第十話:過去からの手紙
薬師としての日々は、驚くほど充実していた。
私の仕事は、もはや温室の中だけにとどまらない。辺境伯様は、城の書庫に眠っていた、この土地の植物に関する古書や薬学書をすべて私のために運び出させてくれた。私は来る日も来る日もその知識を吸収し、古の種を一つ一つ芽吹かせ、その効能を記録していく。それは、失われたこの土地の歴史を、もう一度、私の手で紡ぎ直していくような、神聖な作業だった。
城の者たちが体の不調を訴えれば、私は症状に合わせた薬草を調合した。私の調合した薬湯は驚くほどよく効き、いつしか私の部屋の前には、小さな列ができるようになっていた。
「セラ様、いつもありがとうね」
「この咳止めのおかげで、夜ぐっすり眠れたよ」
人々の感謝の言葉と笑顔が、私の心を温かく満たしていく。王都で「地味で役立たず」と蔑まれていた私が、ここでは、誰かの役に立つことができる。その喜びが、何よりも私に力を与えてくれた。
その日の夕暮れ時、いつものように辺境伯様が私の部屋を訪れた。呪いを和らげるための、薬草を濃く煮出したハーブティーを受け取るのが、彼の日課となりつつあった。
「古書の解読は進んでいるか」
カップを受け取りながら、彼は尋ねた。
「はい。この土地は、呪われる前は、多くの希少な魔法植物が自生する、豊かな場所だったようです」
「……そう、らしいな」
彼の声に、わずかな郷愁が滲む。きっと、彼も父親から、呪われる前の豊かな土地の話を聞いていたのだろう。
しばらくの沈黙の後、彼が、ふと尋ねた。
「王都が……、恋しいか」
それは、彼が初めて私に尋ねた、個人的な質問だった。
私は、窓の外に広がる、夕日に照らされて薔薇色に染まる雪原を見つめた。
「いいえ。華やかな夜会も、美しいドレスも、少しも恋しいとは思いません。ただ、あちらにいた頃は、庭の隅で小さく土をいじることしか許されませんでした。……今の方が、ずっと、私は私らしくいられます」
私の答えに、彼が初めて、本当に微かではあるが、口元に笑みを浮かべた気がした。
「……そうか」
その時だった。執務室の扉がノックされ、衛兵が息を切らして入ってきた。
「閣下、王都より、急便でございます!」
王都からの便りなど、年に一度あるかないかだ。衛兵が差し出した一通の封蝋された手紙。その宛名は、辺境伯様ではなかった。
『元伯爵令嬢 セラフィナ・グリーンウッド殿へ』
ゼオン様の手から、その手紙を、私は震える指で受け取った。差出人の名を示す、王家の紋章。恐る恐る封を切り、中に目を通した瞬間、全身の血が凍り付くのを感じた。
それは、私を追放した元婚約者、アルフォンス殿下からの「命令」だった。
『北の辺境で、奇跡の薬草が栽培されているという噂を耳にした。近頃、聖女リリアーナの体調が優れず、奇跡の力も弱まっている。王国のため、そして、聖女様を癒すため、貴様の栽培した薬草を、すべて王都へ献上するよう命ずる。これは、罪人である貴様が、その名誉を回復する、またとない機会であると思え』
謝罪の言葉は、一文字もなかった。ただ、傲慢で、一方的な要求だけがそこにはあった。
私を「役立たず」と捨てたくせに。今になって、私の力を、私の努力の結晶を、何の対価もなしに奪おうというのか。
「……っ」
怒りで、手紙を持つ手が震える。
「何が、書かれていた」
静かだが、有無を言わせぬ力強さで、ゼオン様が尋ねた。
私は、燃えるような瞳で、彼を見上げた。
「私の過去が、私を迎えに来たようです。……いいえ、私の作った春を、奪いに」
その言葉を合図に、この氷の城の、穏やかだった空気は、再び張り詰めていくのだった。