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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
燎原の烈風
115/179

<9>

 戦い慣れていなかったアンティル軍だが、この二ヶ月で成長を遂げてきた。それを実行したのはジェイムズだった。

 ジェイムズのことを、軍の人間の年配者はほとんどが知っていたのである。何をしたかまでは知らなくとも、彼がウィルマを裏切ったことはみな知っていた。

 最初は反発した者もいたが、ただ静かに悪意も苦情も受け入れるジェイムズに、彼らは徐々に従うようになっていった。

 ジェイムズは決して反論したり、言い訳をしなかった。だが勝ってウィルマを助けるのだとだけ口にし、黙々と実務を積み上げていった。

 それは皆の心を徐々に溶かした。

 そして前王の時代に戦いに赴いたという退役軍人たちの力も借りてアンティル軍は戦える部隊へと成長を遂げたのだ。

 その過程を見ていたパトリシアも、権力を欲しいがままにしてきたルーイビル軍に負けるはずがないと信じている。

 後方に下がった弓兵に変わり、本隊同士がぶつかり合った。

「怯むな! 我らは誇り高きアンティルの民だ!」

 剣をぶつけ合い、火花を散らしながらも、指揮官たちは若者を鼓舞する。

「我らの自治領主様を守るのだ! 我らのアンティルを守れ!」

 年配の指揮官の気迫に、若者の声が呼応した。

 激しい鬨の声と気勢があがり、冬の野に夏の花のような赤い鮮血を撒き散らしてゆく。

「風の渦!」

 パトリシアも夢中で応戦した。

「ええい、こざかしい! 精霊使いを殺せ!」

「あの娘だ! 殺せ!」

 敵の叫びが耳朶を打つ。

 精霊使いを潰すのは、戦いのセオリーだ。

「殺されてたまるもんですか! 風の渦!」

 だがパトリシアの隣には、ジェイムズがいる。彼は傭兵経験から精霊使いを失えないと知っていた。

 ジェイムズの手には、ボウガンが構えられている。その威力とジェイムズの実力が相まって、近づこうとする敵は全て一撃で仕留められていた。

「パトリシア、守るから存分にどうぞ」

「我らも護衛します!」

「ありがとう」 

 騎兵もいるはずのルーイビル軍に、ほとんど騎兵の姿がない。通常は前戦にいる騎兵だから、革命軍に潰されたのだろう。

 最初は意表を突いたアンティル軍が圧倒的に有利だと思われた。だが徐々に劣勢に追い込まれていく。

 ルーイビル軍は三万、アンティル軍は僅か一万だ。逃げ延びるべく正面を突破しようと敵に必死になられれば、この数の差は不利だ。

 だがルーイビル軍は後方で、革命軍本隊と交戦中だ。その数は七万弱。半分はランディアと交戦中だとしても、約五万対三万なら圧倒的にアンティル軍が有利だ。

 だがルーイビル軍が後方の革命軍に目をくれず、アンティルだけを倒して、ルーイビルに逃げようとすれば、それは容易かもしれない。

 もしくは敵本隊が動けば、アンティル側が圧倒的に不利になるはずだ。ルーイビルが敵本隊と共に、革命軍本隊を挟み撃ちにすれば、数の上で絶対に有利なのだから。

 敵本隊が混乱している今の隙に、ルーイビル軍を殲滅する。これが最も重要な役目だ。

「両軍入り乱れてる……」

 呟きながら、パトリシアは白銀の杖を短く握りしめた。気がつくと革命軍の水色の布がちらほらと目に付くようになってきている。

 大技はもう使えない。敵味方関係なく竜巻に巻き込むわけにはいかないからだ。

