視線
急に書きたくなって書いたものです。
夜の病室で、消灯を迎えた。
もう入院生活も長く、3週間を越えるかといった所。夜の大部屋は意外と五月蠅い。いびきはともかく、寝言は当たり前。病状から一晩中しゃっくりをしている人や、咳こんだり尿瓶を使って排泄したりと賑やかだ。
それでもほとんどの患者は眠っているものだ。が、私は退院間近という事もあって、体力も気力も日常生活の時と同じに戻っている。つまり病院での消灯が早すぎて眠れないのだ。
最近の病室では普通に携帯が使えるのが救いだ、と考えながら今日も夜更かしをしている。
私がいるのは6人の大部屋で、ベッドの一つ一つの周囲にカーテンが引かれるタイプだ。そんなベッドの一番廊下側。窓から離れているため外部の音も入りづらく、落ち着ける場所と自分では思う。消灯時間が過ぎれば、非常灯のあかりがぼんやりと足下辺りで光っているのが確認できるだけだ。
シャッとカーテンが引かれ、細い明かりがベッドを照らした。
「まだ起きていたんですか」
「あぁ、いつもの通りまだ眠れなくてね」
もう3回目のやりとりだ。看護士とは大変だな、と思うときでもある。結構まめに病人を見て回り、点滴の残量チェックや病変がないかなどの確認をしているのだ。私もこうやって入院するまで知らなかったものだ。
「眠れないのはわかりますけど、眠る努力はしてくださいね?」
そういって彼女はカーテンを引いて、別の見回りに行った。そして私は改めて携帯でネットを見たりと暇つぶしを始める。
10分位たっただろうか。ふと視線を携帯から反らした時、自分の見たものがしばらく分からなかった。
なんだろう? 不思議に思いカーテンの隙間にある異物を見つめ続けた。
ようやく回転を始めた脳が理解を始めた。驚きのあまり気付かなかったのだ。
視線が合っているのは『目』だった。
カーテンを引かれたわけではなく、皺のある細い指を使ってカーテンの真ん中を押しやるように広げ、その隙間から誰かがじっと覗いているのだ。
うなじの毛が逆立ち、大声を出そうとして慌ててやめる。
ここは深夜の病院で、病室なのだ。大声を出して他人の安眠を妨げるのはどうだろう?
ここまで冷静になる必要はなかったのだが、この時は何故かそんな考えが浮かびナースコールを押そうとした。
だが流石に病院だけあって、見回りの看護士が先に気付いたようだ。
「どうしましたー? お一人で動けますかー」
何故、そんなに暢気に声かけしているんだろう。この状況がわからないのだろうか。
たぶん分からなかったのだろう。覗いているとは普通思うまい。しかし覗いている人物からの返答もまた驚くべきものだった。
「叔母さんを探しているんです…」
何故かより大胆になり、顔全体をカーテンの中に入れてきた。私を見つめていたのは、入院着を来ていた老婆だった。
「そうですかー、叔母さんはここにはいませんよー、病室に戻りましょうねー」
「でも、叔母さんを探しているんです…」
看護士と会話をしているにも関わらず、視線は私を見つめたままだ。もうすぐ40歳になろうという男性であり、入院も長く無精ひげも生えてる私を見つめたまま。
ここで看護士もようやく他人のベッドを覗いている事に気付いたのか、慌てて老婆の肩に手をやり続けて話しかけた。
「そうですかー、では明日にでも叔母さんに連絡しておきますから戻りましょうねー」
「お願いします…」
そう言って老婆は看護士に連れられて、自分の病室へと戻っていった。
ふぅ、やれやれ。退屈な入院生活ではあるが、こういったトラブルは遠慮してもらいたい。少し認知症の毛があるのかな?
老婆を連れ戻した看護士とその同僚が会話をしながら見回りを開始したのを横目に、そんな事を考えながら暇つぶしの作業に戻る。
私の病室の横を通り過ぎるとき、看護士の呟きが耳を打った。
「叔母さんっていたっけ?」