第十六話:王都への召喚
二十年ぶりの収穫祭がもたらした熱気と希望は、しかし、長くは続かなかった。
祭りの数週間後、再び王都からの使者が、今度は王家の紋章を掲げた一隊として、城門に現れたのだ。彼らが携えてきたのは、手紙ではなかった。氷のように冷たく、有無を言わせぬ、一通の『王命召喚状』だった。
『辺境伯ゼオン・フォン・アイスラーは、速やかに王都へ参上し、領地の現状について、王太子殿下の御前で直接報告せよ』
それは、表向きは領主への気遣いを装った、悪意に満ちた罠だった。
私という「薬師」と、辺境伯という「力」を切り離し、彼を王都という敵地の中枢へ引きずり出すための、巧妙な一手。召喚に応じなければ反逆者。応じれば、二度とこの地へ帰れないかもしれない。
その夜、執務室には、重い沈黙が満ちていた。
ゼオン様と私、そして、今や私の最も信頼する協力者となったヘルガ。私たちは、たった三人で、この絶体絶命の状況に向き合っていた。
「……行くしかない」
沈黙を破ったのは、ゼオン様だった。
「ここで拒めば、アルフォンスはそれを口実に、討伐軍を派遣するだろう。そうなれば、民を戦火に巻き込むことになる」
彼の決断は、領主として、あまりに当然で、そして、あまりに過酷だった。
「ですが、閣下! 王都は敵地ですぞ!」
ヘルガが、悲痛な声を上げる。私も、胸が締め付けられる思いで、彼の横顔を見つめた。
その夜、彼が出立する前の、わずかな時間。私たちは、二人きりで言葉を交わした。
「セラフィナ。私が不在の間、この地のこと、そして民のことを、お前に託す」
それは、領主から薬師への命令であり、一人の男から、最も信頼する女への、魂からの願いだった。
「お前は、この土地の心臓だ。お前がいなければ、春は来ない。必ず、ここを守り抜いてくれ」
「……はい。この命に代えても」
私は、彼のために特別に調合した、小さな革袋を差し出した。中には、強い魔力を込めた陽光花を乾燥させたものが入っている。
「これをお持ちください。きっと、王都の冷気から、あなた様をお守りします。……そして、必ず、ご無事でお戻りになると、約束してください」
彼は、私の差し出した革袋を、大切そうに受け取った。そして、その大きな手で、私の手を包み込む。素肌から伝わる、確かな温もり。
「セラフィナ。お前と出会うまで、この地は、私にとって、ただの呪われた墓場だった」
彼の蒼い瞳が、切なげに、私を映す。
「だが今は、違う。お前がいるこの場所が、私の唯一の『家』だ。……必ず、帰ってくる。この場所に、お前のいるこの家に。約束だ」
それは、今まで聞いた、彼のどの言葉よりも、熱く、私の心に響いた。
翌朝、ゼオン様は、少数の精鋭騎士だけを連れて、王都へと旅立っていった。
私は、城壁の上に立ち、ルプスと共に、彼の背中が吹雪の向こうに見えなくなるまで、ずっと見送っていた。
私の頬を撫でる風は、相変わらず冷たい。けれど、不思議と、寒くはなかった。
彼の温もりが、彼の交わした約束が、私を守ってくれている気がしたからだ。
(行ってらっしゃいませ、ゼオン様)
私は、王都のある南の空を見据え、心の中で呟いた。
(あなたの『家』は、私が、必ずお守りしますから)
本当の戦いが、今、始まる。
辺境に残された私と、敵地の中心へ向かう彼。離れていても、私たちの心は、一つだった。