上がる。

 その中で最も恐怖に身を震わせていたのは、本来ならば率先してこの場を治めねばならぬはずのスチュワートだった。

「何をしておるか! 殺せ! 偽王太子を殺せ!」

 悲鳴のような叫びが、貴族たちの間から聞こえて来た。

 すでにスチュワートは兵士たちの間に紛れている。自分が戦うつもりはないようだが、逃げ足だけは異常に速い。

 追おうとしたが、ファーガスたちによって、十重二十重にも兵士たちに取り囲まれていた。

 幸いなことにその兵士の大半が貴族の子息であるらしく、戦場を経験していないのか切っ先が震えている。

 人に殺される恐怖を、今初めて味わっているのだろう。自分が平民を、力の弱い者を殺すことはしてきただろうに。

「リッツ!」

 隣の友を呼ぶと、リッツは頷いて貴族たちの中に斬り込んでいった。貴族たちを切り伏せながら友の背を追い、狭い天幕の中で背中合わせに立った。

 気がつけば背中にリッツ、左右にギルバートとジェラルドがいる。すっかりと取り囲まれてしまったようだ。

「多勢に無勢だ! いくら剣でならしたお前たちでも、この包囲を逃れられまい!」

 勝ち誇ったファーガスに何も答えず、エドワードは小さく息をついた。スチュワートの姿はすでに兵士たちに紛れているようだ。

 本人は本当に何もしないつもりらしい。噂通り、全てが人任せなのだろう。

 だとしたらこの状況でスチュワートはどちらに逃げたか……。

「作戦通り?」

 小声で聞いてきたリッツに頷く。その見当はもう付いていた。逃げたスチュワートを追う算段もだ。

「んじゃ、もう戦ってもいい?」

「ああ。存分に。但し、スチュワートを逃がすな」

「了解!」

 返事と同時に背中からリッツの気配が消えた。次の瞬間に上がったのは敵の断末魔の叫びだ。

「どけっ! 邪魔だ!」

 目の前の敵をいとも簡単にリッツは屠っていく。

 天幕の中にいたのは貴族たちが大半だ。スチュワートに武勇を見せつけようとしてかかってくるが、一瞬にして血に沈む。

 そもそもここに居るのは革命軍の中でも上位の剣技の使い手ばかりだ。戦いに縁遠い貴族などが束になってかかっても、歯が立つわけがない。

 現にギルバートの周辺からは、生きた人が徐々に消え、死者の数だけ増えていた。何十人という貴族たちもかなり数を減らし、徐々に人垣が薄くなっていく。

 ジェラルドもギルバートほどではないにしろ、足下に倒れる屍体の数は少なくはない。その上、彼らは全くの無傷だ。

 近くの敵を数人切り伏せて友を伺うと、剣を振るうリッツに合わせて、少し伸びた黒髪が激しく揺れている。

 柔軟な身体が敵兵のただ中で舞うように回転し、身体の一部のように剣を滑らかに振り回すリッツの剣技は一種の芸術のようで見事だった。

 馬上にある時は半分も力を発揮できないというのは本当だ。足が地についていてこそ、リッツの剣技は最大限の効力を発揮する。

 リッツの強さに今更ながら気がついた貴族たちが、ようやく集団でリッツに襲いかかる。

「王太子に従う犬を討ち取れ! 自由にさせるな!」

「犬って言うなっ!」

 冗談のようなリッツの口答えと同時に、回りの兵士たちから一斉に血飛沫が舞い散る。

 人々が倒れ伏した中央には、軽く膝を折り、彼らを切り伏せた剣の血を払うリッツの姿があった。

「失礼な奴らだな」

 文句をいいながら立ち上がったリッツと同時に、大きな笑い声が響いた。

「誠の王に曇り無き忠誠。あれだけ懐いてりゃあ、そりゃあ犬だろうよ」

「ギルっ! うっせぇ!」

