Chapter 7:運命の午後
午後1時45分。
新宿、超高層ビルの屋上。
トム・カーティスは、視界に映る男の動きを凝視していた。黒のパーカー、帽子、サングラス。だが、決してただの通行人ではない。男の腰元には、何か長方形の装置がちらりと覗いている。
「怪しいな……間違いない、あれがターゲットだ」
トムは小声で通信機に話しかけるが、ノイズだけが返ってくる。爆破事件で損傷した通信機がついに限界を迎えたらしい。
――仕方ない、一人でやるしかない。
男が急に走り出した。トムもすかさず追いかける。
屋上の縁をすり抜け、非常階段を三段飛ばしで駆け下りる。風が顔に叩きつける。
一段飛ばしの足音、鉄のきしむ音。男もトムの追跡に気づいたようで、速度を上げる。
「止まれ!」
トムが叫ぶが、男は返事の代わりに閃光弾を投げた。
「くっ——」
目が眩み、視界が白く染まる。次の瞬間、何か重いものがトムの背中を叩いた。男の肘打ちだ。だがトムはすかさずカウンターを放ち、腹に一撃を食らわせる。
「終わりだ!」
だが、男は防弾ベストを着ていたようでダメージは少ない。ナイフを抜いてくる。
トムはすぐさま金属パイプを掴み、それを受け止める。火花が散り、金属の衝突音が階段室に響く。
数十秒の死闘の末、男は足を払われ、手すりに激突。だが、身体を翻し、隙を突いて非常口のドアを蹴破り、姿を消す。
トムは咄嗟に後を追うが、路地に出た瞬間、男の姿はもうない。
そして——
午後2時3分。
轟音が、空を裂いた。
同時刻、渋谷・裏路地。
ローズ(ケシー)は、若い男を壁際に追い詰めていた。銃を構え、警告する。
「そのバッグを置きなさい。あなたの手元にあるもの、それが“NEO 02”なら、今すぐ——」
男は笑った。
「……遅かったな」
その声とともに、閃光と爆風。爆破。
地面が揺れ、ケシーは吹き飛ばされた。頭を強打し、一瞬意識が遠のく。
だが、彼女は気力で立ち上がる。
瓦礫と煙の中、再び意識を取り戻したトムと合流し、爆破現場を調査する。
「……死体がある」
トムが声を絞り出す。さっき追っていた男だった。血まみれで、すでに息絶えていた。
犯行の証拠はまたしても失われた。
「また逃がした……Zにやられた……」
一方、遠く離れたZ本部。
衛星映像を見つめていたネイルは、爆煙の向こうに立つトムの姿を確認する。
目を細め、口元をかすかに緩めた。
「……やはり、運命は変えられない」
午後1時30分。
NYPD副本部、捜査資料室。
「……またトム・カーティスの名前か」
ジョニー・フェントンは、部下が提出した報告書に目を通しながら、深くため息をついた。
彼の頭の中では、パズルのピースがゆっくりと形を成してきていた。
ニューヨークの地下鉄爆破事件。謎の黒い帽子の男。ZとΣの関連性。そして、サミュエル・ケイン——コードネーム「ネイル」。
「Zの幹部が、8年前に壊滅させたテロ組織Σの残党だったとはな……」
壁に貼られた顔写真を見つめながら、ジョニーは一人呟く。
「じゃあ、あのときの事件……やっぱりまだ終わってなかったってことか」
彼の手元のモニターには、ノーザン・アーク研究所の旧施設の衛星写真。
ジョニーは昨日、実際に跡地を訪れていた。だが、そこには何も残っていなかった。人の痕跡も、実験機材も、証拠も。あったのは、まるで初めから存在しなかったかのような静寂と草木だけだった。
「奴らは、移動した……」
今、Zが東京で何かを企んでいることは間違いなかった。問題は——間に合うかどうかだ。
午後2時5分。
ジョニーは警報の音で思考を遮られた。
「……何だ?」
オフィスのテレビが、ニュース速報を伝えていた。
「速報です。日本時間午後2時3分、東京・新宿および渋谷にて爆破事件が発生。現地警察はテロの可能性も視野に入れて——」
ジョニーの目が鋭くなった。
椅子を蹴るように立ち上がり、コートを羽織る。デスクに残された捜査資料をカバンに押し込みながら、電話をかける。
「飛行許可を今すぐ頼む。目的地は東京。至急だ」
午後10時45分(東京時間)。
東京・新宿。爆破現場。
焼け焦げたアスファルト、砕けたガラス。街は一瞬で地獄と化していた。
防護マスクを付けたまま、ジョニーは瓦礫の間を歩いていた。警察が現場を封鎖している中、彼は「特別捜査官」の肩書きを利用して現地入りしていた。
「やられたな……」
彼は、焦げた壁の一角を手で撫でる。破片には、爆薬の成分と思われる残留物が残っていた。
そして、ある光景に目が止まる。
それは——灰の中に落ちた、一枚のメモリカードだった。
手袋越しに拾い上げる。
「カーティス……お前はここにいたんだな」
爆発音の記録、被害者の数、そして事前に出されていた「警告」メールの存在。
どの証拠も、トムが主犯であると示唆していた。
だが、ジョニーの直感は別の真実を訴えていた。
「トム・カーティス……お前は、この事件の『鍵』であって『犯人』じゃない。そうだろ?」
彼は空を見上げる。
「見つけてみせる。黒い帽子の男も、Zの中枢も。そして、お前がずっと追っている“本当の敵”もな」