第十八話:王都の罠
その頃、王都では――。
アイスラー辺境伯、ゼオン・フォン・アイスラーの到着は、真冬の王宮に、北からの吹雪を持ち込んだかのような衝撃を与えていた。
贅を凝らした回廊を歩く彼の、質実剛健な黒の軍服と、他者を寄せ付けぬ氷のオーラは、華やかな宮廷の貴族たちの中で、異質な存在感を放っていた。扇の陰で交わされる囁き声。「野蛮な北の熊」「呪われた騎士」……。そんな侮蔑の言葉を、ゼオンは意にも介さず、ただ静かに、召喚主の元へと向かった。
玉座の間で彼を待っていたのは、婚約者である聖女リリアーナを傍らに侍らせた、王太子アルフォンスだった。
「久しいな、辺境伯。息災であったか」
アルフォンスの言葉には、覇者の余裕と、隠しきれない苛立ちが滲んでいる。
「王太子殿下におかれましても、ご健勝のこととお慶び申し上げます」
ゼオンが礼儀に則って片膝をつくと、アルフォンスは鼻を鳴らした。
「その口先だけの忠誠はよい。本題に入ろう。我が命に背き、聖女リリアーナ様が必要とする薬草の献上を拒んだこと、反逆と見なされてもおかしくはない所業であると、理解しているか?」
隣で、リリアーナが「殿下、おやめください……」と、か細い声で咳き込む。
「殿下」ゼオンは、顔を上げることなく、静かに、しかし、揺るぎない声で答えた。「我が返書に記した通り、辺境の植物は、彼の地の呪いに適応するために、あまりに強く、偏った性質を持っております。光の魔力に満ちた聖女様のお体には、毒となりかねません。民を思うがゆえの、苦渋の決断でございました」
その完璧な返答に、アルフォンスはぐっと言葉に詰まる。
だが、リリアーナが、そっと王太子の腕に触れた。
「……辺境伯様のお心遣い、感謝いたします。ですが、このままでは、わたくしの力も……。王国の民に、神のご加護を与えられなくなってしまいます……」
その言葉は、ゼオンに対する、静かな脅迫だった。
「……なるほど」アルフォンスは、策を弄するように笑うと、最終的な宣告を下した。「辺境伯の忠誠心は、よく分かった。ならば、その言葉が真実であるか、王家として、正式な調査団を派遣し、確かめさせてもらう」
「……と、申しますと」
「その調査団の報告があるまで、辺境伯、そなたには、王都に滞在し、客として、我々の『保護』を受けてもらう。これは決定だ」
罠だった。
ゼオンをこの王都に軟禁し、人質とすることで、辺境への干渉を容易にする。ゼオンが不在の城に調査団という名の略奪者を送り込み、セラフィナと、彼女が生み出した恵みを、力ずくで奪う。それが、彼らの本当の狙いだった。
その日の夜、ゼオンは、王都に持つ、自身の寂れた屋敷の一室にいた。
窓の外には、偽りの光に満ちた王都の夜景が広がる。セラフィナの元を離れたことで、体の芯から、呪いの冷気がじわじわと蘇ってくるのを感じていた。
彼は、懐から、彼女が持たせてくれた、陽光花の入った革袋を握りしめる。そこから伝わる、かすかな温もりだけが、彼の唯一の慰めだった。
(セラフィナ……)
彼は、北の空を見上げた。今頃、彼女は、何も知らずに、温室で植物たちの世話をしているだろうか。
敵の狙いは、薬草、そして、それらを生み出す彼女自身。
(必ず、守り抜く)
たとえ、この身がギルデッドケージに囚われようとも。
私たちの春を、誰にも奪わせはしない。
氷の騎士は、敵地の真ん中で、静かに、そして、熱く、反撃の誓いを立てるのだった。