 師弟のやりとりの応酬は、ふざけ合っているようなのに、回りには屍体の山が休むことなく築かれていく。

 現在この王国で最強の師弟だろう。おそらくもうリッツには、ギルバート以外誰もかなわないだろう。

「怯むな! 如何にダグラスだろうが、一斉にかかれば勝機はあるっ!」

 ローウェルの叫びがきっかけになったように、周囲の人垣が一斉に輪の中に残っている三人に向かってきた。

「ファーガス公、後方へ!」

 必死の形相で剣を握っているのは、総司令官のローウェル侯爵だ。彼はアーケルの戦いで惨敗しているから、ここで失態があればもう次がない。

「偽王太子風情がっ!」

 血走ったローウェルの目が、エドワードを捕らえた。味方を押しのけてエドワードに突進してくる。

「お前のせいで……お前のせいで……っ!」

 振り上げたローウェルの剣を、エドワードは受け止めた。

「私のせいでどうしたというのだ、ローウェル侯?」

 剣越しに笑みを浮かべると、ローウェルの顔が歪んだ。

「私のせいで、侯は何か不利益を負ったのか? 違うだろう。アーケルの戦いで侯が負けたのは、私の戦略を侯を上回ったからだ」

「下賤な庶子風情が王位を欲するなど、決して許されぬわっ!」

 打ち込んできたローウェルの力任せの剣を、幾度か打ち合いながらもエドワードは受ける。

「お前のせいで……お前のせいでっ……」

「お前の家族が拷問を受けたか?」

 ローウェルの剣が一瞬止まり、次の瞬間猛攻に転じた。だがエドワードも剣の使い手だ。その程度では揺るぎもしない。

「お前たちが平民にしてきたことだ。身内を拷問されたからと言ってその怒りを私に向けるのはお門違いだな」

「なっ……」

「自らの身を哀れむ前に、民を哀れみ、慈しめばよかったのだ。ただ……手遅れだったな」

 一瞬の隙をみて、エドワードは剣を払った。微かに体勢を崩したローウェルの腹を、真一文字に斬りつけると、大量の血飛沫が噴き出す。

「おのれっ!」

 叫び声も血の中に沈み、ローウェルは血だまりに内臓を撒き散らす。

「おのれ……おのれぇ……」

 血だまりで立ち上がろうともがくローウェルも、徐々に動きを止めた。間髪入れずに襲いくる敵を同じように切り伏せていく。

 アーケル草原の戦いの後、王都ではその責任を身内への拷問で取らせたようだ。リチャードがあの状態まで陥ったのだ、責任の所在は必要だっただろう。

 だが……。

「どこまでも腐っているな……兄上」

 エドワードは周囲を見渡した。ここまで来たのだ。スチュワートに逃げられることだけは避けたい。

 また一人を切り伏せてから、囲いの外で奮戦するリッツに怒鳴る。

「リッツ! スチュワートを逃がすな」

「分かってる!」

 同じように怒鳴り返す声と同時に、敵の身体が宙を舞った。力任せのリッツの剣技が決まったのだろう。

「エド!」

「どうした?」

「偽王が逃げた! 天幕の奥だ!」

 リッツが剣を手に、ギルバートが切り裂いた天幕の奥へとかけだしていく。

「大臣も逃げた! 追うから!」

 声が遠ざかっていく。リッツは許可も求めず、すでに彼らを追いかけているようだ。

「すでになりふり構わないか」

 天幕正面まで逃げ、近衛と共に王都に落ち延びるだろうと思っていた。まさか数人だけで天幕の後方に逃げる勇気があるとは思わなかった。

 すぐにリッツの近くに行き、共にスチュワートを追うべきだ。僭称していても王を名乗る者を、野放しにするべきではない。

 今後エドワードの力で平穏を取り戻したユリスラに、反乱の旗印としてスチュワートを使われるとやっかいだ。

