第五話:古の種ともふもふの来訪者
辺境伯様との契約は、私の日常に「目的」という名の火を灯した。翌朝、私は早速、侍女のヘルガを訪ねた。
「ヘルガ、辺境伯様のご命令です。温室で使うための種と道具をいただきたいのですが」
私の言葉に、彼女は凍てつくような視線を向けた。その目には、憐れみと侮蔑が混じっている。
「種、でございますか。この地で、一体何を育てると?……まあ、閣下のご命令とあらば」
彼女が重い鍵を手に、案内してくれたのは、城の地下にある、忘れられた貯蔵庫だった。埃とカビの匂いが立ち込める中、彼女が指し示した隅には、朽ちかけ、中身が半ば炭のようになった麻袋がいくつか積まれている。
「二十年以上前のものです。呪いがこの地を覆う前の、古の種。使えるものがあるとは思えませんが」
ヘルガはそれだけ言うと、私を一人残して去っていった。
私は麻袋の一つに手をかけた。中には、か細く生命力を失った、様々な種類の種。けれど、私には分かる。その奥底で、ごく僅かながら、眠っているだけの命の気配がする。
(大丈夫。あなたたちも、きっと目を覚ますわ)
私はいくつかの種を選び出し、古びた農具と共に、温室へと運び込んだ。
温室の再生は、想像を絶する作業だった。割れたガラスの隙間を古い布で塞ぎ、積もった雪と枯れた植物の骸を片付ける。それだけで丸一日を要した。
そして次の日、私は契約後、最初の「奇跡」に挑むことにした。昨日芽生えた子の隣にある、石造りの花壇。そのすべてを、蘇らせる。
凍てつく土に両手を深く差し込み、意識を集中させる。
「お願い……!」
体中の熱が、魔力が、光となって両腕から溢れ出し、大地へと注がれていく。ミシミシと音を立てて氷が砕け、土が柔らかな表情を取り戻していくのが分かる。それは、私の命を削るのと同義の行為だった。眩暈と吐き気に襲われ、何度も中断しそうになるのを、気力だけで繋ぎとめる。
どれほどの時間が経ったか。花壇すべての土が、命を宿す黒々とした潤いを取り戻した時、私はその場に倒れ込んだ。体は鉛のように重い。けれど、心は不思議な達成感で満たされていた。
その時だった。
ふと視線を感じて顔を上げると、温室の割れたガラスの向こうに、一対の金色の瞳があるのに気づいた。
「……狐?」
雪のように白い毛皮を持ち、月光を編み込んだかのように、その尾の先が淡く銀色に輝く、美しい狐。伝説に聞く「月光狐」だろうか。野生動物のはずなのに、その瞳には高い知性が宿っているように見えた。
狐はこちらを警戒するように、しかし、強い好奇心を隠さずにじっと見つめている。私が動けずにいると、やがて満足したかのように、ふっと身を翻し、吹雪の中へと姿を消した。
謎の来訪者に呆然としながらも、私は再び目の前の花壇に視線を戻す。
もふもふの来訪者は気になるけれど、今はやるべきことがある。
私は懐から、選別した古の種を一粒取り出した。そして、蘇ったばかりの温かい土に、そっと、それを埋める。
一つ、また一つ。
それは、この呪われた地に春を呼ぶための、小さく、けれど、何よりも力強い一歩だった。




