その身に宿る怒りのままに
「おい待て……やはり納得がいかない」
硬い面持ちでそう切り出したのは暁だった。殺気を迸らせていたバーディアとアカネが、意識を暁のほうへ向ける。
「サキは俺の側近、いわば眷属のようなものだ。それに、俺にとってはサキは相棒と言っても過言ではない。それならば、サキを助けるために俺がバーディアの相手をするのが筋と言うものだろう」
鋭い美貌に険を乗せ、暁はアカネに向かってそう言い放った。
それを聞いたアカネが眉を潜め
「だから、そんな悠長なことを言っている場合じゃないんですって!全く、主が主なら臣下も臣下だ。揃いも揃って、ひとの話を聞きやしない」
怒りのままに額に青筋をたてるアカネに対し、暁は怯むことなく、むしろ堂々と言った。
「はっ。そんなもの、俺の知ったことか。俺は俺で、彼奴は彼奴。お前が何であれ、それを聞き入れるつもりはない。もしティルカに助けが必要だと言うのならば、お前が行くがいい━━━━━どけ!」
己れの思うがままに、傲慢ともとれるほどキッパリと言ってのける姿はいっそ清々しいほどだった。さしものアカネも、暁の毅然とした面持ちと恐ろしいまでに澄んだ気迫に圧倒される。暁の心にひと度炎がつくと、もう、誰にも止めることなどできはしないのだ。
そして、もはやアカネに用はないとでも言うようにアカネの横を堂々と通り過ぎる。迷うことなくバーディアの前に立ちはだかった暁は、邪神とはいえ神の眷属と呼ぶに相応しいほど厳かな顔をし、研ぎ澄まされた刃のような鋭い力を放っていた。
「おい、さっきから好き勝手にやってくれたな。いい加減、俺の忍耐も限界だ。貴様の弁解も、くだらない戯れ言も要らん。サキと、サキの身体を、返せ!」
怒りに満ちた顔でバーディアを見据える暁。しかし、バーディアは怯むどころか嬉々として暁のことを見ていた。
「ほう……その目、良いぞ。その、相手を傷つけることさえも厭わぬ目。何者にも屈しない、覇者のような高い矜持。傲慢な我が兄の眷属らしく、不遜で傲岸な態度。あの娘だけでなく、貴様までもが私の興を引くか。くくっ面白い」
「黙れ。貴様の玩具に成り下がるつもりはない。父親だか何だか知らないが、息子であるサキの身体に憑いていると知った時点で……いや、それ以前から貴様は俺の敵だ。それに、俺は先ほどサキの身体を返せと言ったはずだ。どういう意図でサキの身体を乗っ取ったのかは知らないし知りたくもないが、その身体はサキのものであって貴様のものではない!」
まるで煮えたぎるかのように立ち上る激しい神気や敵意を隠そうともせず、暁は感情のままに言う。
バーディアが乗っ取っているサキの顔から笑みが消える。
その残像が掻き消える前に、バーディアが暁に向かって強大な力の塊をぶっぱなしてきた。暁は読んでいたかのようにその攻撃を避ける━━━負けるわけには、いかない。
本能に身体を乗っ取られていた瞬間、暁の意識はまだ微かに残っていた。そしていまもなお頭のなかに残っているのは、サキの、表情。
サキはまだ、暁に対して不安な気持ちを持っている。サキから見れば、暁はもどかしくて頼りない想いにさせられるのかもしれない。
本能に暁に対する不満を指摘されたとき、サキの顔には図星だという想いが漏れでていた。
━━━悔しかった
そう思うと同時に、怒りや嘆き、憎しみといった数多の複雑な感情が、暁のなかで激しく燃え上がった。それは、暁が己れ自身に向けた想いだった。そして
もう二度と、サキの気を迷わせるような事はしない。失望などさせない。
そう心に決めた途端、暁の紫色の瞳から色が消えた。否、氷の如く冷たく、刃のように煌めく銀色に変わったのだ。
頭の上で結った緋色の髪が、暁の身体から溢れでる火焔に煽られたかのように大きく翻る。燃え盛る火焔に照らされた髪は、まるで太陽のような橙色に耀いていた。
それを見たバーディアは、喜悦に満ちた顔で暁を見つめた。しかし、ふと訝しげな顔をする。
「……なぜだ?彼双の焔から、僅かに水気を感じる。火とは対極にある水の気配……いや、違う。これは、まさか冷気か?」
そう言うバーディアの瞳から、ちらちらと興味の光が見え隠れする。それを見たアカネが、チッと舌打ちをした。
(普通でないものの周りには普通でないものが集う…というわけか。まったく、変な縁の巡り合わせだな。オレも、一族間では異質なものだったしな)
なんとも形容し難い表情を浮かべるアカネは、人知れず溜め息をつき自嘲するような笑みを漏らした。
その間にも、バーディアと暁の異様なまでの歪んだ雰囲気は続いていた。
「貴様も、なかなか興味深い。どうだ?身体は解放してやるから、代わりに貴様が私の玩具となってはくれまいか?」
「……貴様は、己れの息子を玩具にしようとしていたのか!」
怒る暁に、バーディアが不思議そうな顔をした。
「なぜ怒る?これは私の血を引く子なのだ。その身体をどうしようと、私の勝手であろう。私は退屈なのだ。まぁ、子に憑いたのは退屈しのぎになるかと思ったからなのだが……退屈しのぎとしての価値すらなかったな」
顎の少し左に人差し指を、ちょん、と当てて軽く首をかしげる。そして次の瞬間、霧が晴れるかのようにその姿が掻き消えた。先ほどまでバーディアが立っていた場所には、ごうごうと紅と橙の混じった神々しい焔が立ち上っていた。バーディアがあと少し消えるのが遅れていたら、間違いなく暁の焔によって掻き消されていただろう。
