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爆弾発言、の、余波 2

 

 あくる日。

 夜明けを待ち構えていたエミリアは、カーテンの外が十分な明るさになったとたん、寝台から跳び起きて、すぐに外出の支度をはじめた。

 慌ただしく寝間着を脱ぎ、すでに用意していた水色の外出着を着た。それから鏡台に座り、髪を解く。

 寝台そばのイスには、夜通し彼女を見張っていたニコラが座っている。そのふわふわしたタンポポ色の羽毛におおわれた頭は、ウトウトと舟をこいでいる。きっと疲れているのだろう。昨日は、彼女にとっても大変な一日だった。

 エミリアは彼女を起こしてしまわないよう慎重に、出来るだけ素早く身支度を整えると、ニコラに当てた短い手紙をテーブルの上において部屋を出た。


 ──継母グネルによれば。

 彼女の国元から来た竜人族の客人たちは、本日にもクロクストゥルムを離れるという。

 ならば、その客の付き添いと名乗ったあの“恩人様”も、きっと今日町を離れていくのだろう。

 だからエミリアは、その前にもう一度、彼に会いに行こうと考えていた。


 あのようなことがあった後では、エミリアは、やはり昨晩の竜人族の青年のことが気がかりだった。

 彼女は彼に対しては、たくさんの取りこぼしがある。

 中でも特に気になっているのは、真剣な気持ちを伝えてもらったのに、十分な礼も言えなかったこと。

 エミリアは彼の気持ちを受け取ることはできなかったが、それは何も彼が嫌いだとか、義兄グンナールに劣っているとか、そういうことではない。

 今の彼女は義兄があまりに好きすぎて、ほかの誰かを想うつもりがないというだけ。

 だから、もし彼が昨日のことを気に病んでいるようであったら、それをきちんと伝え、別れの挨拶もさせてもらいたい。

 もちろん、エミリアが会いに行っても、彼には『自分を袖にした女の顔など見たくない』と嫌がるかもしれない。そこはエミリアもとても悩んだ。

 拒絶は甘んじて受けるつもりだが……自分が再び顔を見せることが、彼をよけいに苦しめるかもしれないと思うと、正直、会うかどうかは悩みどころ。

 ただ、昨晩彼女を助けてくれた彼の目は、とても真摯だった。

 真摯で、いたわりに満ち、愛情深かったのである。

 二階から落下した彼女を心から心配してくれて、彼女の無事を安堵してくれた。

 自分にあんな目をしてくれる人が、この世に、果たしてどれだけいるだろうかと考えると、それはなおさら貴重なことのように感じられて。自分も、彼を軽んじてはならないと思った。

 あのまなざしは、エミリアに大切なことを教えてくれた。

 だからこそ、彼の名前すら知らずにこのまま別れるというのは、あまりに心苦しい。


 ……そうなのである。

 あんなことがあってさえなお、彼女はいまだに彼の名前を知らない。


 この事実には、男爵邸の廊下を急ぎながら、エミリアは痛恨という表情。目、鼻、口……すべてのパーツが中央に集まってしまいそうな、しょっぱい顔には苦悩が満ちている。


(ぅ……自分の愚かさが悲しい……わたしはなぜ……まずあの方にお名前をちょうだいしなかったの!?)


 それは諸々タイミングが悪かったゆえのことだが……そのことを考えはじめると、エミリアは無限の悔恨に追い立てられて、顔がよけいに歪んでしまう。


(わたしなら……自分が片思いした相手に気持ちを伝えて、それがたとえ実らなくても、その方の心の中に名前すら残ることができなかったら悲しいわ……)


 悔やむ彼女の脳裏には、義兄の顔が思い浮かんだ。

 黒いウロコと赤い瞳の、もはや大好きすぎる竜人族の義理の兄。

 ──自分も、もし義兄にふられたら。

 せめてよい印象で自分を記憶しておいてほしいと思ってしまう。

 忘れ去られたり、嫌な思い出として意中のひとの中に残ってしまうのは、あまりにも悲しいことのように思えた。

 だからこそ。自分も恩人様の名くらいきちんと知っておきたい。

 名前とは、その人を表わす大切なもの。必要なもののように感じるのである。


(……こんなことを気にするの、変かしら……)


 でも、エミリアはどうしても気になった。

 彼には幾度も助けられ、とても世話になった。昨日の夜など、もしかしたら自分は命を落としていたかもしれない。感謝してもしきれなかった。

 彼の気持ちは受け入れられなくとも、このまま名も知らぬまま、別れの挨拶すらもせずにいるのは駄目だと思った。


(……そのためには、まずは会いに行かなくちゃ)


