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聖地、汚すべからず──公爵令嬢は推しの平穏のために背景(石ころ)を希望する。今日も公式カプが尊くてしんどい。

作者: 中田かすり
掲載日:2026/03/16

本作は、拙作 『ハイスペ魔術師様は幼馴染への愛が重すぎて酒場で号泣する。その呪いってただの疲れ目だから、まずは寝てくれ』のスピンオフ作品です。

先に本編をお読みいただいても、今作単体でもお楽しみいただけます。















「まあ。では、呪いにかかっていなかったのですね?」


わたくし、ヴィクトリア・グラナードは、メイ様が淹れてくださった珈琲の芳醇な香りに目を細めながら、そう口にいたしました。


世間では今、一つの恐ろしい噂が駆け巡っております。



『大陸随一の魔術師、アルヴィス・フォルトナー。若き英雄は、魔物の呪いによってその視力を失いかけている』──と。



漆黒の法衣を纏い、常に周囲を射抜くような鋭い視線を向けるあの方。


その瞳が最近赤く腫れ、何かに耐えるように薄く目を細め、足取りもおぼつかなかったという目撃談が、悲劇的な尾ひれをつけて社交界を震撼させていたのです。


ですが、わたくしは少し信じがたい気持ちでしたの。あの方が、そんな下級の呪いに屈するはずがないと。


そして今、その答えが目の前の「聖地(この店)」で明かされたのです。なんという解釈一致。



「ええ。ただの、酷い疲れ目だったみたいで……」



目の前で、メイ様は少し困ったように、けれどどこか安心したような微笑みを浮かべていらっしゃいます。



「疲れ目」



「……お騒がせしてしまって……」



「いいえ、いいえ。呪いなどという不吉なものでなくて、本当に良かったですわ」





疲れ目。


なんでも、睡眠時間を削ってお仕事をこなし、メイ様を視覚に焼き付けようと瞳を酷使された結果とのこと。


──つまり、「愛する幼馴染を見つめすぎたことによる眼精疲労」。


…………。


………………。



(尊すぎませんこと!?)



大陸を揺るがす大魔術師の不調の原因が、まさかの「ガン見」!


幼馴染に好かれようと六年間努力の末、盛大な勘違い(呪い)を抱えて泣きべそをかきながらも恋を成就させたという、そのポンコツすぎる純情。


なんですの? このカップル。わたくしの息の根を止めにきていますの?



「尊い……」



「え?」



思わず漏れ出たわたくしの呟きに、真っ赤な顔をしたメイ様が不思議そうにこちらを見ています。

いけないわ。気をつけなければ。




「……こほん。それにしても……メイ様の淹れるこの珈琲。本当に、何度いただいても素晴らしいですわ」


わたくしがこのお店の常連となりましたのは、アルヴィス・フォルトナー様の行きつけだからという理由ではありません。


純粋に、メイ様の珈琲に魅了されてしまったのですわ。

日頃いただいている紅茶ももちろん美味しいですが、メイ様がサイフォンでゆっくり時間をかけて抽出した珈琲は、どうしてこんなにも香り高く、柔らかな口当たりなのでしょう。


