1,双子の兄に、前世の記憶がよみがえってしまいました……!?
「前世の記憶がよみがえってしまったようだ。俺と瑠唯は異世界転生している」
双子の兄、涼介が妙なことを言い出した。
昨今激しい争奪戦が繰り広げられたゲーム機を奇跡的に手にし、ここ十五年ほどの間何度もリメイク版が出されている根強い人気の和風乙女ゲーム「巡る世界の五重奏」をプレイしていたときのことだ。
「えっ、なに? ちょっと切りの良いところでセーブするから、その話少し待って!」
瑠唯はこの程度のことで「兄がおかしくなってしまった……」などと思わない。
むしろわくわくする。心境としては「待ってました!」だ。身の回りでそんな突拍子もない話が出てきたら、ひとまず聞かせていただくに限る。
「待っててね、ここだけ。ああ~、彩花はいつも意地悪なこと言うなぁ。ヘイト集めまくりだよね! さっさとざまぁされて欲しい~!」
ソファによりかかり、ディスプレイに表示されたゲーム画面を見て、ヒロインである翠扇を苛め抜く姉キャラ彩花との会話を進める。すると、ソファの座面に腰掛けていた涼介が身を乗り出して言った。
「俺の前世、この美人だけど強烈に嫌味っぽい彩花ってキャラ。キャラっていうか……生きていたんだけど、向こうの世界で。平行世界って言うのかな、絶妙に日本ではなかった覚えがある」
「んっ? 涼介が彩花ってどういうこと?」
振り返ると、涼介はスマホを手にして「なんだっけ、このゲームのタイトル」と言いながら早速調べ始めていた。
瑠唯と同じ日同じ時間に同じ母から生まれた守谷涼介は、艷やかな黒髪に、長いまつ毛と彫りの深い美しい顔立ちをしたイケメンである。瑠唯とは二卵性のため、容貌は似通ってはいるものの見間違えるほど一致しているわけではない。現在は苗字も違うので、あえて言わなければ兄妹とは気づかれないだろう。
(意地悪令嬢の彩花……?)
涼介は、小学生の頃に両親が離婚した際、父に引き取られて家を出ていった。母に引き取られた瑠唯とは、それから約十年疎遠となっていた。
兄妹仲が著しく悪かったわけではなく、両親も「お互い、子どもには絶対に会わせない」と言うほどこじれてはいなかったが、離婚の直接のきっかけが父の海外赴任だったので、簡単に会える環境になかったのである。
再会したのは、大学に入学してからだ。
実は帰国していたことも、日本の大学を受けていたことも知らなかった体たらくだ。
(双子には特別な絆が……なんて聞くけど、うちに限って言えば普通の兄妹だったからなぁ。同じ家に住んでいれば会話くらいはあっただろうけど、高校受験あたりにメールを送る習慣もなんとなく途絶えて、それっきり。去るものは日々疎く、双子兄とて例外ではないの)
涼介は高校三年生の時期に父とともに日本に戻ってきて大学受験をしていたらしいが、母親から消息を聞いてもいなかった。
父から母へ「帰国した」程度の連絡はあったものの、仕事が忙しくてそれどころではないというタイミングで「涼介は会いたいって言ってる?」と大雑把に用件を聞いて「べつに言っていない」と言われたのを最後に、やりとりが終わったとのことだった。
生活が不規則な社畜である母は、連絡をしようと思い立つタイミングがいつも夜中であったりして、電話もリアルタイムで通知がいくメッセージも面倒になるのだという。
