ぶたまんじゅう
駅で見かけた時、最初は気付かなかったけど、やはりあれも茜さんだった。
少しずつ朝は涼しくなっているのに、まだ彼女は半袖の風通しの良さそうな服を着ていた。
彼女は、目を離した隙に忽然と消えており、そこには防火デーの破れかけのポスターが貼ってあるだけだった。
「うるさいな、お前には関係ないだろ」
「いいから聞け、もう子供じゃないんだ。解ってるんだろう」
同じ駅の違う場所で、蒼介が誰かと言い争っているのに遭遇した。
それは知っている人だった。
文学部の講師の一人、尼崎百太先生だ。
彼は学内でもかなり変わり者で、あだ名が豚まん、もしくは豚まんじゅうと呼ばれているくらい変人だ。
私は直接、講義を受けた訳ではないが学内では有名な話なので覚えていた。
一番最初の授業の時間に本来のカリキュラムを無視してモーパッサンの書いた『脂肪の塊』という短編小説について熱く語り出してしまい、60分弱喋り通したらしい。
中年らしく、少し体型も丸みを帯びた外見をしていた事もあり、その日を境に彼は密かに豚まんじゅうと呼ばれているらしい。
「兄貴づらするなって言ってるんだよ。もうお前とは何の関係もないんだから」
「関係はある。俺は講師だ。それに茜の弟だからじゃないが、お前の事は気にかけている」
「そういうのがうざいって言ってんの」
離れた所からでも声が聞こえる。
子供と大人の喧嘩にも見えるし、兄弟喧嘩に見えなくもない。
「先生、どうしたんですか?」
おせっかいかとも思ったが止めに入る。
「橙子? いや、なんでもないよ。こいつが説教するから頭にきただけ」
「何でもないって雰囲気じゃないけど」
「恥ずかしい所を見せてすまない。えーと、木城橙子さんだっけ?」
「はい。尼崎先生は確か文学科の担当でしたよね」
「まぁ、この子とはいろいろあってね」
「もういいだろ。行こう。橙子も授業遅れるだろ」
気が付くと、講義の時間が差し迫っていた。
「すみません先生、行きますね」
とにかく二人を離れさせた方が良さそうだったので、一緒に離れる事にした。
「すまないが、こいつを宜しく頼む」
正直、頼まれても困る。
「失礼します」
あまり気は進まなかったが二人で登校する事にした。