 小さく息をつき、白銀の杖に力を注ぎ込む。見る間に杖の回りに風が集まってきた。

 その風をソフィアがするように小さく圧縮するようにイメージする。

「風の刃!」

 杖を振りかざすと、そこから生まれた幾つもの手のひらサイズの小さな風の渦が、敵兵に襲いかかった。

 それは激しい勢いで敵を斬りつける。圧縮したつむじ風は、時に人の肌を裂き、防具すらも欠けさせるのだ。

 これならば使える。

 パトリシアは夢中で、幾度も風の刃を繰り出した。

 腰にレイピアはあっても、精霊魔法ほど剣技に秀でてはいない。回りに巧みな剣の使い手ばかりが揃う中で、それは実感していた。

 ならばこうして精霊魔法を使うのが一番だ。

「絶対に、役目を果たすんだから!」

 確固たる意思を持ち、パトリシアはその技を駆使し続けた。



 一方、敵を挟んでアンティルと向き合っていたリッツは馬から下りて、血に塗れた剣を振るっていた。混戦状態の中で傷ついた馬を捨てたのである。

 そもそも全身で剣を使うリッツにとって、足が地に着かない戦闘では実力を半分も出し切れない。

 目の前にはまだ馬上にあるエドワードがいる。

 騎兵隊も未だ健在であるから、エドワードが悪目立ちすることはないが、目立たないと言ったら嘘だ。

 目立ってくれねば敵を圧倒できないからそれはそれでいいのだが、地に立つリッツが、エドワードを守るために奮戦せねばならない。

 だがルーイビルと本隊、そしてアンティルの戦いは、思わぬ早さで終局を迎えようとしていた。

「リッツ」

 頭上から声をかけられてエドワードを振り仰ぐ。

「何?」

「ファルコナーが逃げるぞ」

 その声に焦りはない。むしろ平然としている。

「……いいの?」

「いいさ。一緒に逃げた軍勢は千もない」

 もはやルーイビル軍は壊滅状態にあった。

 彼らは前方にいた革命軍本隊に対し、自らの功績を王族に売りつけるために万全の態勢を整えていただろう。

 だが今まで搾取してきたアンティルには全く警戒心を持っていなかった。それが一番の敗因だ。

 何しろアンティルには、パトリシアとベネットがいる。弓矢をたっぷりと含んだ風の渦は、戦い慣れた兵士であっても太刀打ちできるものではない。

 それに年を取ったとはいえ、全自治領主の元で戦った者もいる。

 敵を侮った者から死んでいく。それが戦場だ。

 パトリシアが元気なのは、先ほどから時折激しく戦場をかき回す風の渦で分かる。そしてその距離が近づいていることも感じ取れる。

 もはや戦っているルーイビル軍は、千にも満たない。ただ自治領主を逃げ延びさせる為だけに剣を振るっている状況だ。

 ルーイビル軍は、王都に逃げ込むことをしなかった。真っ直ぐに彼らは自治領区へ戻る道を選んでいる。

 おそらくファルコナーは悟っているのだろう。

 王都に逃げ込んだとしても、もはや王国軍に未来はないと。

 風が吹いているのだ、とジェラルドは言う。

 民衆の思いが、時節の流れが、時代の流れが追い風となって革命軍の背を押す。

 時代の風に乗った者が、この歴史を動かす。

「どうするの、エド?」

「殲滅戦をする意味も兵力も無い。歩兵部隊は本隊と合流し、王国軍本隊を叩く」

 エドワードは顔を上げた。エドワードの近くには、本隊第七隊の指揮官がいる 

「全軍、本隊中央に合流せよ! 深追いするな」

 エドワードの指示を聞き、本隊指揮官たちの声が戦場に谺する。じわりじわりと本隊がその刃先を敵本隊に向けてゆく。

 つかみ所の無い本隊に今頃敵は翻弄されているだろう。何しろ敵が押してくるとゆっくり下がり、敵が下がるとゆっくりと押す。

