第一話:偽りの聖女と氷の婚約破棄
王宮のシャンデリアが振りまく光の粒が、着飾った貴族たちの宝石や絹のドレスに反射して、きらきらと夜を彩っていた。今宵は建国記念を祝う、一年で最も華やかな夜会。けれど、私の心はその喧騒とは裏腹に、なぜか静まり返っていた。
「セラフィナ・グリーンウッド!」
音楽が止んだ。私の名を呼んだのは、婚約者であるアルフォンス王太子殿下。その腕には、今を時めく「光の聖女」リリアーナがか細い腕を絡ませ、潤んだ瞳で私を見ている。周囲の視線が一斉に突き刺さるのを感じた。
「殿下……、皆様の前で、私は大丈夫ですわ……」
リリアーナが儚げに囁くと、アルフォンス殿下は庇護欲をかき立てられたように、私を厳しく睨みつけた。
「いいや、良くはない! セラフィナ! 聖女リリアーナに対する貴様の嫉妬は目に余る! この清らかな魂を持つ彼女に嫌がらせを重ねた罪、そして何より、未来の王妃にふさわしくない地味で何の役にも立たない女である罪! よって今この場を以て、貴様との婚約を破棄する!」
会場が、水を打ったように静まり返る。
役立たず。それは、私がずっと言われ続けてきた言葉だった。私の力は、ただ植物を少しだけ元気に育てること。聖女リリアーナ様のように、眩い光で病を癒すような派手な奇跡は起こせない。
「……アルフォンス殿下。それが、殿下のご決断というのでしたら、謹んでお受けいたします」
私は、震えそうになる膝にぐっと力を込め、背筋を伸ばして言った。ここで泣き崩れるのは、彼らの思う壺だ。
「ですが、一つだけ。私がリリアーナ様にしたという『嫌がらせ』とは、聖女様の奇跡でも癒えなかった温室の花々に、土を変えてみてはと進言したことでしょうか?」
私の言葉に、リリアーナの肩がびくりと震えた。
「そ、それは、わたくしの聖なる力が足りないと、暗に非難したということですわ……!」
「言い訳は聞かぬ!」アルフォンス殿下が一喝する。「その捻じくれた性根、辺境の地で悔い改めるがよい!」
辺境。その言葉に、会場の貴族たちが息を呑むのが分かった。
「貴様の罪を鑑み、死罪は免じてやる。代わりに、我が王国で最も過酷な地、北の果てにあるアイスラー辺境伯領へ追放とする! 呪われたその不毛の地で、二度と王都の土を踏むことなく一生を終えるのだ!」
アイスラー辺境伯領。
「氷の騎士」の異名を持つゼオン・フォン・アイスラー卿が治める、草木も育たず、一年中雪に閉ざされているという呪われた土地。そこへ、たった一人で。それは、生きて死ぬのと同じだった。
両親に助けを求めようと視線を送る。しかし、父も母も、恥辱に顔を歪め、私から目を逸らした。もう、私に味方はいない。
「……御意」
短い返事だけを口にし、私はゆっくりと頭を下げた。涙は見せない。彼らが私から婚約者の地位を奪えても、私の誇りまでを奪うことはできない。
衛兵に両腕を取られ、引き立てられるようにして華やかな夜会を後にする。
もう二度と戻れないきらびやかな世界に別れを告げながら、私は心に誓った。
(いいでしょう。どんな呪われた土地でも、私は生きてみせる。たとえ氷の大地でも、必ず何かを咲かせてみせるわ)
これは、すべてを奪われた私が、本当の幸せを見つけるまでの物語の、始まりだった。