「ジェラルド、ギル、後方に逃げた!」

 エドワードの声に、丁度敵を数人まとめて切り捨てたギルバートが、大剣を振って軽く血を払う。

「……へぇ。よほどびびってるな」

 呆れ果てたようなギルバートの言葉に、ジェラルドが苦笑する。

「もうそろそろ頃合いだろう」

「了解した。仕方ねえ、裏から奴らを捕縛に行くか」

 その言葉と同時に、ギルバートは次々に湧いてくる敵兵を無視して、後ろを向く。

「さ、逃げるぞ」

 その言葉とほぼ同時に大剣を背負うとさっさと駆けだしてしまう。エドワードも剣を納め、その後を追った。当然ジェラルドもそうしている。

 ギルバートと並んだエドワードは、後ろから追ってくる兵士たちの怒号に負けぬようにギルバートに怒鳴った。

「逃げるふりばかりさせて悪いな、ギル」

「なんの。本当に逃げるよりははるかにましさ。それに逃げるのが不名誉なんて考え、傭兵にはねえ」

「ありがたいよ」

 天幕の裂け目を飛び出し、ギルバートは再び敵に向き合った。天幕から出ようとする兵士に斬りかかったのだ。天幕の中は敵で溢れ、天幕の外からの敵が徐々に押し寄せてくる。

「ジェリー、殿下、代わってくれ!」

 ギルバートに楽しげに微笑まれて、エドワードは再び剣を振るう。ジェラルドも同じように戦う。

「さてと」

 呟いたギルバートが懐から取り出したのは、細長い薄布が取り付けられた小瓶だった。小さな赤い石がコロコロと液体の中で揺れている。

「それが?」

 敵を倒しながら尋ねると、ギルバートはいたずらをする子供のように笑った。

「ああ。傭兵特製の火炎瓶さ」

「へぇ……」

 懐から出したマッチで薄布に火を付けたギルバートは、それを天幕の中に放り込んだ。敵兵はその瓶を不思議そうな目で見て、拾おうと手を出す。

 次の瞬間、床に落ちたガラス瓶が割れ、爆発と共に激しい炎と煙が吹き出した。

「! これは!」

「燃える……燃えている!」

 兵士たちの動揺が、天幕の中を更なる混乱状態に陥らせた。後から後から押しかける兵士たちは後ろに引くことはできない。かといってギルバートの切り開けた狭い出口から出ることもできず、なすすべもなく炎に包まれていく。

「狼煙は上げたぜ」

 笑みを浮かべたギルバートが、振り返った。次の瞬間に炎の弾が着弾する。この狼煙を合図に、ソフィアが炎の弾を天幕に撃ち込む手はずになっていたのだ。

 あっという間に天幕は炎に包まれる。エドワードは天幕から静かに離れる。

「火を消せ!」

「早く消すんだ!」

「何をしているか!」

 叫んでいる貴族の姿も、焼かれていく他の貴族たちの姿に呆然と立ち尽くしている者もいる。だが火は一向に勢いを弱めなかった。  

 まるで巨大な柱のように燃え上がる炎から逃げることすらできず、生きながらにして焼かれる人々の断末魔が響き渡り、この場所を悪夢の空間に仕上げていた。

 残酷だ。

 そう思わずにはいられない。だが剣で斬り殺すのも同じだ。死とはそういう残酷なものなのだ。

 戦場でそれに心を痛めていたら、前に進めなくなる。

 小さく息を吐き、エドワードは顔を上げた。

「スチュワートを追う!」

 エドワードは迷い無く繋がれていた馬に駆け寄った。徒歩で追うよりずっと早い。それに馬ならスチュワートを大門に入る前に捕まえることができる。

 ギルバートとジェラルドを待たずに駆けだし、前方を見る。

 すでに少し先に行っているリッツは、スチュワートのほんの数人の取り巻きと戦っていた。大臣以外、最後に残したのは手練れだったのか、今まで通り簡単に討ち取れてはいない。

