押し付けがましいものが流行っているのだなと感じる
人気があるとされる音楽や映画に触れると、表現や説明が過剰だなという印象を受けることが多い。テーマやメッセージのことではない。そのような作品は昔からあったし、今更気にすることでもない。
歌で言えば、やたらと具体的な名称や情景を羅列した歌詞が鼻につくことがあるのだ。何かの喩えとして表現される言葉ではなく、Aという意味でAという言葉を発するようなものだ。日常会話的というか、そこから何も広がらないようなものが多い。聴く人の感受性を信用していないのか、もしくは自身の表現力に余程自信がないのかと勘ぐってしまう。聴く人に寄り添いすぎてベタベタといやらしい印象さえ受けることがある。
歌というのは曲と歌詞が絡み合い、聞き手が自分なりにそこに込められた感情や風景を展開していくことに趣があると考えているので、こんなことを伝えたい、こんな情景を見せたいという意図があからさまなものは野暮だと感じてしまう。
そういった類の歌は、MVでその野暮ったさが更に露骨になる。MVの作成者がアーティスト本人とは限らないけれど。「下駄箱」、「交差点」、「改札の前」などの歌詞に合わせて映像でそれらが映されるともう観るのが嫌になってしまう。言葉で表現されている情景をそのまま映像で見せられてもお腹いっぱいになるだけだ。それは満足感ではなく、苦しい膨満感でしかないと思うのだが、歌詞と映像がマッチしてて良いと評価する人がいるから不思議だ。
映画などの映像作品でいえば、画面を見れば分かることを逐一セリフやモノローグで説明する類のものをイメージしてもらえれば良い。原作漫画や小説があるものの場合、映像化に相応しい解釈や取捨選択が大切な点だと思うが、最近は原作に忠実にせよという喧しい声を気にしてか、または責任回避のためか、何も考えずにそのまま映像に起こしているようなものも多いと感じる。はっきりいって原作に対する不誠実な態度と言える。
音楽にしても映画にしても制作には多くの人間が関わっているのであり、どう見てもおかしい表現が見過ごされるとは考え難い。明らかにダサいと感じる表現であっても、なんらかの意図、効果を見込んであえて選択した結果と捉えるのが妥当かもしれない。
表現されたものをじっくりと時間をかけて自分なりに受け止めるのではなく、鑑賞したものを瞬く間に消化し、表現者と受け手の感覚を一致させることに快感を覚える楽しみ方が主流となっていると考えるのはどうだろうか。穴埋め形式のテストやクイズのように、限られた選択肢から当てはまるものを見つけて答えを出すという作業感覚の楽しみ方である。
あるいは言語化することの楽しさとでも言うべきだろうか。抽象的な感覚は他人に分かってもらえないから、具体的な話の筋やセリフ、言葉をより重視するということである。幸せや楽しさは他人と共有するものという現代人らしい感性と言って良いかもしれない。
MVでバカでかい歌詞を表示する感覚がずっと理解できなかったのだが、歌詞の意味などの具体的なものに重きをおく受け手が多数派となったため、より多くの人間に訴求するため選択されている表現だと考えれば理解できる。好き嫌いで言えば、嫌いな部類であることは間違いないけれど。
具体的なものを楽しむということは、いわば刹那的な楽しさであり、飽きるのも早いのではないだろうか。次々と目新しい楽しみが供給されているうちは誤魔化しが効くかもしれないが、いずれ限界を迎えるだろう。もう少しゆっくりとした、抽象的な楽しみ方を大切にしても良いのではと感じる今日この頃である。終わり




