第八話:癒しの薬草と侍女の祈り
温室での穏やかな日々は、ある日、予期せぬ訪問者によって破られた。
息を切らして駆け込んできたのは、侍女のヘルガだった。その顔には、いつもの険しさはなく、焦りと、そして、藁にもすがるような必死の色が浮かんでいた。
「……セラフィナ様」
初めて、彼女は私を名前で呼んだ。その声は震えている。
「どうか、お力をお貸しください。孫が……、孫のアンナが、この地の風土病で、もう何日も熱が下がらないのです。このままでは……」
彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。この氷の大地で涙は凍り付いてしまうと、誰かが言っていた。けれど、祖母の流す涙は、決して凍りはしなかった。
「すぐに、案内してください」
私は迷わなかった。
ヘルガの孫娘アンナは、城下の小さな家で、苦しそうに浅い息を繰り返していた。小さな体は熱く、時折、乾いた咳が痛々しく響く。医者も匙を投げたのだという。
「何か、何か薬草があれば……」
私は温室へ引き返すと、貯蔵庫から持ち帰った古の種が並ぶ棚に向かった。目を閉じ、一つ一つの種に意識を集中させる。その中に、ひときわ強く、そして温かい力を放つ種があった。
(あなたなら、あの子を助けられる?)
問いかけると、種が応えるように、私の手の中でかすかな光を放った。
私はその種を新しい鉢に植え、両手で包み込む。
「お願い、あの子のために、力を貸して」
今までで一番強く、深く、魔力を注ぎ込む。すると、鉢から立ち上った翠玉の光に、どこからともなく現れた月光狐がそっと寄り添った。彼が体を寄せると、その白銀の毛皮から放たれる柔らかな光が、翠玉の光と混じり合い、より一層輝きを増していく。
光の中で、種は瞬く間に芽吹き、茎を伸ばし、太陽の紋様を持つ、金色の花を咲かせた。
「陽光花……」
古の書物で一度だけ見たことがある。それ自体が熱を放ち、邪気を払うという伝説の薬草。
私はその花を丁寧に摘み取り、煎じて薬湯を作ると、急いでアンナの元へと戻った。
アンナの母親が、祈るような思いで娘の体を支える。私は、匙にすくった温かい薬湯を、そっとアンナの唇に含ませた。
一口、また一口。
薬湯が喉を通るたびに、アンナの苦しげな呼吸が、少しずつ穏やかになっていく。真っ赤だった頬から熱が引き、乾いた咳も止まった。やがて、彼女はすーすーと、安らかな寝息を立て始めたのだ。
「……あぁ……」
母親が、その場に泣き崩れる。ヘルガも、何度も「ありがとうございます」と繰り返しながら、深く頭を下げていた。
その様子を、家の外から、ゼオンはじっと見ていた。
ヘルガから孫娘の危篤と、彼女がセラフィナに助けを求めたことを聞き、成り行きを見守っていたのだ。
灯りのともる窓の向こう、そこには、彼が治めるこの無慈悲な土地にあるはずのない、感謝と安堵に満ちた、温かい空間が広がっている。
そして、その中心で、一人の少女を救ったセラフィナが、慈愛に満ちた表情で微笑んでいた。
ゼオンは、胸の奥が、ずきりと痛むような、それでいて、焦がれるように温かい、未知の感覚に襲われた。
(あれが、俺の領地で起きていることなのか……)
彼女は、ただ植物を育てるだけではなかった。
この呪われた氷の大地で、命そのものを、そして、凍り付いた人の心に希望を、芽吹かせている。
辺境伯は、その光景から、もう目を離すことができなかった。