 とにかく今は彼の様子を見に行こうと思った。

 もし、再び自分が彼の前に現れることで、よけいに彼を傷つけてしまいそうだと判断したら引き下がる。会わずに、彼と共に宿亭に泊っている竜人族の誰かに名前だけ聞いて帰ってこよう。


「……よし」


 エミリアは決心して先を急ぐ。──もちろん、その目指す先──クロクストゥルムの客亭には、彼女の目当ての人はいない。



「──え? え? バルドハート、今……なんと言ったの……?」


 愛しい継子の言葉に、グネルは一瞬困惑のまなざし。と、エミリアは少し気恥ずかしそうに、継母に言った。


「グネルお母様、朝からたいへん申し訳ありません。あの、実は……昨日、ある竜人族の方に愛の告白をいただきまして……」


 額までを赤くして告白する継子の言葉を、ここでやっと理解したらしいグネルは、その瞬間カッと牙をむいて椅子から立ち上がる。


「!? それはどこの身の程知らずなの!? わ、わたしのバルドハートきゅんに!?」

「あ……グネルお母様、お、落ち着いてください……」


 早朝からすでに台所にいてエプロン姿のグネルは、立ち上がった拍子に拳をドンッと調理台に叩きつける。と、同時に調理台が真っ二つ。その怪力に、一瞬驚いてぴょんっとその場で跳んだエミリアは、慌てて継母をなだめに駆け寄る。……まだ、グンナールが手配した火竜対応の家具は邸に届いていないのである。男爵邸は、またひとつ家具を失った……。

 ともあれ。幸い、グネルが殴った調理台には何も乗っていなかった。彼女がここで作っていたのは、倒れたエミリアのための粥で、それは今、厨房の奥にあるかまどの上に乗っていた。

 本日も人族嫌いの継子のために、竜人態である継母のドラゴン顔は険しいが……エミリアは必死に言葉を続ける。


「あの、あの、お申し出はすでにお断りしたのです!」


 だから落ち着いてくださいと懇願されて、ここでやっとグネルの表情がいくらか和らいだ。


「あ、あらそうなの……偉いわ、さすがバルドハート。でも、その身の程知らずはどこのどいつなのかしら!?」


 今すぐにでも懲らしめに行くけど、とでも言いそうな形相のグネル、が……。

 しかし偏愛気味でカッとなった継母は、まさかそれが自分の息子だとは思いもしない。

 彼女に圧強めに問われると、エミリアは若干困ったように肩を落とす。そのしゅんとした様子にグネルが慌てる。


「バルドハート!? どうしてそんな悲しそうな顔を!?」

「あの……実は、わたし、その方のお名前を存じ上げなくて困っているのです」

「名前……」

「はい。でも……その方はわたしを助けてくださった恩人で。ですから、お申し出をお断りするにしても、きちんとご挨拶してお別れしたくて。もちろん、あの方がひどく傷ついているようでしたら……会わないほうがいいのかもしれませんが……」


 恩人様のところに行こうと決心したエミリアも、さすがに一人で、家族には内緒でということは考えなかった。

 でも、昨晩夜通しエミリアを看ていてくれたニコラは今は寝かせておきたい。

 ならば、この男爵家の女主人たるグネルには話を、というのは自然な流れ。

 それに彼女なら竜人族たちとも親しいだろう。事情をうちあければ力になってくれるかもしれないと思った。

 ……というか、父には何となく気恥ずかしくて話せる気がせず……もちろん、この件に大いに関係しているグンナールには話せようはずがない。


(……いくらなんでも、お義兄様が大好きすぎてお断りしました……なんて恥ずかしすぎる。……俗にいう“ブラコン”みたいじゃない?)※一応その認識はあった。


 義兄の顔が頭に浮かぶと、エミリアの顔はカァァ……と、音がしそうなほど熱くなる。

 もし、この件でグンナールを頼ってしまって、彼と恩人様とが接触してしまうようなことになってもことである。

 そこでもし、恩人様の口から、義兄に自分のあふれんばかりの好きが伝わってしまったら……。

 恥ずかしいうえ、決まりが悪いことこのうえない。

 ゆえにエミリアは、こうして外出の許可を得るためにも、継母に相談をしに来たというわけだ……が。


 愛しい継子へ、同族の誰かが愛の告白したと聞いて。グネルは当然落ち着かない。

 

「そ、そう……では、わたしのバルドハートになんてことをするのクソ野郎、なんて思っては駄目なのね……そ、そう、あら……でも、そ、そうね、見る目だけはあるわね。わたしのバルドハートきゅんだものね……異性に好意を持たれても当然よ。でも……なんか、ム、ムカつくわね……アルフォンス様だって絶対に心配なさる……アルフォンス様をわずらわせたら、同族と言えど容赦しないわ……」


 必死でイライラを抑えようとしているグネルの毒と悪態がひどい。




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