冬の章・12 恋の屁理屈
感情を汲み取りにくい先生の目が、何かを言いたげにわたしを見つめる。一瞬だけ触れ合った手はひどく温かくて。
何となく冷たそうだと思っていた先生の手が温かくて、当たり前だけと先生も生身の人間なんだと実感して、わたしの手なんか簡単に包み込んでしまう骨張った大きなては、まぎれもなく男の人のもので。
それから表情が乏しいと皆に(主に篠原さんに)言われている先生の貴重な笑顔が、わたしの心臓を騒がしくすることに気が付いてしまった。
※ ※ ※
「で?」
「ありがとうって。ちゃんと受け取って貰えたよ」
ほくほくとした気持ちで智美に伝える。他にはと問われたので首を横に振ると、何故だか盛大な溜め息を吐かれてしまった。
「え、なんで溜め息?」
「まあ、いい。ひなたらしくて安全するけど」
本日はとうとうクリスマスイブ。小原順也の企画したクリスマス会の片隅で、ひなたと智美は今夜の最終確認をしていた。アリバイ作りは綿密であればあるほどいいらしい。
みんなカラオケで大盛り上がりなので、隅っこで内緒話のように耳を寄せないと会話できない。
「ところで、ひなたはこの後どうするの?」
「ああ。漫画喫茶でオールしようと思って」
「そっかあ……ごめんね」
「ううん。読みたい漫画もいっぱいあるし、クリスマス限定スイーツがあるから楽しみ」
「そっかあ……」
珍しく智美が申し訳なさそうな様子だ。
「わたしさ、ひなたは先生と過ごせるだろうから良かれと思っていたんだけどね」
「ないない。奇跡でも起こらない限りないってば」
大丈夫、と笑って見せるが、自分で言った言葉のせいで落ち込んでしまいそうだ。
そう。飛沢先生と一緒にクリスマスを過ごすなんて、夢のまた夢なのだから。
「ほら、そこの二人。隅っこで固まっていないで、何か曲入れなさいね」
三年生の美和子先輩……順也の所属している卓球サークルの人だとしか知らないが、気さくで綺麗な人だ。
わたしも美和子先輩みたいに大人っぽくて、綺麗だったら少しは可能性があったかもしれないのに。
「ん? わたしの顔に何か付いてる?」
無意識のうちに、美和子の顔を凝視していたようだ。ひなたは慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい! 美和子先輩綺麗だから、つい……」
「見惚れちゃった?」
「はい……」
「え、やだホントに? もう、山田さんってば嬉しいこと言ってくれるなぁ」
ばんばんと肩をカラオケの本で叩かれる。軽くではあるのだろうが、それなりの重量がある本なので地味に痛い。
「こら、若い子をいたぶっては駄目だってば」
照れる美和子の頭に、どすんと厚みと重量のある本を乗せたのは、小原順也だった。
「ちょっと、重ーい!」
美和子が不満を漏らすと、順也はやれやれと首を竦める。
「重いでしょ? 美和ちゃんが持ってるのと同じ本だよ」
「あ、やだ。ごめんね山田さん!」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
「ごめんね。じゃあ、曲入れてね」
分厚い本を渡され、ひなたは途方に暮れる。智美と二人でならいいが、大人数の時は恥ずかしくて出来れば辞退したい。智美は少々マイナーな洋楽好きなので、不特定多数の時は歌わないことにしている。
二人で顔を見合せ、うーんと唸る。
「もしかして、二人ともカラオケ苦手?」
「ええと、大人数だと、ちょっと……」
「智美ちゃんも?」
「うん、ごめんね」
「そっか。じゃあ、もっと遠慮なく好きなものを頼んでね」
「ありがとう」
順也は分厚い本を引き取ると、替わりにメニュー表を手渡す。
「じゃあ、二人の分は俺が歌っちゃおうかな」
パラパラと本を捲り手早く曲を決めると、ひなたと智美のオーダーな他に、ビールやおつまみも内線電話でちゃっちゃっと注文する。そうこうしているうちに、順也の入れた曲が回ってきた。
「おおー、上手いね」
「うん」
智美の称賛に、ひなたも頷く。
よくドラマやアニメのタイアップに使われているアーティストだから、ひなたも知っている。たしか弟の祥太郎も好きだよな、なんて思いながら熱々のフライドポテトを口に入れる。
「もし彼氏とかいなかったらさ。身近にこんな人がいたら、惚れてもおかしくないよね」
「そうだね」
確かに。そんな女の子は少なくはないだろう。頷いてから、智美らしくない発言にはっとなる。
「……って、え? 智美ちゃん、彼氏がいるよね? まさか」
「やだ違うってば、一般論だよ、一般論」
「なんだ、そっか、よかった。でも智美ちゃんがそんなこと言うなんて珍しいね」
「だってさ。こんな人が身近にいるのに、何で先生に行くのかなあって素朴な疑問」
一瞬呆けるが、自分のことを言われているのだと、ようやく気付く。
「そんなこと言われても……」
自分でもよくわからない。気が付いたら先生のことばかり気になっていたのだから。最初はあれだけ怖いと思っていたのに不思議だと思う。
「なんでだろ……」
今まで「先生」という立場の人をは、あくまで「先生」で、同じ人間と思っていなかった……というのは言い過ぎだけど、ひとりの人間として見たことがなかった。多分飛沢は最初の出会いでは「先生」じゃなかったからかもしれない。
でもどうして好きになったのだろう?
怖そうだと思っていたけど、意外にも可愛い面があったりしたからだろうか?
「どのあたりが可愛いのか、さっぱり理解できないけど、つまり、ひなたはギャップに弱いってこと?」
「そ、そうなのかな」
ギャップに弱いと言われて、確かにそうかもしれないとも思う。でもそれだけで好きになったりできるものなのが、そもそも好きって何だろう。
考えれば考えるほど、わからなくなってきた。
「……智美ちゃん」
「ん?」
「わからなくなっちゃった」
「へ?」
「どうしてわたし、先生のこと好きなのか」
「あのね、ひなた。恋愛感情に理由はないの」
「でも、どうして順也くんじゃなくて、先生なのって、智美ちゃん言ったじゃない」
「確かに言ったけど、理屈じゃないんだってば」
「でも! 理屈があってこそ、今の感情が導かれたわけでしょ」
「あー……うん、そうだねえ……」
順也の歌は一番盛り上がるサビの部分だ。しかも甘いラブソング。
なのにひなたと智美の間には、その熱唱は届かない。
「……わたし、ホントに好きなのかな」
ひなたの不安げな呟きに、智美は微笑ましいものを見るように目を細める。
「まあ、今夜はゆっくりそのことについて考えてみたら?」




