おとり 3
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「綾女は才能があるな」
せっせと護符を作りはじめて数日が経った日の夜。
命婦が局に下がった後で、いつものようにやって来た紫苑が、帳台の中で綾女の作った護符をひらひらさせながら笑った。
「本当?」
「ああ。晴明の符には及ばずとも、出来はかなり近い。陰陽寮に作らせるよりよほど性能がいいよ。練習すればもっと上達するだろうな」
「破邪の力の影響なのかしら? 晴明様も破邪の力があったのよね」
「うん、そうかもしれない。晴明の符がよく効くのは、破邪の力の影響かもね。正直護符の在庫が少なくなっていたからとても助かるよ」
「右京のあの邸にたくさん使ったんでしょう?」
「ああ。今ははがしているけどね。一度使った符は再利用できないから」
右京の邸に貼られていた護符は、綿星がせっせとはがしてくれているらしい。普通の妖は護符には触れられないが、綿星はあれでも神なので平気なようだ。
紫苑は、あの右京の邸を、将門公をおびき出す場に使おうと検討中だという。
土御門の邸は内裏に近いし、周囲に公卿たちの邸もたくさんあるため、そこを使うのはよろしくないのだ。
綾女をおとりに使うことは、すでに帝と道長に伝えているそうだ。
帝は難色を示したが、伯父の道長はやむを得ないと判断したらしい。とはいえ、晴明の姿をしている紫苑に、必ず守れと命じたそうだ。心配はしてくれているみたいである。
おとり作戦について、紫苑の計画はこうだ。
まず、綾女を右京のあばら家に連れていく。
右京の邸は、綾女が使っていたものはほとんど運び出していたが、帳台はそのままおいているので、綾女は帳台の中で待機。
帳台の帳や柱にはこれでもかと護符を張り付ける。
将門公は帝の血の匂いに反応するだろうから、おびき寄せる時だけ綾女は帳台の外に出て、紫苑の指示ですぐにまた帳台の中に引っ込む手はずだ。
護符の張った帳台の中にいたら、将門公は綾女の気配に気づけなくなるらしい。
おびき寄せさえすれば、後は紫苑が将門公を封印すれば終わりである。
(話を聞いたときはすごく簡単に聞こえたけど、きっととても難しいんでしょうね)
おびき寄せるまではまだしも、将門公を封印するのは簡単ではないはずだ。
紫苑は大丈夫なのだろうか。
その日は綿星も、それから紫苑の配下の鬼神たちも右京の邸に控えていてくれるというが、綾女は彼らの実力を知らない。
人ならざるもの――神に領域に達したらしいという将門公と紫苑たちは、果たしてどちらが上なのか。
(綿星も神様らしいけど……あんな見た目だし)
強い神だとは聞いたけど、ふわふわの綿毛狐は、ちっとも強そうに見えない。どこをどう見ても、か弱い愛玩動物だ。
おとり作戦を聞いた綿星は「当日は大船に乗ったつもりでどーんと構えていて下され。絶対に嫁様のことはお守りいたします」なんて大口を叩いていたけれど、大船は大船でも泥船だったらどうしよう。
実力を疑えば綿星が気を悪くするだろうから「よろしくね」と答えておいたが、紫苑同様、彼が怪我をするさまは見たくない。
綾女を後ろから抱き込んで、紫苑がつむじのあたりに顎を乗せる。どうやら彼はこの体勢が好きなようだ。
「当日は綿星をそばにつける。将門公をおびき寄せた後は、帳台の中から決して外には出ないでくれ」
「うん、わかった」
綾女がちょろちょろと視界に入ったら紫苑も集中できないだろう。綾女のせいで集中力が切れて彼が怪我をしたら大変なので、余計なことはしないようにしなければ。
「ねえ、将門公の件が片付いたら、紫苑は晴明様の代わりをやめるの?」
そもそも、鬼である彼が人のために働いているのがおかしいと思う。
晴明の代理をやめたら、紫苑は居を移すのだろうか。それとも、土御門の邸に住み続けるのだろうか。
なんとなく気になって訊ねたら、晴明が苦笑した。
「やめてもいいが……、綾女が気がすむまでは付き合うよ。命婦殿もいるからね」
(そっか……、もし紫苑が土御門の邸から離れて人との関りを断ったら、わたしも命婦と別れないといけなくなるのね)
命婦は、綾女の母代わりだ。五十歳も近く、夫に先立たれているために帰る家もない。できることなら、命婦が生を終えるその日まで一緒にいたいと思っていた。
「いいの?」
「妻の望みの一つや二つ叶えられる甲斐性くらいはあるよ? あそこで暮らすのに、晴明のふりをしていたほうが都合がいいなら、もうしばらくはこのままでもいい。どうせ年を理由に用がなければ出仕してないからね。たまに呼びつけられるくらいならいいさ」
「……ありがとう」
すり、と甘えるように後頭部を彼の肩口にこすりつける。
こめかみのあたりに口づけが落ちて、首を巡らせれば今度は唇に落ちた。
何度か啄まれて離れれば、紫苑の緋色の瞳がとろりと溶ける。
「土御門の邸に戻ったら、改めて三日夜餅を一緒に食べたいところだね」
身も心も夫婦になろうという誘いに、綾女はかあっと赤くなった。
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