しかも、あの方が愛した味を、メイ様の手によって提供される。 これほど贅沢な公式(アルメイ)の追体験が他にあるでしょうか。


何度かこちらで珈琲豆を買わせていただいて、公爵家の者に淹れてもらったのですが、美味しいけれど何かが違うから本当に不思議ですわ。


わたくしが幸福な溜息をつき、二杯目の珈琲を所望しようとした、その時でした。


カラン、と。 扉が開く音と共に、一人の男性が入ってきました。



「……ヴィクトリア嬢?グラナード公爵家の令嬢ともあろうお方が、このような平民の店で、一体何をされているのですか?」



現れたのはゼノ・アルトマン様。

侯爵家のご令息で、わたくしも夜会で何度か面識があります。


アルヴィス・フォルトナー様が急な公務で来られなくなった報せを届けに来たようですが、店内に居座るわたくしに冷徹な視線を向けられました。



「メイちゃんに余計なことなど吹き込んで、言いくるめようとでも? 」



わたくしを「メイ様を利用してアルヴィス・フォルトナー様に近づこうとする不届き者」とお思いなのでしょう。


わかります。


わたくしも本来なら、推しの推しに認知されようなどとゆめゆめ考えてはおりませんもの。

……ですが、本当にメイ様の珈琲は罪深いですわ。

あら。いやですわね、わたくしったら。

この期に及んで二杯目を所望しようなんて……。


わたくしの思考が宇宙を形成しようとしていた、その時でした。



「……お引き取りください」



低く、けれど静かな怒りを孕んだ声が店内に響きました。

ゼノ様は、当然その言葉がわたくしに向けられたものだと確信し、満足げに口角を上げました。



「ヴィクトリア嬢。店主のメイちゃんもこう仰って──」



「アルトマン様。貴方のことです」



メイ様は、アルヴィス・フォルトナー様からの伝言が記された書簡をカウンターに置いたまま、かつてないほど冷ややかな瞳でアルトマン様を真っ直ぐに見据えていらっしゃいました。



「……え?」



「ヴィクトリア様は、私にとって大切なお客様です。貴族の皆様が、珈琲を好まないことは存じておりますが、ヴィクトリア様は違います。この香りを、私の淹れる時間を、誰よりも真剣に受け止めてくださいました。お屋敷でも挑戦したいと、何度も豆を買ってくださるような方を、侮辱するような方は、たとえアルヴィス様の御友人であっても、この店には必要ありません。どうぞ、お引き取りください。今すぐに」



アルトマン様は、まるで信じられないものを見るかのように絶句し、固まっていらっしゃいました。



「ちょ、え……」



「平民の営むこのようなお店ですが、お客様を選ぶ権利はあると思います」



メイ様がにっこりと微笑まれました。

いえ、決して瞳は笑っていませんでしたわね。


アルトマン様が追い出されるようにお店から立ち去りました。





「……メイ様、なんて。なんて……素敵、ですの……っ!」



本来であれば、最高位の令嬢として静かに、かつ速やかに店を去るべきでした。

マナーこそがわたくしの信条。


ですが、今のわたくしの目は、アルヴィス・フォルトナー様を追いかけていた時とはまた違う、熱い輝きを宿してメイ様を射抜いておりました。



「メイ様、あのような……アルトマン侯爵家のご令息を相手に、これほどまでに毅然とした態度を。ご自身のお店を守るために、立場を超えて声を上げるその強さ……しかも、そ、その……守っていただいたのがわたくしだなんて……ああ、眩しすぎて直視できませんわ!」



「えっ、あ、ヴィクトリア様!? 急にどうされたんですか、顔が赤いですよ!?」



メイ様は先程の凛とした空気から一転、わたくしの突然の熱量に戸惑い、いつもの可愛らしい表情に戻ってうろたえていらっしゃいます。


そのギャップ! 守るべき聖母から、一瞬で見せた女傑への覚醒。


(わたくし……推し変してしまいそうですわ……!)


これまで、アルヴィス・フォルトナー様こそが至高だと思ってまいりました。


ですが今、わたくしの前に立ちはだかり、盾となってくださったこの小さな背中こそ……わたくしを新たな沼へと引きずり込む、魅惑の入り口に思えてなりません。



「いけませんわ、いけませんわヴィクトリア……! 公式(アルメイ)を愛でる立場でありながら、その公式の片割れにガチ恋するなど、あってはならない背信行為……!」



わたくしは乱れる呼吸を整えようと、扇子で激しく自分を仰ぎました。

ですが、先程のメイ様の冷ややかな瞳を思い出すたび、胸の高鳴りが止まりません。



「ヴィクトリア様、本当に大丈夫ですか? お水持ってきますから!」



「結構ですわメイ様、そのお心遣いすら今のわたくしには劇薬……! 今日は、今日はこれ以上ご一緒すると、わたくしの理性が崩壊してしまいます! 失礼いたしますわ!」



わたくしは扉を弾き飛ばさんばかりの勢いで店を飛び出し、待たせていた馬車へと転がり込みました。






「お嬢様、お顔が真っ赤ですが、また何かやらかしたんですか?」



「お黙りなさいな、アリア。 早く出してちょうだい!はああああ……推しの……、推しの推しが良すぎて無理ぃ!」








グラナード公爵邸の自室に戻るなり、わたくしは天蓋付きのベッドへダイブいたしました。



「あああああ! 何てことを! 何てことをしてしまいましたのヴィクトリア!」



「お嬢様。ドレスがシワになりますし、叫び声が廊下まで筒抜けです」



「聞こえませんわ! わたくし、メイ様に妄言を吐き散らした挙句、脱兎の如く逃げ出したのですわよ!? あんなキモ……いえ、不審すぎる客、出入り禁止になっても文句は言えませんわ……!」



