溺愛の空 2
その日兄は待っていた。早朝からずっと待っていた。
しかし、彼の妹は、待てど暮らせど姿を現さない。
彼は……落ち込んだ。
客室の窓際で、外を見ていた男ががっくり肩を落とした姿を見て、同じ客室に控えていた竜人族の男が言う。
「……ゲレオン様……意地を張ってこんなところ(宿亭)なんかに泊まるから……男爵邸に泊めてもらえばよかったのに……」
「うるさい! グネルのやつめ!」
「……あーあ……」
振り返った顔は泣きながらキレている。男はやれやれという顔。
彼は、ゲレオンからそのセリフをもう千回以上は聞いたことがある。怒鳴られてももはや慣れっこであった。
しかしゲレオンにも言い分がある。
彼とグネルは年齢差は、その間に人の人生が数回はじまって終わるほど。その間、彼はわがままな妹の世話を必死でやった。
いや……もちろん乳母やら手伝ってくれる者はいたが。それでもあの苛烈な火竜の世話はなかなかこれが大変なものだったのである。
火の玉みたいだった赤子時代。
おもしろがってすべてを燃やし尽くそうとしていた幼子時代。
反抗期で向かってくるものすべてに火を吐き、とがりきっていた青年期。
荒れた時代がやっと終わったかと思うと、あっさり結婚して出ていった。
そこで彼女は子供を産んで、しかし夫を亡くし、悲しみに暮れ、今度は第二期反抗期。
それらを経て、やっと落ち着いてきたか……? と思ったら。賊に襲われたと知らされて、当時ゲレオンは、本当に肝を冷やした。──が、その後、妹は、そのとき助けてくれた人族の男とすぐに再婚。
ここまでの道のりを思い出し……そこに付随してきた自分の心配と被害の歴史を思い出し、ゲレオンは嘆く。
「……こんなにわたしを振り回して心配させてきたんだぞ⁉ あいつは見送りにくらいくるべきでは⁉」
彼は同意を求めるように振り返るが、後ろで待ちくたびれてヤンキー座りの男は正直に答える。
「まあ、あちらは新婚さんですからねぇ……」
「ぐぬ……」
「しかも結構大きな(?)継子もいるんでしょう? グネル様はグネル様で大変なんですから、気遣ってあげたほうがいいと思います」
男の冷静な言葉に反論できなかったゲレオンは、しまいには顔面を両手で覆ってしくしく泣きはじめ。それを見ていた男は思った。
(……千年近く生きて、一周回って精神が子供になっておられるよなぁ……)
おもしれー、と。
ゲレオンはもうすぐ千歳。
どうもドラゴン人生は長すぎるのか、高齢竜人にはそういう期が発生しがち。
昨日まで老獪で冷静であったものが、いきなりこうしてわがままになったり、周りに甘えたがるようになったり。やたら弟妹に会いたがるようになったり。感情的になったりする。
男は、これはさっさと国に連れ帰らなければと思った。
ここにいては、またいつ兄妹ゲンカがはじまるか分からない。
千年近く生きてきた竜人族と、国元でも特に苛烈と謳われる火竜の戦いである。
これが恐ろしくないわけがない。
この竜人族兄妹のケンカは、巨体から繰り出される腕力と、魔力をフル活用して行われるため、非常に危険。まあ、さすがに新婚のグネルは、愛しい夫の領地でそんな振る舞いはしないだろうが……。
このイジイジしたゲレオンにウザがらみされ続ければ、彼女の堪忍袋の緒がいつ切れるともしれない。
もしここに、この兄妹の調停役グンナールがいなければクロクストゥルムという小領は本当に危なかっただろう。
「ゲレオン様、とりあえずもう帰還しましょう。最後にグネル様の顔が見たければご自分からご挨拶に……」
「いやだ! わたしは兄だぞ⁉ あちらが来るべきであろう!」
「……じゃあもう帰りますか……」
「っ! っ! っグネルの薄情者!」
これには、配下一同ため息が擦り切れる思いであった。
と、そこへ、恐ろしい声が聞こえてきたのである。
天空高くから響いてくるような、極めて幸福という笑い声。
ほほほ、ほほほ……! と、まるで花を振りまくように繰り返される声を聞いて。ゲレオンの目が、カッと見開かれたのを男は目撃。あ、これはまずい……と、思った瞬間、彼の主は宿屋の窓をぶち破って空に飛び出していた。
「ああっ⁉ ゲレオン様⁉」
ガラスや木片が飛び散るなか配下たちは慌てた。
これは、本当にまずい展開である。
「グネルッ‼」
ゲレオンが怒鳴ると、その咆哮のような声を聞いて、町の上空にいた妹は眉間にしわ。自分に向かって矢のように飛んでくる人態の兄に気がつくと、グネルの顔は、うっわめんどくさ! と、いう表情に。
兄はそんなヤンキー顔のグネルの前で急停止。その顔は鬼のようだが、グネルの顔は、ツンッと冷たい。
「……ゲレオン? なんなの突然……」
言って妹は、己の腕の中で、戸惑っているエミリアをかばうようなそぶり。
「急に怒鳴らないでちょうだい。バルドハートが驚くわ」
その気遣いに、ゲレオンが憤慨。
「お、お、お前はどうしてその気遣いが兄には向けられぬ!? 兄はもう出立ぞ! 見送りはどうした⁉」
と、グネルは、はぁー? という顔。
「気遣ったわよ! 気遣ったのにあんたが、『てめーの再婚式になんか、行ってやるわけがねぇ!』とか知らせてきたんでしょう⁉ わたしだとケンカ腰になるからって、アルフォンス様が丁寧に丁寧に手紙をしたためてくださったのに……それをあんたは無下にした! それなのに結局押しかけてくるなんて……! アルフォンス様の気遣いを、あんたこそなんだと思っているの⁉ なんでそんなやつをわたしが見送ってやらなきゃいけないわけ⁉」
グネルのドラゴン顔は、カッと瞳を見開いて兄を威嚇。(その恐ろしい形相を、エミリアは、瞳と口をポカンと開けて見ていた)
「い、いや、アルフォンスには申し訳なかったと思ってはいる! が……わたしは、そ、そんな口汚い言葉は書いていなかっただろう⁉」
「でも結局そういうことでしょう⁉」
「いや! だが……!」
グネルは牙を剥いて兄を見据える。瞳を大きく見開いての威圧は、顔が爬虫類系であるだけに迫力があった。
「……せっかくバルドハートと楽しく朝の散歩を楽しんでいたのに……!」
もう明日になれば、彼女の愛しい継子は領地を離れ、王都に帰ってしまう。一緒にいられるのはあとわずかなのである。それなのに、こうして兄に二人の時間を邪魔された怒りは強い。
グネルの瞳がギラリと赤く光る。
煌々とした怒りの視線に睨まれて、それを受け、ゲレオンがカッとなる。怒った男の周りでは、白い稲光が、バチバチと激しい音を立てて爆ぜていた。男は涙を振りまきながら怒鳴る。
「っ傷心の兄を放っておいて……何が継子と朝の散歩だ!」
「お黙り! 何が傷心よ! いい歳していちゃもんつけないでちょうだい!」
「キー!!!!!」
「………………え……?」
エミリアは、唖然とした。
義理の母と恩人探しにやって来たと思ったら。突然目の前で、エンジン全開な竜人族の兄妹ゲンカのゴングが鳴ってしまった。
「……え……?」




