第2話「人参抜きジュースと人嫌いの錬金術師」
その日、穏やかなリンドベルでは珍しく天気が荒れた。
ダンはキュッキュッとグラスを拭き、がらんとした店内を見回して「ふむ、そろそろか」と頷く。そして左膝を軽くさすってから立ち上がり、料理を始める。
量は多くない。一人か二人分ほどだろうか。
魚介ベースのスープと柔らかなパン。それとリンゴやみかんなど、果物をメインにしつつ野菜も入れたダン特性ジュース。
ジュースを作っていたダンは、不意に人参を手にとってから少し悩んだ。
「んー……あいつ、これにだけは敏感なんだよな」
結局人参は止めて、代わりに他の野菜を少し増やしてジュースにする。
それからモップと……なぜか大きめのタオルを用意した頃、店のドアが開いた。激しい雨音と、冷たい風が店内に流れ込む。ダンはちらと目を店の奥に向ける――暖炉の火がちゃんとついていることに、彼はホッとした。
「……何か、食べ物」
入ってきたのは、外套を深く被った痩せ気味の男。雨で濡れ、足下も泥だらけになった様子から、外の嵐の様子が伺えた。
男は外套をすっぽりと被っていた。しかし、それでもずぶ濡れになった状態でわざわさやって来た彼――フィンにダンは苦笑しつつ「ほれ」とタオルを渡した。
「外套はそこにかけろ。奥まで着ていくなよ、濡れ鼠」
「……ん」
フィンはダンの言う通り素直に外套を脱ぎ、タオルで顔や髪を拭く。そこでようやく灰色がかった金髪と、目の下の濃いクマが見えた。
フィンは出入口付近のフックに水滴を垂らす外套を掛け、奥へ向かう。店内には他に客はいないというのに、わざわざ奥の隅に座る。――そこが彼の定位置だ。
相変わらずなんとも不健康そうかつ、人を厭う様子にダンは肩をすくめる。それでも、こうして足を運んで来るだけマシになったかと前向きに考えた。昔はこっちから行かなければまともな飯を食べようとしなかったのだ。
汚れた床掃除はひとまず置いておき、ダンは腹をすかせた偏屈錬金術師のため、作っていたスープとパン、ジュースを入れてテーブルに持っていってやる。
ぼーっとテーブルで待っていたフィンがジトッと見上げてくるのに、ダンは呆れた顔をした。
「はぁ……人参は入れてないから安心しろ」
その一言で安心したのか、フィンはようやく手を動かし始めたが、まだどこか疑っているのか。ゆっくり慎重に口に運んでいる。
(んー……克服させようとあの手この手しすぎたか)
疑心暗鬼のフィンの姿にダンは昔を振り返る。そして、改めて思うのだ。
「しっかしまぁ、あの小僧が天才錬金術師になるとは……世の中わからないもんだな」
「うるさい」
そっけない返事のフィンに、ダンは怒ることはない。フィンは昔からこうだ。興味のあることには情熱を注ぐが、他のことには無関心。熱中しすぎて部屋に一週間閉じこもった時もあった。
(あの時はリアナが珍しく泣きついてきて、無理やりドアこじ開けたっけか)
幼馴染のリアナの泣き顔にさすがのフィンも反省したのか。あれ以来そこまで閉じこもることはなくなったが。
それでも自身の食事にすら無関心になる彼に、こうして自ら食べに来させるようになるまで、一体どれだけダンが苦労したことか。
フィンが少しずつ口に含んで、本当に人参が入っていないことを確認すると、彼の食事ペースが上がる。とはいっても、普段やってくる冒険者連中のような荒々しい食べ方ではなく、落ち着いたものだが。
ダンはそれを確認するとテーブルを離れ、フィンが汚した床を掃除すべく、モップを手に取り床を拭く。
窓の外からは強い雨の音がする。
「ああ、そうだ。フィン、最近、お前がくれた魔導調理具の調子がおかしいんだ。食べ終わったら見てくれ」
「……また変な使い方でもしたのか?」
「変なってなんだよ。普通に使ってただけだ」
「ふん。どうだか。僕の作ったものがそんな簡単に壊れるわけ無いだろ」
このクソガキ。
鼻で笑うフィンの姿にダンは少しイラッとするが、息を吐き出して気持ちを落ち着ける。
「はいはい、俺が悪ぅございました。だからどうか見てくださいませんか、フィン先生?」
肩をすくめて頭を下げると、途端にフィンは気まずそうに目線をそらした。
「別に、見ないとは言ってない」
素直じゃない。
ギルバートを始めとした冒険者連中――ライラやヴァレリオの素直さとは大違いだ。
修理代の代わりにおかわりを要求した彼にもう一杯スープをよそってやった。
そして腹を満足させ、コンロを直した人嫌いの錬金術師は、大雨の中、帰っていった。
ダンは厨房に向かい、「どれどれ。コンロは直って……ん?」と、コンロのそばに置かれた瓶を手に取り、笑う。
それは――フィン特性の傷薬。
普段は気にならないが、こういう激しい雨の日に少しだけ痛む、ダンの左膝に塗るための薬。
「ははっ、ほんと、素直じゃない」




