今はただ眠りたいのです
「そうだ、連絡先を教えておかないと」
茜さんは、そう言って黙ってしまった。
「あれ、おかしいな。いつも持っている鞄忘れてきたのかな。財布も鍵もないや」
茜さんは、手ぶらで鍵すら持っていなかった。
「どこに行くつもりだったんですか? 」
私が聞くと、さらに茜さんは困った顔をした。
「うーん。それが気づいたらここに居て、いきなり橙子が変な男に絡まれていて、それで何だっけ? 誰かに会いに行くつもりだったような」
「すみません。何だか私のせいで」
「いいのよ。気にしないで。おかげで橙子ちゃんに会えたんだから」
そう言って彼女は、何か考えている様子だった。
「じゃあ、蒼介からでも連絡先を聞いてちょうだい」
「はい。そうしますね」
茜さんと別れてから携帯電話の電源を入れると蒼介からの着信と母親からの着信が数回入っていた。
メールにも『ごめん』とだけ返信があった。
何に対するごめんなのだろうか。
昨日の行動に対して。
これからの関係に対して。
今、それを聞く勇気はなかった。
それを聞いてしまったら何かが終わってしまうようなそんな予感。
この想いは先送りにして、家に帰る。
明日は大学で嫌でも会うのだから。
駅へと引き返す頃には、すっかり明るくなっていて、せわしなく世界が動き出そうとしていた。
「お母さん、電車に乗り遅れたから、今から帰るね。うん。電池がなかったから。帰ったらお風呂に入りたい」