いずれ子どもたちが二十歳になる頃にでも改めて連絡を取って、食事会を開けばいいかな程度に考えていたと言っていた。
本人曰く「愛情が無いわけじゃないけど、十年近く一度も会わず、別れた男に育てられた息子に積極的に会いたいかっていうと、そこまでじゃなくて」と。そういう母だと知っていたので、瑠唯はこの件を特に気にしていない。
父も涼介も、右に同じ。良くも悪くも干渉し合わない家族なのである。
だが、仲は悪くない。
入学して約二ヶ月。学部は違うが、構内で会えば立ち話くらいはする。
今日は大学で顔を合わせた涼介に、思い切って「元の家にそのまま住んでるよー。今日はお母さんが夜勤で家にひとりなんだよね。女ひとりも何かと物騒だし、来る?」と聞いたら「じゃあ行こうかな」という二つ返事で瑠唯についてきた。
来るなり、十年のブランクを感じさせない慣れた態度でリビングのソファに座っていた。
(ここはもう涼介の家ではないんだけど、お客さんのように世話をするのも違うかなぁ……)
誘ってはみたものの、用事があるわけでもなかった瑠唯は、どう会話をしたりもてなしたりするかよくわからなくなってしまった。その結果、自分は自分で絶対やろうと思っていたゲームをリビングのテレビで始めてしまったのだ。
涼介も「客が来ているのに」と言うこともなく、ソファに座ったままスマホを弄っていたが、いつの間にかゲームを眺めていてようで、件のセリフを口走ったのである。
異世界転生している、と。
ゲームのタイトルをスマホで検索をしていた涼介は、目的の記事を見つけたらしく、すらすらと声に出して読み上げ始めた。
「『巡る世界の五重奏』明治が六十年続いたあとの、架空の大正時代が舞台の和風乙女ゲーム。妖魔が出没する帝都で、一定期間妖魔を寄せ付けない『結界』を張る能力者の中ではトップの実力を誇る、名門有馬家の令嬢翠扇がヒロイン。その力は重宝されるものの、結界が行き届かない地域や、効力が切れた場では妖魔が跋扈する。妖魔と戦う能力を持った五人の攻略対象者たちと協力して妖魔のボスを倒すまでの一年間、イベントをこなしつつ推しヒーローとの好感度を上げてハピエンへ!」
瑠唯は、横から他人のスマホをのぞきこむわけにもいかないので「公式サイト? 攻略サイト?」と聞いてみた。真剣な表情で視線をすべらせていた涼介は「攻略サイト」と答えて、続けた。
「ああ、これだ。有馬彩花。女性が当主となる有馬家の令嬢で、力の強い能力者としてちやほやされていたものの、当主の姉で本来なら正当な当主であったはずの伯母の娘翠扇が現れてから、生活が一変。帝都を覆うほどの結界を張る能力がある翠扇に世間の注目が集まり、二番手の娘に凋落。そのことから激しく翠扇を憎み、数々の嫌がらせを行う。特に、処女性と能力に密接な関係があると考えられていたことから、翠扇の周りにいる攻略対象者たちに翠扇を襲わせるべくことあるごとにけしかけ、あの手この手で罠を張り巡らせる。十八禁要素はほぼ彩花の策略から始まるので、意地悪な姉にもかかわらずファンが多い。あ、これ十八禁なんだ?」
さらっと言われて、瑠唯は目を逸らしながら「そ、そーです」と答えた。
(まだ序盤だから、そこまでの展開にはならないと思って……! 涼介も全然気にしている素振りもなかったし、ついプレイしてしまいました!)
