秋の章・8 篠原のお誘い
会議が終わった後、一緒に研究室に戻った篠原が「さて」と手を打った。
「さて、ミーティングはじめようか」
満面の笑みの篠原を目にして、誉は眉根を寄せる。
「なんのミーティングだ?」
何となく察しは付いていたが敢えて聞いてみる。
「ま、反省会ってやつかな。結婚式の時、何にも収穫がなかったじゃない」
やっぱりそうか。思わず眉間に皺が寄るのを自覚する。
「そもそも俺は婚活しに行ったわけじゃないぞ」
「せっかく一張羅貸してあげたのになあ」
「あれはお前が人のことを、ださいだのむさいだの言うからだろうが」
「だって事実だし」
ぶつぶつと文句を言いながら、部屋の片隅に置かれた食器棚を物色し始める。
「お、スタバのインスタントコーヒーだ。キャラメルの貰うよ」
勝手にマグカップを手に取り、ポットのお湯を注ぐ。ふわりと甘い匂いが鼻を掠める。
「貰うよもなにも、もう貰っているだろうが」
「ケチだなあ。で、誉くんは何淹れる?」
「……同じもので」
ムッとした声色で答えると、椅子に身体を投げ出した。
結局結婚式の場で、篠原の期待するようなやり取りは何一つなかった。唯一連絡先を交換したのは、父のかつての教え子だったという受付の男女二人組だけ……というよりは単なる名刺交換なのだが。
しかも、ひなたへの想いを改めて自覚してしまった直後なのだ。他の女性に目が行くわけがない。だが、その想いを彼女に伝えるわけにもいかない。
篠原が差し出したマグカップを受け取ると、黙ってコーヒーを啜る。
「実は、知っているんだな」
誉の机に軽く腰を掛けると、マグカップを掲げて二コリと笑う。
嫌な予感がする。「何をだ」と仏頂面を貫くが、反比例するように篠原は満面の笑みを浮かべる。
「誉くんが何故婚活に熱心じゃないのかだよ。いるんでしょ、意中の人が」
鋭い。
内心ひやりとするが、バカバカしいと鼻で笑ってみせる。
「何が意中だ。そもそも親の結婚式だぞ。婚活なんてできるか」
「でも、誉くん『わかった。俺に任せろ』って言ってたし」
「言っていない」
「あーあ、せっかく男前に仕上げて上げたのに」
「感謝する」
あっさりかわすと、篠原は面白くなさそうにコーヒーを啜る。
「ぜーったい、一人くらい騙されてくれると思ったんだけどなあ。声掛けてきた人、一人もいなかったの?」
騙されてとは失礼なと思ったものの、余計なことは言わずに聞き流した方が得策だろう。
「残念ながら」
またもや、あっさりした返事を返す。
「うーん、そっかあ」
思案顔でため息をつくと、痛ましそうな目を誉に向ける。
「そこまでモテないなんて……友人として気の毒としか言いようがないよ」
「大きなお世話だ」
「よし!」
唐突に篠原は大きく手を打った。
「こうなったら合コンだ」
「またか」
篠原の口から合コンという言葉を何度聞いたことか。
「人のことばかり言うが、そういう自分はどうなんだ」
「誉くんよりは、付き合っていた相手の数は多いと思うよ?」
「そうではなくて……」
実は篠原の恋愛遍歴はほとんど知らない。今までも何度か訊ねたものの、のらりくらりとかわされてしまう。他の友人の話によると、あまり付き合いが続かないらしく、頻繁に相手が変わっているらしい。
「そんなに言うなら、協力してよ」
「構わないが、一体何を協力しろと……」
「今週の金曜日。八時から空けておいてくれない?」
「今週の、金曜日?」
思わず眉をひそめる。
「協力してくれるって言ったよね」
「まあ、そうだが」
「よしきた!」
有無を言わさない笑顔に、非常に嫌な予感がよぎる。誉の不安をよそに篠原はおもむろに胸ポケットから携帯電話を取り出した。何度か液晶画面に指を滑らせると、満足げに「よし」と頷く。
「あーよかった。これで頭数が揃った」
「おい、結局合コンか!」
「はいその通りーよろしく!」
「…………」
開き直ったらしく、敬礼のポーズを取ってウインクまでしてくる始末。正直男のウインクなんて、見たくもない。
協力しても構わないなんて言うんじゃなかった……。
後悔しても後の祭り。嬉しげな篠原を眺めながら、心の中では後悔の嵐が吹き荒れるのであった。