わたくしは枕に顔を埋めて悶絶いたしました。



「……もう、二度と敷居は跨げません。わたくし、今日からは静かに隠居生活を送ります……」







──しかし、二日後。



「……違う。これじゃありませんのよ、アリア」


お屋敷の最高級の銀器に注がれた珈琲を前に、わたくしは絶望の淵に立たされておりました。


「お嬢様。淹れ方はメイ様に教わった通り、温度も秒単位で管理いたしました。公爵家の調理場が総力を挙げた、至高の一杯のはずですが」



「美味しい。確かに美味しいのですけれど……違うの! メイ様が淹れるあの、一口飲んだ瞬間に視界がぱあっと開けて『アルメイ最高!』と脳内再生されるような、あの救済の味がしないのですわ!」



「お嬢様、珈琲に宗教的な救済を求めないでください。不気味です」



「アリアは全然分かっていませんわ! 嗚呼、メイ様の珈琲が恋しい……わたくし、あの場所で、メイ様の供給を頂かなければ……もう……公爵令嬢としての品位を保てませんわ……!」



「お店で出されている珈琲のこと、供給って呼ぶのやめてもらえます?」



あら。アリアが何か言ったかしら……?まあよくってよ。


わたくしはもはや、メイ様から供給を摂取しなければ、禁断症状で枯れ果ててしまう身体になってしまったのかもしれませんわ。


厚顔無恥との罵りは甘んじて受けましょう。わたくしは「珈琲豆を買いに来ただけ。あの日パニックになったのは幻」という、限界思考な自己暗示を握りしめ、再びあの扉を開けました。



ですが、その日の店内は、かつてないほど不穏な空気に包まれていたのです。


アルヴィス・フォルトナー様の噂を聞きつけ、この店に辿り着いたであろう令嬢たちが、カウンターの奥で困惑するメイ様を取り囲んでいました。



「身の程をわきまえなさい。平民の分際で、アルヴィス様に取り入るなんて……」



「恥知らずもいいところよ。あの方の慈悲を、あろうことか『恋』と履き違えているのではないかしら?」



投げかけられる言葉は、どれも尖った石のようにメイ様を傷つけようとしていました。


わたくしはゆっくりと扇子を閉じ、カウンターに向かって歩みを進めます。



「……ああ、なんという嘆かわしい光景でしょう」



わたくしの深く、重い溜息が店内に響きました。

令嬢たちが一斉に振り返ります。



「ヴィクトリア様? 貴女もこの女に何か仰って──」



「残念ですわ。本当に、残念でなりませんわ、皆様。……ここが、どのような場所か、お分かりになって?」



わたくしはゆっくりと、メイ様を庇うように立ち、そして、戸惑う令嬢たちに、諭すように扇子を差し向けたのです。



「ここは、アルヴィス・フォルトナー様が六年の空白を経てようやく辿り着いた、魂の安息地。あの方の幸福な時間が、一杯の珈琲と、メイ様の微笑みによって紡がれている……まさに聖地。

推し方は人それぞれ、何を思うかは自由ですわ。解釈違いもまた一興。ですが……推しの平穏を脅かす行為は、このヴィクトリア・グラナード、見過ごすことができませんわ」


わたくしがそう告げると、納得のいかないように唇を噛んでいた令嬢の一人が口を開きました。



「で、ですがヴィクトリア様! アルヴィス様のお相手として認めるには、この女はあまりにも……! 身分も、教養も、相応しいとは……っ!」



その言葉に、わたくしはくすりと、慈しむような笑みを漏らしました。



「皆様、ひとつお尋ねしてもよろしいかしら? ──貴方様方、あの方に『個人』として認知されているとお思い?」



「……え?」



「いいですか。アルヴィス・フォルトナー様の視界を占有しているのは、このメイ様という唯一無二の存在のみ。わたくしたちなど、あの方の瞳に映る景色……せいぜい、背景の調度品か、道端の石ころ程度の認識ですわよ。それを『お相手として認める』だなんて。視界にすら入っていないわたくしたちが、どの口で公式(あの方)の選択を裁けるというのかしら?」



あまりに身も蓋もないわたくしの言葉に、令嬢たちは絶句しました。



「皆様、絶望する必要はないのです。だって、認知されないからこそ、わたくしたちは自由にあの方を尊ぶことができる。そうは思いませんこと?

