春の章・18 なんだか自己嫌悪
誉くんの章です。
勝手に落ち込んでおります…。
足早に公園から出た誉は、周囲に人がいないことを確かめると、緩みそうになる口元を押さえた。
彼女とあんなにたくさん話をしたのは、初めてではなかろうか。
楽しかった。単純に。
彼女は案外、思ったよりもお喋りは好きなのかもしれない。
ひなたとの会話を思い起こしながら、再び緩んできた口元を慌てて引き締める。
おいおい、浮かれ過ぎだろう……。
気を引き締めようと、自分の頬を軽く叩く。
女子学生と会話をしたくらいで浮かれるほど、女性と接点が無いわけではない。無いわけではないが、大抵は大学関係者ばかりだ。だが会話の内容も研究や業務に関することばかり。プライベートな会話など、ほぼ皆無に等しいのではなかろうか。
どうでもいい話をするような相手は、父の圭介と事務の篠原くらいだ。
……ちょっと待てよ。
今更になって気が付いた。毒にも薬にもならないような他愛のない日常会話。こんな話をすること自体が久し振りだったのだと。気付いた誉は、愕然とした。
もしかすると、誰かと会話をするという行為に飢えていたということか?
大学教員という仕事柄、人との関わりは多い方だ。しかしプライベートまで関わるような間柄ではない。同じ教員の中には、休日にスポーツや帰りに飲み会と、なかなか楽しげな関係を築いている者もいるが、それを羨ましいと感じたこともなかった。
年に数回ではあるが、大学時代の友人たちと顔を合わせ、月に一度は篠原の飲みに付き合わされ、家に帰れば父親と他愛のないやりとりもあった。
だが一人暮らしを始めて知った。家事労働も全部一人でやらねばならない。何よりも普段のどうでもいい話をする相手もいない。
こういうのを、親のありがたみを思い知る――というのだろうか。
年齢は世間一般では、一人前(目上の教授連中に言ったら「お前なんかまだまだ半人前だ」と言われそうだが)といってもいい歳だ。就いた仕事も若い頃から「先生」と呼ばれるようなものであるせいか、もしかしたら多少はいい気になっていたのかもしれない。
中身はまだまだ半人前。大人の体裁を取り繕っているだけだ。
家事労働と自己管理を怠り体調を崩すわ、つい最近まで高校生だった相手とちょっと話ができたからといって浮かれてみたり……。
情けない。
唐突に、頭を抱えてしまいたい衝動に駆られる。
彼女がもしかしたら自分に好意を抱いているなどというのも、もしかすると寂しさゆえの妄想か?
考えれば考えるほど、情けなさが募ってきた。頭痛すらしてくる。
さっきまでの浮き立った気分から一転、今日の天気とは裏腹な曇天のような気分だ。
しかし、こんな道端で一人落ち込んでいるわけにもいかない。気付けば歩道の真ん中で立ち尽くし、項垂れたまま弁当容器の入ったレジ袋を握り締めていた。
我に返った誉は、何事も無かったかのように歩き出す。前方を歩いてきた小学生男子二人組が、驚いたように飛び上がる。じっと立ち止まっていた人間が、突然猛然と歩き出したからであろう。
しまった、怪しい奴になってしまった……。
気まずい気分を抱えながら、硬直する小学生の脇をすり抜ける。
取り敢えず帰ろう。
今夜はとうとう父圭介の再婚相手と会う約束になっている。まだまだ時間は十分にあるが、家に帰って心の整理をした方がいい。
そういえば父さんの再婚相手。一体どんな相手だろう。
今まで考えなかったが(考えようとしなかっただけだが)、いよいよ対面しなければならない。
結婚か……。
妻を早くに亡くし、男手ひとつで誉を育ててきてくれた父。幸せになって欲しかった。父と連れ添う相手がたとえどんな人物であろうと、父を大切にしてくれる相手であれば十分だ。
こんな歳で義理の母親ができるとは思わなかったが……。
誉は軽く苦笑すると、晴れ渡った青空を見上げた。
時間がかかった割には短くなってしまいました。
次はいよいよお父さんの再婚相手とご対面です。