さすがに、相手が「家に初めて呼んだ彼氏」であればこれほど油断しなかったとは思うのだが、そこは十年のブランクがあるとはいえ、子どもの頃は一緒に暮らしていた双子の兄である。ある意味空気みたいなもので、存在を気にしていなかった。改めて言われると妙に恥ずかしい。
イケメンに成長した兄の前で、堂々とエロゲをプレイしていたとは。
しかし、涼介は瑠唯の動揺など気にせず、淡々と話を続けた。
「俺もよく漫画で見るけど『あ、この世界ってゲームや小説で見たあれだ!』って異世界で主人公が突然覚醒するやつあるよな。これ、その逆パターンだと思う」
「前世がゲームのキャラクターだったってことを、いま思い出した感じ……?」
「そう。俺は彩花で、翠扇のことをめちゃくちゃ嫌っていて、とりあえず処女を散らしてやろうと思っていた。貞操観念が強い世界観で、そういうことは夫婦の契りを交わした相手としかしてはいけないと徹底されていたから。というのも、その目的は愛情の確認というよりも子作りだと認識されていた。処女ではなくなった女性術者は能力ががくっと落ちるけど、子孫を残す目的があるから一定の年齢になると結婚を推奨される……っていう感じ。この先、ネタバレになるけど言っていい? まだそのゲーム始めたばかりだよな?」
何度もリマスター版が出ているとはいえ、十八禁ゲームである。瑠唯はこれまで手を出したことはなく、SNSで公式や同人作家をフォローしたこともない。ぼんやりとストーリーは知っているが、詳しいことはよく知らなかった。
「ネタバレ……。まあ、本当に聞きたくないことだったらストップかけるから、まずは言ってみて」
瑠唯と同じ年齢の涼介も、ルールを遵守していたならこのゲームの内容を詳しく知る機会はなかったはず。十八禁とも知らなかったようなので、その話す内容はゲームではなく「前世」なのだろう。ひとまず、話を聞くことにした。
「二番手に追いやられて悔しい思いをしていた彩花は、翠扇に好意を抱く極上の男性たちがいることに気づいた。公式サイトに出ているこの五人か。好感度の高い相手と翠扇に対し、媚薬ハプニングなどで強制的にエロシーンに突入させる役割……ってなっているけど、あっちの世界で実際に翠扇が選んだのはこの中のひとりで、俺が罠を張ったのもその相手だけなんだけど」
「あー、待って! それは言わないで! できれば言わないで欲しい、このあとルート選択するときにすごく迷うから! 『だって正ヒーローはこのひとなんでしょ』とか余計なこと考えたくない!」
そこはだめだと瑠唯が全力で遮ると、涼介は「わかった」と一度は引き下がった。だが、さすがにそのまま話を終えるわけにはいかないとばかりに「続きをいいか?」と聞いてくる。
「う……うん。どうぞ」
「この攻略サイトによれば、正規ルート五人の他に、隠し攻略キャラがいることになっている。ひとりはラスボス。妖魔の首領だけど、実はとある攻略対象者の双子の兄弟で、子どもの頃に妖魔にさらわれた人間なんだ。これ、言って良かったか?」
ううう……、と瑠唯は悶えながらも、頷いた。
(できれば聞きたくなかったけど、仕方ない! 割り切ろう!)
なぜなら、これはゲームの話ではなく、涼介の前世の話なのだから。
あきらかに瑠唯が苦しんでいるのを見て、涼介は眉をひそめて「悪いな」と詫びてから話を続けた。
「あと、俺。彩花」
「えーっ! 姉妹で……? あっ、百合エンドっていうわけじゃなくて友情和解エンドかな……? そそそ、そうだよね?」
そうであって欲しいという思いから瑠唯はまくしたてたが、涼介は「違う」ときっぱりと言い切った。
「彩花は、女装男子なんだよ。有馬家は女性が当主になる習わしで、生まれたときに母親が『女だ』と偽ったんだ。そのとき、本来当主となるはずだった翠扇の母親は駆け落ちして失踪していたんだけど、死亡は確認されていなかった。彩花の母親は、いつか姉が戻ってくるのを危惧して、地位を盤石なものにするべく、彩花という次期当主を産んだことにしたかったんだ。しかし実際には、姉は死んでいたが翠扇という子を残していた。彩花よりも優秀で、有馬家に迎えいれられるなり才覚を発揮したヒロイン……」
