17,千年の闇の中にたたずむ妖魔は、いまも
「着眼点は悪くないと思うんです。そういうの、大事です!」
冷え切った空気をとりなすように、陸人が言った。瑠唯は目を瞬いて陸人を見る。視線がぶつかる。「わかりました」と力強く目で伝え、その無理やり気味のバトンをしかと受け取った。
「ありがとうございます! 勇気が湧いてきました!」
「恐れ入ります。お役に立てて何よりです!」
はあああああ、という柊の特大のため息によって、二人の会話は遮られる。
「陸人は同調するな。そいつのペースに乗せられると危険な感じがする」
柊から、警戒しきりの鋭い視線を向けられて、瑠唯は「なるほどですね!」と心得たように頷いてみせる。はったりであるが、ここで弱気になってはいけないと本能が告げている。
「柊さん、さては私にペースを乱されていますか? 計算違いというやつですね。『一度足を踏み入れたら生きては戻れない~』とかさっきから散々脅してくれていましたけど、そうして気を抜いて呆れ顔している柊さんは、全然神秘的でもなんでもない、普通の若者ですもんね!」
普段の生活では見かけないレベルの飛び抜けた美形が、歴史を感じさせる忍者屋敷のような和風建築の中を和装で闊歩していれば、まるで異世界に迷い込んだかのように感じてしまう。だがこうして打ち解けて話してみると、彼もまた自分と同じ人間なのだと……。
(同じ人間だとは思うけど「私と柊さん、なかなか打ち解けてますよね! もう友達みたいです!」なんて言ったら、ものすごく怒られそう……!)
瑠唯はそこまで厚かましいつもりはなかったが、柊にとっては「普通の若者」と言われた時点ですでに、受け入れがたいものがあったらしい。
「何を言っているんだ? お前の目は節穴か。俺のどこが普通に見える!」
胸に手をあてて、思いがけず真面目な態度で問いかけられる。瑠唯は真顔でその様子を見つめて、ハッと息を呑んだ。
(これはまさか……生まれてこの方、ずっと特別扱いされてきた青年が「普通」と言われて動揺し、相手を急激に意識する……! まさに乙女ゲームの王道、運命の瞬間ということですか!? 「巡る世界の五重奏」では、確実にここが攻略ポイントになりそうな気がする!)
現実の瑠唯は、柊のような桁違いの美青年を攻略できるとは一切考えていない。だが、ゲームであれば別だ。正解さえ選べば、攻略対象者はヒロインの手に落ち、足元に転がり込んでくるのだ。それこそ「二周目以降でなければルートが開放されない隠しキャラ」でもない限り。
瑠唯は、目には見えない選択肢を頭の中で並べ立てて、これだと選ぶ。早速、それらしいセリフを口にする。
「普通は普通ですよ! そんなに私に特別扱いされないことが悔しいですか?」
ツンデレを潰すためには、あえて自分も極度のツンで挑発をする! これぞ王道!
(完璧ですね! これで「柊」は「こ、この女、何者だ……!?」って怯んで、ヒロインを意識してしまうでしょう!)
