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第十三話:王都からの使者

 私と辺境伯様が、城壁のそばに最初の若木を植えてから、数日が過ぎた。


 木は、まだ小さいながらも、吹雪に耐え、しっかりと凍土に根を張っている。その姿は、この地で生きると決めた、私自身のようにも思えた。


 穏やかな日々。けれど、その静寂は、王都からの雷鳴によって、唐突に引き裂かれた。


「申し上げます! 王家からの勅使が、城門に到着いたしました!」


 衛兵の報告に、城全体が緊張に包まれる。辺境伯様への返信を、手紙ではなく、使者団として送ってくる。それは、王太子アルフォンス殿下の、強い不満と圧力を示すものに他ならなかった。


 広間で、私とゼオン様は並んで使者団を迎えた。私の胸には、薬師としての身分を示す、ささやかな薬草のブローチが揺れている。


 使者団を率いていたのは、ヴァレリウス伯爵と名乗る、傲慢そうな顔つきの男だった。彼は、ゼオン様に形式的な挨拶をすると、すぐさま、蛇のような目で私を値踏みした。


「辺境伯殿。我々は、王太子殿下のご命令により、この地に赴いた。先日、貴殿から送られた手紙は、殿下を愚弄する戯言たわごとと判断された」


 ヴァレリウス伯爵は、嘲るように言った。


「よって、改めて命ずる。この地に育つという奇跡の薬草、そのすべてを速やかに王都へ献上せよ。加えて、それを育てる『薬師』も王都へお連れし、聖女リリアーナ様の元で直接仕えさせる、と。……これは、王命である」


 彼らは、薬草だけでなく、私自身をも奪いに来たのだ。


 私が息を呑むと、隣に立つゼオン様の体から、絶対零度の怒気が放たれた。


「ヴァレリウス伯爵。聞き違いか? 彼女は、アイスラー辺境伯領の公式薬師だ。この地の民を癒す、かけがえのない存在。王都へやるつもりも、彼女が生み出したものを、一葉たりともくれてやるつもりもない」

「ほう、王命に背くと?」

「俺は、俺の民と、俺の薬師を守る。それだけだ」


 一触即発の空気が、広間を支配する。ヴァレリウス伯爵は、辺境伯を力で屈服させられないと悟ったのだろう、にやりと笑って次の手を打った。


「では、その目で確かめさせていただこう。薬草が王都の人間には『害になる』という、その証拠とやらを。その奇跡の庭とやらへ、ご案内願おうか」


 私たちは、使者団を温室へと案内した。


 扉を開けた瞬間、彼らが息を呑むのが分かった。雪と氷に閉ざされた世界に、突如として現れた緑の楽園。その光景は、彼らの常識を打ち砕くには十分だった。


「……これが」


 ヴァレリウス伯爵は、目の前の光景が信じられないというように、一番近くにあった陽光花に、無遠慮に手を伸ばした。


「お触りにならないで」


 私が静かに制止する。


「手紙にも記したはずです。ここの植物は、この土地の魔力に深く結びついています。部外者が不用意に触れれば、植物が傷つくだけでは済みませんわ」


 そう言って、私はすぐそばに生えていた、ありふれたハーブの葉を一枚摘むと、伯爵の後ろに控えていた騎士の一人に差し出した。


「どうぞ。試してみますか?」


 騎士は、伯爵の視線に促され、訝しげにその葉を受け取った。その指が、葉に触れた、瞬間。


 パリン、と軽い音を立てて、緑の葉は一瞬で凍りつき、粉々に砕け散った。騎士は「ひっ」と短い悲鳴をあげて手を引っ込める。


「……ご覧の通りです」


 ヴァレリウス伯爵の顔が、怒りと屈辱に歪む。


 その、張り詰めた空気の中だった。


 温室の奥の茂みから、するり、と銀色の影が現れた。月光狐のルプスだ。彼は、私の前に立つと、使者団、特にヴァレリウス伯爵を睨みつけ、「グルル……」と低い唸り声をあげた。


「なっ……、げ、月光狐だと!?」

「伝説の聖獣が、なぜここに……」


 騎士たちが、恐怖に顔を引きつらせる。聖獣は神々の使い。それを害することは、王国でも最大の禁忌とされている。その聖獣が、明らかに、私を守るように立ちはだかっているのだ。


 これが、私たちの切り札だった。


「ご理解いただけたかな、伯爵」


 ゼオン様が、冷たく言い放つ。


「我が領地のやり方は、少々、特殊でな。そして、その恵みは、神聖なる獣にも守られている。王太子殿下には、こうお伝えしろ。アイスラー辺境伯領は、自領の宝を、自ら守る、と」


 ヴァレリウス伯爵は、もはや何も言えなかった。聖獣を前に、彼らは完全に手詰まりだったのだ。


 使者団は、完膚なきまでに叩きのめされ、すごすごと温室を後にしていく。


 嵐は去った。私は、そっとルプスの滑らかな毛皮を撫で、彼の労をねぎらう。そして、隣に立つゼオン様と、固い決意に満ちた視線を交わした。


 ひとまずは、守り切った。けれど、王太子がこのまま引き下がるとは思えない。


 私たちの戦いは、まだ始まったばかりなのだ。

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