冬の章・24 年越し、もしくは年明け
忘年会と称して、篠原が指定したのは某高級焼肉店だった。
さすがに高級と謳うだけあって、頼んだ肉はどれも旨かったが、会計もなかなかのものであった。
「清く正しい男女交際でお願いしますよ」
冗談めかした篠原の言葉に、ふと愕然となった。
彼女と付き合うことになったいいが、果たしてどこまで付き合いを深めていいものか。
相手は学生、こちらは教員。付き合うとならば、多少は腹を括らねばならないだろうと思う。しかし、節度は必要だ。
この間はつい抱き締めてしまったが、彼女はまだ未成年。もう一歩進めるなら、せめて二十歳を迎えてからの方がいいだろうか。
いや……やはり卒業を待つべきか?
しかも、ひなたは恐らく男女交際は始めてのはず。全てが初めてというのは、男として嬉しくもあるのは事実。しかし初めて故に責任がある。もし自分と付き合うことで、トラウマを作る切っ掛けにでもなったら……一大事だ。
論文に目を通していると、メールの着信があったので何気なく携帯電話を手に取って気が付いた。
「あ」
数件届いたメールは、学生や数少ない友人からの新年のご挨拶状だった。気付けば深夜零時を過ぎている。
「年が明けたか……」
ひなたにも年内に連絡しようと思いながらも邪念に囚われ、いまだに連絡ができないでいる。
だからと言って、交際を取り止めるつもりはない。
すでにひなたの電話番号とメールアドレスは登録済だ。連絡をすると言っておいて、まだ一度もしていないなんて。彼女が連絡をまっているかもしれないのに。
待っている、だろうか。
ふと不安になるが、きっと待っていると信じるしかない。彼女は待っていると言ってくれたのだから。
鉄は熱いうちに打て。さあ、決心が鈍らないうちにメールを打ってしまえ。
件名:飛沢です
本文:明けましておめでとう。
今年もよろしく。
さすがにこれはない。これでは普通の新年の挨拶に過ぎないではないか。
しばらく考えて修正をしてはみたが。
件名:飛沢です
本文:明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
大して変わらない。大してというか、単に語尾が丁寧になっただけだ。
ただ会いたいと伝えたいだけなのに、どう文字を綴ればいいのかわからないなんて……。
「中学生か、おれは……」
髪をバリバリっと掻き毟ると、再度メール本文作成に取り掛かる。
件名:飛沢です
本文:明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
明日、会えますか?
確か正月に両親の実家に日帰りで行くと言っていた気がする。
元日は家族で過ごすだろうから、さすがに明日は無理だろう。
件名:飛沢です
本文:明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
近いうちに、会えますか?
よし、これでいいだろう……たぶん。
思い切って送信する。思っていたより緊張していたようだ。すぐには返事は来ないだろう。
「コーヒーでも淹れるか」
うーんと伸びをした時だった。携帯電話が激しく震えた。
何か予感がして、慌てて携帯電話を手に取る。発信者はひなたであった。
そういえば、彼女が研究室でのバイトを始めたらばかりの時、緊急連絡先として教えていたのを思い出した。
「はい、飛沢です」
『もっもしもし山田です』
うわずった、緊張気味の声。数日振りの彼女の声だ。
今になってようやく気が付く。ずっとこの声を聞きたかったことに。
「明けましておめでとう」
『あっ、おめでとうございます! 今年もよろしくお願いします』
電話をしながらお辞儀をしている様子が目に浮かび、思わず笑いを溢してしまう。
『あの、先生?』
「ああ、ごめん……何でもない」
柄にもなく浮かれている自覚はあった。冷静になれ、と気持ちを引き締める。
『夜分遅くにすみません、今大丈夫でしたか?』
「ああ、大丈夫だ」
『ごめんなさい』
「メールをしたから、電話をくれたのだろう?」
『それはそう、なんですけど……』
「年越しだからいいじゃないか」
『すみません……あの、メールのことですが、わたしはいつでも大丈夫です』
「元日にご親戚のところに行くと、この間聞いた気がするのだが」
『いえ、あの……今年はキャンセルしようかなって思っていたんです』
「こちらのことは気にしなくていいから、ご家族と過ごしてきなさい。泊まってはこないのだろう?」
『はい……でも』
きっと、こちらの都合に合わせなければと思っているのだろう。だかお互い譲り合わなければ、すぐに無理が来てしまう。
家族のことも友人のことも、はたまた学業のことをも疎かにして恋愛に没頭する者もいる。彼女にはそうはなって欲しくないと思っているし、させたくないと思っている。
「今日は私も父のところに顔を出すつもりなんだ」
『あ……そうおっしゃってましたね』
そっか、今はもう今日だったんだ。と、呟く声が聞こえる。
『じゃあ明日には逢えますね』
「そうだな」
早く逢いたいと思っているのは自分だけじゃないのだと知って、嬉しいと思うと共に安堵した。
「寒いからな、どこがいいかな……」
たまに足を運ぶ珈琲店、居酒屋、よく行く書店と古書街が思い浮かぶが、若い女性が喜ぶとは言い難い。ビリヤード、ボーリング、カラオケ、ダーツ、スケート……あまり行きたいと思わない。水族館、動物園、遊園地、美術館、映画館……寒いしこのへんが妥当であろうか。
『あの! 行きたいところがあるんですけど、いいですか?』
「ああ、もちろん」
『初詣に行きたいです』
予定ではあと2話で完結です。
あと少しお付きあいください。