さあ、アルヴィス・フォルトナー様を推す同志として、もっと高みを目指しましょう!

自分の存在など忘れ、ただあのお二人が幸せであるという『事実』だけを栄養にして生きる……その次元に辿り着いたとき、世界はもっと美しく見えますわよ!」



呆然と立ち尽くしていた令嬢たちが、一人、また一人と、静かに店を去っていきます。


自分を「石ころ」だと自覚した瞬間の、あの解放感。彼女たちにもいつか理解してほしいものですわ。



「……ヴィクトリア様、あの……」



「お騒がせして申し訳ありません、メイ様。わたくし、同志たちが不遜な自意識に囚われているのを見るのが、何より忍びないのです」



メイ様の手を握りしめていると、背後から躊躇いがちな声が届きました。



「……ヴィクトリア嬢」



わたくしが振り返ると、そこにはゼノ・アルトマン様……と、その横に漆黒の法衣。


アルヴィス・フォルトナー様。


わたくしの、いえ、この大陸の至宝が、今、わたくしの数メートル先に……!



「……ヴィクトリア嬢。先日の、貴女への失礼な態度を謝りたい。すまなかった。……だが、今のは……」



アルトマン様は、何やら神妙な面持ちでわたくしに語りかけていらっしゃいます。

先日? 謝罪? ……ああ、そういえば何かそんなこともありましたわね。



「あら、アルトマン様。大丈夫ですわ、全く、何も、気にしておりませんから。……そ、そ、そんなことよりも……」



わたくしは、アルトマン様のお隣にじわじわと、それはそれは酷くゆっくりと、視線だけを移していきました。

心臓が止まらないよう、細心の注意を払ったのですわ。



「アル、この方がヴィクトリア様よ。私を助けてくださる、とっても素敵な方なの」



メイ様が、あの方──アルヴィス・フォルトナー様を見上げて、わたくしのことを紹介してくださったのです。


アルヴィス様は、少しだけ目を細め、初めてわたくしを『個』として認識するように、じっと見つめられました。



「……そうか。メイが世話になっている。……礼を言う、ヴィクトリア嬢」



あの大魔術師様が、わたくしの名を呼び、個人として、認識してくださった?

メイ様を大切にするアルヴィス・フォルトナー様が、そのメイ様を通じて、わたくしという存在を認識された……?


(えんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!)


わたくしの脳内は、全属性の魔法が暴走したかのような大混乱に陥りました。どなたか酸素をくださいまし。


先程まで石ころを自称し、背景に徹しようとしていたわたくしが、まさかの公式から認知を頂いてしまうという、世界の理が崩壊するような事態!



「あ、あ、ああああアルヴィス・フォルトナー様……! いえ、あ、あ、ああっありがとうございます……! 恐縮ですわ、わたくしのような路傍の石に、そ、そのようなお言葉を頂けるなんて……っ!」



完全にパニックに陥ったわたくしは、扇子を激しく開閉させながら、視線を泳がせ、挙動不審の極致に達しておりました。






ですから、そんな尊死寸前のわたくしを、アルトマン様がどのような表情でご覧になっていたかなんて、知る由もありませんでしたわ。


その後、メイ様のお店の常連にアルトマン様が加わったお話は、また別の機会にでも。





ヴィクトリア・グラナード。

今日も公式カプが尊くて、毎日に感謝ですわ。



















最後までお読みいただき、ありがとうございました。


本編の「疲れ目騒動」の裏側で、実はこんな令嬢が荒ぶっていた……というお話でした。

公式カプ(アルメイ)の尊さに悶絶するヴィクトリアの熱量が、皆様の暇つぶしや笑いの種になれば幸いです。

本編共々、彼女たちの行く末を温かく見守っていただければ嬉しいです。


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