第十九話:北の守護者
ゼオン様が王都へ旅立ってから、一月半が過ぎようとしていた。
北の地には、厳しい冬の訪れを告げる、一層冷たい風が吹き始めている。けれど、城と町は、かつてないほどの活気に満ちていた。
畑で収穫された作物は、城の貯蔵庫を豊かに満たし、人々は厳しい冬を越せるだけの食料を確保できたことに安堵と喜びの声をあげていた。私が城壁の外に植えた若木も、翠玉のリースに守られ、雪の中で力強く枝を伸ばしている。
穏やかな日々。しかし、私の心には、日増しに不安の影が広がっていた。
ゼオン様から、何の便りもない。王都での彼が、今どのような状況に置かれているのか、知る術はなかった。
私はその不安を振り払うように、薬師としての仕事に没頭した。冬の間に流行る病に備えて薬草を備蓄し、畑の作物を保存食へと加工する。彼が帰ってきた時に、この地が少しでも豊かになっているように。彼が私に託したものを、完璧な形で守り抜くために。
その日、城の見張りに立っていた兵士から、不審な報告がもたらされた。
「セラフィナ様。南へ続く街道で、数名の武装した集団を確認。商人の一行を装っていますが、あれは……手練れの騎士です」
胸が、どきりと音を立てた。
偵察部隊。王都が、私たちの土地を探りに来たのだ。
私はすぐにヘルガと衛兵隊長を呼び、小さな作戦会議を開いた。
「偵察がいるということは、本隊がすぐ後から来るということでしょう。おそらく、近いうちに、王都から『調査団』がやってきます」
私の冷静な言葉に、衛兵隊長が険しい顔で頷く。
「いかがいたしましょう。奴らを追い返しますか?」
「いいえ、争いは避けたい。ですが、備えは必要です」
私は、領主代理として、はっきりとした指示を出した。
「見張りを増やし、城門の警備を固めてください。収穫物はすべて城の地下貯蔵庫へ。そして、温室は、私が直接管理します」
その夜、温室で薬草の手入れをしていると、私の足元で眠っていたルプスが、ふと顔を上げて、南の空に向かって低く唸り始めた。彼の金色の瞳には、明らかな敵意と警戒が宿っている。
「……あなたにも、分かるのね。ルプス」
聖獣である彼もまた、この地に迫る悪意を、敏感に感じ取っているのだ。
私は、眠れぬまま、新しく与えられた部屋の窓辺に立った。
王都での生活を思い出す。力のない私は、ただ理不尽に耐え、奪われるだけだった。けれど、今は違う。私には守るべきものがある。この土地、この城、そして、温かい心を持つ人々。何より、私を信じ、このすべてを託してくれた、たった一人の人がいる。
(私はもう、奪われるだけの弱い令嬢ではない)
翌日の昼過ぎ、見張りの兵士が、血相を変えて私の元へ駆け込んできた。
「セラフィナ様! 王家の紋章を掲げた一団が! ……もう、半日の距離まで迫っております!」
ついに来た。
私は、傍らに控えるヘルガと、いつの間にか寄り添っていたルプスを見据え、静かに、しかし、鋼の意志を込めて言った。
「衛兵隊長に伝えて。城門を固く閉ざしなさい、と」
私は、窓の外に広がる、どこまでも続く白銀の世界を見つめた。
「……どうやら、王都からのお客様がお着きのようですわね。ならば、見せて差し上げましょう。この北の地が誇る、真の『おもてなし』を」
私の瞳には、もう涙も、怯えもなかった。
そこにあるのは、この家と、愛する者たちを、何者からも守り抜くと誓った、北の守護者の光だけだった。