Chapter 5:対峙
——東京湾沿い、廃倉庫地帯。
深夜、濃霧が静かに海面を這い、朽ちかけた倉庫の壁にひそやかな影が溶け込んでいた。
トムは、無言のまま倉庫の奥へ足を進めた。片手には通信妨害装置。反対の手はジャケットの内ポケットに軽く添えている。
「……来たか」
声が響いた。
金属の梁の上。そこに立つ男の輪郭は、以前と変わらぬ静けさと殺気を湛えていた。
ネイル——トムがZに通づる現在唯一無二の手段。
「あの暗号に気づくとは、ヴァイスが認めるだけあるな」
ネイルは、その優秀さからZから信頼されるとともに監視されていた。そのため、ネイルにとってもスネークと密会することはヴァイスの信用を失うこと、ヴァイスにスネークの居場所を教えてFBIを敵に回すことなどのリスクがあった。
そこでネイルはジッポーを使ってモールス信号を残した。
それはある電話番号だった。その番号がトムをネイルを繋いだ。
「なぜもう一度会った?我々と関わること自体、君には危険だろう」
「…’’運命’’かな」
ネイルはゆっくりと跳び降りると、トムに一枚のメモリーカードを投げ渡した。
「次のPhase Sigmaの計画概要だ。僕は今回の件を一任されているんでね」
「グレース博士の居場所は?」
「“境界線”の向こうにいる」
トムが問い返そうとした瞬間、ネイルはそれ以上を語らず、煙のように霧の中へ消えた。
——FBIアジト。
「“境界線”?文字通りに受け取れば……」
スパイダーは即座にデータベースを検索した。
「東京湾近くの旧研究都市“深川サイト”……政府の開発凍結区域だ。地図上では廃墟ってことになってる」
「廃墟で研究ってのは、Zらしい手口だな」
ベーカーが皮肉を込めて呟いた。
「フォックス、君に先行してもらう。研究員に化けて中の状況を探ってくれ」
トムの指示に、フォックスは笑みを浮かべて頷いた。
——一方、刑事ジョニー。
「ここに……いた」
数日前、ジョニーはコンピューター科の友人にアメリカ国内の防犯カメラに男が映っていないか調べてもらった。
そして今朝、送られてきた。
ニューヨークで見かけた黒い帽子の男——ロサンゼルス国際空港、東京行きの便に乗り込んでいる。名前はサミュエル・ケイン
「なぜトム・カーティスはこの男を追っていたのか……」
ジョニーは次の犯行は日本だと推測し、サミュエル・ケインについて調べを続ける。
——Zサイド。
「Phase Sigmaの準備は整いつつあります」
グレース博士が静かに報告する。
「最終テストは東京で行われる。成功すれば、次は世界だ」
通信越しに現れた声は、電子的に変調され、性別も年齢も掴めない。
その背後に立つヴァイスは、以前よりもその目に影を宿していた。
「スネークも動いています。いずれこちらに辿り着くでしょう」
「ならば、彼を試すのも悪くない。選ばれし者と、それ以外を分ける“選別”の時だ」
——東京湾を見つめるトム。
手には、メモリーカードに貼り付けられていた小さな紙片。 そこには、一言だけが残されていた。
『次会うときは容赦なく殺す』
夜風が静かに吹き抜ける中、トムは決意を新たに、深川サイトへと向かう準備を始める。
Phase Sigmaの全貌が明らかになる時、それは同時に世界の均衡が揺らぐ時でもあった。