11,一触即発の
この世界には、瑠唯の知る限り妖魔は存在していない。
ただし銃火器は、現実に存在している。生きていれば現物を目にする機会もあるのかもしれない。
だが、ある日突然自分がそれをつきつけられ、狙われる側になるとは考えもしなかった。
(かばわれなかったら、撃たれていたのかな……。躱せるものじゃなかったと思う。というか、撃たれるって何事……!?)
表札らしきものは何もない門をくぐり、奥まで続く細い道の先頭を歩くのは渚だ。「ついてきて」と言われて、そのすらっとした背中を見つめながらおとなしくついてはきたものの、いくらも歩かないうちに緊張感で胃が痛くなってきた。
「瑠唯? どうしたの」
すぐ後ろを歩いていた涼介が、瑠唯の異変に気づいて声をかけてくる。「ん?」と渚が振り返った。
「ごめん、大丈夫って言いたいけど。大丈夫じゃないかも」
こめかみに脂汗が滲んでいる。吐き気がして、足元がぐらついていた。瑠唯は、咄嗟に涼介に掴まろうと手を伸ばした。
その手が涼介に届く前に、二、三歩大股で引き返してきた渚に掴まれていて、あっという間に抱き上げられた。
「なんだ。腰が抜けたか? そりゃそうだよなぁ。撃たれることなんて、普通に生きていたらまず無いもんな」
「えっうわっ!」
お姫様抱っこだ……! と、瑠唯は焦ったものの、足がふらついて歩けなくなりかけていたので「下ろしてください」と強く拒絶もできない。
間近で見た渚の表情は平然としたもので、その行為はあくまで「置いていけない荷物を持ち運ぶ」だけであることが明白であり、下手に騒ぐほうが恥ずかしいというのもあった。
「黒竜の、警戒頼むわ」
両手が瑠唯でふさがってしまった渚が、気安い調子で真澄に言う。
「さすがに中まで入りこまれたら、最終決戦だと思うけど」
くすっと笑った真澄が、どう考えても笑えないことを言いつつ「了解」と背後の塀へと視線をすべらせた。
渚は正面を向いて、再び歩き出した。
石塀に囲まれた広大な敷地の中、木立に囲まれた道の先には、竹林を後背に静謐な美しさで佇む日本家屋が見えていた。歴史の要覧に載っていそうな、古めかしい建物だ。
(この敷地の広さは気になる……。ヘリの離発着もできそう。さすがに木が邪魔かな? でも、地下ならどうだろう。広大な集会場があるとか、地底都市に通じているとか……)
普段なら「そんなわけないかー」で済ませるところだが、瑠唯はそこで思い直す。
ここは、多少奇抜でも「巡る世界の五重奏」方面から考えるべきではないか? と。
攻略対象者は全員、ストーリーの関係で妖魔と戦うが、青龍班の柊というキャラだけは、一般的な意味では危険にさらすなどとんでもない、それこそ「護衛対象」になりそうな存在だ。
架空の和風世界における皇太子。
さすがに、都内とはいえ皇居と離れた場所でそのような人物が住んでいるとは考えにくかったが、これまで現実で出会った攻略対象者たちが何かしらゲームと近い特徴を持っていただけに、この世界における柊も当たらずとも遠からずの「何か」である可能性はある。
たとえば、宮家の親戚筋にあたる人物に関して瑠唯はまったく知識がなかったが、要人であるのは間違いない。このような場所に住み、公務員である警察の護衛がついていても、不思議ではないように思われた。
渚の腕の中で、瑠唯は真剣に思いを巡らせていた。
不意に渚の背後で涼介が「あの」と呼びかけてきた。
「手段を選ばない相手みたいですが、それが『何者か』は当然、教えてもらえないんですよね。一応言いますけど『知らないほうが身のためだ』という建前抜きで。知っていようがいまいが相手は関係ないみたいですから」
立ち止まった渚は、涼介を振り返ると、言葉を選びながら答える。