 作戦を知るものならばその意味を理解できるが、知らぬ敵は気味の悪い思いをしているに違いない。

 本隊がみな正面の敵に向かう頃には、ルーイビル軍は総崩れとなっていた。生き残った者のほとんどが、戦場を捨てて逃げ出した領主を追って敗走していく。

 結局戦場に残ったのは、反撃を諦めないルーイビル軍の一握りと、革命軍の騎兵隊数十名と、リッツとエドワードだけだ。ここまではエドワードの作戦通りにことが進んでいる。

「上手くいってるな」

 エドワードを見上げて笑いかけると、エドワードは苦笑した。

「ああ。だが敵の総指揮官がウォルターだったら、こんな作戦は使いようがなかった」

「……そうなの?」

「ああ。我々の軍が縦に陣形を伸ばした時に、素早く王国軍を二分し、挟み撃ちにすれば数の優位で勝ちが決まっていたさ」

「……そっか」

 ウォルターはたった三万の兵力しか持っていないとハウエルの情報にあった。しかもリチャード直下の軍である。

 それはいまだ本隊では圧倒的な力を持たないことを意味する。

 つまりこの作戦の指揮を執っているのは、戦場経験のないスチュワートと、大貴族たちだろう。ウォルターをスチュワートは信用していないらしい。

 そしてそのスチュワートは、ランディア及びルーイビルの権力者に強く出られない。

 彼らは王族の血を引く大貴族で、いくら王族とはいえ、簡単に逆らうことが許される状況ではないのだ。

 その状況がランディアとルーイビルの、功を焦った無茶な戦いを誘発してしまったのである。

 戦場でより功績を挙げた者が、王族から有利な報奨を受け取ることができる。それは貴族社会の常識だ。

 特にランディアのバーンスタイン公爵家とルーイビルのファルコナー公爵家は、共に貴族の最高階級である公爵家であり、互いへの敵愾心が強い。

 それを革命軍は利用した。

 エドワードはその状況を見抜き、その上で立てた戦術が、この一見すると無茶な戦い方だったのである。

 王国軍士官学校に通っていないエドワードと軍を知り尽くしたジェラルドならではの柔軟にして常識外の作戦であるといえる。

 だが戦いの結末はまだ付いていない。

 むしろここからが戦いの本番といえるだろう。敵の本隊はまだほとんど無傷だ。

 リッツとエドワードは、足早にアンティルへと歩を進めてゆく。

 二人にはしなければいけないことがあった。当然ながらこの戦いに革命軍として参加してくれたアンティルの自治領主に会うことである。

 リッツとエドワードは大規模な戦いの経験が少ない。それに対してジェラルド、コネル、ギルバートは戦場経験が長い。

 それを考えれば交渉にエドワードたちが当たり、本隊の指揮を彼らが執る方が効果的だ。何しろ軍に人が足りない。

 アンティル軍は、革命軍と合流するべく進軍し、ルーイビルの残存勢力戦闘を続けている。逃げ散るルーイビルに追いすがってとどめを刺すようなことをせず、必要な戦いを最小限にとどめて行っているのだ。

 そんな中でようやく視界にパトリシアの姿が見えた。白銀の杖を片手に、疲れ切った顔で前方を見つめている。

 緊張感からか、強ばった顔をしていた。こちらには気がついていないかもしれない。

 精霊使いには、使える精霊魔法の限度がある。その限度を超えてしまうと、昏倒してしまうこともあるのだ。

 早いところ休ませた方が良さそうだ。

 そう思った時だった。視界の片隅に、倒れたまま弓を構えた豪華な鎧の男の姿が映った。身体のあちらこちらに矢が突き立ち、見るも無惨な姿だが、憎しみをたぎらせ、最後の力で弓を引いている。

