8,恋愛ジャンルと「恋愛脳」は相性が悪い
千賀子が目を覚ます前に、真澄は帰って行った。
家を出る前に、涼介としっかり連絡先を交換していたのを、瑠唯は目撃している。
「涼介くんが普段はこの家にいないなら、借りたものを買って返すにしても、お母さんに渡すより本人に渡した方がいいのかな」
涼介はそうですねと言って、素直にスマホを取り出していた。
二人で真澄を見送り、玄関からリビングへと戻ったところで瑠唯が「そこまでしなくても」と言うと、涼介はけろっとした顔で答える。
「普段の生活圏にいないひとだから、偶然会うことってまずないだろ。何かあったときに、すぐ連絡つく方がいいと思う。攻略対象者なわけだし」
むむう、と瑠唯はつい渋い顔になってしまった。
(「前世の記憶」をすっかり面白がっているわけだけど、こうも「それらしいひと」との遭遇が続くと、涼介を疑う気持ちは全然無い。むしろ、いろいろと心配になるわけでして!)
瑠唯が翠扇ではないように、他の人達もあくまで「それらしい」だけであって、ゲームのままの性格とは思われないのだが、「裏の顔」設定は気になるところである。
「私ふと思ったんだけど、前世で翠扇が攻略対象者とあえて近づいて自分に引き付けていたのって、彩花を守る目的だったような気がするんだよね……!」
「どういう意味?」
きょとんとした涼介に対し、瑠唯はよくぞ聞いてくれましたとばかりに口火を切った。
「そもそも世の女性たちは『恋愛もの』好きはギリ公言できても、恋愛脳ヒロインのことは好きじゃないのよ。恋愛ジャンルで恋愛していない作品は叩かれるんだけど、恋愛のことしか考えていないヒロインにはうっすら嫌悪感を抱いてしまう」
真剣な表情で耳を傾けていた涼介は、まだしっくりこない様子で「つまり?」と尋ねてきた。
「ヒロインというのは、脇目も振らず『何かに真剣に打ち込んでいるべき』なの。その姿にヒーローたちは惚れ込んで、落ちていく。あくまで『いつの間にか愛される』のが、ヒロインがヒロインたる要件といいますか。逆に『絶対いい男をゲットする! 食い散らかす!』みたいな積極的なキャラは、当て馬としては許されても、ヒロインとしては許されない。まあその……男キャラでも『クズ』はそれだけで嫌われる要素なわけだから、これは男女がどうこう以前に、世間的には『一対一の物語』が好まれる傾向にあるという話とも絡んでいて」
「それで言うと、攻略対象者の好感度をまんべんなく上げつつ進める乙女ゲームは、ヒロインが全員に狙いを定めている状態になる……? うん? でもゲーム攻略ってそういうものじゃないのか?」
それの何が悪いんだろう? と、事態を飲み込めていない様子の涼介に対し、瑠唯は「そこが絶妙なポイントでして」と説明を続行した。
「好感度は勝手に上がるもの、なの。つまり、プレイヤーは『こうしたら上がるだろうな』という『戦略』で選択肢を選ぶわけだけど、ゲーム内でのヒロインの振る舞いは『天然もの』じゃない? 相手のことを本気で心配するのも、けなげに振る舞うのも、全部『男を落とす目的ではなく、本来の性格気質』として相手の目には映るから、恋が生まれるわけで、そのことに対しプレイヤーは納得する。ヒーローが『見た目や条件に食いついてきたのではなく、あくまでヒロインの内面に惚れ込んだ』というのが重要だから」
涼介はうーん、と腕を組み、目を瞑ってぶつぶつと復唱してから、目を開けた。
「わかるような気はするんだけど……。『ヒーローはヒロインの外見ではなく内面に惚れてほしい』『ヒロインは恋愛のことなど頭になく、けなげにひたむきに生きていて、そこをヒーローに溺愛されてほしい』この二つの魔合体が乙女ゲーム攻略で、プレイヤーは戦略的にヒーローを落とす選択肢を選ぶけど、そこから生まれる恋愛はあくまで『恋愛脳ゆえではなく運命』……で、合ってる?」
「That's right!」
瑠唯は思わず大きく頷いて、ソファから立ち上がる。
「そこで『廻る世界の五重奏』の話に戻ります。涼介が彩花だったとして、私が翠扇だとするでしょう。涼介から見た翠扇は『天然もの』に見えていたかもしれないけど、攻略対象者たちを次々籠絡していたとすれば、実際はプレイヤー的思考の持ち主だった可能性があると思う!」
「どうして、翠扇がそんなことを? あの世界観では、男女で一線を越えると能力値低下というトラップが……」
まるで「俺の翠扇がそんなことをするわけがない」と言わんばかりの態度に、瑠唯は「この世界の涼介は天然ものなんだ」と深く納得しつつ、自説を主張した。
「翠扇が現れなければ、結界能力者の一位は彩花だったわけじゃない? そこで、たとえばさっきの真澄よ。一線を越えたら女性は能力が落ちる危険性があるとされているのに、確実な子ども欲しさ、つまり自分の血統に強い血を入れる目的からボス戦前でも所構わずヒロインに迫ってくるなんて、裏表ないどころか腹の中が真っ黒じゃない! 強欲の権化よ。そんな男が、落ちこぼれてめそめそしている彩花に優しいふりをして近づいたら? とりあえず食う目的としか考えられない!」
「わぁ……」
涼介が、さっと顔を強張らせた。ようやく危機感が出てきたらしい。その「天然もの」らしい振る舞いを見て、瑠唯はやはり涼介のことは自分が守らねばと決意を新たにする。
