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【書籍化】鬼と姫君~平安異形絵巻~  作者: 狭山ひびき


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祟りの噂 6

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 道長伯父が帰ってから数刻後。

少し早い時間に、紫苑が慌ただしく帰ってきた。


「綿星から報告があったけど、左大臣殿が来たらしいね」


 どうやら綿星が、安倍晴明のふりをして内裏で仕事をしていた紫苑の元へ連絡を入れたようだ。聞いていた帰宅時間より早いから、急いで帰ってきてくれたのだろう。

 部屋で脇息にもたれかかってぼんやりしていた綾女の前に、紫苑が紙の包みを置く。


「大夫殿に唐菓子をもらってね。お土産。それで綾女、大臣はなんだって?」


 綿星は紫苑に報告にいったが、会話の内容を聞く前にすっ飛んで行ったらしい。紫苑は「左大臣が来た」という報告しか受けなかったようだ。


「わたしに、内裏に戻るように、と」


 包みを開けると桃枝(とうし)が数個入っていた。その一つを摘んで口に入れると、甘みがふわりと口に広がる。

 もぐもぐと咀嚼する綾女の目の前で、紫苑がぐっと眉を寄せた。


「内裏に戻るように?」

「たぶん、入内のことを言っているんだと思うわ。おかしな話よね」


 笑おうとして、失敗した。

 紫苑が綾女の隣に移動して肩を引き寄せる。


「……今更、なんだっていうのかしら」


 ぽつりとつぶやけば、ぎゅっと抱きしめられた。

 手に持っていた唐菓子が包みごとぽとりと床に落ちる。


「大丈夫だ。入内なんてさせない」

「でも、伯父様の決定よ。覆せるかしら?」

「もちろんだ。それに、左大臣がそんなことを言い出した理由にも心当たりがある」

「心当たりって? この前の秘密と、関係があるの?」

「ある」

「教えて」


 紫苑はそのうち秘密を教えてくれると言った。

 おそらくだが、彼はすべてが片付いた後に教えるつもりでいたのだろう。

 だけど伯父が来た。

 入内までほのめかされて、これ以上知らないままではいられない。

 何もわからないままに巻き込まれるのはまっぴらだ。


「不用意に怖がらせたくないから、あまり言いたくないんだが……」


 紫苑は逡巡したようだが、しばらくして諦めたように息を吐いた。


「仕方ない。わかった、話そう。……今、都に広がっている疫病の原因は、祟りなんだ。将門公のね」

「将門公……」


 思いもよらぬ名前に、綾女はこくりと喉を鳴らした。

 それは、朱雀帝の御代にて、勝手に新皇を名乗り朝敵として討ち取られた男の名だ。


 天慶三年の二月に討ち取られた平将門公は、その首をはねられ、都の七条にてさらし首にされた。

 しかし、一説によると、首となった将門公は、それでも生き続けていたといわれている。

 目を見開き、哄笑し、唸り声をあげ、地響きや雷をも巻き起こし、「俺の胴はどこぞ」と低い声で喋った。生首が。それが本当ならば、当時の都の人々はさぞ震撼したことだろう。

 その後、その首は一向に腐らず、やがて自らの意思を持っていずこかへ飛んでいったとも言われている。

 首が消える最後まで、将門公は帝を呪い、自らが皇であると言い続けた、とも。


 けれど――


「なんで今になってそんな祟りが? 将門公は六十一年も前に亡くなっているのよ」

「だからだよ」

「どういうこと?」

「六十一年……昨年で干支が一周し、将門公が亡くなった庚子が巡ってきた。昨年、将門公は蘇ったんだ。いや、厳密に言えばまだだな。将門公の首と胴が分かたれたせいか時間のめぐりが少し狂っているのだろう。だが恐らく……次の命日で将門公が蘇る。人ならざるものとしてね」


 昨年からの疫病騒ぎは、将門公復活の影響だと晴明は言う。


「蘇る……」

「そうだ。あと、二十日後……二月十四日。将門公が亡くなったその日に、将門公は蘇り、新皇として立つつもりだ。帝を、その血族を祟り殺し、天命は我にあると言うつもりなんだろう。死してなお、帝の椅子が欲しいらしい」


(血族を祟り殺して……)


 綾女はそれが示すことに気が付いてゾッとした。

 指先から血の気が引いていき、無意識のうちに紫苑の直衣をぎゅっと握りしめる。

 かたかたと震える綾女の肩を撫で、紫苑が綾女の頭に頬を寄せた。


「……わたしも、祟られているってことね」

「右京の邸には結界を張っていたし、ここにも張ってある。そう簡単に綾女には手出しできないが……その質問に対する答えは、是だ。君も将門公に祟られている一人だね」

「じゃあ、懐仁兄様が臥せっているのっていうのは……」

「そう。今上は、将門公の祟りを受けて臥せっている」


(そう、だったんだ……)


 綾女はすがるように紫苑の胸に額をつける。


「でも、都の人たちの疫病はなんなの?」

「あれも祟りの一つだ。正確には……、まあ、演出とでも言うのだろか。都に広がっている疫病は、帝とその血族が息絶えれば消える。将門公は、今上は正しい帝ではないから神の怒りに触れ人々が苦しむ結果となったと見せたいんだ。……今上が崩御されたところで、人ならざるものとなった将門公が帝になれるはずはないというのに、人の恨みと言うのは深いものだね」


 すべてが腑に落ちると同時に、綾女は目の前が真っ暗になった気分だった。

 要するに、帝と血族が全員息絶えなければ疫病は納まらないということである。

 将門公もじきに蘇るというし、綾女も含め、帝の一族には死しかないのではないだろうか。


「左大臣は君を守りたいのだと思う。内裏には今、強力な結界が張ってあるからね。ここにも張ってあるんだが、左大臣にそれはわからないだろう。内裏が一番安全だと思っているに違いない」


 綾女はふと、六年前に聞いた伯父の「すまぬ」という一言を思い出した。

 綾女のことを気にするのは、もしかして、伯父があの時のことを後悔しているからだろうか。

 内裏に綾女を戻すのなら、入内という形にするのが一番自然で手っ取り早い。内親王が帝の妃の一人になるのは、別に珍しいことでもなんでもないのだ。


 道長伯父の政敵だった道隆伯父も死んだ今、彼にできないことはない。

 六年前に内裏から追い出された内親王を帝の妃の一人として連れ戻すことも、道長伯父の手にかかれば容易だろう。

 何しろ、昨年末に亡くなった皇后は一度出家したにもかかわらず内裏に戻った。その前例に比べれば、ただ追い出されただけの綾女を戻すことくらいなんてことないはずだ。

 表立って左大臣である伯父に意見できる者も、そう多くないだろうし。


「左大臣が決めたことだ。このまま人の世で生活するのなら、綾女が内裏に入るのを止める手はないかもしれない。だが、入内のほうは何とか阻止できるはずだ。俺を信じて任せてくれないか。俺だって自分の嫁を、形式上とはいえ他人の妃になんてしたくない」

「うん、わかった」


 頷きながら、綾女は紫苑の腕の中でぎゅっと目を閉じる。

 まさか、こんな形であの場所に――優しくて、そして悲しいあの場所に戻ることになるとは。


 もう二度と、あの場所と自分が交わることはないと、思っていたのに――




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