 その視線の先にいるのは、パトリシアだった。

 気がついた瞬間にリッツは剣を手にしたまま走り出していた。

 だが男はリッツよりもパトリシアに近い所におり、弓はリッツの足よりも早い。

 男が弓を射る音と、矢が風を切る音が耳に響いた。

 次の瞬間、パトリシアが騎乗していた馬が嘶いて後ろ足で立ち上がり、激しくもがいて暴れた。

 疲れ切っていたパトリシアはその勢いで、馬の背から投げ出される。

 一瞬、世界が止まったような気がした。

「パティ!」

 叫んだ声はリッツのものだったのか、エドワードのものだったのか分からない。

 だがリッツは気がつくと、弓を射た男の元に駆け寄り、男の首を一刀のもとに斬り捨てていた。男は一言も無く絶命し、頭部を失ったその首から、激しい血飛沫を吹き上げる。

「てめぇらぁぁぁぁぁぁっ!」

 リッツはまだ戦いをやめないルーイビルの兵士たちに斬りかかった。逃げる者も、立ち向かってきた者も容赦なくぬかるんだ血の沼に沈めていく。

 みるみるうちに戦意を失ったルーイビル兵士たちの屍体が積み上がっていく。

「やめろっ!」

 不意に掛けられた声に、リッツは相手に斬りかかる。だがその相手はリッツの剣を受け止めた。一瞬視界がぶれるが、定まった視界の中には見慣れた顔がある。

「マルヴィル……」

「もうみんな死んでいる! 落ち着け、リッツ!」

「……でも……パティは……」

「落ち着け! いま殿下が助けに行った!」

 鋭く振り返ると、馬を下りてパトリシアの元に駆け寄ったエドワードの姿があった。その近くには呆然とする護衛のオドネルの姿があった。

 もうその回りに敵はいない。足下に転がるルーイビル軍はみな屍体で、生きているのはアンティルの兵士たちだけだ。

「パティ……エド……」

 リッツは震える足で二人に歩み寄る。途中から駆け足になった。

 足がもつれて転びそうになるも、何とか二人の元に駆けつけることができた。

 そこには、エドワードの腕に抱かれ、血と泥にまみれて意識を失っているパトリシアの姿がある。

 体中が震えそうになり、倒れそうなリッツを支えてくれたのは、マルヴィルだった。

「大丈夫か、リッツ?」

「……パティは……」

「分からない」

 重苦しいマルヴィルの答えに、リッツは言葉を失う。息が苦しい。

「パティ、パティっ!」

 必死のエドワードの声が耳に入ってきた。

「しっかりしろ、パティ!」

 エドワードの手が、パトリシアの頬を叩く。冷たく乾いた音が聞こえた。

「パティ!」

 反応のないパトリシアに、エドワードの焦りが見える。戦場の声が後方から響いている。決して静かではないはずなのに、何故か妙に静まりかえっているように感じられた。

 何でこんなに静かなのだろう。

 打ち所が悪ければ落馬で命を落とすこともある。その最悪の事態を想像してしまい、リッツは声も出ない。

「パティ、パトリシア、しっかりしろ」

 エドワードの声が、何だか遠くから聞こえるみたいだ。水の中にいるみたいに、妙に響いてよく聞き取れない。

「パティ!」

 エドワードがパトリシアをひときわ大きく呼んだ瞬間、微かにパトリシアの指先が動いた。

「パティ……?」

 呼びかけたエドワードの口調も変わる。やがてパトリシアはゆっくりとその目を開けた。いつものアメジストの瞳が宙を彷徨う。

「パティ……俺が分かるか?」

 小さく呼びかけたエドワードに、パトリシアは一瞬だけ考えると小さく答えた。

「エディでしょ?」

 次の瞬間エドワードが両手でしっかりと、力の限りにパトリシアを抱きしめた。

 リッツは大きく息を吐き出して座り込む。パトリシアが無事だったことに安堵した瞬間に力が抜けたのだ。

「エディ? 私、どうかしたの?」

 訝しげなパトリシアを強く抱きしめたまま、エドワードは呻く。

「……君がもう目を開けないかと……」

 エドワードの声がいつもと全く違っていた。聞いたことがないぐらいに頼りなく、震えるように優しく聞こえた。

「君を失うのかと思った」

 リッツは顔を上げた。エドワードの声に含まれた、パトリシアへの想いが染みこんでくる。

 友としてリッツといる時とはまるで違う、その優しく甘い声。

 そうかと思った。