「リッツっ!」

 名を呼びながら戦場に突入した。勢いを付けたまま剣で敵を貫く。

「エド!」

 嬉しそうにリッツは目の前の敵を切り伏せた。

「早く倒して追うぞ!」

「了解!」

 如何に手練れといえど、リッツとエドワードのコンビならば敵ではなかった。たかだか十人に満たない兵士たちは見る間に討ち取られていく。

 その間もスチュワートとファーガスは遠ざかる。

「エド! スチュワートを!」

 リッツの声に頷く。

「分かっている!」

 スチュワートを捕まえる。これで終わりだ。

 馬首を返し、再びスチュワートを追おうとしたその瞬間、戦場に似つかわしくない恐ろしいほど冴え冴えと冷えた声が聞こえた。

「そうはさせません」

 すっと、真横を闇がよぎった。頬に微かに触れたその感覚は恐ろしく冷たい。

「……何だ?」

 得体の知れないものに触れた。そんな感覚だ。

 次の瞬間、悲鳴を上げたのはリッツだった。

「うわぁぁぁぁっ!」

「……え……?」

 振り返ったエドワードが見たのは、無数にうねる漆黒の闇に巻き付かれたリッツだった。闇はリッツの頭を飲み込むように包み込んでいく。

「リッツっ!」

 馬上から飛び降り、エドワードはリッツに駆け寄った。剣を取り落とし、リッツは両手で頭を抱えて呻いていた。

「何だこれ、何なんだよぉぉぉぉっ!」

「リッツ、しっかりしろ、リッツ!」

 表向き傷はない。怪我もしていない。だがまとわりついた闇はしっかりとリッツを飲み込もうとしている。

「やめろっ……やめろっ……っ!」

 苦痛に満ちたリッツの悲鳴が響く。

「頼む……やめてくれぇぇぇえぇっ!」

 聞いたことがないリッツの悲壮な叫びにエドワードは愕然とした。

「……貴様……何をした……?」

 拳を握りしめ、エドワードは男を見上げる。怒りが全身を駆け巡る。

「俺の友に、何をした!」

 掴みかかろうとしたエドワードを止めたのは、追いついてきたジェラルドだった。

「落ち着け、エド!」

「でもっ!」

「戦場では冷静さを失った者から死ぬ。忘れるなといったはずだ!」

 久しぶりに聞く厳しい言葉に、エドワードは唇を噛んだ。目の前にのたうつ友の姿がある。苦しみに身体を震わせ、地面を這う友を力を込めて抱き留める。

「リッツ、おいっ!」

 何が起きている? 何をされたんだ?

