用済みと骨割りの仕事を取り上げられ、爪印の一枚紙を集めました——川風の夜、お宅の提灯だけ潰れます
笑い声が、干し場の竹を一本ぶん余計に軋ませた。
「稼がぬ者は口を出すな」
親方——太一郎は、割ったひごを束ねもせずに言った。朝露の残る筵の上には四十本。川沿いの得意先から頼まれた提灯は十張りだから、親方のお考えでは一張りにつき四本、たいへん潔い。風も遠慮して四方からしか吹かないとよろしいのだけれど。
「そうだよ、那津。親方の仕事へ女が横から口を挟むもんじゃない」
お義母さまは新しい笄を髪へ差し、背の反りを指で撫でている。よい笄だ。あれを竹に戻して細く割れば、ひごが二百本は取れそうだった。頭へ挿すより提灯へ入れたほうが、少なくとも風の日には役立つ。
「聞いているのか」
「聞いております」
「毎日、紙を撫でて竹を選り分けて、それで働いたつもりか。銭を稼いでいるのは俺だぞ」
なるほど。骨を割る手間は銭にならず、紙を破らないよう節を削る手間も銭にならず、夜のうちに風向きを見て本数を足す手間も銭にならない。では親方が得意先から受け取るあの銭は、朝になると天井から生えてくるのだろう。ぜひ栽培法を教わりたい。水やりくらいならいたします。
わたくしが四十本の束へ目を戻すと、親方は鼻で笑った。
「嫌なら出て行けと言ってやろうか」
お義母さまも笑った。笄の背が朝日に光る。二百本。川風に耐える提灯なら二十五張りぶん。ぜいたくとは、じつに計算しやすい。
「さようでございますか。ところで親方、あの四十本で川風を越すおつもりでしょうか」
「四本あれば形になる」
「形には」
「紙を張れば同じだ。余計な仕事を増やすな」
親方は束を抱え、わたくしの肩を押し退けて作業場へ入った。十張りを潰さずに吊るすなら、骨は八本ずつ要る。足りない四十本を数えるのは一息で済んだが、その一息さえ親方の仕事には含まれないらしい。
よろしい。働かぬ嫁が触れたものなど、さぞご不快だろう。
わたくしは竹屑のついた前掛けを外した。干し場に残ったのは、親方の四十本と、川から上がってきた朝の風だけだった。
* * *
「吊るしてごらん」
お駒さんは挨拶より先に言った。
油壺の並ぶ軒下へ、わたくしは見本の提灯を吊るした。火は入れない。お駒さんは火袋の脇を指で押し、西から抜ける風にしばらく遊ばせてから、ようやくわたくしの顔を見た。
「八本」
「はい」
「親方は?」
「四本で張られます」
「潰れるね」
短い。お駒さんの言葉は、よく研いだ小刀に似ている。余計なところへ触れず、必要な場所だけすぱりと切るので、聞く側は笑って誤魔化す暇がない。
「で、あんたはどうする」
「これからは親方が張られますので、そのご挨拶に回ります」
「家を出るのかい」
「わたくしからは申しません」
お駒さんは、もう一度提灯を押した。骨は歪んでも戻った。わたくしの返事も押して確かめたかったのかもしれないが、そちらには指一本触れなかった。
「紙、持ってる?」
「一枚だけ」
「なら行っといで。濡らすんじゃないよ」
最初に回った得意先では、主人が板の間から身を乗り出した。
「これからは親方の手か」
「はい。わたくしは触れるなとのお指図でございます」
「同じ紙を使うんだろう」
「紙は同じでございます」
「骨は?」
「それは、親方がお決めになります」
主人は店先に吊るした古い提灯を見上げた。三年前、川風が軒へ巻き込むのを見て、上側だけ一本細くしたものだ。家の名は火袋の正面に大きく入っている。わたくしの名はどこにもない。
「次も、これを作った手に頼みたい。誰の手だ」
「わたくしでございます」
わたくしは一枚紙を差し出した。主人は文字を求めず、親指の爪へ墨をつけ、紙の端へ押した。小さな半月がひとつ。提灯一張りにも足りない大きさなのに、妙に重い。
二軒目の主人は、わたくしの話を最後まで聞かなかった。
「親方だけになるなら、うちは困る」
「まだ出来をご覧になっておりませんよ」
「だから印を押す。見てからじゃ、盆に間に合わん」
また半月が増えた。次の家でも、その次でも、わたくしは同じ挨拶だけをした。親方を悪くは言わない。四本とも言わない。ただ、これから誰の手が張るのかを告げ、誰の手を望むのかを紙に残してもらった。
夕方、お駒さんの軒下へ戻ると、一枚紙は爪の半月で縁取られていた。
「ずいぶん欠けた月だね」
「満ちるまで待っていたら、盆が終わりますもの」