 エドワードはパトリシアを愛しているのだ。

 今までは妹のようだとか、一緒に育ったからと誤魔化していたが、彼女を失いそうになってようやく、自分の感情に素直に従っている。

 きっと本人すらも自覚しないままに。

 その想いはきっと、エドワードを愛しているパトリシアに真っ直ぐ伝わっただろう。

 エドワードの腕に抱かれたパトリシアの目に、涙が浮かんだ。俯いてパトリシアを抱きしめたままいるエドワードをパトリシアが抱きしめ返す。

「エディ、ごめんなさい。心配させて」

「本当だよ」

「でも私、グレインの女よ? 落馬ぐらいで死んでたまるものですか」

「……そうだな。そうだよな」

「だから、大丈夫よ。ね、エディ」

 抱き合った二人から、リッツはそっと目をそらす。

 パトリシアが好きだ。

 でもエドワードも好きだ。

 大好きな二人が、こうなることをずっと望んでいたのに……。

 でも胸が痛い。

「賭は僕の負けだな」

 不意に男から声をかけられて、リッツは馬上のその人物を見上げた。

 リッツぐらいの長さの髪、折りたたまれた大弓、そして手にしていたクロスボウ。

「……誰?」

「酷いなぁ。僕はヴェラとパトリシアがリッツに心変わりするって賭けてたのに、当のリッツが僕を分からない」

 その口調に聞き覚えがあった。しかも出してきたのはヴェラの名だ。

「……ベネット、なんで男の格好してるの?」

「ジェイムズって呼んでくれるかな? 僕はね、もうベネットに戻らないって決めたんでね」

「は……?」

「ごめんね、リッツ。みんなによろしく伝えてくれ」

「……そんな……何で?」

 呆然としていると、沢山の人の気配がした。振り返るとそこに男装の麗人と、それを警護する制服姿の人々がいる。

「ジェイムズ」

 男装の麗人が、ベネットを……ジェイムズを呼んだ。

「はっ」

 ジェイムズは流れるような動作で馬から下りると、その女性の元に跪いた。

「紹介してくれんか?」

「はっ、勿論です。こちらは精霊族のリッツ・アルスターです。多少無礼な男ではありますが、嘘のつけない馬鹿正直な男です」

 すました顔でジェイムズはリッツをそう評した。

「……ひでえよ、ジェイムズ」

 リッツはむくれながら女性を見つめた。女性も困惑しているのが分かった。

 エドワードを見ると、まだエドワードがいつものエドワードに戻っていなそうなので、変わりにリッツが女性の元に赴いた。

 そして跪くことはせず、その前で自分の胸に手を当てた。女性に接するのには最高の礼儀をもってする。これは傭兵たちに教わった中では、一番役に立つマナーだ。

「精霊族のリッツ・アルスターです。この度は私の選びし誠の王、エドワード王太子殿下の要請に従い、共に戦っていただけたことを、ありがたく思います」

 それから極上と自分で考えうる笑顔を見せる。正面の女性の顔が、微かに微笑んだ。

「そなたがリッツ・アルスター殿か。パトリシアから色々聞いている。素晴らしい方だと」

 いったいどんなことを聞いたのだろう。それが少し不安だが、それを顔に出してはいけない。

「それは光栄です」

 微笑みながら軽く会釈をすると、再びエドワードに視線を向けた。するとリッツの視線に気がついたのか、微かにエドワードの視線が上を向き、リッツと目が合う。

 次の瞬間、エドワードは自分がパトリシアを抱きしめていたことに気がつき、パトリシアに抱きしめられていたことにも気がついて動揺する。

 叡智の輝きに満ちたいつも冷静な水色の瞳が揺れるのを久しぶりに見た。

 顔に『しまったっ!』と書いてあるようだ。

 リッツがパトリシアを好きだと分かっているから、パトリシアを好きな自分すらも騙してきていたエドワードだが、言い逃れができない状態に焦っているのだろう。

 そして正気に返ったパトリシアも焦っている。両思いの二人が慌てて飛び退くように離れるのを見て、リッツは胸の痛み以前に、可笑しくなってしまった。

 この場にアンティルの自治領主がいなければ、二人に『何やってんのさ。初々しすぎて恥ずかしいよ!』といってやりたいところだが、そうもいかない。

「ええっと、ジェイムズ。こちらの方を紹介してくれないか?」

 咳払いしてからリッツは正面に視線を戻した。動揺するエドワードが復活するには、もう少しかかりそうだ。

