最終話「コーヒーいかが、と彼女は笑う」
※同じ世界観の新シリーズ『リンドベルの裏方たち』を始めました。
チリンッ。
今日もまた、涼やかな音がマリエッタの店に響く。
「いらっしゃ……あら、これまた珍しい」
マリエッタは店に入ってきた青い髪の男を見て、素直に驚いた。髪の間から覗く金の角、首や腕を覆う鱗と背中の翼。
竜人族。
人の世にめったに関わらない種族だ。数も少なく、一部では神格化されるほど。世界中からすれば見たことすらなく、伝説ではないかと思っている人もいるくらいの希少種族。
にも関わらず、このリンドベルにて古書店を開いている変わり者の竜人族が、今目の前にいる男、グラーゴである。
もう正確な年齢すら覚えていない彼は、面倒くさそうにマリエッタを見た。
「珍しいのはどちらだ」
それは不思議な言い分だった。
マリエッタはどう見ても普通の人間であるのに。
グラーゴは店内に漂うコーヒーの強い匂いに、なるほど、と呟き顔をしかめた。
「エンサの豆の臭いで誤魔化していたか……竜がこの臭いを纏うなど、聞いたことがない」
グラーゴは心から嫌そうな顔をした。彼はコーヒー――彼が言うところのエンサの豆――の臭いが嫌らしい。
マリエッタはふふ、と笑う。
「エンサの豆? 何の話でしょう?これはコーヒーですよ、グラーゴ様?」
どこかからかうような響きだった。もしもこの光景を他の人が見たら腰を抜かしたかも知れない。グラーゴが竜人族の中ではまだ穏やかとは言え、普通の人間なら、竜人族にこんな真似はできない。
グラーゴは不機嫌そうに鼻を鳴らし「やめろ」と言った。
「何をしに来た。ここにはなにもないぞ」
「それは不思議なことを言うのね。坊やはここにいるのに?」
くつくつと笑うマリエッタは、やはりどこからどう見ても人間であるにも関わらず、グラーゴを坊やと言ってのけた。この街で誰よりも長命なグラーゴを。……だが、グラーゴも否定はしなかった。
マリエッタはこの街で生まれて育った、という記録も記憶もこの街に刻まれているのに、だ。
「最近やって来て我に隠れてコソコソと……何を企んでいる」
「最近って……バカね。二十年くらい前からいるのに、今気づくだなんて」
マリエッタは呆れるが、グラーゴは首を傾げた。二十年など、彼らの寿命からしたら最近である。人間で言う昨日にも満たない感覚だ。
しかし、そんなグラーゴの様子にマリエッタは呆れたように息を吐く。
「人間の街に数百年住んでいるのに、相変わらず、まるで我関せずなのね。
皆はあなたを変わり者って言うけど、興味あること以外に関心がないのは、誰よりも竜人族らしいわ」
彼が言うところの『最近やって来た』マリエッタからすると、ここには面白いものが溢れている。なのに古書店にこもりきりのグラーゴの行動は「もったいない」としか思えない。
肩を竦める。
「企んでなんかないわよ。そんな面倒なことする必要ないもの。里にいたって変化なくて面白くないでしょ。楽しいもの見たいじゃない」
くつくつと笑うマリエッタの左腕に一瞬白銀の鱗が浮かんだ。その鱗は割れていた。グラーゴがハッとしてマリエッタを見た。マリエッタはどこまでも楽しげだが、その姿はどこか死を待つ患者のようだった。
「……ついでに、孫の顔も見に来たのよ」
優しく笑うマリエッタに、グラーゴは「……そうか」とだけ答えた。
淡々としているグラーゴに、しかしマリエッタは楽しそうに言う。
「ふふ、コーヒーはいかが? 意外といけるわよ」
返事を聞かずにコーヒーを淹れ始めたマリエッタに、グラーゴは何も言わずに眉間のシワを深め、背中の羽を揺らした。とても嫌そうだ。よほどコーヒーの匂いが嫌いらしい。
(とてもいい匂いだと思うのに……やっぱり変わり者は私の方ね)
だが断ることも、帰ることもせずにそこで静かに待っている孫の姿に、マリエッタは笑った。