「もし翠扇が全員を自分に引き付けておかなかったら、色気ダダ漏れエロゲヒーローたちの毒牙の何本かは、確実に彩花に向かうわよね? 食われるわよね? 『一線を越えたら能力を失う』と翠扇も信じているわけだから、男に食われて浮上のきっかけを失う彩花なんて見ていられない! と思った可能性はあると思う。そこで翠扇は、プレイヤー的戦略思考を開花させ、ヒーローたちの注目を自分に引き付けることを思いつく……」
話し終えたときには、涼介はいつの間にかキッチンに立っていて、お湯を沸かしてお茶を淹れる支度を始めていた。
「あの! 聞いてた!?」
うんうん、とカウンターの向こうで返事をしつつ、涼介はマグカップを並べながら呟いた。
「それにしても『一線を超えたら能力が落ちる』のが女性だけなのはなぜなんだろう……」
「それは処女消失がトリガーなんじゃなくて、もっと別なことなんじゃないかと私は思うなぁ。たとえば妊娠したら、お腹の子の成長のために超能力の一部を常時使用中にしなきゃいけないから、見た目上能力が落ちたように見えるとか。たぶん、男女で致しただけでは能力が落ちないという設定がきちんとあるはず」
(じゃないとエロゲとして成り立たないじゃない? エロイベントの回数的に)
そこまで露骨に言うのは避けたが、涼介は深く納得した様子で頷いていた。
「そうだよな……。うん……。彩花としての俺にそういう知識はなかったけど、それだと女性側だけが能力低下するという世界観には、一応説明がつくな。能力のある若い女性に対して、知識としてその事実がはっきりと示されていないのは『子どもさえできなければ何をしてもいい』と、結婚にかかわらないところで乱れた行いをするのを防ぐ目的で、あえて知らせていないのかもしれないし」
どことなく浮かない調子の涼介を前に、瑠唯はなんと言葉をかけようか迷う。
(もしそうだとすると「翠扇が誰かとくっつけば自動的に能力低下して、自分が一番に返り咲ける!」と思って、男性たちとの仲を取り持っていた彩花の努力って、わりと空回りだもんね……。気づいちゃったよね、無駄なことをしていたと)
瑠唯はまだ序盤しかプレイしていないが、オープニングでの彩花は余裕をぶちまかして「どうせあんたなんか、私にかないっこないんだから」と高笑いをしていた。有馬家に引き取られたばかりの翠扇はおどおどして、言い返すこともできずに長い廊下の雑巾がけなどをし、指のあかぎれをせつない目で見ていた。
それが、結界のほころびから妖魔が現れたと騒ぎが起きたときに、結界を張り直しつつ妖魔を打ち倒したことで「能力値が高すぎないか?」という話になり境遇が一変。
彩花をしのぐ力があるのでは? 有馬家の次期当主は翠扇では? という騒ぎになり、女学校に通わせてもらえるようになる。
そこでも彩花主導によるいじめが横行しているが、翠扇は「絶対に負けない」という強い心で乗り切るのだった。
なお、ここで「誰か」と会って励まされたことになっているが、その相手は明かされていない。
固定ルートに入ってから「実はあのとき、ひとりで泣いている君に声をかけたのは俺だったんだ」とヒーローの誰かに打ち明けられる演出だろうと翠扇は当たりをつけている。「子どもの頃にヒーローと出会っていて、ヒーローの生涯に渡るこじらせ初恋の元凶になっておく」というのは、ラブロマンスヒロインの鉄板ネタだからだ。
女学校卒業頃にチュートリアルにあたるイベントがあり、翠扇の方が彩花より能力が高いことが衆目のある場で明らかになって、立場が一変。
妖魔対策庁から実働部隊へ勧誘すべく迎えにきたイケメンたちに連れられて、有馬家を一時的に出ることになる。そして有馬翠扇の快進撃が幕を開ける……。
ゲームをプレイすれば、もう少し詳しいことわかるのかな? と思ったところで、涼介がお茶の入ったマグカップをひとつ、テーブルに置いた。
一人分? と顔を向けた瑠唯に、「俺はとりあえずいいや」と言ってくる。
「母さんが起きる前に、一回家帰る。晩ごはん作るのに間に合うくらいの時間に戻るから」
「あ、うん。わかった。気を付けて。ええと、駅までの道わかるよね?」
「大丈夫だよ、昔暮らしていたから。そのくらいの地理は頭に入ってる」
さらっと言うだけ言って、さっさと玄関に向かう。見送るつもりで後を追うと、靴を履いてから、涼介が振り返った。
「前世の俺は、ずっと自分は翠扇に嫌われていると思っていたけど、そういうわけでもなかったのかな……」
寂寥感のある、複雑な表情をしていた。わかり合えないまま終わった二人。
だけど……。
「最終的に、彩花が翠扇の身代わりになったように、翠扇も本当は憎しみだけじゃなくて、わかり合いたいと思っていた可能性はあるよね。今度は食われエンドはやめてね。わかりあおう、お兄ちゃん」
「はいはい」
照れくさそうに笑うと、涼介はドアノブに手をかける。
思わず、瑠唯はその背に声をかけた。
「――それが、私が涼介を見た最後だった、とかやめてよね!? ちゃんと晩ごはん作りに戻ってきてよ!? 千賀子が待ってるよ!」
瑠唯と目を合わせた涼介は、にこりと微笑んで「大丈夫だよ」と言った。