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夏の章・10 酒は呑んでも呑まれるな

 たとえば……?


 その後に彼女が紡ぐ言葉を、固唾を飲んで待ち構えている自分に気がつく。

 何を考えているんだ、俺は。

 我に返ると、彼女の瞳に映る自分の姿が見えそうなほど、互いの距離が近い。


「たとえば、だ」

 視線を断ち切るように、誉はさりげなく眼鏡を掛け直す。

「小原くんのような青年だったらどうだろう?」

 咄嗟に思い浮かんだ名前を告げる。

「小原くん……ですか」

 ひなたは少し考えてるように目を細めると、不意にふわりと微笑んだ。

「気さくで、優しくて、カッコよくて、良い人ですよね……」


 まったくその通りだ。男の誉でも、順也はいい青年だと思うほどだ。なのに彼女の口から聞くと、気持ちが凹むというか、胸がもやっとするような……つい最近、同じような気分になったような気もする。


「先生も、優しいですよね」

「?!」


 思いもよらない言葉に固まる誉を見て、ふふふと笑う。


「最初、ものすごく怖かったんです……本当に怖くて、先生のところでバイトを始めたことをちょっと後悔したりもしました」


 ひなたが何気なく告げた言葉は、ハンマーで頭を殴られたような(少々大げさではあるが)ショックを誉に与えた。(当然、ひなた本人は気がついていないが)


 薄々は感じていたが、まさか、そこまでだったとは……。

 最初のひなたの態度を思い起こしてみると、顔を合わせるたびにビクビクと怯えていた。当時も怖がられているという自覚もあったが、まさかそこまでとは思いもしなかった。


 ……それなのに、俺は。彼女が自分に思いを寄せているのではないかと、とんでもない勘違いをしていたとは。


 羞恥のあまり体温が急上昇する。頭を抱えて叫びたいところだが、ここは居酒屋(の事務室)、目の前にはひなたがいる。今更酔いが回ってきたかのように、ぐらぐらとしてきた頭を押さえることしかできなかった。


 一方ひなたは、誉が相当なショックを受けたとは夢にも思っていないようだ。にこにことしながら話を続ける。


「でもチビ太の名前、可愛いって言ってくれて……チビ太も懐いていましたし、先生って意外と優しいところがあるんだなあって思いました」


 意外と、か。

 しかも優しいさの基準は、犬のチビ太が好くか好かないかとは。


「……何故か動物には好かれるタチのようでね」 

 誉は、はははと乾いた笑いを漏らす。

「あと、ネズミーランド好きなのは意外でした」

「?」


 ここでどうしてネズミーランドが出てくるのかわからないが、嫌いではないが、特別好きというわけでもない。恐らく篠原あたりがいい加減なことを吹き込んだのだろう。


「意外でびっくりしましたけど……先生って可愛いところがあるんだなあって」


 か、可愛い?!

 またもや予想外の発言に、誉は一瞬言葉を失う。


「山田さん、冗談は……」

 掻き乱れた心を、懸命に平常に戻そうとするが、ひなたはそれを許してはくれなかった。


「えい」


 にこにこしながら、誉の眼鏡を奪い取る。まさかのひなたの行動に呆然となるが、すぐに我に返る。


「か、返しなさい」

 返せと手を差し出すが、ひなたはくすくすと笑いながら眼鏡を掛けてしまう。

「うわ、先生の眼鏡……度がきつい」

 掛けた途端、ひなたは顔を顰める。


 それもそのはず。誉の視力は0.1以下。普段裸眼で過ごしているひなたには、相当キツイはずだ。


「……返しなさい」


 一体どの辺りから、泣き上戸から陽気モードへと切り替わったのか。ひなたから眼鏡を取り返そうするが、取られてたまるかと、ひなたは頭を振って誉の手から逃れようとする。


「山田さん。いい加減に……」

「先生って眼鏡していない方が……ひゃっ」

 ふざけていたせいだろう。バランスを崩したひなたの身体が、椅子からずり落ちる。

「!」

 眼鏡していない方が何だ?!

 反射的に手を伸ばす。中腰の姿勢から、滑り込むように彼女の身体を受け止めるが。


「いっ……!」

 おかしな姿勢で受け止めたせいだろう、右肩に激痛が走る。

「せ、先生?!」

 苦痛に顔を歪める誉の様子に、ひなたの酔いも吹き飛んだようだ。

「大丈夫ですか!?」

 慌てて誉の上から飛び退くと、どうしたらいいのかわからない様子でおろおろとする。

「どうしよう……病院、救急車……誰か呼んだ方が」

「大丈夫だ」


 実はまったく大丈夫ではない。あまりの痛みに脂汗が滲んでくる。だが、必要以上にひなたを不安にさせないように、柄にもない笑顔を浮かべる。


「ちょっと、手を貸してくれないか」

 痛みのない左手を伸ばす。

「は、はい!」

 ひなたに支えられながら、誉はよろよろと立ち上がる。


「山田さん」

「は……い」

 答える声がわずかに震える。緊張で強ばった彼女の背中を、安心させるようにポンと叩く。

「そんなに元気なら、もう帰ろうか」

「……はい」

 泣き出しそうなひなたから、そっと眼鏡を外す。やっと自分の下へ戻ってきた眼鏡は、フレームが少々歪んでいた。



 やせ我慢を総動員して、ひなたの前では平気な顔をしていたものの、彼女を無事自宅へ送り届けた直後、もう我慢は限界だった。


 翌日まで我慢とも思ったが、これはとても我慢ができるレベルではなかった。どうにかこうにか、夜間受付をしている病院へ飛び込んだ結果、肩関節亜脱臼、全治約三週間と診断されたのだった……。

怪我をさせるつもりはなかったのに……。

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