「こちらは我が主、アンティル自治領主のウィルマ・タウンゼント侯爵です」

「……我が主?」

「そう。僕の主人さ」

 意味が全く分からない。だがここで問い詰めるわけにも行かず、リッツは小さく息をつく。戦いが終わったら聞けばいい。

「お初にお目にかかります。タウンゼント侯」

 リッツは手を差し出した。この女性は確か女性扱いを嫌う人だ。だとしたら握手を求めるこれが正しい。

 予想通りにウィルマは差し出したリッツの手を力強く握り返してくれた。

「お目にかかれて光栄だ」

 ふと気がつくと、リッツの隣に誰かが立っている。見なくても分かった。ようやく自分を取り戻したエドワードだ。

「タウンゼント侯。我が軍に加勢いただき感謝する」

 いつもの笑みを浮かべて手を差し出したエドワードだったが、リッツはその姿についつい吹き出した。今までの動揺を見られているのに、この澄ました態度がおかしかったのだ。

 その途端にエドワードにげんこつで殴られて呻く。

「いてぇな、エド!」

 文句を言ったがあっさりと無視された。正面でリッツとエドワードのやりとりを見ていたウィルマが一瞬顔を歪めた。

 ふざけた態度に怒るのかと思ったのだが、予想とは真逆だった。ウィルマは吹き出したのだ。

「タ、タウンゼント侯?」

 手を差し出したままの困惑するエドワードに、ウィルマは笑う。

「パトリシアが言っていてのは本当だったようだな。王太子殿下、殿下は確かに今までの王族とは違う」

 ようやく笑いを治めたウィルマが、エドワードの前に跪いた。

「タウンゼント侯?」

 醜態を見られたあげくに笑われるという滅多にない経験をしたエドワードの、呆然と突き出されたままの手を、ウィルマは跪いたまま握った。

 その手の甲にウィルマは優しく口づける。

「エドワード王太子殿下に忠誠を。わたくし、ウィルマ・タウンゼント及び、アンティル自治領区は、エドワード殿下に従います」

 男性として見られることを好むといわれていたウィルマの女性としての忠誠に一瞬困惑したエドワードだったが、やがて静かに微笑んだ。

「ありがとう。では早速だが、戦いに参戦して欲しい。まだ本隊が残っているからな」

 エドワードは後ろを振り返った。リッツもそちらに視線を向ける。

 まだ本隊が王国軍と戦っている。戦いはまだこれで半分なのだ。

「御意にございます」

 立ち上がったウィルマが指示を出そうとアンティル軍を見渡した。

 その瞬間、敵本隊で激しい爆発が起こった。

 眩いばかりの光に次いで、重い音が響く。

 ソフィアだ。

 ソフィアの白熱球が敵本隊に打ち込まれたのだ。

「来たな……」

 呟いたエドワードが、時計を見つめる。視界の中で革命軍本隊が混乱に乗じて微かに後方に退いていく。陣形を整え、一気に反撃するつもりだ。

 リッツはいつも身につけている懐中時計を取り出した。

 一発目から五分で二回目が打ち込まれる。それまでに本隊が距離をとり、革命軍本隊を整える。

 敵が整う前にリッツはエドワードと共に本隊に駆け戻るつもりなのである。

「いったい何が……」

 呟いたウィルマの声に笑顔でエドワードが答える。

「大丈夫。作戦が次の段階に入っただけだ。タウンゼント侯、次の作戦に映るべく、我々は行かねばならない」

 そういうとエドワードはウィルマの顔を見つめて微笑んだ。

「アンティルの協力をお願いしたい」

「……御意に」

 深々と頷いたウィルマは、立ち上がって先ほどの戦いで十分の一ほど数を減らした味方の兵を振り返った。

「無事な者は戦線に復帰し、革命軍本隊と共に敵本隊を撃つ! 我らアンティルの平和のために!」

「リッツ!」

 エドワードの声にリッツは頷く。

「うん。ベネット、馬貸して!」

「ジェイムズだ」

 言いながらも貸してくれた馬に飛び乗る。

 エドワードも自分の馬に飛び乗った。そのエドワードの姿に、アンティル軍から大きな歓声が上がった。

 士気がかなり高い。

「エド」

「アンティルの民よ、聞いてくれ。いよいよこれが最後の戦いになるだろう。私と共に王国を取り戻して欲しい」

 アンティル軍の中から歓喜の声が上がる。見る見る間に隊列が整ってゆく。

