表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/25

第三話:温室と小さな芽生え

 あの日から、何日も同じ時間が流れた。冷たい部屋で、粗末な食事を一人でとる。侍女のヘルガは最低限の世話以外に言葉を発することはなく、辺境伯様が姿を見せることもない。まるで、世界に私一人だけが取り残されてしまったかのようだった。


 そんな孤独な日々の中、私の唯一の慰めは、王都から持ち込んだ小さな鉢植えだった。すっかり萎れてしまった薬草に、私は毎日、話しかけるように力を注いだ。それは私の昔からの癖のようなもの。植物を少しだけ元気にできる、地味でささやかな力。


 その日も、私は冷たくなった鉢を両手で包み、ぎゅっと目を閉じた。


(お願い、元気になって……)


 心の中で強く願った、その瞬間。


 パッと、自分の手から柔らかな翠玉すいぎょくの光が溢れ出したのを、瞼越しに感じた。驚いて目を開けると、信じられない光景が広がっていた。萎れていた薬草の茎がすっくと立ち上がり、乾いていた葉がみるみるうちに瑞々しさを取り戻していく。そして、その先端に、ぽん、と音を立てるように、白く可憐な花が一輪咲いたのだ。


「……うそ」


 それだけではない。花を咲かせた薬草は、まるで小さな太陽のように、部屋の冷気を押し退けるほどの、穏やかな温かさを放っていた。私の力は、こんなにも強かっただろうか。それとも、この極寒の地が、逆に私の力を増幅させているのだろうか。


 心臓が高鳴るのを感じた。じっとしていられない。


 私は、この城のどこかにあるはずの、他の植物の気配を探った。微かに、本当に微かに、たくさんの命が眠っているのを感じる。私は意を決して部屋を出ると、辺境伯様の「うろつくな」という命令を破り、その気配を頼りに城の冷たい廊下を進んだ。


 やがて突き当たったのは、城の外れにある、重く凍り付いた扉。全体重をかけて押し開けると、そこは、かつて温室だった場所だった。


 ガラスは割れ、隙間から雪が吹き込み、異国のものだったであろう植物たちは、見る影もなく凍り付いて、茶色いむくろを晒している。死の匂いだけが満ちた、悲しい場所。


「……ごめんなさい。寒かったでしょう……」


 私は、一番大きな石造りの花壇に歩み寄った。積もった雪を手で払いのけると、その下には、氷塊のように固まった土がある。手袋を外し、凍てつく土に、ためらわずに素手を差し込んだ。


「お願い。目を覚まして」


 祈りを込めて、ありったけの力を注ぎ込む。指先が凍傷になりそうなほどの冷たさ。けれど、それに負けじと、体の奥から温かい光が溢れ出し、私の腕を伝って、冷たい大地へと流れ込んでいった。


 どれくらいの時間が経っただろう。目の前が眩むほどの疲労感に襲われた、その時。


 カチリ、と氷の割れる音がした。


 私の手の周りの氷が溶け、黒く柔らかな土が顔を出す。そして、その中央から、奇跡のように、双葉の小さな緑の芽が、力強く顔をのぞかせたのだ。


 その瞬間、城の高い窓から、ゼオンが見ていた。


 常に体を苛む呪いの冷たさが、ほんの一瞬、和らいだ気がして窓の外を見たのだ。そして、何年も前に見捨てたはずの温室に、淡い緑の光が灯るのを見た。


 光の中心には、あの追放者の娘。彼女が凍土に触れると、そこから、ありえないはずの緑が生まれる。彼の蒼い瞳が、何年かぶりに、わずかに見開かれた。


 私は、疲労で座り込みそうになる体を支えながら、その小さな芽にそっと指で触れた。


 嬉しくて、温かい涙が頬を伝い、蘇った土へと落ちる。


「……咲くじゃない。こんな場所でも」


 それは、この呪われた大地で生まれた、最初の希望だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