15,「知り合いじゃない」
瑠唯の目覚める、一時間前のこと――
屋敷の敷地外で銃撃され、庭に出ていた柊と合流してぞろぞろと屋内へと向かったとき、引き戸を開けて玄関に入り込んだところで渚が瑠唯の異変に気付いた。
「気絶してる……? おい、これ大丈夫か? 地下の毒気でも吸い込んで、死んだんじゃないのか!? 医者……っ」
騒ぎながら、渚は玄関先で膝をつき、その場に姿を見せていた白衣の青年へと瑠唯を突き出した。
ゆるやかなウェーブがかった茶髪で、造作の整った顔に眼鏡をのせた青年は、同じくその場で膝をつくと、険しい表情で瑠唯の呼吸や脈を確認する。そして「寝ているだけのようです」と、結論を口にした。
「寝てる……。そっか。死んだかと思って、焦ったわ」
渚は、はーっと深く息を吐き出しダルそうに言いつつも、瑠唯を投げ出すことなくしっかりと抱えたまま立ち上がる。白衣の青年もまた同時に姿勢を正して立ち上がり、眼鏡の奥から渚へと視線を投げかけた。
「屋敷の外で発砲されたと聞きましたが、怪我人はいないんですよね」
「大丈夫。威嚇か本気かわからないけど、やり合う前に向こうが立ち去った。その気になられても困るけどな、俺が撃ち返したら、夕方のニュースになってこのへんに報道陣がつめかけていたかも」
軽い口ぶりで渚が答えている間に、真澄が涼介へと声をかける。
「涼介くんを信用していないわけじゃないが、この屋敷の内部を撮影されたり、会話を録音されるわけにはいかないから、スマホを預からせてもらいたい」
涼介は間近な位置で真澄と見つめ合ってから、その隣に立つ柊へと視線を向ける。
目が合うと、柊はにこにこと笑った。
「真澄じゃなくて、この家の住人である俺に渡してくれてもいいよ。結構映える絵面だと思うけど、SNSに出されると困るからさ」
「そういうことはしない。拘束時間がどのくらいかわからないから、家族と連絡取りたいとは思う」
ああ、と柊が軽く目を見開いた。
「守秘義務が課されているから、守谷先生本人からは家族にも話していないと思うけど、先生は宮橋家の主治医だ。表向きの身分として大学病院に籍があって、週に一、二回は出勤しているけど、それ以外の日はここで勤務している。今日はこっちに来ているから、連絡とらなくても直接会えるよ」
涼介の言う「家族」が父親の伊佐美であると了解した上で、身分の偽装工作を講じられるほどの面倒事に関わっているという事実を告げてきた。
顔色を変えることなく、涼介はさらに話を続ける。
「母親もいるはずなんだ。北沢さんと同じ会社の警護担当部署で、いまは同じ現場にいると聞いている。北沢さんがいるということは、母の現場もここのはずだ」
「お母さんか。ついさっき、守谷先生と顔を合わせて『あなた、ここで何してるの?』って騒いでた。すごいな、家族全員が揃ってるなんて。もうここに引っ越してくるか?」
柊は、渚が抱えたままの瑠唯へちらっと視線を向けてから「涼介の妹だよな?」と確認するように付け足した。
「うん、双子の妹。しばらくここから出て行けないなら、瑠唯は目が覚めるまでどこかで休ませてもらえると助かる。瑠唯のスマホはたぶん、バッグに入っている」
瑠唯が肩からかけていたバッグを示した上で、涼介は自分のスマホを真澄に渡した。
二人の会話を傍らで聞いていた渚が、そこで「あ、そういうことなの?」と口を挟む。
「守谷先生の御子息で、兄妹か。だから宮橋家とリヒテナの抗争についても訳知りなんだ? 守谷先生ってリヒテナ帰りだもんな。息子も一緒だったって聞いているけど、君か。写真とかは見ていなかったから、すぐに気づかなかった」
その質問に対して、涼介はまばたきせずに「はい」と返事をする。
「リヒテナはヨーロッパの小国で、日本では名前を聞くこともない国なので、渡欧前は母が離婚するほど反対していました。父の説明では『王妃さまが日本人で、日本人医師を必要としている』ということでしたが、行ってみたら王妃さまはすでに亡くなっていて。父は、そのまま滞在を続け、難病で伏せていた王子殿下の治療に専念することに」
「そうそう、亡くなった王妃さまっていうのが、宮橋家の当主になるはずだったお嬢さんなんだよな。二十年前にヨーロッパ旅行でリヒテナに立ち寄り、当時の王子様でいまの国王陛下と恋に落ちてついに日本に帰ってくることはなかった……。跡継ぎとして双子の息子のひとり、柊さんだけ宮橋家に戻されたって聞いている。お嬢さんの件もあるから、柊さんはこの家から自由に出ることはできなかったって聞いていたから、君みたいな同年代の知り合いがいるのが不思議だったんだけど……。もしかして、君はこれまでもよく宮橋家に来ていたの?」
涼介は曖昧に笑い、そうだともそうではないとも言わない。渚はふと、自分が抱えていた瑠唯の存在を思い出したように、白衣の青年に顔を向けた。
「立ち話している場合じゃなかった。まずはこの子をどこかに寝かせておこう。本当に、毒にやられたわけじゃないんだよな?」
白衣の青年は、しっかりと頷いた。
「墓所の毒に関しては、無効化できない人間が吸い込むと、即効性の毒キノコを食したときのような劇的な反応が出ます。実験動物で見た限り、その伝承は誇張ではないと僕も確認済みです。こんなに安らかに寝ていることはないですよ」
渚はなんとも言えない表情で「おお、そうか」と呟く。
白衣の青年は「こちらへ」と先に立って、板張りの長い廊下を歩き出した。
涼介も後に続こうとしたが、柊がその手首を掴んだ。
「あの医者は、天野陸人。守谷先生の研究チームのひとり。任せておいて良いと思う。銃撃された一般人は涼介だって聞いたら、先生もお母さん大騒ぎじゃないか? 先にそっちに元気な顔見せに行ったほうがいい」
「わかった」
返事をしつつ、涼介は辺りを見回す。その場に残っているのは、真澄と柊だけだ。
視線を柊に戻してから、涼介は二人以外には聞こえない程度に声をひそめて言った。
「水島さんも天野さんというひとも、君を『柊』さんだと疑っていなかったみたいだけど、俺は『柊』さんには会ったことがない。知り合いじゃないんだ。でも、君は俺の知る人物にとてもよく似ている。リヒテナの王子様だ。クレイラ殿下か? もしかして『柊』さんと入れ替わっているのか?」
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