一体どういうことでしょう
「……やられたのう」
暁から暁に戻り、目が覚めると、険しい顔をしたティルカの姿があった。
荘厳な気を纏うティルカに暁が唖然としていると、それに気づいたティルカが暁のほうを振り向き、『妾じゃ妾』と言った。
「その言葉遣い、暗闇の中から理性を引き上げた女か」
「揃いも揃って女、女と!……まあ、名乗っておらぬ妾にも非はあるか。仕方ない、心して聞くのじゃぞ。我が名は闇覇王。命の息吹を司り、同時にこの世を照らす光さえも産み出した原初の闇を司る神竜。そして、混沌から生まれし陰影の気を持つものじゃ!」
腰に手を当て、胸を張る姿は、たとえ仮初の身体だとわかっていても目映いまでの神々しさが溢れていた。
しかし、たとえ本性が凄まじい力を持った偉い女神だとわかっても、暁にとっては別の話。百歩譲って、暁が女神に対して礼を尽くすことはあっても、屈することも遠慮することも決してない。
「で、なぜ貴女は俺の主の身体に憑いている?」
自分を助けてくれたひとだからと一応おまえ呼ばわりは控えたが、ユリナディスは憤慨した様子で言い据えた。
「ひとを憑き物みたいに言うでないわ!まあ、仮にも妾の可愛いリィハの使い魔じゃからの。仕方がないから、赦してやる。ちなみに、妾のことはユリナディスと呼んでくりゃれ」
「……使い魔扱いするな」
苦々しげに顔を歪める暁とは逆に、ユリナディスはしてやったりといった口調で言った。しかし、表情は険しいままだった。
それにしても、感情の起伏が激しい竜である。
暁は溜め息をつきながら、先ほどから気になっていたことを聞くことにした。
「聞きたいことがひとつ……いや、ふたつある。まずひとつ目だが、貴女が先ほどからリィハと呼んでいる人物のことだが、ティルカのことを言っているのか」
「……まったく。答えてやると言った覚えはないんじゃがのう。まあ、良い。答えは是じゃ。但し、それついては気になるならリィハ本人に聞くことじゃ。それが筋というものじゃからの」
文句を言いながらもユリナディスはきちんと答えてくれた。それと同時に、暁はティルカにもいろいろあるのだなとなぜか微妙な気持ちになった。
「もうひとつだが……なぜ、険しい顔をしている?」
「……もしやとは思うていたが、お主、少し鈍いのではないかえ?本当にわからぬのか。お主の目の前には既に質問の答えがいるではないか。しかも、彼奴は━━━」
「っ…サ、キ……?……サキヴェルシア!」
そこには、昏い光を纏ったサキの姿があった。しかし、果たして彼をサキと呼んでいいものだろうか。少なくとも、暁にはサキの姿をしたまったく別の存在のように感じられる。
その事をユリナディスに話すと、彼女は、その険しい顔に薄い笑みを浮かべて言った。
「ほう?さすがにそれくらいならわかるか。そうじゃ、あれは主の知る男とは違う。中に何者かが入り込んでおるのじゃ……いや、何者か、とは言い方は誤解を招くの。あれの通り名は、バーディア。お主も知っておるじゃろうが、元三闘神のうちのひと柱で、あの神魔の実の父親じゃ」
「っ……サキの、父親?……だが、なぜこんなところに……」
「そうじゃのう。彼奴の相手は、アカネがしていたはずなのじゃが……一体、何をしているのやら」
「アカネ?誰のことだ、それは。いや、それよりも、今更だが貴女はなぜティルカの身体の中にいる」
「ど阿呆!いまはそんなことなど、どうでもいいではないか!もっと別に考えなければならぬことが、いろいろあるであろう」
暁の空気をまったく読まない天然発言にユリナディスは苛つき、額に青筋をたてていた。
その様子をじっと見ていた邪神が、納得したように頷いた。
「あぁ、そういうことか。我が玩具の中に何かの気配を感じてはいたが、まさか竜族を憑けていたとはな。ますます面白い……それに」
バーディアの視線が、ユリナディスから暁へと向けられる。その時、暁はルビアスから視線を向けられた時と同じ不快感を覚えた。
それに気づいているのかどうかはわからないが、バーディアは愉快げに顔を歪めながら言った。
「珍しい、毒々しい匂いを僅かに薫らせる男。そういうことか、貴様が我が兄の造った眷属にして一番のお気に入りということか」
くくく、と愉しげに笑うバーディアに対し、暁は苦虫を百匹噛み潰したかのような不機嫌な顔をした。
「……どういうことだ」
「くくく、貴様にはわからないか。ならば教えてやろう。いまの貴様からは、我が兄と同じ匂いがするのだ。その匂いは、中級魔までならば寄せつけはしないだろう。つまり、その匂いは兄の寵愛を得ている証であるということだ。そうだな、マーキングに近いと言っても過言ではない。貴様は我が兄のものだと周囲に示しているようなものだからな」
「気持ち悪っ、虫酸が走る。あの男、そんな気色の悪いことをしていやがったのか!」
暁の脳裏に、憎たらしいほどの笑みを浮かべたルビアスの顔が映し出される。同時に不快感が絶頂を迎え、暁の口調は荒くなり、声量も無意識のうちに上がっていった。
凄まじい不快感と嫌悪感を露にする暁に対し、バーディアは怪訝そうな顔をしていた。
「何を嫌がることがある?眷属の身でありながら、貴様は主たる我が兄の寵愛を得ることができたのだ。普通は喜ぶものだろうて」
「喜ぶだと?お前たちの普通がどうかは知らないが、あんな気持ちの悪いナルシスト傾向にある危険で愚劣極まりない男の寵愛など、俺からすれば欠片ほどの価値すらない。そんな下らないもの、ゴミと共に棄てやる」
暁は仮にも創造主であるルビアスのことを侮蔑という気持ちを込めて罵倒した。いっそ、清々しいまでの嫌悪感をルビアスに対して向けている。
一方、暁の侮蔑混じりの言葉を最後まで黙って聞いていたバーディアは、顔を俯かせながら身体をぶるぶると震わせていた。
━━━━怒ったか?