「相手が銃を持っている時点で、普通なら緊急配備して検問して捕まえて……なわけだけど、できる限り表沙汰にしたくない状況なんだ。まだ事件化もしていないから、本来警視庁は大っぴらにひとを出せない段階。でもいずれ事件になるのは目に見えているから、いろいろ理由をつけて人員を割いていて、俺がここにいる……。実際にさっきのは事件だ。公にはならないだろうが」
具体的な内容には触れないまでも、かなり核心めいたことを口にした。
涼介は、真澄よりも渚の方が口を割ると踏んだのか、もう一度質問をする。
「たとえば、敵側に海外要人が絡んでいたりします? 銃を持ち込んでいることは十分に考えられるけど、政府筋からは大っぴらに咎められないような」
真澄と渚が、同時に緊張感を高まらせた気配があった。渚は、やや呆れた声で言った。
「なんなの、君は。無関係なふりしているだけで、本当は関係者? どこまで知ってる?」
瑠唯を抱える渚の腕が、かすかに強張ったのがわかる。場合によっては瑠唯を投げ出して涼介に飛びかかるつもりではないかと、瑠唯としても緊張してしまう。
(何か知っているとすれば、前世の知識と攻略サイト……!)
とても正直に打ち明けられる内容ではない。
仮に、渚が完全に無関係な相手であれば様子を窺いながら冗談混じりに言えたかもしれないが、明らかに彼とイメージの重なるキャラが「攻略対象」として存在している乙女ゲーム(十八禁)など、見せられない。「巡る世界の五重奏」の存在にすら気づかず、このまま生きていて欲しいと切に願うばかりだ。
真澄の反応はもう少し微妙で、慎重に考えている様子だった。涼介の情報源として、母親である千賀子を想定しているのかもしれない。その場合、家族とはいえ無関係な相手に情報漏洩していることになるので、社内的な問題に発展する可能性がありそうだ。
(違います! 十八禁の乙女ゲームです! ……言えない!)
銃撃戦の迫力にへたりこんでしまい、自力で歩けなくなった瑠唯とは対照的に、涼介は平然とした様子でにこにことしている。とても撃たれた直後には見えない余裕で、大人二人が彼に得体のしれないものを感じても仕方ない。
「海外帰りって言っていたよな。もしかして、君はそっちで何かに関わっているのか? そもそもどうして今日ここへ?」
頭の中でいろいろな検討を重ねた結果だろうか、渚が再び涼介へと問いかける。
笑顔のまま涼介が何か答えようと、口を開いた。
そのとき、低い声が割って入った。
「見た顔がいる。涼介だな。何をしているんだ?」
屋敷まではまだ距離があるので、声の主は初めから屋外に出ていたのだろう。
着崩したところのないきちっとした着物姿で、見事な黒髪を背に流した青年が、木立の間から進み出てきた。
「あ、あれー? 外に出てきていいんですか」
渚が、愛想笑いを浮かべて青年に尋ねる。
「いいんじゃないかな」
青年は実に和やかな笑顔で答えた。
(それは絶対に、SPさんの欲しい返答じゃないと思います!)
顔立ちの繊細さや体全体の線の細さから女性的な印象を受けるが、声は男性だった。
瑠唯は、彼がこの世界における「柊」だと確信する。
その柊らしき青年と涼介を交互に見つつ、渚と真澄は目配せをし合っていた。
(うん。「涼介」って、名前を言った。知り合いなんだ、この二人……!)
不意に、自分が腕の中に抱えた人間の存在を思い出したように、渚が視線を落としてきた。瑠唯と目を合わせて、抑制のきいた声で尋ねてくる。
「君のびびり具合は演技には見えなかったんだけど、お兄ちゃんはなに? 敵にまわるようなら交渉が必要になるかもしれないけど、君は人質になってくれる?」
嫌です、警察官が民間人を脅さないでください! と瑠唯は心の中で精一杯叫んでいたが、迫力に圧されて声が出なかった。
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