祟りの噂 5
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「はあ……」
返事はまた聞きにくると言って、伯父が帰っていくと、綾女はごろんとその場に横になってため息をついた。
命婦は青い顔をして両手で口元を覆っている。
それはそうだ。さすがに伯父のあの発言は衝撃的だった。
「こんなときに入内しろってどういうことなのかしら? 懐仁兄様は臥せっているのでしょう?」
そう、伯父は綾女に入内――すなわち、帝の妃の一人になれと言ってきたのだ。
そんなことを言われて紫苑が黙っているはずがないから、たぶんこのことは伯父の独断で、彼の耳には入っていないと思われる。
まずは紫苑が帰ってきてから相談しなければ。
(それにしても変な話よ)
伯父は自分の娘を中宮にしているし、他にも親族の女性を何人も女御として入内させている。
伯父の望みは自分の娘に男子を産ませることのはずだ。
ここで綾女が入内すれば、邪魔者が一人増えるだけではないか。
(いったい何を考えているのかしら?)
綾女のことを思って、ではないのは確かだ。それならばもっと早く――それこそ、裳着を迎えた直後に行動しているはずである。
なぜ今なのか。
何か裏がありそうな気がしてならない。
綾女は紫苑に嫁いだが、表向きは誰にも嫁いでいない未婚の娘だ。血筋だけを見れば、帝に入内しても不思議ではない立場でもある。
だが、今上帝は兄とも慕う方だ。
はっきり言って、帝の妃になりたいなんて考えたことは一度もない。
「姫様、これは大事でございますよ……」
命婦は小さく震えていた。
内裏で暮らしていた綾女も、あそこが魔の巣窟であることは知っている。
物の怪や鬼という存在がいるという意味ではなく(まあそれもいるのだが)、陰謀うずめく危険な場所だという意味だ。
後ろ盾のない綾女が入内して無事でいられるような場所ではない。
命婦は、綾女に内裏で暮らしていたときのような姫らしい生活をと望んでいたが、こんな形で内裏に戻ってほしいとは露ほどにも思っていなかったはずである。
「紫苑が帰ったら相談してみるわ」
「ええ、ぜひともそうなさいませ。なんとか避けられるのならば避けるべきでございます。入内なんて、そんな……」
「大丈夫よ。心配しなくても、紫苑が黙っているとも思えないわ。ほらあちらに戻りましょう。わたし、貝合わせの途中なのよね。この衣も脱ぎたいし。肩凝っちゃったわ」
わざと明るい声を出して、命婦の腕を引いて立ち上がらせる。
(とはいえ、伯父様のあれが左大臣としての決定だったら、いくら紫苑でも覆せないかもしれないわね)
渡殿を歩きながら、綾女は少し先を行く命婦の背中を見つめて息を吐く。
ひんやりとした空気で白く凍った息が、ふわりと霧散して消えた。