我が兄と、ルビアスのことをそう称したバーディアはルビアスの弟ということになる。兄が罵倒されて、弟としてはやはり腹立たしいものかもしれない。
しかし、一戦を交えることさえ覚悟していた暁の耳に入ってきたのは、怒りの声ではなかった。寧ろ、押し殺しているようで、堪えきれていない、バーディアの愉しげな笑い声だった。
わけがわからず訝しげな顔をしていると、バーディアが右手で口元を覆い隠し、暫し待てというように左手を此方に向けた後、その左手までも口に持っていき、肩を震わせ爆笑した。
笑いが収まったのを見て、暁が眉を寄せた顔で話しかけた。
「……なぜ笑う。怒りはしないのか?仮にも兄を悪く言われたんだぞ」
「くくく、なぜ怒る?貴様の言う通り、仮にも兄ではあるが、だからといって特に思い入れは無いしな。別に怒りなどせぬ。それより」
笑い混じりに話していたバーディアが、急に不穏な光を目に宿す。警告にも似た直感から咄嗟に左腕を顔の真横に持っていき、防御の型をとった。
その直感は正しかったようだ。バーディアは瞬きするスピードよりもはやく暁の左に、手刀を打ち込んだ。
(……なんて、力だ………………)
傍目から見るとさほど力を入れていないように見えるが、バーディアの手刀は握り拳で攻撃されているかのように重く感じる。
軽く汗を流す暁に対し、バーディアは余裕綽々といった顔で暁の耳元に囁いた。
「生憎、兄弟の情というものは持ち合わせていない。だが、いまふと思ったのだ。兄のお気に入りである貴様に私が手を出せば、兄はどんな顔を見せてくれるかとな。だから、貴様には一時的な私の玩具になってもらう」
そういうと、バーディアは暁から離れ、今度は勢いをつけ、暁の鳩尾に向かって足を蹴りだした。
(くっ、間に合わない━━━)
暁が次に来る衝撃を予測して目を瞑る。しかし、いつまでたっても衝撃は訪れなかった。
ゆっくり目を開けると、そこには見知らぬ男がバーディアの攻撃を受け止めていた。
誰だと問おうとした暁の声を遮るようにして、ユリナディスが先回りして答えた。
「そやつがアカネじゃ」
「……この男が」
「うむ。バーディアの相手をしていたはずのアカネの様子が気になっての、お主らが話している間に探しにいったのじゃ。そしたら……まあ、ここからは彼奴の沽券に関わるゆえ話すのは止めておくかの」
ユリナディスが話すことを躊躇うなどと……一体何があったのだろう。
気になる暁ではあったが、他人が不快になるようなことをわざわざ聞き出したりするようなことはしない。
「そこの神竜からすべて聞きましたー。なぁ、あんた姫さんと契約してるっていうんなら、姫さんのことを手伝ってやってくださいよ。いまはまだ姫さんの傷が癒えてないから意識を取り戻すことはできないらしいんですけど、意識が戻ってからでいいので。邪神は、オレが相手しときますから!」
人懐っこい笑みを浮かべて言うアカネに暁は暫し呆然としたが、不機嫌そうな声によって現実に引き戻された。
「戯れ言を。貴様の相手をしている暇など私にはない。去れ」
「はっ、まだオレと殺り合いの最中だっただろうが。途中で抜け出ておいて図々しい。あの男と殺り合いたいってんなら、まずはオレを倒してからにしろよ!」
「どうも、貴様は早死にしたいらしいな。良かろう。貴様の望み通り、直ぐに終わらせてくれる!」
互いに凄まじい殺気を迸らせ、一歩も引かずに相手を鋭く見据える。
ふたりの闘気に満ちた空間で、ユリナディスは険しい顔をし、暁は釈然としないような顔をしていた。
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