 混乱するエドワードの耳に、冷淡な声が聞こえた。

「リッツでしたか? 彼には闇が多すぎる。純血種の光の一族ではありませんな」

「……何?」

「おそらく半分は闇の血を引いているのでしょう」

 エドワードは相手を睨み付けていた。それはリッツの最大の秘密のはずだ。何故この男にそれが分かったのだ。

「何故それを……」

「分かるものですよ、同族はね」

「……同族……?」

 眉を寄せながら目の前の男を見据える。

 ユリスラに多い薄茶の髪、白い肌、そして緑色の瞳……。ユリスラ王国人にしか見えない。

「お前はいったい……」

 呻いたエドワードを無視するように、男の目はエドワードの肩を押さえているジェラルドに向いた。

「お久しぶりですな、モーガン侯」

「……ジェイド・グリーンか」

 ジェラルドの呟きにエドワードは目を見開いた。

 ジェイド・グリーン。

 イーディスの愛人にして、現王国宰相。

 そして……パワーバランスが崩れると、謎の言葉でグラント・サウスフォードを解放した男。

「お前はいったい何者だ? 何を考えている?」

 ジェラルドの問いかけに、グリーンは声を出さすに笑う。

「私は私の主のために」

「イーディスのためか?」

「まさか。ユリスラの人々などに興味は無い。私の国と我が主のために、この国を富ませすぎる訳にはいかないのでね」

「……国のため? フォルヌか?」

 ジェラルドが口にしたのは、戦いを繰り返してきた隣国の名だった。だが男は薄ら笑いを浮かべた。

「まさか。あのような粗暴な国、我が国には到底及ばぬ」

「リッツの闇と同族と言ったな。ではまさか……」

 ジェラルドの言わんとしていることが分かった。エドワードの背に戦慄が走る。

「ゼウムか……?」

 光の一族という名を持つリッツたちの一族と敵対する闇の一族。

 ゼウム神国を支配する一族だ。

「その通りですよ。モーガン侯」

 平然とグリーンは笑う。

「目的の大半は終わりました。全ては我が闇の精霊王の御心のままに」

「イーディスを利用したのか?」

「利用? シュヴァリエ家の欲望は本物だ。私はそれを少々手助けしたに過ぎない」

 イーディスの裏にいて、ただ愛人としてイーディスに入れ知恵を繰り返していたのは、この男だったのか。シュヴァリエ家もこの男を知っていたのだろうか。

「何故……ユリスラに……」

「強すぎたのですよ、ユリスラは」

 意味の分からぬことを当たり前のようにグリーンが告げる。

「意味が……」

「大陸全ての国家を適度に管理し、我が国の安全を図るのが私の使命。力を持ちすぎた国家は我々の害になるから弱める。それだけのことです。貴方たちには一生分からないでしょうが」

 そういうと男は手をひらりと閃かせた。その手の上に巨大な水の弾ができあがる。水の弾はグリーンの手から意思を持った生き物のように飛び立ち、燃えさかる天幕の炎を消す。

「もうイーディスの時代は終わる。この戦いは長くは続かん!」

 真っ直ぐにグリーンを見据え、ジェラルドが宣言した。だがグリーンは全く動じない。

「でしょうな。もう興味もありませんよ。全く哀れで醜い女だった」

 イーディスもこの男に利用されていたのだろうか。愛情と引き替えに。

「だがまだスチュワートは私の手駒として必要なのですよ」

 言葉と同時に、目の前に闇の塊が突如として生まれる。リッツと同じ技を食らうのか、そう思った瞬間、その闇は霧消した。

「闇の精霊魔法……か」

 同時にグリーンもその場から姿を消し、前方に逃げていたスチュワートとファーガスの姿も消えていた。この二人を逃したのは、完全に失敗だった。

「……逃がしたか……」

 悔しげにギルバートが馬上から呻いた。

「ギル」

「闇の精霊使いだ」

「ああ。初めて見た」

「タルニエンには死ぬほどいるぞ。闇の一族がな」

「……そうだったな」

 大陸東北部にあるタルニエン共和国は、唯一ゼウム神国と国境を接する国だ。

 ユリスラの隣国リュシアナ王国連合とゼウムも大陸内で並んではいるが、エネノア大陸中央山脈を挟んでいるため接してはいない。

 タルニエンとゼウムの国境は当然戦場だった。ダグラス隊の本来の居場所はそこだ。

「まさか闇の一族が黒幕とはな……」

 ギルバートの呟きに小さく頷く。いったいこの戦乱の先に、何があるというのだろう。

「おいエドワード、馬鹿は生きてるか?」

 ハッとしてリッツを見ると、リッツはすでに呻くことを辞めていた。横たわり身動き一つせず、ただその目は見開かれたまま何も映していない。

「リッツ?」

 呼吸はある。脈もある。ただ、目を見開いたまま、意識だけがない。

 ゆっくりと闇がリッツの頭の周辺を漂い、渦巻くように取り囲んでいる。時折息づくように、何かを求めるように触手のように闇が手を伸ばす。

 リッツは……このままなのか?

 このままリッツを失うのか?

 足下がなくなったかのような喪失感が襲ってきた。何かに縋らなくては倒れそうだ。

「おい、リッツ、リッツっ!」

 縋ったのは、倒れ伏したままの暖かなリッツの身体だった。服を乱暴に掴んで揺する。

「起きろリッツ! 起きてくれ! まだ道半ばだろう!」

「エド……」

 微かにジェラルドが呻くが、リッツを呼ぶことをやめることなどできない。

「しっかりしろよ! リッツ!」

 戦場の喧騒が妙に遠くで聞こえるような気がする。このまま友を失うことは、決して考えられなかった。

「リッツっ!」

 悲痛な叫びが戦場に響いた。

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