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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
燎原の烈風
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呑気な冒険者たちシリーズ読者さんのための燎原の烈風プロローグ

 二月も半ばに入り、シアーズの街は厳しい寒さに覆われつつあった。

 北部とは違い、それほど雪が積もる地域では無いが、この季節に空から地上へと降るのは街を暗く沈ませる雨では無く、うっすらと明るい白に染める雪だ。

 そういえばその雪に埋もれて死にかけたことがあった。

 あれはもう三年近く前のことだ。時が過ぎ去るのは、やはり早いものだ。

 暖炉の火は、これから始まるいつもの昔語りのために赤々と燃えさかり、暖かな光で部屋を照らしていた。

 外の庭を見渡せる天井まである巨大な窓も、今は分厚いカーテンが引かれ、外からの寒さを防いでいる。

 おかげで談話室は、春のように暖かい。

 リッツは暖かな編み地のブランケットを腹に乗せ、ソファーに寝そべりながら、ぼんやりと暖炉の炎を見つめていた。

 今日は何故かみんな遅い。

 フランツはギリギリまで高等学院の論文作りに取り組んでいるらしい。

 入学して最初の難関だと、本人はいつも以上に追い詰められたような顔で本を積み上げていた。

 ちなみにフランツの専攻している学問は、政治経済学だ。

 学問とは最も遠いところにいるから、それがどんな物なのか全く想像がつかないのだが、フランツ曰く、今のシャスタがやっていることなのだそうだ。

 そしてアンナとジョーは、ラッセル夫人の家へ手伝いに出かけている。

 学校に慣れてきたから、亜人種回りの旅に出る前にしていた、ラッセル家の細々とした仕事をして、小遣いを稼ぐ仕事を再開したのである。

 アンナがメイドになるために乗り込み、色々事件に巻き込まれた家ではあるが、あの事件後もシンクレア・ラッセル夫人は快くアンナとジョーを受け入れてくれている。

 彼女たちは働くことで年配の女性と付き合うための様々なマナーを身につけさせて貰っており、アンナはともかく、スラム出身で礼儀作法が全く身についていないジョーにはかなり勉強になるようだ。