しかし、当の本人は感慨深げに暁の焔を観察していた。
「ほぅ?地獄の業火、か。久方ぶりに見たな。この凄まじい威力に、華々しく煌びやかな色。しかし良いのか?貴様の焔の威力から察するに本気だったようだが、この身体は我が息子のもの。一歩間違えれば、貴様自身が我が子の身体を消し去ることになっていたのだぞ?」
甘やかな声で暁に言う。女子たちが騒ぎかねない蕩けるような声であった。しかし、自身が男であるうえに嫌悪感や不快感といった感情しか抱いていない邪神の声は、暁にとっては耳障りなものにしか感じなかった。
「━━━我が子などと言うな汚らわしい。貴様ごときがサキの父親を名乗る資格などない!」
怒りのままにそう言ったが、サキについては図星だった。思わず攻撃してしまったが、確かにバーディアの言う通り、当たっていればサキの身体が灰塵となっていたのだ。
思うようにバーディアに手出しできないと改めて認識し、僅かに唇を噛む。一体どうすれば、サキの身体を害することなくバーディアを倒せるのか。
迷う暁の耳に、凛とした声が響いた。
「━━━違う!違います!いま考えることはそれじゃない!いまアキラさんが考えなければいけないことは、バーディアを倒すことじゃなくてアズールさんを助けることじゃないんですか!?」
聞き覚えのある声に、ふと後ろを振り返る。するとそこにいたのは、暁の知っている、頼りなげで、危なっかしくて、心が弱い……でも、誰よりもひたむきにひとを信じる強さを持っている、主の姿があった。
(う……うぅ………………)
微睡んでいたティルカの意識が浮上してくる。心地よい、闇で覆われた世界をボーッと見つめていると、柔らかな声音が聞こえた。
『気づいたかえ?』
『ぇ……っ!こ、ここは……』
ティルカの後ろにはユリナディスがいた。ユリナディスは穏やかに笑うと、ティルカの前までゆっくりと移動してきた。
『そなたの精神世界じゃ。そなた、妾のことを呼んだのじゃぞ?覚えてはおらぬか?』
『……え、と』
ティルカは未だぼんやりとした頭を働かせる。そして自分がしたことを思い出した。
『あ……わ、たし…………』
『思い出したか?じゃが、妾は別にそなたのことを害する気はないのじゃ。どちらかと言えば、護ってやりたいとすら思っておる』
『ま、もる……』
呆然とした様子でユリナディスの言葉を繰り返すティルカに、ユリナディスは殊さら優しく聞こえる声で言った。
『妾がそなたの身体を借りて為したことや話したことも、全てそなたの中にあるじゃろう?じゃが、改めて言わせてもらう。妾はそなたには自己犠牲などという愚かなことはしてほしくない。いざとなれば、妾がそなたの助けになろう。決して、あの時のように我を忘れたりはせぬと誓う。じゃから、どうか自分を大切にしてくりゃれ。命を、簡単に投げ出さないでほしいのじゃ』
哀しげにも聞こえるユリナディスの声に促されるようにして、ティルカは静かに頷いたていた。それを見て、ユリナディスは儚げに笑う。
『……リィハ、いまのそなたに何も問題がなければ聞いてほしい。現実世界では、あのアキラとかいう奴が己が息子の身体を乗っ取ったバーディアと対峙しているのじゃ。じゃが━━━━』
ユリナディスが軽く目を伏せ、両手を水を掬うような形にして鳩尾のところまで持ってきた。すると、そこに薄い水の膜が現れて何かを映し出した。
現実世界の、バーディアが暁と対峙している場面だった。
僅かだが声が聞こえてきた。しかし、暁は口を動かしていない。不思議に思っていたが、唐突にティルカは悟った。これは暁の心の声であると。
ティルカに聞こえてきた心の声は、暁がどのようにしてバーディアを倒すかということだ。サキの事が後回しになっている。
駄目だ!とティルカは思った。暁は、バーディアに対する怒りのあまり一番大事なことを間違っている、と
ティルカはユリナディスを振り返った。ユリナディスは困ったような笑みを浮かべていたが、やがてこう言った。
『リィハの身体は、完全に修復しておる。戻るかどうかはそなた次第じゃ。そなたが戻るというのなら、表に出ている妾と交代するがよい』
暁たちには見せたこともないような、慈愛を含んだ笑みにティルカは励まされたような気がした。そして、深々と頭を下げた。
『ありがとう、ございました……えっと、ユリナディス、さん』
ユリナディスと入れ替わったあとの記憶が、徐々に浮かび上がってくる。ユリナディスの名も、そのお蔭で知ったのだ。
ティルカのよそよそしい態度に、ユリナディスは不満そうな顔をして言った。
『ユリナディスでよい。そして、忘れるな。そなたは決してひとりではない。あのアキラという男や妾がついておるからの』
『はい……』
そう返事して、ティルカは精神世界から現実世界へと戻っていった。
目を覚ますと、暁がバーディアと対峙しているところだった。
如何にも悩んでいるといった体の暁に対して、ティルカは懸命に声を張り上げて言った。
その声が聞こえたのだろう。弾かれたようにティルカの方を見た暁は、驚愕からか目を丸くしていた。それを見て、ティルカは強く頷く。
優先順位を間違えてはいけない。たとえバーディアがどんな男だとしても、一番に大事なことは、サキやサキの身体を無事に取り戻すことなのだから。
ユリナディスは、ティルカに対しては『そなた』という言葉を使いますが、それ以外に対しては『お主』という言葉を使います