あまり乙女ゲームのプレイ経験はなかったが、瑠唯はそう考えていた。
しかし、現実において瑠唯は「ヒロイン」ではない。
柊は瑠唯の言葉に気勢を削がれたように「もういい、来い。この先の、妖魔が跋扈する墓所へ」と淡々と流した。
妖魔。
機嫌の悪い柊はともかく、この言葉に瑠唯は目覚ましい反応を返す。
「妖魔! いるんですね!? この奥に!? で、出た~!」
ついに「巡る世界の五重奏」とつながった! と瑠唯は勢いよく柊の後に続こうとしたが、不意に足が勝手に止まった。
(私が「翠扇」で結界を張る能力を持っていたり、いまこの場にいる柊さんや陸人さんに妖魔と戦う力があるならいいけど……現実で命はひとつ)
意識すると、足が震えてしまいそうだった。どう考えても、柊の誘いは危険だ。
一歩進んで肩を並べてきた陸人が、急かすことなく穏やかな声で説明をしてくれた。
「さきほどの話とつながりますが、柊さんの言う『妖魔』は、古代人にとっては『妖魔』としか表現できなかったものです。『悪霊』『悪魔』『呪い』……目には見えない、物理で打ち倒すこともできないのに、墓所の中で待ち構えていて、墓を暴いた相手を殺す『何か』。毒です。ファラオの呪いよりもよほど強い……。毒は人間を選別しないので、盗掘目的の盗賊だけではなく、様子を見に来たり、掃除をしに来た相手も容赦なく殺しました」
「古代人からすると、言葉も道理も通じない、見境のないバーサーカーがいるとしか思えなかったでしょうね。近づいただけで死ぬということは、空気中に存在していて、呼吸で体に取り込んでしまうような……猛毒」
「はい。千年以上正体を突き止められることのなかった『妖魔』は、カビの一種で、呼吸だけで体内に取り込んでしまいます。過去の人間にできたのは、墓所を封印しその上に屋敷を建て、おいそれとひとが近づかないように見守ることのみ。それが宮橋家の役割です」
姿が見えないだけに対処のしようがないそれは、近づいた人間を確実に死に至らしめる『妖魔』として、人間の世界に出てくることがないよう、地下に封印される。
「古代人に、天然の毒ガスは対処できないですよね。避けるしかない……いまは科学が進んだから、原因が特定できたということですか?」
相手が「何か」わかっているなら、無闇に恐れる必要はない。そう思いながらも、瑠唯はもう一歩が踏み出せない。まだ、ピースが足りていない。
見境のないバーサーカーは、千年の間にどこへ消えたのか?
陸人の視線が、柊の消えた深い闇へと注がれる。
「宮橋家はどんな時代も封印を守り抜いてきましたし、その限りにおいて『妖魔』の正体がつきとめられることはなかったでしょう。けれど近年になって、たったひとりで墓所へと向かい『妖魔』に挑むひとが現れました。柊さんです」
勇敢ですねと言うべきなのか、無謀なことをと言うべきなのか。
動き出せないままの瑠唯は迷いながら相槌を打つ。
「さすがに、天然ものの毒ガスは千年たったら消えていたんです……よね?」
希望を述べただけだ。陸人は「いえ」ときっぱりそれを否定した。
「『妖魔』の毒は、普通に生きていました。ただ、柊さんには効かなかった。柊さんを迎えに来た相手には効いた。墓所へ向かった柊さんは、自分を連れ戻しに来た大人たちを隠れてやり過ごそうとして、目の前でバタバタとひとが倒れて死ぬのを目撃してしまったそうなんです。幼い柊さんは、直感的に気づいてしまった。自分の行動が、ひとを殺してしまったと」
何歳頃の話かわからないが、瑠唯はその光景を脳裏に描き、胸に痛みを覚えた。
(絶対に近づくなと言われていたはずの墓所へ、敢えて向かった柊さん。「妖魔」に出会うこともなく、想定されたタイミングで自分が死ななければ、そんなものは迷信だと考えるはず。まさか自分にだけ毒が効かないなんて、そんなこと咄嗟に思いつくはずがない)
「『妖魔』の正体が『猛毒』だと知らなければ、防ぎようもない事故だったのでは」
起きてしまった過去は変えられないが、解釈し直すことはできるはずだ。もし柊が、自分を気遣って迎えに来た大人たちを殺したと自責の念に駆られているのなら、どうにかそれを和らげることはできないだろうか? 瑠唯は、そう考えずにはいられなかった。
頭の中でもう一人の自分が、外野が無責任に放つ「前向きな言葉」ほど響かないものはないと、気づいている。
陸人は、瑠唯のその考えをまるで見ているかのように言った。
「当時の柊さんの行動は、多くの犠牲を出しましたが、結果として千年以上誰も触れることができなかった『妖魔』の正体を推測するための、大きな一歩となりました。おそらくそれは、致死性の猛毒であること。なぜか、柊さんにだけはまったく効力を発揮しないこと。毒は依然として墓所に存在しているため、毒耐性のない人間は近づくことはできないのですが――」
その続きを陸人が言おうとしたとき、闇から引き返してきた柊が、無言のまま瑠唯の手首を掴み、闇の奥へと向かって走り出した。
毒の立ち込める中へ。
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