「それで?」
「明日から、親方へ仕事をお返しいたします」
お駒さんは一度だけ頷き、油壺の口を塞いだ。慰めも、頑張れもない。ああ、ありがたい。頑張って竹が増えるなら、わたくしは夜通し頑張って八十本にするのだが。
* * *
翌朝、親方は竹の束をわたくしの前へ置いた。
「節を避けて割っておけ」
「骨割りも親方のお仕事と伺いました」
「そんなことは言っていない」
「紙を撫で、竹を選り分けるのは仕事ではない、と」
「口答えをするな。なら四本ずつ寄越せ」
十張りぶん、四本ずつ。わたくしは一本も多くせず渡した。以前なら節の薄いものを外側へ、しなるものを風上へ回し、足りないぶんは夜に割って束へ紛れ込ませたものだが、暇な嫁の余計な仕事は本日より休業である。休業補償は出ない。なにしろ元から賃金も出ていない。
親方は四本を輪に留め、火袋をかぶせた。紙を張れば、たしかに同じ丸さになる。風のない作業場では、四本も八本もお行儀よく立っているから、骨とは主人へ恥をかかせぬ忠臣である。
「ほら見ろ。できたじゃないか」
「ええ、形には」
「その言い方をやめろ」
お義母さまが廊下から顔を出した。今日は笄へ油まで引いてある。二百本ぶんの竹がつやつやと頭上で遊んでいた。
「那津、掃きものが残っているよ。紙を貼るくらい、誰にでもできる」
「お義母さま、割っていない竹がございます」
「それも紙を貼るうちだろう」
紙の守備範囲が広い。竹を割り、骨を組み、風を読み、ついにははたきまで持つらしい。あと二、三日すれば米も炊くに違いない。紙、働き者!
わたくしは作業場を掃き、竹屑だけを捨てた。使えそうな細片を拾って継ぐこともしない。親方のお指図どおり、折れたものは折れたまま、短いものは短いまま、すべて見えるところへ残した。
昼には、火袋の裾が一か所浮いた。
「糊が薄いぞ」
「わたくしは糊へ触れておりません」
「なら押さえろ」
「紙張りは誰にでもできるそうでございます」
「誰がそんな——」
「わたしが言ったよ。けれど嫁なら、親方が困っていたら手を出すものだろう」
お義母さまは笄へ手をやり、親方は浮いた裾を親指で潰した。二人の目が揃ってわたくしへ向く。昨日まで仕事ではなかったものが、返した途端に嫁の務めへ昇格した。出世が早い。わたくしも見習いたい。
「頼まれたことだけしていろ」
「さようでございますか」
それからわたくしは、本当に頼まれたことだけをした。
四本と言われれば四本。紙を運べと言われれば紙だけ。傷んだ骨を見つけても入れ直さず、東の辻へ納めると聞いても、朝だけ北へ返す風のことは口にしなかった。親方もお義母さまも、わたくしが得意先へ挨拶に回ったことを知っていたが、引き留めはしない。
「どうせ女房の愚痴だ」
親方はそう言って、十張りを干し場へ並べた。見た目だけなら、去年とまったく同じだった。去年の骨は八本。今年は四本。差し引き四十本。
ああ、なんと見事な節約。風さえ吹かなければ。
* * *
最初の一張りは、辻へ吊るして半刻も経たずに腹をへこませた。
横から来た風が火袋を押し、四本の骨のあいだへ紙を呑み込ませる。戻りきらないうちに次の風が入り、提灯は酔った河豚のような形で固まった。笑うところではない。けれど河豚に失礼なくらい不格好だった。
「紙が悪い」
駆けつけた親方は、潰れたところを掴んで言った。
「去年と同じ紙でございます」
「油が重すぎたんだ」
「油も同じだよ」
後ろから来たお駒さんが一言で切った。親方の指が火袋から離れ、代わりにお義母さまの声が太くなる。
「那津が風を見誤ったんだよ。こうなると分かっていたなら、なぜ言わないんだい」
「四十本では足りないと申し上げました」
「もっと強く言えばよかっただろう!」
「稼がぬ者は口を出すな、とも伺いましたので」
お義母さまの笄が傾いた。二百本は取れそうな立派な笄だが、言葉の骨にはならないらしい。
親方は潰れた提灯を脇へ放り、残りを下ろした。形の崩れたもの、裾の浮いたもの、骨が紙を突きかけたもの。十張りは同じ紙を着て、十通りの困り顔を並べている。
「お前が余計なことを言うから、皆が出来を疑うんだ」
「わたくしは、ご挨拶をしただけでございます」
「もう触るな。俺の仕事だ」
親方とお義母さまが奥へ引っ込んだあと、わたくしは放られた一張りを拾った。火袋に小さな裂け目はあるが、まだ使える。四本の骨を外し、細いひごを四本足して、風上だけわずかにしならせた。