「ベネット」

 エドワードが笑みを浮かべて呼びかけると、ジェイムズは微かに肩をすくめた。

「ジェイムズです、殿下」

「そうだったな。今後の行動は分かるか?」

「無論。サウスフォード卿指揮下の本隊に合流し、右翼を勤めます」

「ああ。頼んだぞ」

「御意にございます、殿下」

 傭兵ではなく、指揮官としてジェイムズがエドワードの前に膝を折る。初めて見る臣下としてのジェイムズの姿だった。

「ジェイムズ!」

 歩み寄ってきたのは、ウィルマだった。

「ダウンゼント侯?」

「私も共に行く」

 きっぱりとした宣言に、ジェイムズはやんわりと笑う。 

「侯はお下がりください」

「な……」

「あなたは自治領主でおられる」

 迷い無く告げたジェイムズは、軍の年配者に目配せをする。心得たように軍の年配者たちが口々にウィルマを諭す。

「ガヴァン卿の言う通りです」

「だが!」

「侯は剣を握ったことがござらん。さすれば侯をお守りするが我らアンティル軍の役割」

 彼らの声に、若者たちが一斉に応じる。戸惑ったようにジェイムズに助けを求める視線を送ったウィルマだったが、当のジェイムズに微笑まれた。

「その通りです。前線は僕に任せ、侯は後方で見守ってください。我らにとって、侯こそが帰る場所なのだから」

「……だが……」

「かくゆう、僕もです。侯が無事でいてくれないと、僕は帰る場所を失う」

 柔らかな声に、リッツは理解した。アンティル行きを強行したジェイムズに何らかの理由があり、それがウィルマという女性のためであったのだと。

 戸惑うウィルマからエドワードに目を戻すと、エドワードも苦渋の決断を下していた。 

「パティは後方に下がっていてくれ」

 全くパトリシアの顔を見ずに、エドワードがそう告げた。パトリシアは不満そうに表情を曇らせる。

「でもエディ……」

 共に戦場に立ちたいのだろう。だがエドワードの表情は微塵も動かなかった。

「精霊魔法はもう使えないだろう? それに今の君では、敵にとって絶好の餌になってしまう」

 パトリシアは唇を噛んだ。ジェラルド・モーガンの娘が捕虜になれば、圧倒的に不利になることをパトリシア本人もよく知っているのだ。

「タウンゼント侯を守ってくれ」

「……分かったわ」

「頼む」

 エドワードは頷くとようやくパトリシアを見た。

「……ちゃんと怪我の手当をしておくんだよ」

「分かってるわよ。エディ……あの……」

「ああ……」

「怪我しないでね」

「……分かってる」

 そんないつものやりとりで、二人は微かに頬を染める。まったく初々しいにも程がある。

 胸の痛みよりも恥ずかしさが先に立つって、いったいどういうことだ。

 リッツの痛みをかき消したのは、この場を轟かせた二発目の爆発だった。爆発は、敵本隊を巻き込んで激しい煙と炎を巻き上げている。

 これが突撃開始の合図だ。

「さっすがソフィア、派手だな」

 敵本隊……王国軍正規軍は約十万。

 このどれだけが被害を受けるか分からないが、敵が大混乱を引き起こしていることだけは確かだ。

 エドワード曰く、減らせても一万から二万だろうとのことだ。それでもルーイビルとランディアの軍が壊滅した今、合計して七万は減る計算になる。

 ここまで奇襲を仕掛けても、敵と味方は同数になるだけだ。それでも絶好の好機に変わりはない。

「いくぞ、リッツ。今が絶好の機会だ」

 照れ隠しなのか駆け出すエドワードに並んで、リッツも駆けだした。正面、敵陣からもうもうと上がる煙に、リッツは笑う。

 白熱球ついでに、炎の雨でも降らしているのだろう。

「さっすが、ソフィア」

 密集している敵本隊の中であの灼熱球を二つも投げ込まれたら、さすがの王国軍も兵を減らすしかないだろう。

 この灼熱球で一万人は減らせる計算だとギルバートが言っていた。エドワードとほとんど一緒の意見だ。

 ならば王国軍九万に対し、革命軍はアンティルの勢力が増えて八万人強。

 二倍近い圧倒的な数の敵が、戦えそうな数まで減っている。あとは正面切って戦うしかない。

 戦場が最後の戦いに向けて動き出した。 

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