死の真相 1
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あの日、綾女は十歳だった――
年が明けて一月。
立春を迎えたというのに、深々と雪の降る寒い朝だった。
何枚も重ねた衾の下で、猫のように丸まって眠っていた綾女は、慌ただしい足音にぼんやりと目を覚ました。
少し前までは肩ほどまでだった髪も、数年後に予定されている裳着のために伸ばしはじめていて、今では鬱陶しいくらいの長さになっている。
まだ髪箱に入れるほどでもないので紐で束ね枕の後ろに流しているそれが、上体を起こした拍子にはらりとほどけた。
寝ぼけ眼をこすりながら「命婦?」と呼ぶも、いつもすぐに駆けつけてくれる彼女は来ず、綾女は帳台の中で途方に暮れる。
裳着も近いのだから、寝姿のままふらふらと帳台の外に出てはいけないと言われていたからだ。
髪をくしけずってもらい、着替えをしなければならないのに、なぜ命婦は来ないのだろう。
寝起きで不機嫌なこともあり、まだ幼かった綾女はぷくっと頬を膨らませる。
(もういいもん)
誰も来ないのならもう少し寝てやろうと褥に横になったときだった。
帳台の帳の裾を押さえている獅子狛犬を蹴とばして、命婦が慌ただしく帳を開いた。
獅子と狛犬の置物が、重たい音を立ててころんころんと転がるさまを綾女は茫然として見やった。命婦がこんな乱暴なことをしたのを見たことがない。
驚いて起き上がる綾女の両肩を、命婦はぐっと掴んで、強張った顔を近づける。
「姫様、どうか、落ち着いて聞いてくださいませ」
低いその声に、ただ事ではない何かを感じ取って、綾女はごくりと唾を飲み込んだ。
綾女の細い肩は、命婦の指が食い込むくらい強く握られていて、正直痛い。だが、そんな痛みも気にならないほどに、命婦の顔は青ざめ、指先は震えていた。
自然と居住まいを正した綾女に、命婦は何度かの深呼吸ののち、静かに言った。なんとか冷静になろうと努めているようにも見えた。だけどその声は震えていて、目を赤く充血させた命婦は今にも泣き出しそうだ。
「姫様……、宮様が、お隠れになられました」
「……え?」
宮様というのは、綾女の父である常陸親王のことだ。命婦はいつも父のことを「宮様」と呼ぶ。だから、それはすぐにわかったのだけれど――
(お隠れになった?)
その、言葉が意味する内容が、すぐに頭に入ってこない。
(お隠れに……)
朝からかくれんぼでもしているのかしら、なんて、思考が明後日の方向へ飛びそうになる。幼い綾女の頭が、それ以上を考えるのを拒否していた。
「命婦……」
喉の奥が痛くなり、綾女の声が震えた。
考えるな。考えるなと何度も自分に言い聞かせるも、幼くとも綾女は十歳。何もわからないほど子供でもない。
お隠れになったという単語が頭の中を幾周もして、自然と、その意味を悟る。悟ってしまう。
「命婦……、命婦……」
綾女の目に、涙の膜が張った。
「はい」
「お父様は……」
「はい」
命婦が何度も頷く。そのたびに彼女の目の面に張った涙の膜が分厚くなって、やがて、ぽろりと一粒ずつの涙が零れ落ちた。
ひっく、と綾女はしゃくりあげる。
「……お父様が、死んじゃったの…………?」
「……はい」
ぎゅっと目を閉じて、命婦が答える。
どうして、と叫びそうになって、けれども大きく開いた口からは何の声も出てこなかった。
息が深く吸えなくなって、浅く呼吸を繰り返しながら、綾女はぼろぼろと泣きだした。
なぜ、どうして、そればかりが頭の中でぐるぐると回る。
だって、昨日まで――昨夜、「おやすみなさい」を言うまで、父は元気だったのだ。
いつも通り綾女の頭を撫でて、「おやすみ」と笑ってくれて、また明日遊んでねと約束して眠りについた。
なのに――
「お父様、は?」
「今、晴明様と中関白様、権大納言様がお見えです。これから死の穢れを払う祈祷が行われるそうで、宮様のご葬儀につきましては、晴明様が日を占うと……」
「そう……晴明様と、伯父様たちが……」
中関白道隆も、権大納言道長も、綾女の母の異母兄だ。
だが、道隆伯父のことが、綾女はとても苦手だった。
中宮の父でもある道隆は、いつもひどく暗い目をしているし、父や綾女のことを疎んじている節もあった。
命婦が綾女を抱きしめて、何度も何度も頭を撫でてくれる。
今すぐ父の顔を見に行きたいのに、許しが出るのはまだ先だろう。
綾女は命婦にしがみついて、我慢できずに声を上げて泣いた。