一張りだけ。八本。
残りには触れなかった。誰にも頼まれていない。褒めてもらう予定もない。たいへん不経済な手間である。
直した提灯を列の端へ置くと、親方が戻ってきた。
「触るなと言っただろう」
「申し訳ございません」
「勝手に直して、俺の作りが悪いと見せたいのか」
親方は一張りを睨んだが、元へ戻せとは言わなかった。八本へ入れ直したことにも気づかない。紙を張れば同じである。親方ご自身のお言葉どおりだ。
わたくしは名前を入れず、木箱を閉じた。
その晩、川から風が上がった。戸板が鳴り、軒の縄が唸るほどの風だった。
* * *
「女房が得意先を回って、うちの仕事へけちをつけたんだ」
寄合で親方はそう切り出した。
座にいた者たちが、はじめは面白そうにこちらを見た。夫婦喧嘩を肴にできるなら酒が一合浮く、という顔である。人の揉め事を本数へ換算するなら、ざっと二十本ぶんのにやにや。いつものわたくしなら、もう数えていた。
「けちなど、つけておりません」
「四本じゃ足りないと触れ回っただろう」
「これからは親方がお張りになります、と申し上げました」
「同じことだ!」
「ずいぶん違うね」
お駒さんの短い声で、座の笑いがひとつ消えた。
親方は膝を進めた。家の外ではいつもより背を張る。家名を背負う親方というものは、背負っているものを誰かが下から支えているあいだ、たいへん姿勢がよい。
「こいつは稼ぎもしないくせに、俺の仕事へ口を出す。気に入らないなら出て行けばいいんだ」
「またそれか」
誰かが囃した。別の誰かが低く笑い、親方はその声に押されるように顎を上げた。
「この嫁は要らぬ、出て行かせる」
そこで、数が止まった。
座敷の柱も、酒の銚子も、親方の背後で揺れる提灯の骨も見えているのに、一本にもならなかった。わたくしの手は膝の上に置いたまま、指だけが竹を割る形に曲がっていた。
「わたくしは、四年、風の日を数えてまいりました」
声は思ったより低かった。
「どの辻で火袋が潰れるか。どの軒で風が返るか。何本なら、灯が朝まで形を保てるか。家の名が正面に見えるよう、わたくしの名は入れずに」
親方が口を挟みかけた。けれど、得意先の主人たちがこちらを見ていた。わたくしは懐から一枚紙を出し、両手で座の中央へ置いた。
縁に並んだ爪印が、灯の下で黒い半月を作る。
「なんだ、これは」
「ご挨拶の折、押していただきました」
「勝手な真似を!」
親方が紙を取ろうとしたが、最初の主人が先に手を置いた。
「俺の印だ」
もう一人も身を乗り出し、自分の爪跡へ指を添えた。
「それも、うちのだ。家の名じゃない。誰の手で張ったものを欲しいかと聞かれた」
「うちの提灯は俺の店で作ったものだぞ」
「店で買った。だが、風を越したのは誰の手だ」
主人は親方ではなく、わたくしへ顔を向けた。
「うちのは、あんたの手で頼む」
次の顔もこちらへ向いた。
「盆の二十張り、那津に頼めるか」
「油はうちから出す」
さきほどまで夫婦喧嘩を眺めていた者たちの膝が、少しずつ親方から外れる。注文の話がわたくしの前へ集まり、親方の笑みだけが座の向こうへ置き去りになった。
「待て。こいつは俺の女房だ。職人じゃない」
「要らないんだろう?」
お駒さんが言った。
親方の口が開き、同じ理屈を探して閉じた。出て行け。口を出すな。仕事ではない。どれを言い直しても、今しがたご自分で塞いだ退路へ戻るだけだった。
ああ、親方。そちらが要らぬと放した手へ、皆さまが注文を載せてくださいます。拾い直すには、少々重うございますよ。
わたくしは一枚紙を取り上げた。四年間ただ働きだった手間に、ようやく注文主がついた。
「二十張り、承ります」
親方ではなく、わたくしが答えた。
* * *
盆の注文は、翌日から親方の店を通らなくなった。
一軒は紙を引き取り、もう一軒は骨を返し、三軒目は納める前の分を断った。得意先が動くたび、干し場から丸い影が減った。お義母さまは「昔からの家なのに」と言ったが、昔からの風まで家名に遠慮してくれるわけではない。
親方は残った紙を広げ、四本の骨へかぶせた。
(提灯なんぞ、紙さえ貼れば——)
指は火袋の裾で止まり、骨のどちらへも動かなかった。
「那津を呼びな。あの子が得意先へ変なことを言ったせいだよ」
お義母さまはそう言いながら、笄へ触れた。わたくしを呼びに立つことも、笄を外すこともしなかった。