 先ほど帰ってきたから、言いつけ通りに風呂に入ってそろそろ来る頃だろう。

 そしてエドワード。

 今日はアンティル自治領区からの来客があったせいか、いつものように早々ときて、一杯飲みながら若い者が集まるのを待つという訳にもいかなかったらしい。

 アンティルの自治領主と、その部下一行は、軍学校のような組織を立ち上げたいとのことで、軍学校にも査察に訪れた。

 いつもの如く剣技の稽古を付けていたリッツの後ろで、アルトマンに案内された一団が稽古を眺めていたのは知っている。

 だがそれだけだ。そもそも剣技主任のリッツは、学校の経営や来客に対して無関心だ。

「ん~」

 狭いソファーの上で無理矢理丸めて押し込んでいた身体が窮屈になって、ソファーから手足を思い切り伸ばす。

 眠気に襲われそうになっていた頭が、少しだけ覚醒する。

 ソファーに身を起こして、乱れた髪をかき回すと、それだけで何故か溜息が出た。

「一体いつまで続くんだ、この昔語りは……」

 ついつい独り言が漏れる。

 リッツ個人としては、この昔語りはあっという間に一月以内で終わらせる気でいたのだ。

 だが話し出すと、リッツだけでは知ることができなかったエドワードの状況や、それに伴う仲間たちの状況があれこれと出てきて、話が止めどなく溢れるように膨らんでいく。

 今現在、昔語りはようやく折り返し地点に来た……というところだろうか。

 年月だけでいえば、リッツとエドワードが共に過ごしたのは、たった五年だ。そのうちの三年半分を話してしまったことになる。

 時間だけで言えば、もう残すところ三分の一といったところだろう。

 よくよく考えたら一緒にいなかった三十五年の方がよほど長い。

 だが驚くほどにリッツにはその三十五年の間の出来事に現実感が無い。

 たださすらっていた時間は、まるで心に残ってはいないのだ。

 そういえば、再会してからもう二年半が経つ。

 この二年半は、さすらった三十五年よりもよっぽど心に残っている。

 最愛のアンナと出会い、フランツと会い、エドワードと再会し、仲間たちと再会した。

 これぞまさに激動の二年半だ。

 考えてみればリッツの人生一五三年の中で、リッツに取って鮮やかな色彩と共に甦ってくる思い出は、たったの八年ほどだ。

 エドワードと出会うまでの百十年、傭兵として過ごした三十五年、そのほとんどが色褪せた過去で、ともすればその時間を思い出せなく成りつつある。

「お待たせしました~っ! って、リッツだけ?」

 いつもは結っている長い髪を垂らしたままのアンナが夜着で駆け込んできた。

 肩に大きなタオルを掛けたままいるということは、髪が乾かないのだろう。

「ん、俺だけ」

 そう言いながら手招きすると、アンナはいつものように何の警戒心も無く寄ってきて、リッツの寝転がっていたソファーに腰掛けた。

 その身体を背中から抱きしめると、ふわりと石けんの香りがする。

「あ~、やばいぐらいに癒される~」

「やばいぐらいにって、意味が分からないよ」

 クスクスと小さく笑いながら、アンナはされるがままで抵抗などいっさいしない。

 だからいつも通りに怒られない程度に好きにさせて貰う。

「ちょ、やだってばどこ触ってんの?」

「とりあえず、どこでも触りたい」

「くすぐったいよ。変なとこ触ったらやだってば!」

 口では抵抗しつつも、微かな色香を滲ませて身をよじるアンナを抱きすくめたままくすぐる。

 子供のように全身でじゃれ合った。

 たまにはこうして、昔語りを忘れてしまいたい気になる。

 物語が終わりに近づくほど、リッツに取っては辛く、悲しい時間を脳裏に甦らせることになるからだ。

 しばらくお互いにくすぐり合って暴れていたが、やがてアンナが降参というように笑って、押し倒された体勢のまま口を尖らせた。

「リッツの甘えっ子」

「お褒めにあずかり光栄だ」

「褒めてないよ」

 バカップルだの、子供だのといわれても、これが嬉しいのだから仕方ない。

 しかも学校に行っている間は、お互いに触れあうこと厳禁だ。

「こうしてると、やっぱりリッツと昔のリッツって重なるね」

 思いも寄らぬことを言われてアンナを見つめてしまった。

「どこがだ?」

「うん。昔はこうやってエドさんとかパティ様と戯れてたんだろうなって」

 アンナの言葉に苦笑する。

 さすがにエドワードとパトリシア相手にここまでふざけたことは無い。

 そもそもあの二人は、元々持っているあの雰囲気が、これほどまでの悪ふざけが許されないとリッツに感じさせる。

「う~ん、ここまでしたらパティに風の精霊けしかけられて飛んでるな」

「そうなの?」

「当たり前だろ。お前は俺の女だから、ここまでやるんだよ」

「そっか。じゃあリッツは私の男だから、私もリッツを好きにしていいってこと?」

「……何だかお前の口から聞くと生々しいな……」

「ええっ? 何が?」

 きょとんと大きな目を瞠るアンナを引き起こし、その髪を指で梳いて乱れを直してやる。

 その髪が腰に届きそうなほど長いことに、今更気がついた。

「伸びたな、髪」

「そうだね」

「旅に出た頃はもっと短かったよな?」

「教会にいた頃は、洗うのが楽な所までしか伸ばせなかったんだけど、旅に出てからは切る時間の方が無かったもん」

「そうか」

「でもさすがに長いよね。そろそろ髪を結えるギリギリまで切っちゃおうかな」

 いいながらアンナは自分の髪を持ち上げた。

 サラサラと赤い髪がアンナの指の間を零れた。

 その瞬間に、ふわりと別の人物が浮かんだ。

 あの当時の彼女の声と共に、まるで時を超えたようにあの日の光景が目の前に見えた。

『貴方たちのためにできることがある。それが私の幸福よ。だから危険は承知で行くの』

 沈みかけた太陽に照らされ、亜麻色の髪は赤く色づき、それが彼女の力強い決意を燃え上がらせているように見えた。

『私も一緒に戦ってる。同じ戦場にいることだけが共に戦うことじゃないことを、私は知ってるわ』

 あれは大規模作戦の前に、パトリシアと交わした会話だった。

「リッツ?」

 振り返ったアンナの声で我に返った。

「あ、悪い。今日アンティルの奴らが来たから、ちょっと昔のことを思い出してた」

「アンティルに思い出があるの?」

 問われて口を開きかけた時、聞き慣れた声がリッツに変わって答えた。

「直接の思い出は無いだろうが、なかなか印象深い土地ではあるな」

 声の主に目をやると、軽く手を上げられた。

 同じように返すと、防寒着を掛けた声の主エドワードはいつものようにいつもの席に着いた。

 見るとジョーとフランツもその後ろに続いている。

「何だ? 全員部屋の前で行き会ったのか?」

 妙な光景に首を傾げると、不機嫌そうなフランツが溜息交じりに首を振る。

「違う」

「じゃあまた何で?」

「……入ろうとしたら、アンナの嬌声とリッツの声が聞こえてきたら、入るのに戸惑った」

 真剣にそう言い切られて頭を掻く。

「悪い」

「今日は昔の話を聞く日だろ? 場所と時間をわきまえてほしい」

「はいはいはい、私も同感!」

 思い切りジョーにまで手を上げられては苦笑するしか無い。

「悪かったって」

 謝りながらアンナの唇に軽く弾むようにキスをすると、いつもの定位置であるエドワードの向かいに座る。

「どうだった、アンティルの使節団」

 座りながら尋ねると、エドワードは楽しげに笑う。

「なかなか勉強熱心だったぞ」

「へぇ。本当に軍学校を作るつもりなのか?」

「そのつもりらしいな」

「あの立地なら、農学校じゃねえの?」

「それはもうある」

「あっそ」

 アニーが目の前に置いた蒸留酒のボトルを手にしたエドワードがコルク栓を抜き取ると、芳醇な樽の香りが立ち上った。

「お前によろしくとさ」

 リッツのグラスに琥珀色の蒸留酒を注ぎながら、何気なくエドワードが言った。

「……俺に?」

「ああ。昔と変わらず、元気が有り余っているようで何よりだと言っていたぞ」

「アンティルに知り合いなんていたかなぁ?」

 蒸留酒を受け取りながら小さく呟くと、エドワードは自分の分を注ぎながら笑う。

「お前のよく知っている相手さ。まあ、今日の話をしている内に思い出すだろう」

 ボトルを戻したエドワードが年少組を見渡した。

「さて、先週はどこまで話したかな?」

「ええっと、師匠が貴族たちと農民たちの間に立ったところまでです」

 答えたジョーに微笑み返して、エドワードはゆっくりと視線を窓の外の闇へと彷徨わせた。それはまるであの戦争の風景が、この闇の中にあるかのような視線だった。

「では話を始めよう。戦場の話をね」

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