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小話 先生が物件を決めるまで

今回は春の章からの小話です。

飛沢先生が、賃貸物件を決めた時のエピソードです。

 その日の帰り、駅前の不動産屋を覗いたのはほんの思いつきであった。

 朝にひとり暮らしをしようと思い立って、その日に不動産屋で気に入る物件が見つかる訳がない。ざっくりと相場を知っておくのもいいだろうと、立ち寄っただけのつもりだった。


 誉が足を止めたのは、全国展開している不動産屋の支店。道に面した窓ガラスに掲示された物件情報がふと目に入った。毎日のように通っている道だ。不動産屋の前だって必ず通り過ぎている。恐らく今まで賃貸物件に興味の欠片も抱いていなかったせいだろう。


 人間とは不思議なもので、毎日目にしているはずなのに、まるで興味関心がないと全く記憶に留めない。だが興味を持った途端に、普段目に入らないものが見えてくるのだから面白いものだ。


「和室六畳二間、台所三畳。四畳半の納戸と、風呂とトイレ別……か」


 誉はまじまじと物件情報を凝視する

 しかもアパートやマンションのような集合住宅ではなく、一戸建ての借家である。しかも小さいながら庭もあると記していある。

 しかし、これで家賃が八万五千円というのは、はたして安いのか、はたまた高いのかがわからない。

 この辺りの相場はいくらなのだろう……。

 他の物件はワンルームで七万円前後から八万円台というものが多い。部屋数からすると、圧倒的にこの借家物件は安いが、そのかわり駅からが遠い。築年数もワンルーム物件よりも古いようだ。


「だが、一戸建てというのが魅力だな……」

「でしょう? お客さん」


突然、耳元で話し掛けられ飛び上がりそうになる。


「……?」


 怪訝な面持ちで振り返った誉の視界に飛び込んできたのは、恰幅が良く、愛想も良さそうな男だった。恐らくこの不動産屋の社員なのであろう。


「この物件ですか。運が良いですよお客さん。実はこの借家物件は今日入ってきたばかりでしてね、築年数は経っていますけど、これからリフォームもするので新築みたいに綺麗になりますよ。和室って書いてありますけど、今ご契約されたらフローリングに変更もできますよ」

「……はあ」


 突然話し掛けられ、咄嗟に反応できない。気のない返事を返してしまったにも関わらず、男はめげずに営業トークを続ける。


「今まではお風呂もバランス釜でしたが、リフォームの時に追い炊き給湯器付きのお風呂に変えたんですよ。最近はバランス釜だとあんまり人気がないっていうのもありますが、やはり安全ですからね。湯船を沸かしすぎて湯船が煮えくり返っているなんてことも起きないから安心なんですよね」

「……なるほど」


 最寄駅や周辺の環境だけではなく、設備上の安全面というのは重要なのだな。

 誉は感心したように相槌を打つ。すると脈ありと踏んだ男は、人の良さそうな営業スマイルを満面に浮かべ、誉の肩を軽く叩いた。


「借家の物件は少ないのでこの好条件でしょう? 今日だけすでに三人の方が見学をご希望されているんですよ」

「へえ……」


 ずいぶん人気の物件であるらしい。このままでは、すぐに借り手が決まってしまいそうだ。

 不思議なものだ。そこまで興味がなかったはずなのに、いざ人に取られてしまうと思うと急に惜しいと思ってしまうとは。


 とはいえ誉とて莫迦ではない。さっさと決めないと他の人に取られちゃうぞ……など商売人の常套文句に過ぎないとわかっている。


 だがこの物件はなかなか悪くない。

 まず家賃だ。月給の三分の一が適度な金額だと賃貸情報雑誌に書かれていたが、これに関しては問題ない。それに部屋が二つあれば、片方は書斎として、もう片方は寝室としてわけることができるのが魅力である。


 駅から徒歩二十分とあるが、誉の勤め先である大学からだと十五分もかからない。天気が悪い時はバスを使い、良いときは自転車過徒歩で通うのもいい。日頃の運動不足を解消するにはもってこいの物件だ。


「……とはいえ百聞は一見にしかずといいますからね。今からどうですか?」


 誉が目を瞬くと、男は満面の営業スマイルで応える。


「車で行けばすぐですよ。近いから三十分もあれば行って戻ってこれますし、よかったらどうです?」


 少々強引だと思いつつ、あまり嫌な感じがしない。どこか体育会系の匂いがする親しげな口調のせいかもしれないと、誉はひとり分析する。


「そうだな……」


 確かに男が言うように、実際に見ないとどんなものかわからないというのも事実だ。まず手始めに行ってみるのも悪くない。時には人間、勢いというものが必要な時もある。何でもというわけではないが、あまり慎重すぎてもかえって動けなくなってしまうものだ。


 よし、決めた。


「行きましょう」


 ようやく結論づけた誉は、きっぱりと男に告げた。

そんな風に不動産屋さんに乗せられて、先生は物件を決めてしまいました…。

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