空いた干し場へ、川風がそのまま抜けていく。これまでは提灯が受け止め、丸い影を地面へ揺らしていた。今は縄だけが鳴り、親方は竹を一本持ったまま、節へ刃を入れられずにいる。
寄合のあった夜、辻では残った提灯が次々に潰れた。
紙が折れ、骨が外れ、火袋が風へ煽られる。店の者が慌てて下ろすなか、列の端にあった一張りだけは丸いまま揺れていた。名は入っていない。八本の骨が、押されて、しなって、また戻った。
得意先の主人はそれを外し、翌朝、お駒さんの軒下へ持ってきた。
「これだけ違う」
「誰が直したか、分かるかい」
「分かる。だから持ってきた」
主人は提灯をわたくしへ渡した。わたくしは火袋の裂け目を撫で、骨の戻りを確かめる。名などなくても、細くした位置は自分の指が覚えていた。
「盆の分も八本で頼む」
「承りました」
「今度は、誰の手か分かるようにしてくれ」
主人はそれだけ言って帰った。
親方の干し場には縄ばかりが残り、お駒さんの軒下には竹の束が届き始めた。転がり込んだのではない。一本ごとに、わたくしを選んで届いた骨だった。
* * *
「吊るしてごらん」
お駒さんは新しい一張りにも、まずそう言った。
わたくしは軒先の鉤へ提灯を掛けた。川から来た風が火袋を押す。八本の骨は丸みを崩さず、風だけを隙間から逃がした。
「上は一本細くしたね」
「この軒は、屋根へ当たった風が下へ返りますので」
「下を太くすると?」
「揺れが遅れて、火が片寄ります」
「なら、それでいい」
お駒さんは一枚紙を卓へ広げた。爪印の脇には、得意先ごとの張り数が短く書き添えられている。そのいちばん上にあるのは家の名でも親方の名でもなく、わたくしの名だった。
「あんたの骨に、うちは月いくら払えばいい?」
胸の中で、ひごが一斉に散らばった。
十張りなら八十本。二十張りなら百六十本。竹代、糊、紙、手間、暮らし。数えるものが急に増えたのに、今度の勘定には、わたくしの飯と寝床まで入れてよいらしい。なんというぜいたく。お義母さまの笄どころではない。
「これまで親方のお店へお支払いだった張り賃の、半分を」
「安い」
「では、六分——」
「同じだけ払う。材料は別。骨割りと張りと風の見立て、三つ頼むんだから」
お駒さんは慰める顔をしなかった。気の毒だったねとも、苦労したねとも言わない。ただ、わたくしの手が月にいくら稼ぐかを決め、油の注文帳へ記した。
「嫌なら、もっと取りな」
「ひとまず、それでお願いいたします」
「ひとまず、ね。覚えたよ」
短い返事のあと、わたくしたちは盆の提灯を張った。紙を裁ち、骨を組み、糊を引く。日が落ちても手は止まらなかったが、もう誰かの不足を夜中にこっそり埋める仕事ではない。一本割れば一本ぶん、わたくしの明日へ積まれる。
仕上がった火袋の裾へ、細い筆を置いた。
那津。
たった二文字なのに、骨を八本割るより指が強張った。曲がれば紙を替えればよい。そう思って書いた名は、少し右上がりで、たいへん景気がよかった。
盆前の夕暮れ、親方が店先へ来た。空いた手を帯へ挟み、吊るした提灯ではなく、わたくしの前の竹束を見ている。
「得意先が困っている」
「こちらへは、皆さまお越しでございます」
「うちが困ると言っているんだ」
親方は声を落とした。寄合で張っていた背中が、今日は一寸ほど低い。
「戻れ。お前が骨を割れば、前どおりにしてやる」
「前どおりに」
「仕事へ口を出したことは、もう言わん。母にも小言を控えさせる」
賃金の話はない。名の話もない。親方が欲しいのは、夜のうちに不足を埋め、朝には何もしていない顔で座る嫁なのだろう。腕を認めたのか、注文を取り戻したいだけなのか、それは数えようがなかった。
「戻ってくれ、と仰るのですか」
「そう言っている」
「けれど、わたくしからは申しません」
親方は返事を待ったが、今のが返事である。やがて火袋の裾の二文字に気づき、口を結んだまま帰っていった。
わたくしは完成した提灯を軒へ吊るした。川風が来る。火袋はふくらみ、押され、八本の骨で丸く戻った。
裾の「那津」は、風の夜にも消えなかった。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
「悪くなかったな」と思われたら、★や感想を残していってもらえると、とても励みになります。
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