「す、翠扇は翠扇で親を亡くしたあと子どもだけで生きていた時期があるので、ものすごく苦労した設定なんですけど……。なんかごめんなさい、彩花姉様」
「兄様な? 彩花は翠扇をいじめまくるんだけど、まったく落ち込まない翠扇にそのうち、逆にMっ気を開発されることになる」
「開発なのそれ。もうただの性癖破壊じゃない? なんでいじめている側がMに目覚めるの?」
「あまりにいじめが効かなすぎて、自分がいじめられているような被害妄想にとらわれて、それが被虐の快感になる。ぐずぐずした彩花の態度は、翠扇のSっ気を呼び起こし」
「彩花―っ! 翠扇ー!! 戻ってきてー! そっちじゃなぁぁぁい!」
思わず、瑠唯は叫んでしまった。
だよなぁ、と涼介も遠い目をしていたが「それはさておき」と強引に話を戻す。
「前世で、俺は自分が男で血筋的には従兄だと明かすことはなかったよ。翠扇と、話し合ったりわかりあったりすることもなかった。だけど、最終決戦の前に、ラスボスが翠扇をさらおうとしていることに気づいて、翠扇のふりをして捕まった。身代わりのまま生贄にされて、到着した翠扇たちの目の前で妖魔に食われエンド。たぶん、そのあと翠扇がヒーローたちと一緒にボスを倒してくれて、あの世界に平和をもたらしたんだと、信じている……」
「まさかのサクリファイス……!」
あの嫌味なヘイトキャラの彩花が、最後は翠扇に尽くすだなんて……! という最悪のネタバレを噛み締めつつ、しみじみと瑠唯は呟いた。
(嫌がらせをしてくる本家姉で、ヒロインを陥れると言いながらヒーローたちとの数々のエロイベントを引き起こし、ある意味「恋愛ゲームで現在の好感度などのステータスを教えてくれて、攻略を手伝ってくれるお助け親友キャラ」みたいなポジションで、最後は身代わりになって死ぬ……!? それはもう、彩花ifルート二次創作もさかんになるわと思ったけど、その上攻略対象の隠しキャラですって……!? そんなのもう、盛りすぎじゃない!)
胸の中で叫ぶ瑠唯の横で、涼介はなんとも言えない表情で「十八禁だったのかぁ……」ともごもごと歯切れ悪く言う。
「生贄にされる前に、彩花は翠扇の純潔を散らそうとしたボスに襲われて男だとバレたにもかかわらず『なんだ男かよ!』ってならないまま十八禁展開に、いやこれは言う必要がないな。聞かなかったことに。とにかく、このゲームの中では一番スタンダードなハピエンだったんじゃないか。翠扇は、思い合うヒーローと何度も危うい展開になりつつも最後まで処女を守り通し、意地悪な姉とボスは死亡。ボスを倒したあとはつかの間の平和が訪れるから、その数年の間にヒーローと結婚して子作りしまくりだと、思う」
Fin.
一通りの話を聞いたあとで、瑠唯は心の中で「あれー?」とつっこんでしまう。
(十八禁ゲームなわけで……本当にそれ、ヒロインは処女を守り通してエンド? むしろ最終決戦前にヒーローと結ばれていて、それにもかかわらず能力は衰えなかったばかりか、強まったという方がありえそうじゃない? エロゲヒロインはそのくらいタフじゃないと)
さすがに、それをそのまま涼介の前で口に出すことはできない。彩花であるところの涼介は、ヒロイン翠扇はシナリオが終わるまで処女だったと考えているようなので、そっとしておこうと思う。
さりげなく、話を変えた。
「ゲームだと、隠しキャラって二周目から解放される感じ?」
「俺が記憶している世界はゲームじゃなかったけど、攻略サイトによればそうなっている。さすがに詳しい展開まではまだ出てない……発売したばかりなんだよな?」
「そうそう。最近は攻略サイトには全部のせないんだよね。一瞬で読まれてコピペされて使われるだけだから、みんな重要な部分は配信で出すの。そのほうが収益化もできるし。もっとも、私はそれ見るくらいなら自分でやりたい派だけど」
ごく普通にゲーマーとして語ってから、瑠唯は危うく忘れかけていたことの発端を思い出す。
「前世! これ、前世の話って……、つまり、どういうこと?」
涼介はにこーっと笑って「そのままの意味だけど?」と言った。
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