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第六話:最初の収穫と温かいスープ

 古の種を植えてから、三日が過ぎた。


 温室の再生された土は、私の想像を遥かに超える力を持っていた。植えた種は一夜にして芽吹き、驚くべき速さで成長していく。それは、王都のどんな肥沃な土地で育てたものよりも、力強く、生命力に満ち溢れていた。


 そして今日、私は最初の収穫を迎える。手のひらに乗るほどの小さなカブと、爽やかな香りを放つ数枚のハーブ。決して多くはないけれど、この呪われた大地で育った、正真正銘の恵みだった。


「……暖かい」


 収穫したカブを手に取ると、まるで小さな懐炉のように、じんわりとした温かさが伝わってくる。私の魔力と、この土地が本来持っていた生命力が、凝縮されているかのようだった。


 私はその温かいカブとハーブを手に、城の厨房を借りた。幸い、他の使用人たちは、気味悪がってか私に近寄ろうとしない。干し肉と黒パン、そして収穫したばかりのカブとハーブで作った、ささやかなスープ。けれど、湯気と共に立ち上るその豊かな香りは、何年も忘れていた「食事の喜び」を思い出させてくれた。


 一杯は自分のために。そして、もう一杯は、契約相手である辺境伯様のために。


 報告、と言えば口実になるだろう。私はお盆にスープ皿を乗せ、彼の執務室へと向かった。


「辺境伯様。セラフィナです」


 扉をノックすると、中から「入れ」という低い声が返ってきた。


 室内は、山のよう積まれた書類と、インクの匂いで満ちている。彼は領地の問題と一人で戦っているのだ。


「……何か用か」


 ゼオン様は、書類から目を離さずに言った。


「ご報告に。最初の収穫がございましたので、ささやかですがスープをお持ちいたしました」


 私の言葉に、彼が初めて顔を上げた。その蒼い瞳が、私が差し出すスープ皿に注がれる。湯気の立つ温かい食事など、この城では久しくなかったのだろう。彼の喉が、かすかに上下するのが見えた。


「……置いていけ」


 促されるままに、私は机の隅に皿を置く。彼はしばらくスープを見つめていたが、やがて、まるで毒味でもするかのように、一口、それを口に運んだ。


 その瞬間、彼の時間が、止まった。


 蒼い瞳が、信じられないものを見るように、わずかに見開かれる。


(温かい……)


 それは、ただスープの熱さだけではなかった。体の内側から、凍り付いていた血がゆっくりと溶かされていくような、深く、優しい温もり。呪いに蝕まれて以来、一度も感じたことのない感覚だった。一口、また一口と、彼は我を忘れたようにスープを飲み干していく。


 私が静かに一礼し、執務室を後にしようとした時だった。


「……悪くない」


 背後から、掠れた声が聞こえた。振り向くと、彼はもう書類に目を戻していたけれど、その横顔は、ほんの少しだけ、和らいで見えた。


 その夜、私が温室で土の手入れをしていると、あの美しい客が、再び姿を現した。


 月光狐は、以前よりも近く、温室の入り口から中を覗いている。私は微笑みかけると、昼間収穫しておいたカブの一片を、そっと彼の前に差し出した。


 狐はしばらく私とカブを交互に見ていたが、やがて用心深く近づき、小さな口でそれを咥えると、こくりと飲み込んだ。そして、満足したように金色の瞳を細めると、再び吹雪の中へと消えていった。


 一方、一人残された執務室で、ゼオンは空になったスープ皿をじっと見つめていた。


 体の芯に残る、不思議な温かさ。彼は無意識に、自らの胸に手を当てる。氷の騎士の鎧に、確かに一つのひびが入った。


 彼は侍女のヘルガを呼ぶと、短く命じた。


「温室の女が必要とするものは、すべて与えろ。……それと、日々の収穫は、必ず私の元へ報告させるように」


 それは、彼の日常の、そして、呪われたこの地の、大きな変化の始まりだった。

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― 新着の感想 ―
途中まで読ませていただいたのですが、一人称と三人称が区切りなしに入り混じっているのがどうにも読みにくいと感じます。
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