俺はパシリじゃない!
「それで? あの子とはどこで知り合ったんだい?」
彼女の手当てを終えて客間から戻ってきた姉貴は、開口一番にそう言った。
この非常時に何を言ってるんだ。
「そんなことよりあの子は大丈夫なの?」
わりと怒気を込めて放った言葉も、「はいはい」と軽く流されてしまった。
「なに流そうとしてるんだよ!」
激しく抗議し続けること三〇分、ついに姉貴は口を割った。
「あの子なら大丈夫だよ。元から疲労がたまってたみたいで、体が冷えたことがさらに追い討ちをかけたんだろうね。暖かくして寝かせていればすぐに元気になるさ」
……そうか、よかった。
人は、心配事が無くなると自然と安堵の息をこぼすように出来ているらしい。
「さて、じゃあ次はお前の番だ」
ヒヒヒヒヒ
邪悪な微笑とともに迫り来る姉貴。……これは逃げられないな。
オレは観念して、事の発端を洗いざらい説明することにした。
「ふ~ん。そうだったのかい」
数分後、わざとらしく腕組みをした姉貴がソファーの上に偉そうにして座っていた。
悪の組織の幹部よろしく、長い足をこれでもかとばかりに投げ出して交差させるという、健全な男子高校生なら目のやり場に困ってしまうような、そんな座り方だ。
悲しいかな、そんな姉貴を見慣れているせいか、オレはなんとも思わなかった。
「しっかし、あんたが人助けねぇ……」
幻の珍獣でも見るかのような粘っこい目で、しげしげと観察されてる気分を味わうことの無い人生を送りたかった。
「人間嫌いのあんたが、何でまたそんなことを?」
人間嫌いって……
「な、なに言ってるんだよ姉ちゃん。オ、オレがいつ人間嫌いになったってゆうんだよ。全然そんなこと無いっての!」
確かに、多少人付き合いは悪いと自覚してはいるが、人間嫌い言われるほどひどくは無いつもりだ。
「……あんたがそう言うんなら、そういうことにしといてあげるわ」
「なんだよその聞き分けの悪い子に仕方なく付き合ってあげてる感は!」
オレは人間嫌いじゃないっての!
オレの抗議も馬の耳に念仏。姉貴にはまったく効果が無いようだった。
「それより、あの子これからどうすんのよ?」
「へ? どうするって……」
「やっぱり馬鹿だねあんたは。何か行動を起こすときは、行動の結果を見据えて計画的に実行しなって言われてるだろ?」
「うっ……」
そうだった。
ごめんじいちゃん。
「その顔だと、どうやら何も考えていないらしいわね……」
「ゴメンナサイ!」
「まったく……あんたってやつは」
作業の邪魔になるからと頭の上でまとめられていた髪を解くと、髪留めに使っていたゴムをオレの顔に向けてビシッと飛ばしてきた。
「痛っ!」
ゴムはピンポイントに眉間に直撃した。
これを狙ってやっているのだからたちが悪い。
「これでチャラにしてあげるわ」
そう言ってまたどこからかゴムを取り出す姉貴。もちろん、オレには抗議する間も避ける間も与えられなかった。さっきのゴムと寸分違わない場所……眉間に命中した。
「痛っ!」
な、なんて発射速度だ。
「んじゃ、あたしお風呂に入ってくるわね」
方まで伸びた黒髪を優雅になびかせながらリビングから姉貴が出て行ったのを見届けると、オレの体から一気に緊張感が抜けていき、たまらずソファに沈み込んだ。テーブルに常備してあるオレ専用ペットボトルから水分を補給する。
「はぁ」
無意識のうちにこぼれたのは、おそらく安堵の息だろう。そうであってほしい。
「漁夜~、あたしが風呂からあがるまで晩飯の用意でもして待ってな」
「はぁ……」
奥のほう、おそらくはバスルームからの助言もとい命令に、今度は心の底からため息を吐いた。
今更ながら自己紹介。
オレの名前は漁火漁夜。この春、県立高校に入学したばかりの十六歳だ。
今現在、ちょっとした事情から、あの自己中心的な姉貴のアパートに居候させてもらっている。
学校ではとにかく平均的なやつと思われているオレだが、ここに住むようになってからは家事全般がオレの仕事となったため、ものすごく家庭的な男子になりつつある。
姉貴も少しは家のことを覚えればいいのに……。きっと旦那さんは大変な思いをすることになるだろう。合掌。
「漁夜~、シャンプーが切れてるから補充しとけって言わなかったっけ?」
「!」
やっべ、忘れてた。
「ちょっと待ってて! 今買ってくるから!」
「十分以内に帰ってきな!」
「はいぃぃいい!」
濡れた制服もそのままに、鞄から財布を引っ張り出したオレは、アパートを飛び出し最寄のコンビニまで一目散に駆けていくのだった。
「オレはパシリじゃな――い!」
そんな叫びを上げながら全力疾走するオレの姿が、波紋の広がる四季湖の水面には滑稽に映っていたという……。